光に向かって、その手を伸ばす ― 響けユーフォ短編集 作:ろっくLWK
カタン、コトン、と車輪がレールのつなぎ目を叩く。
その音に揺すられながら、
「で、どこまで行くつもりなの?」
声を掛けられ、奏の視線が対面の座席へと移ろう。そこには
「特に決めてません。降りたい駅で降りて、そのへんをぶらっと回るだけです」
「ノープランの旅か。なーんか奏にしちゃ
「たまには良いものですよ、そういうのも」
食べますか? と奏は鞄から取り出したスナック菓子を夏紀へと差し出す。
「私はハバネロ味のほうが好きなんだけどなー」
等とぼやきつつも、夏紀の指がこちらへと伸びてくる。包みから引き抜かれた一枚のチップス。パリ、と歯を立てる音が軽やかに車内に響く。
「お、けっこう美味いじゃん。このコンソメ」
「でしょう? 体感してみると意外と良いって思えるものもあるものですよ」
「お? もしかして私いま、奏に人生諭されてる?」
「そんなつもりはありません。せいぜい可愛い後輩からの、温かい気遣いの言葉と受け取って下さい」
ナマイキ。夏紀の指先がペチン、と奏のおでこを撥ねる。思わず洩れた奏の呻きは子猫の鳴き声に良く似ていた。何するんですか、と憤慨するふりをしながら、奏は愉快そうに微笑む夏紀のことをそっと盗み見ていた。
それは、数日前のこと。
次の祝日が休養日となることに決まり、空いた時間をどう過ごすかを考えながら奏は廊下を歩いていた。次の演奏会後には期末のテストがすぐそこまで迫ってはいるのだが、常日頃からこつこつ勉強をしている奏にとっては成績の心配なんて丸きり無縁の話だ。今さら慌てて参考書をにらめっこする必要も特に無い。せいぜいテスト直前にサラリと確認する程度で充分対応できる。先輩たちが「いみじーいみじー」と何やら念仏のように唱えている姿は何とも哀れだったが、あいにくとこればかりは日頃の積み重ねがものを言うところである。
ならば友達を誘ってどこか遊びに行こうか、とも考えたのだが、あいにくそれに付き合ってくれそうな成績目覚しい友人もそう多くはなかった。まあ、
「よっ」
「あ、夏紀先輩?」
知らずのうちに声がうわずってしまう。体裁を整えるためにゴホンとわざとらしく咳き込んで、それから奏は恭しく夏紀にこうべを垂れた。
「お疲れ様です。先輩も練習上がりですか?」
「まあね。今日はアンコンメンバーの子が家の用事で早引けするらしくって、じゃあたまには早く帰るかーって」
「そうだったんですね。……部長さんは、一緒じゃないんですか?」
「あー
「なるほど」
「てか、もう部長じゃないでしょ。私ら一応は仮引退の身なんだし」
「そうでしたね。すっかり忘れていました」
心にもないことを言いながら夏紀と肩を並べ、一緒に廊下を歩く。彼女の歩幅は奏のそれよりもいくぶん長くて、普段のペースで歩いているとあっという間に距離が開いてしまう。そうならないようほんの少しだけ、奏は踏み出す足をいつもよりちょっと先へ置くことに神経を払う。
「ところで今度の休み、奏はどうすんの?」
やにわに予定を尋ねられ、奏は返答に窮する。さっき夏紀に出くわすまで、まさにそれを考えていたところだ。
「特に決めてません。先輩は、どうされるんですか?」
「私?」
んー、とうなじのあたりをボリボリと指で掻きながら夏紀がしばし言い淀む。
「特にやることなくてさ。部活が無いんじゃ学校に来たって意味無いし、大学受かってんのに勉強してもってトコだしさ。誰か誘って遊ぼうにも、他の子らは予定あるみたいで」
「優子先輩も、ですか?」
「何かさっきからちょいちょい優子の話出てくるな。べつに休みの日までアイツと一緒じゃないんですけど」
