ファインモーションがラーメンを食べるだけ。

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東京都目黒区目黒の豚骨ラーメン

 

 

 

 ……とにかくお腹が減っていた。

 

 平日の昼下がり。最後の授業が休講になって練習まで時間があったから、どこかで食事を摂ろうと思って街に繰り出した。ランチタイムを過ぎた商店街は閑静で、営業しているお店は少なかった。

 

 最近の外食は専らラーメン。今日もラーメンの気分だった。私は視覚と嗅覚を総動員して空いているお店を探した。

 歩きながら右を見て、左を見て。どこかに開いているお店はないかとか細い希望を抱いて。それでもラーメン屋さんは見つからなかった。

 

 焦る必要はないわ。私はお腹が減っているだけなの。お腹が減って死にそうなの。

 

 気付けば商店街を抜けてしまっていた。おまけにどうやら私は道に迷ったみたい。追い打ちをかけるように風が吹きつける。

 既に散々な状況だったけれど、食事を諦めたくはなかった。むしろ、こんな大変なことになったからには絶対にラーメンを食べなきゃ、と思った。

 

 気の向くままに、行きたい方に歩き続ける。自分はどこにいて、今は何時なんて、考えても仕方のないことだわ。とにかく私はラーメン屋さんを見つければいいだけなんだから。

 

 ここで大切なのは、決して走らないこと。目標が決まっていても、そうでなくてもね。少しでも急ごうとすると、焦燥感が生まれてしまう。それは良くないこと。

 ラーメンを食べるときは誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてないとダメなの。独りで静かで豊かで……

 

 もちろん誰かと一緒に食べるのも大好きよ。シャカールやトレーナーさん、友達のみんなとラーメンを食べるのは、朗らかな日差しの中でお昼寝をするくらい素敵なことだわ。

 だけど、一人でラーメンを食べるのも素敵なことよ。さんさんと降る雨を眺めながら本を読むのと同じくらいね。

 

 見知らぬ風景がいつまでも流れていく。ツタの生えたお家。くすんだ電柱。天を衝くビル。木々と赤い花。縞模様の横断歩道。二匹で連れ添って飛ぶカラス。

 絶えず変わる街並みに私は夢中だった。ああ、なんて素敵なの……

 

 ――きゅるる。

 

 すっかり本来の目的を忘れていた私は、小さく鳴ったお腹の音で現実に引き戻された。お腹と背中がくっついてしまいそうな感覚に、改めて自分が空腹なことに気づく。

 いけない、いけない。私のすべきことはラーメンを食べることだった。

 気を取り直して探索を再開する。だけど、気ままに歩き回ったせいでそろそろ限界が近い。早くラーメン屋さんを見つけないと。立ち止まって辺りを見回すけれど、何も見つからない。

 

 どこかに入れるお店はないのかしら。急がないと、空腹で倒れちゃう!

 

 困惑と空腹で目が回る。ここにきて無計画が祟った。このまま、何も食べずに練習するのかしら。図らずも諦観がよぎる。

 

 しかし、食事を断念しかけた私の前に一筋の光明が差した。

 

 私の今いる場所から200mほど先に、人が立っているのが見えたのだ。どこかに並んでいるようだ。風に乗って食欲をそそる醤油と豚骨の匂いも流れてきた。

 

 ラーメン屋さんだ!

 どんなお店かわからないけど、これは行くしかない。宝島に向かうフック船長のように、脇目も振らず歩み寄る。

 

 

 

 それは小さなお店だった。店内も狭くて、調理場も狭くて、おままごとに使うお店を大きくしたみたい。綺麗ではないのかもしれないけれど、どこか懐かしくて味のある場所だった。

 

 食券を買って、一人しかいない『待ち』に加わる。列に並んで店内を見ていたら、私はこのお店があの有名な系列の店舗だと直感した。予め作法を予習しておいて良かった。ここのコールは初心者にはわかりにくいもの。

 5分程度で席が空き、私は中に案内された。そこには外とはひと味違う空間が広がっていた。ストイックというか、俗世離れしているというか……テーマパークという表現が正しいのかも。

 

 お水を汲んで、少しの緊張を覚えながら席に着く。周りのお客さんたちは示し合わせたかのように沈黙を貫いていた。不思議な一体感というか、ある種の美意識を感じた。食券をカウンターの上に置いて、私も置き物の如く推し黙る。

 

 完全なる手持ち無沙汰だが、携帯で時間を潰したり、食後のことについて考えたりはしない。私はここに、ラーメンを食べに来ているのだ。待ち時間も食事の一部。せっかくならラーメンを待ちわびていたい。

 

 これから運ばれてくる最高の一杯に思いを馳せていると、入り口から一人のお客さんが顔を覗かせて、

 

「すいません、鍋いいですか」

「ちょっと並ばずに待ってて」

 

 店主さんとお客さんの間で聞いたことのないやりとりが行われた。

 

 鍋? 一体どういうことだろう。

 

