キヴォトス今日のご飯事情 作:羽化したミカゼミ
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学園都市という呼び名が示す通り、住人のほとんどが学生で占められているキヴォトス。
ゲヘナ学園やトリニティ総合学園、ミレニアムサイエンススクールなど様々な学校が集まっているこの都市だが、全体を見てみれば連邦生徒会を頂点としたひとつの巨大な学園と見ることも出来る。
さて、そんなキヴォトスでは、世間一般の学生がそうであるように日頃から勉学やスポーツなどに勤しむ模範的な生徒もいれば、自分の所属する学校に通う事もなくひたすらに迷惑行為をし続ける不良生徒もいる。
悲しいかな、生徒の母数が多いキヴォトスでは必然的に不良生徒の数も洒落にならないほど多く、その数に目を付けた悪徳業者や企業が彼女たちを囲い込み、連邦生徒会ですら介入出来ないほどの巨大な裏社会を形成するまでになっていた。
もちろん、連邦生徒会をはじめ各学校の生徒会も対策に乗り出してはいるのだが、一度生まれてしまった闇を消し去るのは中々に難しい。
キヴォトスの経済を司り、更には学園間の政治すらこなしてしまうといってもまだ子供である生徒たちが、悪意を以て契約や規則の穴をつき、自らの思惑に沿った形で事態を動かしてしまう「大人」に対抗するのはかなりの無茶だと言える。
そういう事情もあって、キヴォトスの裏社会は弱肉強食、生き馬の目を抜くような熾烈な競争が日夜繰り広げられている過酷な場所なのだが……そんな裏社会にはいくつかの「
それはキヴォトス一の大企業である「カイザーグループ」を始めとした大人ではなく、悪辣な彼らすらも食い物にしてしまうような恐ろしい犯罪者集団。
例を挙げるとすれば、あのエデン条約事件にも暗躍が噂される「覆面水着団」。
たった5人でカイザーグループの経営する闇銀行を襲撃し、前々から綿密に計画されていたとしか思えない鮮やかすぎる手際で、たったの5分で1億以上を奪い去ってしまった最凶最悪の強盗団だ。
リーダーであるとされる「ファウスト」に至っては、カイザーPMCの元理事を戦車の砲撃で消し飛ばしただの、たった1人でトリニティの正義実現委員会を半壊させただのという信じられない所業から、彼女が空を指させば天候を操り雨が止むなどという眉唾物の伝説まで、もはや神話の登場人物と言っても過言ではない滅茶苦茶な噂で溢れている。
そんな伝説的な強盗団に並び、裏社会では知る人ぞ知るなどと言われている生粋のアウトロー。
それが、
「──何を隠そう、私たち便利屋68よ!」
部長改め社長の陸八魔アルが率いる、便利屋68だ。
メンバーは4人。アルの他には、課長の鬼方カヨコ、室長の浅黄ムツキ、そして平社員の伊草ハルカが所属しており、社長の掲げる「一日一惡」をスローガンとして日夜裏社会で暗躍している……はずなのだが。
「はい。ありがとうございます、便利屋の皆さま。それでは今日もノルマ以上の
「……えっ、ええ! 私たちに任せてちょうだい! 完璧な仕事を見せてあげるわ!」
「ありがとうございます! では、私はこれで!」
ニコニコとご機嫌な笑みを浮かべた雀の女性は車に乗り込み、自分の職場へと向かう。
その場に残された少女たちの前に広がるのは、鏡のように太陽の光を反射して輝いている薄く水の張った田んぼ。
視界の端には山が連なり、畦によって区切られながらもその山の裾野まで田んぼが広がっている様は、少女たちに茶色の海を想起させた。
そんな広大な田んぼの前に、これから植える予定の苗代を片手に立つ便利屋の少女たちは。
「今日も田植えかぁ、まあ仕事が見つからない中アルちゃんが頑張って取ってきた仕事だし頑張るけど……流石に
「そもそも機械を使って田植えをしていた場所らしいから、人力でやるのは時間がかかるのは必然だね。まあ、それにしたって広すぎるとは思うけど」
「わ、私はこういったお仕事好きですから苦じゃないですけど……。ま、まあ、毎日中腰になり続けて少し腰が痛むのはありますが……」
「さあ、何をしているのかしら? 私たちの力でこのめんど──やりがいのある仕事を早く終わらせるわよ! ……出来ればそう、今日中に!」
雑草が好きなハルカ以外、先程まで客の手前にこにこと笑顔を浮かべていたアルを含め、うんざりとした様子を隠すことなく佇んでいた。
そう、彼女たちの言う通り、便利屋68が目の前の田んぼを相手に田植えを行うのは今日で
彼女たちが受けた依頼の内容は──百鬼夜行連合学院自治区にある田んぼ、その全てで田植えを終わらせることだった。
(──いつになったら終わるのよおおおおおおお!?)