拗ねるように夏紀が唇を尖らせる。その仕草は本人には申し訳ないけれど、とても良く似合っていた。
「まー、ひとりでブラっと映画見たり久しぶりにギター弾いたり、って感じかな」
「ようは退屈な休暇を持て余しているんですね」
「キミには言われたくないぞ、おい」
夏紀の肘がドンと自分の背中を押しやる。その勢いに気持ちごと弾かれるように、奏は夏紀の一歩前へと踏み出し、そしてくるりと振り返った。
「それなら私と出掛けませんか? 一日だけの、小さな旅行に」
待ち合わせた駅から適当な切符を買って電車に乗り、どの方角へ向かっているかも知らぬままでひたすら揺られ続ける。そんな中身のない旅行を提案した自分に、夏紀は二つ返事でオーケーを返してくれた。そして今はこうして当初の計画通り、当てもなく線路の延びる先まで運ばれるだけの時間を、二人でお菓子をつまみながら怠惰に過ごしている真っ最中なのであった。
「そう言えば小学生ぐらいの頃さ、こんな遊びやったことない?」
何ですか? と小首を傾げる奏の前で夏紀はチップスを二枚引っこ抜き、それをぱくりと銜える。
「こうやってさ、アヒルの口ー、とか言うヤツ」
その恰好はあまりに間抜けで、奏の口からはつい失笑が零れ落ちてしまう。
「絶対やったことあるでしょ、一回ぐらい」
「同級生の子がやっているのは見たことありますが、自分ではそういうみっともない真似はしたことないですね」
「仮にも先輩になかなかな口の利き方じゃん?」
「そう仰るなら、先輩としての威厳を大事にしていただきたいものです」
なおもクツクツと喉を震わせるうちに、夏紀は二つの
「他にもあるよ。このコーンスナックをさ、こうやって指にはめて……魔女の手! みたいな」
じゃーん、と夏紀が両手を広げる。爪の先を鋭利に尖らせたようなそのシルエットはまさしく妖しい魔法を使う魔女みたいで、それを彷彿とさせるように夏紀は「イッヒッヒ」としわがれ声で嘲ってみせた。
「何なんですか、それ」
とうとう堪え切れなくなって、奏は笑声を上げてしまう。何事かと他の乗客がこちらに視線を向けてきて、ぱちりと彼らに目を合わせてしまった奏は、申し訳なさに背中を縮こまらせるより他はなかった。
「奏クン、電車の中では静かにしないとダメじゃろ?」
「先輩が笑わせるからですよ、もう」
ぶうと頬を膨らませた奏に、夏紀がしたり顔を向ける。本当にこの先輩は、こういうところが憎たらしい。
――だから、嫌いなんだ。
このへんで降りてみましょう。
へんてこな駅名につられて降り立った駅舎は、見るからにさびれ果てていた。恐らくは建てられてからもう数十年ぐらい経っているのだろう。壁は赤茶けた錆のような色が足元からにじり寄っていて、木造りのガラス枠は長年の風雨に耐えてきたせいかどす黒い染まりようだった。寄りかかったら今にもへし折れてしまいそうな鉄柵はどうやら現在、改札口の代わりになっているらしい。今はすっかり無人の駅舎として運用される建物内の待合室はひどく手狭で、がらんどうの空間は何故か掃除の手だけが良く行き届いているような気配があった。
「こっからどうする?」
ぽつりと尋ねつつ、夏紀が懐から携帯を取り出そうとする。それを奏はそっと片手で差し止めた。
「せっかくの旅なんです。調べながら歩くのも無粋ですし、ぶらぶらとお散歩しませんか?」
「奏がそれで良いなら、私もいいけど」
夏紀は微かに怪訝そうな顔をして、けれども無言で携帯を元の場所へ戻した。これでいいんだ、と奏は自分に言い聞かせる。せっかく何の目的もない旅行をしているのだから、ここから先のことも何も決めないままでいい。だって、その方が。
ぐう。
「あれれー? 奏さん、電車の中であんだけお菓子食べたのに、もうお腹減ってるんですかぁ?」
