光に向かって、その手を伸ばす ― 響けユーフォ短編集   作:ろっくLWK

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五.鈴木美玲は考える

 

 

 チューバは重い。

 実際に持ってみたことのある人なら十人中十人、誰もがそう言うであろう感想だ。例え傍目には軽々と担ぎ上げているようであっても、決してそんなことはない。何せ十キロ近くもある金属の塊なのだ。単純な重量もさることながら、れっきとした楽器であるチューバの取り扱いは、重さにかまけた粗雑な扱いを許してはくれない。ぶつければ凹む。落とせば曲がる。手入れを怠れば音は悪化する。そうした諸々を踏まえればこそ美玲は断言する。チューバは重い、と。

「みっちゃーん、昨日の曲、もっかい私と合わせようよぉ」

 そんな美玲の後ろをぴょこぴょこと、あどけない顔つきに笑顔をくっつけたようなさつきが追い掛けて来る。彼女がその手に抱えているのももちろんチューバだ。いつもながらに思うことだが、自分ほどの上背があってもなおチューバの持ち運びには相応の苦労を強いられるというのに、どうしてさつきやら葉月やら、あんな体格でチューバを抱えてあちこちを移動し当たり前に吹けているのだろう。音楽的なことはさて置いて、己の内に湧き出た単純な疑問に、美玲はつい考え込んでしまう。

「どしたの、みっちゃん? なんかボーっとしてる」

「ごめん、何でもない」

 生返事をしながら廊下を移ろうその間、美玲はなおも考える。どうして私はチューバをやってるんだっけ。春にその思いの丈を吐き出して以来、美玲は己の動機を掘り下げる機会がずいぶんと減っていた。それは多分、現状に満足しているせいだ。あの頃と違って今は自分自身に疑問を感じたりはしていない。色々あったけれど、それでも何故チューバを続けているのかと問われれば、きっと自分はこう答えるだろう。

『チューバが自分に、最も見合っていると思うから』

 そう。見合っている。身もふたもない言い方をすればただそれだけのことだ。好きだからやっているのではない。チューバでなければダメだという理由がある訳でもない。自分の経歴と能力にいちばん見合うもの。それがチューバだから、私はチューバを吹いている。今でも続けている。それはおかしなことなのだろうか? 誰もが何かを好きになって、誰もが好きなことに全力を注がなければ、それは嘘になってしまうのだろうか。そんな自分でも訳の分からなくなるようなことを、時おり美玲は考えてしまう。

「――ちゃん、みっちゃん!」

「え、」

「教室、ここだってば。どこまで行くつもり?」

 自分を呼び止めてくれたのは葉月だった。彼女の声が無ければそのまま階段を下って、もう一度音楽室までの道のりをループしてしまっていたかも知れない。すいません、と詫びを入れて元来た道を戻る。こんなことをしている自分は、全くいつもの自分らしくない。かぶりを振って、美玲は彼女たちの待つ教室へと踵を返した。

 

 

 

 

「……うん、大体いい感じじゃないかな」

「葉月先輩、自己採点が甘すぎます。まだアーティキュレーションに雑なところがたくさんありますよ」

 そう指摘すると、葉月は「みっちゃんのケチー」と唇を柔めに尖らせた。先輩なのにこういう態度はいかがなものかと思うところもあるのだが、実のところ彼女のこういう態度にもそんなに悪い気はしない。何だかんだで葉月は指摘すれば、次の日にはきちんと仕上げてくる人だった。

「みっちゃん、さっきのとこはどうだった?」

「さつきの音はまだちょっと弱いかも。無理に吹き込もうとするより直前でしっかりブレスして、Lのところで鳴らした方が良い」

「わかった!」

 美玲の助言を疑いもせず、さつきはキュッキュと自分の楽譜へ書き込んでいく。低音パートがまとまった時ならいざ知らず、チューバのみでの練習時にはこうして美玲が他二人の練習を監督するのが半ば通例となりつつあった。先輩である葉月は音楽的なキャリアで自分との間に数年の開きがあり、同輩のさつきはキャリア的にはともかく実力面で葉月と同程度といった具合だ。三年生の先輩たちが修学旅行で不在のここ数日、練習はどこのパートも一、二年生を主体に進めることになっている。この練習体制が秋以降、三年生引退後のチューバパートの行く末を暗示しているみたいで、美玲は少々不安な心持ちにすらなってしまう。

「オーディションも近いですし、葉月先輩はもっと細かいところまで気を配って、さつきは音の厚みを意識して、それぞれ吹いてみましょう。それじゃもう一回、課題曲の最初から」

「ぐぇー。みっちゃんスパルタ過ぎ。もうちょっと優しくして」

「ひと段落したらきちんと休憩取りますから、確認した内容を自分の中で固めるまではがんばって下さい」

「みっちゃん隊長ー。さつき隊員、がんばれませーん」

「勝手に隊長にしないで」

 本当にこんな調子で、来年はどうなってしまうのだろう。美玲はつい考えてしまう。三年の先輩たちがずっと北宇治に居てくれればいいのに、と。

 

 

 

 夕刻を迎え、部としては一旦解散になった後、美玲はすぐに楽器の片付けにかかる。居残り練習はほとんどしない。それは彼女なりの持論や矜持あってのことだが、それでも必要を感じればすることだってある。今日はそれが無いという、ただそれだけの話だ。