拳を握り、意気込みを示すアル。しかし彼女の心の中では社員たちに見せる姿とは真逆の、この仕事を受けた後悔が渦を巻いていた。
キヴォトスの存亡をかけた「色彩」との決戦からしばらくの時間が経って。
連邦生徒会の自治区であり、激戦区として深い爪痕が残されたD.U.シラトリ区の再開発を皮切りにキヴォトス中で都市の再開発ブームを迎えた今、学園都市の闇に蠢く裏社会の住人達はというと──。
彼らもまた、キヴォトス中に巻き起こる再開発ブームに乗っかり、肉体労働に励んでいた。
裏社会に身を置き日頃から抗争や陰謀に勤しんでいた所で、きちんとした報酬が貰えてきちんとした労働環境が保証されている職場があるのならばそちらで働いた方が日銭を稼ぐうえでは効率が良いのは自明の理。
そこに加えて、連邦生徒会が復興支援金を出して後押ししているのがトドメとなった。日頃は勢力拡大のためにいがみ合っているグループも、今ばかりは肩を並べて土建屋として働いている。
とはいえ、被害を受けたのはなにも都市ばかりではない。
決戦の際に「色彩」が呼び出した軍団が各学校の自治区郊外に現れたところもあり、そういった場所で農業を営んでいた者は命こそ助けられたものの、激しい戦闘によって商売道具である農作機械が駄目になってしまったという例も少なくない。
住んでいる生徒たちの性質上、キヴォトスでは戦車やトラックといった乗り物こそ需要が多いものの、一度買ってしまえば事件に巻き込まれない限りあまり壊れることのない農作機械は需要が少ない。
そして唯一農作機械を売っていたカイザーグループも、売り物として利益があまり見込めないものを在庫として確保しておく企業ではなかったため、農作機械に関しては完全受注生産の体制となっていた。
よって、農作機械の壊れた農家たちはカイザーグループに新たな機械を注文したのだが、いかんせん「色彩」が襲来した時の騒動にカイザーグループが加担しており、その隠蔽工作や、より利益の見込める都市の再開発が始まるなどで、納品が遅れてしまっていたのだ。
しかし、時間は待ってくれない。
カイザーコーポレーションからの納品を待っている間に、気候や育てる品種の関係から百鬼夜行自治区では既に田植えの時期になっていた。
「機械があればすぐに終わるんだがなあ」
「儂らが田植えをやるには、ちとキツい広さじゃしのう」
「百鬼夜行連合学院の生徒さん達も手伝うとは言ってくれていますが、流石にキヴォトスの復興で忙しいのに手伝ってもらうわけにもいかないですしね」
百鬼夜行の農家たちは寄り合いを開き、アレコレと頭を捻っては考えを話し合った。
農家として長年活動しているとはいえ、彼らは既に老体。長時間中腰を維持しなければならない田植えは彼らにとっては酷な作業であるし、米の一大生産地であるここの田んぼはかなりの面積を誇る。
当然、手作業で田植えをするとなればかなりの拘束時間を必要とし、新年となり春の温かさが訪れた今でも復興作業に勤しんでくれている少女たちに迷惑をかける訳にもいかない。
となれば、どうするべきか。
やはり多少無理をしてでも自分たちで田植えをするべきだ、という意見にまとまりかけた時、ある1人の女性がポンと翼を打った。
「そうだ! 確か風の噂で、お金を払えばなんでもやってくれる凄腕の仕事人たちがいるらしいのよ! その人たちに頼んでみるのはどうかしら?」
「おお、それだ!」
「早速依頼を持ち込もう!」
彼女の言葉に希望を見出した農家たちは、さっそく行動を開始。
全員で金を出し合って、相場以上の額とともに便利屋68の扉を叩いたという訳だ。
「──だからって、何でもかんでも仕事を受けるのは考えものね……」
「あはは! なーにアルちゃん、今頃後悔してるの?」
「べ、別に後悔なんてしていないわ! ただ、今回の仕事はあまりにもアウトローらしくないと感じただけよ!」
「普段から草むしりとか猫探しやってるのに、今更でしょ」
休憩がてら4人横並びで畦に転がり空を見上げながら、これまでの経緯を思い出したアルはポツリと呟いた。
確かに今回の報酬は普段受けている仕事よりも高く、そして1日のノルマとして設定された面積以上に田植えを終わらせれば追加報酬も上乗せされる。
いわばボーナスステージ的な依頼ではあるのだが、いかんせんやっていることがあまりにも「アウトロー」らしくない。これではただの農業系の部活動だ。
ムツキのからかうような言葉に、泥に塗れた自分の手のひらを見つめながら言い返したアル。
しかし、カヨコが言う通り、普段から便利屋68が遂行している依頼というのはだいたいが草むしりやゴミ拾い、猫探しといった「便利屋」の言葉通りのものばかり。