違います、と否定しようとしたその途端、自分のお腹がもう一度音を立てる。しかも今度は、かなり長めに。
「お腹のほうはそう言ってないみたいですけどぉ?」
ニマニマとしながらこちらを覗き込んでくる夏紀。奏の顔はかあっと顔が熱くなる。それはお腹が鳴った恥ずかしさだけではないのだけれど。
「でもまあ、良い時間だしね。どっかテキトーなお店入って、軽くなんか食べよっか」
「……はい」
蚊の鳴くような細声で返事をする自分に、夏紀はやれやれと言いたげに一つ、そこに息を残した。
商店街、と辛うじて呼べそうな通りの一角にあるお食事処で食事を終えた二人が外に出たとき、辺りにはさわさわと昼下がりの心地良い秋風が吹き渡っていた。お店のメニューは正直なところ、奏の好みに合ったものは無くて、消去法的に選んだ月見そばを奏がふうふうと冷ましながらすするその一方、夏紀はカレーライスを心底美味しそうに平らげていた。それがなんだか心の奥ににびしゃりと焼き付いているみたいで、奏はそっと胸のあたりを撫でつける。
「胃もたれ?」
「まさか。慣れない味だったので、少し胃がビックリしてるだけです」
「ふーん。まあ確かに、お嬢様みたいなカッコしてお蕎麦ってのもミスマッチか」
奏の今日のコーデは時候にふさわしく、濃いブラウンのワンピースに黒のストッキング、そしてお気に入りの真っ赤なパンプス。そのままでは少し寂しかった喉元には真っ黒なチョーカーをあしらっている。そのままでもどこかの晩餐会に出掛けられそうないで立ちは、夏紀と一緒に過ごすために特別気を遣ったものだ。
「じゃ、そろそろ行こっか」
「はい」
これまた特に向かう先も決めず、うらぶれた通りを進んでいく。立ち並ぶ建物の終端はすぐそこに見えてきて、その向こう正面には一帯を雑木林に囲まれた小高い山があった。秋枯れの山肌はほのかな陽光に照らされ、今が最後の栄え時とばかりに紅と黄色をまぶしたみたいになっている。行き先に関する会話をていねいに避けて通る二人の足は、揃って自然とそちらに向かった。
「奏ってさ、こういう時はどんなもん食べるの?」
「こういう時、というのは?」
「だから友達と出かけたりとか、どっか遊びに行った時」
「そうですね」
顎に手を当て、奏はしばし思案する。
「だいたいは友人の家で過ごすことが多いのであまり出掛けたりはしないのですが、四条に出掛けた時には必ず立ち寄るカフェがありまして」
「ほうほう」
「アンティークな装いとコーヒーの香りが好きで、そこでホットサンドやガレットを頼んだりはしますね。大通りを歩いていくと目立つところにあるお店なので、先輩も一度は見かけたことがあると思いますよ」
「あー、もしかしてあの辺か? いや入ったことはないけど」
「先輩なら、きっとお気に召すと思います」
そのお店にも、いつか機会があったら夏紀といっしょに行ってみたい。対する夏紀の反応は「今度チェックしとくわ」と、いたってカラリとしたものだった。その後も夏紀と肩を並べ、奏はとりとめもない話をし続けた。部活のこと。学校のこと。互いの生活のこと。その際出てくる「優子は」「優子が」「優子ってば」……そんな言葉を笑顔で受け止める度、胸の隙間に何かがねじ込まれるのをごまかしながら。
こうして砂利詰めの林道をしばらく歩くうち、やがて先ほど見えた小高い山の中腹あたりへと出た。遊具などの整備がされているあたり、どうやら地元の人はここを公園として使っているらしい。高台の向こうにはさっきまで居た名も知らぬ街の全景が広がっていて、秋の空気にきらきらと光るその一望は、ちょっとした絵画みたいに様になっていた。
「けっこう歩いたね」
「疲れましたか?」
「こんなんで疲れるわけないでしょ、花の十代が」