「みっちゃーん。みっちゃんみっちゃんみっちゃーん」

 チューバケースを楽器棚に置き、さて帰ろうとしていたところをさつきのかしましい声が遮って来る。何よ、と振り返ったそこにはさつきと葉月が居た。

「どうしたんですか、二人揃って」

「みっちゃん、もう帰り?」

「見れば分かるでしょ。今日の練習は終わったし、残る理由も無いし」

「じゃあ、ちょっと付き合って!」

 言うが早いか、さつきと葉月が美玲の両手をがっちりと掴む。ちょっと、と抵抗の声を上げる前にずりずりと引きずられ、美玲はいつもの教室まで連行されてしまった。

「もしかして、居残り練を見て欲しいってことですか?」

 教室には二人の楽器や譜面台がそのまま残されていた。いつも通りなら二人はこの後、遅くまで残って練習をするのだろう。今となってはそれ自体に否やは無い。ただ、それに自分が巻き込まれるとなったら、話は別だ。

「にっひっひー」

 葉月は何故か白い歯を光らせ、そして後ろ手に教室の戸を閉めた。楽器を鳴らす時はこうして戸を閉めるのが一応のマナーであり、つまりはそういうことなのだろう。連れ込まれてしまったことを内心後悔しつつ、それでも美玲はちょっとだけ、諦めの境地にもなっていた。

「……良いですよ。少しだけなら見ます。課題曲と自由曲、どっちですか? 二人の苦手なところを重点的にやりますか?」

 肩をすくめて美玲は考える。少し前の自分なら、こんなふうに折れるなんて考えられないことだった。そうなったキッカケはもちろんある。あのマーチングでの出来事があったから。だから今の自分は少しだけ、自分を受け入れることが出来ている。いっそこうならなかった方が、なりたかった自分にはもっと近づけていたのかも知れない。それでも未練がましさをほとんど抱いていないのは、今の自分がこの胸の内に抱いているものが、それよりももっと。

 パパァン。

 やにわに襲った炸裂音にびくりと美玲は肩を震わせる。確かに二度鳴らされたそれは、葉月とさつきの手の内にある物から放たれていた。

「お誕生日おめでとう、みっちゃん!」

 え? と困惑する美玲をよそに葉月たちは手元のクラッカーをその辺へとうっちゃって、パンパカパーン! と懐から何かを取り出した。

「今日、六月十二日、みっちゃんの誕生日でしょ。さっちゃんに聞いて私ら、ずっと前から計画してたんだー」

「ホントは後藤先輩たちもお祝いしたがってたんだけど、修学旅行と日程かぶっちゃったから、私たちだけだけどね」

 はい、と彼女たちに差し出されたものは、可愛らしくて小さい包み。掌の上に確かな重みを感じつつ、その中身を美玲は考える。これは一体何? 今のはどういうこと? びっくりの連続にすっかり搔き乱された脳内は、これまたいつもの自分らしくなく、答えをまとめるのに恐ろしく膨大な時間を要していた。

「というわけでこれ、私たちからのお誕生日プレゼント。受け取って、みっちゃん!」

「……あ、あの、……どうも」

「なーにー、そのうっすいリアクション。こういう時はもっと、ババババーンって盛大に喜ぶもんだよ」

「いやさっちゃん、さすがに強要するようなことじゃないから、そういうのって」

 等と言いつつも、こちらの手を取った二人がそれらの包みを握らせていく。何が何だか解らなくて、美玲はすっかり放心状態だ。

「それともう一つプレゼント、しっかり受け取ってね、みっちゃん」

 言うが早いか、葉月はさつきを伴ってチューバの置かれたそれぞれの席へと着いた。その位置はちょうど教壇の真正面で左右横並びになる位置。対する自分は教壇の真ん前。果たして二人は何をするつもりなのか。考える美玲が気づくよりも先に二人は楽器を構え、「せーの」の呼吸でチューバのベルを震わせ始める。

 

 

 ハッピ、バースデー、トゥー、ユー。

 ハッピ、バースデー、トゥー、ユー。

 ハッピ、バースデー、ディーア、みっちゃーん。

 ハッピ、バースデー、トゥー、ユー。

 

 

 二本のチューバが上下に分かれて鳴らす、耳慣れた重低音。そのメロディは確かにそう歌っていた。

「では改めましてもう一度、みっちゃん、お誕生日おめでとー!」

 またも「パンパン」とけたたましい破裂。飛び出る紙吹雪。それが自分のためのもの、という実感がどうしても湧かなかった美玲は、代わりにゆっくりとこの状況を考える。

 そっか、私、誕生日だったんだ。

 別に今でも特段の感情は無い。誕生日なんて、一年に一回はやって来るただの通過儀礼。一つ年を取ったというだけで、それがどうなるものでもない。だから今までみたいに部活の仲間や後輩から祝われることが無かったとしても、美玲はそれを特に難しく考えたりはしなかった。だって、そういうものだと思っていたから。

 それにしても、この包みは何だろう。美玲は改めてその中身を考える。サイズからして小物類であることは間違いない。自分の趣味に合致するかは開けてみないと分からないが、何故だろう、これを眺めているだけで胸がとくとくと弾む。固唾を呑んでいま一度手の中にあるものを見た時、それが自分のためのもの、という感触が急にどっとなだれ込んできて、その重さはチューバなんて比にもならないぐらいだった。

 顔を上げればそこには二人の笑顔があった。葉月とさつき。この人たちと一緒に過ごす季節が、もう一度巡って来る。そう思った時、心の温度がぐんぐん高まっていくのを美玲はしかと噛み締めていた。それは嬉しいことだった。誰かにそんな感情を抱くのも、その人たちからそんな感情を向けられるのも、もしかしたら美玲にとってはこれが初めてのことかも知れなかった。

 

 

「お誕生日おめでとう、みっちゃん!」

 

 

 

 

 

 

 鈴木美玲は考える。

 自分がチューバを吹く理由。

 そこにもう一つぐらい、付け足すものがあってもいいと。

 

 

 

 




(2020年6月21日発表作)
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