当然、アウトローとして裏社会からの依頼もこなしているのだが……アルの信念として「手付金は貰わない」という方針で動いているためただ働きになる事も多く、どうしても収入の大半は便利屋稼業のものになっていた。
「で、でも、もう田植えは終わりましたし……今回は、かなりの稼ぎになるのではないでしょうか」
「うん。というか、昨日までの報酬で先月私たちが稼いだ利益以上の金額を貰ってるし、今月は家賃も食費も気にしなくて良くなるかも」
「そんなに稼げてたの!? ……あ、ごほん。ま、まあ今回の雇用主はきちんと一日ごとにボーナスも含めた成功報酬を支払ってくれているし、なにより──仕事終わりに彼らがご飯を振舞ってくれる、というのがいいわね!」
「今日の夜ご飯はなにかな? アルちゃん! 昨日のきんぴらごぼう、美味しかったよねー!」
「わ、私は山菜の天ぷらが美味しかったです……!」
アルの言葉を皮切りに盛り上がる便利屋一行。
泥だらけになりつつも残りの田んぼ全てに苗を植え終わった彼女たちの関心は、これから食べられるだろうご飯へと向けられるのであった。
とはいえ、彼女たちが予定していた終業時間にはまだ早い。
疲れた体も休め終わり、余った時間をどう使おうか悩んでいたアルは、畦道の端でなにかを引っこ抜いているハルカを見つけた。
「ハルカ? ……何をしているのかしら?」
「あっ、アル様! これは、その……かわいい雑草を見つけたので、連れて帰ってあげようかと……」
「ふーん……? あら、本当ね。白くて小さい花が可愛いじゃない」
ハルカの手にあったのは、茎の先にいくつかの小さな花が集まって咲いており、その下には神社などで見かける手持ちの鈴のように3角形の葉のようなものが生えている草だった。
そのかわいさは、普段雑草に気を留めることのないアルでも感じるほどで、連日の肉体労働から解放され気分の良くなっていた彼女の心にふと染み込むような温かさをもたらした。
と、2人のやりとりを聞いていたのだろう。いつの間にか起き上がっていたカヨコとムツキもハルカが持つ草を見に集まって来る。
そして草をみたカヨコは、普段から便利屋の参謀役として働くその博識さから、ポツリとその名を呟いた。
「それ、ナズナ?」
「ナズナ、ですか……?」
「あー、ぺんぺん草」
カヨコの呟きを聞いて、ムツキも気が付いたのだろう。
ハルカの持つ草──ナズナの俗称を呼びながら、自分の足元に生えていたナズナを引き抜くと、玩具の太鼓を鳴らすようにナズナの茎を回してみせた。
「あれ? 鳴らないなぁ」
「それ、実に付いてる茎を全部折ってからぶら下がった状態にしないと音がしないよ。そもそもの音が小さいっていうのはあるけど」
「へー、そうなんだ! まあそこまでして音を聞くのはいいかな、ハルカちゃんこの子も連れて帰ってあげて!」
「あ、ありがとうございます……!」
ぺんぺん草の俗称の通り「ぺんぺん」と音が鳴るのだろうか、と気になって音を鳴らそうとして見たムツキだが、どうやらやり方が間違っていたようだ。
カヨコの説明を聞いて正しい音の鳴らし方を知ったムツキだったが──その隣でナズナを愛でるハルカをちらりと見ると、音を鳴らそうとはせずに彼女へとナズナを手渡すのであった。
嬉しそうにはにかむハルカ。そんな彼女の手元にある2本のナズナを見ながら、アルはふと己の記憶の底に沈んでいた記憶を掘り起こそうとしていた。
ナズナという草の名前。これをどこかで聞いた覚えがあったのだ。なんなら、どこかで食べた覚えすらある。
「ナズナ、ナズナ……何だったかしら。ここまで出かかっているのに……!」
「『春の七草』の一つだよ、社長。多分、前にゲヘナの給食で食べたんだと思うけど?」
「そう! それよ! セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ!」
「それだと五草だけど? スズナとスズシロも加えて、春の七草だから」
トントン、と己の喉に手を当てて
だが、肝心の2つの名前が欠けており、カヨコが溜め息を吐きながらローテンションなツッコみを入れる。
ちなみに正解は「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」の7種類である。覚え方としては短歌のリズムでこれらの名前を順に唱えた後「これぞ七草」と付け加えるのが一般的だろう。
そんな春の七草に関連する食べ物といえば、とムツキは少し考え、ゲヘナの給食部が春先にだけ献立にしていたとある料理を思い出した。
