「……光陰槍【テンプス・フギット】歯車展開」
鮮血が如き紅く染まった月には、妖艶な未亡人がよく似合う。
そんな浮世離れした美しさと妖しさに溢れる彼女、ファニー・スぺクルムのデビューシーンに観客(主にヴァニタス)の誰もが心を奪われる。
「ハァ……ハァ……。あ、紅い未亡人が何故此処に……!」
吐く息が荒くなるのが見て分かるほど酷く狼狽しながらジャンヌは、屋上で憂いを帯びているファニーへ圧倒的な睨みを効かせる。
「……あの、誰なんですか? 付き人とか、紅い未亡人とか、テンプラ何とか……よく分かってないんですけど」
しかし一方のノエは月でも笑みでも無く、幾つものハテナマークを頭へ浮かばせる。
残念ながら好奇心の塊であるノエも、彼女から醸し出される誘惑的な世界観は少しだけ早かった様だ。
「うーむ、どうやらキミはオレが思ってる以上に田舎者らしいな。ならば、オレが特別に説明してあげよう! 良いか、ファニー・スぺクルムとは……!」
~♪~♪~♪~♪~♪
しかしそれを遮る様に奏でられるのは、ガコンガコンと歯車が重く軋む音。
~♪~♪~♪
それは槍の“穂”と呼ばれる刀身部分が大小問わず、大量の歯車へ横回転しながら変形する音。
~♪
そしてこの場には似合わない、可愛らしくも力強く鳴り響くオルゴールの音。
「ルカ様。……直ぐにお逃げ下さい。恐らく、此処まで来ます」
「ジャンヌ……?」
「彼女が、来ます、此処まで。ですので……」
「駄目だ! 逃げるならボクと一緒に
~
光陰槍から優しく奏でられたオルゴールの音色はピタリと止まる。
すると槍に属する歯車達は途端に、ギュルルルルルルと今までと打って変わり不愉快な音を立てながら高速回転を開始する。
さらに歯車から発生するのは、一筋どころか多くの筋を巻き起こす衝撃波に似た巨大旋風。
しかしそれでもどこ吹く風かファニーは涼しげな顔のまま、者共(主にヴァニタス)を存分に見下す。
「それじゃあ……気分は全く乗りませんけど、行きましょうか」
そんな発言とは裏腹にまるで好きな人と踊りへ誘うように軽々しく、彼女はその身を屋上から飛び降りを図る。
「あれ……えっと、助けに行かないと……!」
笑みと月とハテナマークは何も問題無く浮かぶが、残念ながら19世紀の世界式では人とヴァンピールは浮けない。
と言う訳で、浮けない彼女を救おうと動き出すノエ――。
をヴァニタスは素早く手で静止させる。
「そう焦るな、言ったはずだ。オレが特別に世間知らずの田舎者ノエに、ファニー・スぺクルム講座四時間たっぷりフルコースを味わせてやるって。ハハハ、都会っ子のこのヴァニタスに感謝するんだな!」
「……いや、それより早く助けに行きましょう!」
「ッハハハ! 話聞けっ!」
ヴァニタスのファニー講座は、長ったらしくなること請け合いなので割愛。と言う事で、この場を借りて紹介を済ませておこう。
彼女の名はファニー・スぺクルム。紅い喪服に紅い髪、そして紅い瞳が特徴的な正真正銘、ただのヴァンピールである。
しかし彼女は、呪いに似た様な過去を一心に背負っていた。
それはかつて九人殺しの様に、【紅い未亡人】と言う事件をパリで起こしていた過去。
数々の男達、それも人間を惑わして、唆して、噛みついて、囁いて、吸いついて、呻いて、狂わせて、果てさせて、浮つかせて、それから一心不乱に殺し回った連続怪奇殺人事件。
ああ、まるで未亡人の様に寂しさから男を追い求めている様だ。
しかも男を殺す時にわざわざ、紅いドレスに着替えると言うじゃないか。
そして彼女が最期に起こした事件に殺した人物こそが――結婚相手。