「その言い回し、ちょっと古臭いですよ」
何だと、と夏紀がふざけて片手を上げた、その時。
「――っ」
サア、と少し強めの風が辺りを撫でていく。ぶるりと震える体。とうにお昼も過ぎ、日も少しずつ山裾に向かって進み始めたこの時間帯の風は、さっき街にいたときよりもだいぶ肌寒かった。標高が高いせいもあったのかも知れない。舞い飛ぶ木の葉はすっかり枯れ切っていて、もうすぐ雪の季節がやって来ることを二人に知らせていた。
「奏、寒そうだけどそんなカッコで大丈夫?」
「平気です」
強がってはみたものの、なかなか震えが収まらない。薄雲にかかった日差しは弱々しくて、ついさっき食べたはずのお蕎麦の熱も、どうやらここまで来る間にほとんど消化されてしまったようだ。従って、奏に熱をくべるものは、今は何もない。と、凍える身を押さえつけるように肩を抱く奏の身体を、突然何かがバサリと覆った。
「ホラ、それ着な」
それは夏紀が羽織っていた藤色のパーカーだった。え、と奏は夏紀の痩身を見やる。彼女の纏うトレーナーにしたって決して厚手のものではない。ひゅうひゅうと吹き付ける秋風にその布地は、もしかしなくてもかなり心許なく見えてしまう。
「ダメですよ。先輩が風邪を引いちゃいます」
「私はべつに引いたって構やしないって、一日ぐらい学校休んだって問題無いし。けどアンタは違うでしょ」
「同じですよ。本番が近いのはどっちもなんですから」
「こっちは大丈夫。このぐらいの寒さだったらなんてことないし、それに私は風邪とか引かないタイプだから」
そうは言われても、と奏は言いあぐねてしまう。パーカーにはまだ夏紀のぬくもりと、ほのかな匂いが残っていた。微かに安心感を覚えるその匂い。一度それを身に纏ってしまったら、手放すのが惜しくなってしまう。
「こういう時は先輩の言うこと聞きな。奏が体調崩したら困る子もいっぱいいるんだから」
「……ずるいです、そういう言い方」
きゅ、とパーカーの裾を握る。この人はいつだって、肝心な時にあったかい。ずぶ濡れになった仔猫を掬い上げて掌で懇ろに温めるみたいに、この人は一人凍える自分のことを底抜けに大事にしてくれる。優しくしてくれる。その優しさに、頑なだった自分の心までもが、ほどけてしまう。
――だから、私は。
「これ、ありがとうございました」
「もう大丈夫?」
「はい。ここまで来たら」
脱いだパーカーを簡単に畳んで差し出すと、夏紀は笑顔でそれを受け取り再び羽織った。けっきょく山からは早々に引き返し、奏と夏紀はさっきの駅まで戻っていた。今は閑散とした待合室のベンチに腰を下ろし、何時間かに一本やってくる上りの電車を待っている最中である。時刻表に示された通りだとすれば、まだあと数十分はこうしてここで無為の時間を過ごすことになりそうだ。
「それにしても、ホント行き当たりばったりの旅だったな」
「そうですね。先輩はいかがでしたか? 今回の旅は」
「んー。思ってたよりは楽しかったかな。こんなとこ他に来るチャンスもなかっただろうし、なんか何もせずにブラブラしたおかげで逆に休日らしい休日過ごしたーって感じもするし」
「それは何よりです」
「それに、奏と一緒にご飯食べて、あちこち歩けたしさ」
そうですか、と素っ気なく返したいのに、言葉が喉につっかえてうまく出てこない。しばらくもじもじしているうち、頭上から『パシャ』と電子音が聞こえてきた。見上げると、そこには自分たちの顔を映す液晶の画面。夏紀の持っている携帯が、斜め上の角度から自分たちを撮影したのだ。
「あ、先輩、いま撮りましたね?」
「撮ったよ? せっかくの旅の記念に一枚、ってことで」
「黙って撮らないで下さい。いま絶対ヘンな顔してたのに」