 皆目見当がつかなかったが、持ち込まれたお鍋にスープを注ぐ店主さん、袋に入った麺を手渡す助手さんを見て、私の疑念はすぐに解けた。

 

 お持ち帰り! そういうのもあるんだ。

 

 驚きと納得が同時に訪れる。今度シャカールとラーメンパーティーを開くのもいいかもしれない。部屋に匂いがつくって怒られるかもしれないけど。

 

 そんなことをぼんやりと考えていると、私の分のラーメンが出来上がり、店主さんからコールが掛かる。

 

「大豚のお客さん、ニンニク入れますか?」

「全マシでお願いします」

 

 予習の甲斐もあってか素早く返答できた。小さなことだけど、努力が身になって嬉しく思う。

 

 コールを言うや否や、店主さんたちの巧みなコンビネーションによってそれぞれのトッピングが手際よく盛り付けられてゆく。熟練の手腕を感じずにはいられなかった。

 

「はいよっ」

 

 どんぶりがカウンターに置かれた。スープがなみなみと注がれたどんぶりを、溢れないようにそっと持ち上げる。手元に引き寄せたそれは、まばゆい光を放っていた。

 

 光を受けて輝くアブラ。蓋をするかのように盛られたヤサイとニンニク。今にもほどけてしまいそうなホロホロのチャーシュー。ワシワシと曲がりくねった太麺。何より、それら全てを支える豚骨醤油のスープ!

 

 割り箸を取って、祈るように手を合わせる。最大限の感謝を込めて。

 

「いただきます」

 

 迷うことなく麺を掬い上げて、一気に啜る。その瞬間広がる、強烈な豚と醤油と小麦の旨み! 旨みと塩味の後に残る、アブラの甘みと心地よい喉ごし!

 醤油と豚の脂、あっかんの太麺とそれに負けないインパクトのスープが完璧にマッチしている。暴力的とまで言える旨みの暴風に頭がクラクラした。

 

 あまりの衝撃に放心状態となった私は、夢中になって麺だけを食べ進めた。獲物を貪る獣のように、必死で。気付くと麺の三分の一が消えていた。

 

 私、もうこんなに食べたの?

 

 あまりの速さに自分でも困惑する。しかも、ほとんど記憶がない。確かなのは、口の中に残る旨みと空腹が失われたこと。

 

 ペースを落とさないと、記憶がないまま食べ終わっちゃう。

 

 猛烈な空腹も鳴りを潜めたので、ここからは味わって食べることに専念しようと決めた。

 手付かずだったヤサイをスープに浸して、ひと口。ヤサイの水分がスープの塩味を薄め、まろやかな味にしてくれた。クタ気味に茹でられたヤサイは私好みだった。

 

 麺とヤサイを絡めて食べる。美味しくないわけがない。ワシワシとした麺に、柔らかでいて存在感のあるヤサイが加わったことで、飽きることのない歯ごたえのハーモニーが生まれた。

 

 お次はチャーシュー。箸で持った時点でその柔らかさを確信した。興奮を抑えながら口に運ぶ。

 分厚い、醤油タレの旨みが染み込んだお肉が、口の中でほどける。とにかくボリューミーで食べ応えがある。加えて、これだけの厚さを誇りながら全く繊維を感じさせなかった。

 

 私はまたも夢中になってしまった。ヤサイ、麺、チャーシュー。順番など考えず、思うままに食べ進めた。どれもこれも美味しかった。

 

 再び私が理性を取り戻したとき、どんぶりには幾許かの麺が残されるばかりだった。大きく減ったスープと麺を見つめると、寂寥感と満足感が去来した。

 

 ふと、スープの淵にある白い塊が視界に飛び込んできた。それは、スープに溶かされずに忘れられていたニンニクだった。

 

 私は俄然沸き立った。喜びを隠しきれなかった。それもそのはず、最後の最後に最高の味変が見つかったのだから。

 

 ニンニクを溶いて、スープに馴染ませる。そして残された麺を惜しみながら啜る。強烈なニンニクの匂いと旨み、そしてスープとの相性の良さに私は圧倒された。

 あっという間に麺を完食すると、そのままの勢いでスープまで飲み干してしまった。豚と醤油の旨みとが凝縮された一杯は格別だった。ただ、ニンニクが底に溜まっていて少し辛かった。

 

 大満足。私は空になったどんぶりをカウンターに挙げて、テーブルを拭いてすぐに店を出た。いつの間にか外には行列ができていた。ほとんど並ばずに入れて運が良かった。

 

 

 

 時間を確認すると、あれだけ歩き回ったのに二時間も経っていなかった。長い白昼夢でも見ていたようだ。

 

 最寄り駅まで歩いて、電車でトレセン学園まで戻ろう。そうして今日の出来事をトレーナーさんたちに話そう。シャカールに言ったら、また「バカなことしてンじゃねえよ」って笑われちゃうんだろうな。でも、それも悪くないかも。そう思った。

 

 撫でるような日差しに照らされながら、私は得体の知れない奇妙な満足感を味わっていた。

 

 

 


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