事情はともあれ、付き合っていた男をも躊躇なく殺した残虐性からジャンヌやヴァニタス達にその二つ名が轟く事となる。
「呪い……。まさか、あの人も貴方に救われた一人って事ですか。……呪持ちから」
思い出したくないトラウマを掘り起こしたかの様に、ノエは沈みきった不安気な顔面で不可解な言葉を零す。
「そう言う事。そして……その恩から、オレだけを守る騎士になってくれた訳だ。口ではああだけど、オレの事が大好きでアイラブユーでジュテームで……(以下略)」
紅い月が背に付き添ってくれるなら、重力に従って堕ちていく彼女の様も未だ映える。
されど、このパリの地に血しぶきが描かれた花は決して映えない。
そう言う訳で彼女が地面へ着地する寸前、ちょうど所持していた回転歯車槍を真下へ一振り。
すると歯車から随時噴き出していた旋風によって、上手い具合に彼女への衝撃は和らぐ。
よって、ファニーは全くの無傷でパリ上陸を叶える。
どころか、そのパリ風で体重の軽い彼女はあり得ない速度でどこか吹き飛んでしまう。
そう、何処かと言うのはジャンヌ達の方向。
空飛ぶ飛行船よりも速く跳び、地を走る馬車よりも速く駆け、ファニーは吹き飛んだ勢いを維持したまま全力疾走を始める。
「……あ、初めましてノエさん。ご紹介の通り、私がファニー・スぺクルムです。でも……私が守るのは、ヴァニタスの書のみですから。どうか、勘違いセクハラ変態マンの戯言は真に受けません様に」
とその前に余程ヴァニタスの発言が目に余ったのか、わざわざノエの前に来てご挨拶する。
「ああ、だからこそそれが良い! オレの事を見ていない所がな……!」
「「「「うわあ……」」」」
ファニーとノエ、それどころかルカやジャンヌも何故か、ヴァニタスを見て極限にまで苦々しい表情を見せる。ブラックコーヒーを一気飲みしても、これほどまでに苦々しくはならないだろう。
「ちょ、ちょっとはやむを得ない事情があること察しますが……ルカ様の命令です。ヴァニタスの書はこちらへ……!」
「な、なんて男なんでしょう! ジャンヌ! 今すぐファニーさんをあの男から引きはがして下さい!」
とはいえ想い人すら殺し回ったファニーの印象がガラリと変わったからか、ジャンヌはまあまあ威力を抑えた光線をガントレットから連射してしまう。
無論、全ての線は歯車から放たれる多筋の衝撃波であっけなく防がれてしまう。
「ルカ様が声を荒げるのも納得です。何故、あんな輩に付き従っているのですか……! よりにもよって何故……!」
「おや……ジャンヌが何やら、愛しのファニーに何か囁いてるな。ああ、気になる気になる気になる!」
「うわあ……」
「……いつまで引いてるんだ。ノエ」
「ファニーさん……。これもヴァニタスの書が引き起こした悲劇なのでしょうか……?」
しかし一人だけ真剣にこの勝負の行方を見守るルカの真後ろへ、一人いや一匹の黒い影が現れる。
「え……?」
彼が気配に気が付いて即座に振り向くと、其処に佇んでいたのは人でも吸血鬼でも無い唯の人狼。
「おっと……この祭囃子を嗅ぎつけた様だな、九人殺しの犯人(ヴァンピール)が」
一目見ても九目見ても吸血鬼だと分からないレベルにまで、それは異なる生命体に呪いという形で歪んでいた。
「さて、二人の試合を邪魔しない様に人狼はこちらで請け負うか。さあ、それ行け! 行くんだ! ノエ!」
しかし彼が得意げに指示を出す前に、ジャンヌの名を叫ぼうも声が出ないルカを助けるべくノエは真っ先に行動を開始。
――はてさて、ではヴァニタスはどう動くかと言うと。
「……あちらはノエのお陰で大丈夫そうだな。講座はまたの機会でいい。それより、久々の再会を祝そうじゃないか。ファニー・スぺクルム!」