「まーまー良いじゃん。そういうのも旅の思い出になるし」
「そういう問題じゃなくてですね、」
けんけんと責める奏を、夏紀はいつもの調子でのらりくらりとかわす。本当にこの人にはいつもペースを掴まれてばっかりだ。「いいですよ、もう」と顔を背け、そのうちに二人とも話すことがなくなって。ぼうっと電車を待つ間、奏の瞼は少しずつ、重力に抗えなくなっていった。
……短い間に見た夢の景色が何だったかは、すぐに忘れてしまった。
はたと目を覚まして、奏はまず外の光景を見る。日差しは先ほどよりだいぶ山際に近付いているけれど、まだそんなに落ち込んではいない。恐らくはほんの十分かそこらだけ寝落ちてしまったのだろう。携帯で現在時刻を見ようと腕を動かした時、何かがふわりと自分の体を覆っていることに気がつく。
藤色の、パーカー。さっき夏紀に渡したはずのそれが、何故か今また自分の体に掛かっていた。
「先輩、ですから私は大丈夫だって――」
そこまで言って奏はとっさに口をつぐむ。すぐそこでは夏紀が、すやすやと慎ましやかに寝息を立てていた。奏へと、身を寄り添うようにして。
「もう」
吐き捨てるように呟いて、奏は自分の身から引きはがしたパーカーをそっと夏紀の体に掛け直す。
「んふ」
満足そうに頬を歪める夏紀の口から、そんな間抜けた音が洩れた。その唇に、視線が、吸い寄せられる。
ツンと尖った夏紀の唇。少し薄くて血色の良い唇。それは夏紀にとても良く似合っていて。その口から紡がれる言葉はぶっきらぼうだけどいつでも温かくて。柔らかくて。意識していないのに、自分の顔が、近付いていく。
「先輩、」
何故そんなことを口走ってしまったのか、奏にも良くわからない。ガタゴト、と遠くから鉄の塊の軋むような音。帰りの電車が来るにはまだ早い。きっと下りの急行列車だろう。それ以上の音は、高鳴る胸の音に掻き消されて何も聞こえなかった。
――電車が、ホームを、過ぎ去っていく。
顔を離した奏はベンチに座り直し、そしてもう一度夏紀の肩に自分の身を預ける。
いまは、これでいい。
夏紀から与えられるぬくもりを、ほんのちょっぴり分けてもらう。ただそれだけで。
甘い匂いに己を委ねると、夏紀もまたぬくもりを欲しがったのか頭をこちらに傾けてきた。それを自分の頭で支えるようにして、奏は夏紀の首元付近にするりと頬を埋める。
今回の旅は最悪だった。自分らしくないノープランだったし、お昼のメニューも友達に自慢できるようなものではなかったし、危うく風邪も引きそうになってしまった。今だって大したお土産もなく、こうして手ぶらで帰りの電車を待っている。けれど一つ、良いこともあった。それは奏だけの、夏紀さえも知ることのない、たった一つの宝物。
「これは夏紀先輩には、ぜったい見せないから」
携帯をしまい込んだ辺りにそっと手をやる。そこに収められたのは、ぎりぎりまで接写した夏紀のたいそう間抜けた寝顔であった。なんの値打ちもないその一枚の写真を、きっと奏はこれからもずっと、大切にメモリーの中へとしまい込む。そして明日からもまた何食わぬ顔で夏紀と接してやるのだ。そう、これは復讐。あらゆる場面で夏紀に主導権を握られ続け、結局はその居心地の良さに甘んじ続けた奏に出来る、たった一つの彼女への復讐だったのだ。
「だって、私は先輩のことが、キライなんだから」
さっきの急行とは逆方向から、かたんことん、と緩やかに線路を叩く音が聞こえる。もうすぐこの時間は終わる。そこから目を背けるようにした奏が見たのは、駅舎の入り口をいっぱいに満たすあかね色。それがまっすぐ胸へと飛び込んできて、奏はその光景を、隣にいる夏紀も含めて、まるごと飲み込んでしまいたいとさえ思うのだった。
(2019年6月20日発表作)