「それって、春の七草粥ってやつ? あー、確かに給食部が作っていたような、作ってなかったような」
「確かに、給食でお粥しか出てこない日がありましたけど……もしかして、アレの事ですか?」
「そう。まあ作り方はお粥に七草を刻んで入れて煮込むだけだし、毎日4000人規模の料理を作る必要のある給食部にとっては便利なメニューだったんじゃない?」
「美食研究会が騒いでたけどね~!」
ケラケラと笑いながら当時の事を思い出すムツキ。
大量生産に向いている、と言えば聞こえはいいが、大鍋で煮込むとなるとどうしても煮え方にムラが出来たり
それに目くじらを立てた美食研究会が給食部に襲い掛かり──あとはもう、ゲヘナの学生であれば誰もが知っている通りだ。
簀巻きにされ「눈_눈」としか表せない表情で美食研究会に拉致される給食部部長のフウカは、アルたち便利屋68も知る、もはやゲヘナ学園の風物詩ともいえる光景だった。
と、古巣の話に花を咲かせていたムツキたちの横で、アルはカヨコに尋ねる。
「カヨコ、貴女、春の七草を見分けることは出来るかしら?」
「え、うん。まあ、スズナとスズシロ──いわゆる大根とカブ以外はここら辺に生えるような草ばかりだったはずだし、いざとなれば端末で検索すれば見分けることは出来ると思うけど」
「よし、まだ終業時間には余裕があるわね──全員、春の七草を集めなさい! せっかく農家の方々に料理を作ってもらえるなら、少し時期は遅いけれど私たちが集めた七草で七草粥を作ってもらおうじゃないの!」
「おっ、いいね~アルちゃん! 今年は初詣以外なんだかんだ季節のイベントっぽいことしてなかったし、本当に美味しい七草粥も食べてみたいしね!」
春の七草のほとんどをこの周辺で集められるだろう、というカヨコの予想を聞いて、今晩の賄いに七草粥を作ってもらう事を思いついたアルは、春の七草を集めるように命令を下す。
大根とカブをどうするかについては、特に考えていなかった。
そんな訳で、急遽春の七草探しを行う事になった4人。偶然ながら先んじてナズナを確保していたハルカは、控えめにその2本をアルに差し出す。
「で、では、この子たちもその食材に加えて……」
「いいえ。それは摘んだ貴女が責任をもって世話しなさい、これは社長命令よ」
「アル様……! 分かりました!」
だが、アルはハルカのナズナを受け取ることを拒否。彼女が持ち帰って世話をしたいと言っていたのを覚えていたのだ。
その気遣いに気付いたのだろう、ハルカは感動したように目を潤ませると、ナズナがくたびれないように自分の水が入ったペットボトルへとその根を漬ける。
汗水垂らす時間は終わったとはいえ躊躇いなく自分の分の水を飲めなくしたハルカに、社長命令を下したアルは「違う、そうじゃない」と言いたげな表情を浮かべたものの、気を取り直して自分も春の七草を集めに向かった。
「──あらまあ、それでこんなにも沢山集めたの? 田植えの後なのに、大変だったでしょう?」
「ふふふ、心配ご無用。私たちプロフェッショナルはこれくらいで音を上げるような
それから1時間ほど。
空は夕焼けの赤に染まり、カラスが物悲しい鳴き声を響かせながら山奥にある巣へと飛ぶ。
そんなノスタルジーを感じさせる風景を他所に便利屋68は黙々と春の七草を集め続け、迎えに来た雀の女性が車で到着したときには、スズナとスズシロ以外こんもりと山が出来るほどの七草が集まっていた。
ただでさえ田植えを終えたばかりなのに、これほどの七草を集めたという便利屋に驚きの表情を浮かべた雀の女性だったが、一流のアウトローとして弱った所など見せる気の無いアルは余裕そうな表情を浮かべてみせた。
「まあまあ、それならもしカイザーから田植え機が納品されなかったら、来年も頼んじゃおうかしら?」
「……ええ、任せてちょうだい!」
「いま一瞬ためらったね」
「肉体労働のキツさと報酬を天秤にかけたんだろうね」
「迷いなく即答するなんて、流石はアル様です!」
そんなアルの言葉を真に受けたのか、嬉しそうな表情で放たれた雀の女性の言葉に、一瞬返答を詰まらせるアル。
すぐに猫を被り直し、自分で自分の首を絞めるような返事をしてみせるいつものアルを、ムツキとカヨコは苦笑いで見つめていた。
その後、アルたちのお願いを快く聞き入れて今晩の賄いの献立は七草粥になった一行は、雀の女性の運転で彼女の自宅へと招かれていた。
「お邪魔しまーす!」
「お邪魔します」
百鬼夜行自治区の中でも伝統的な形式を保つその家は、長年積み重ねてきた歴史がそうさせるのか、日夜暗闘に明け暮れる裏社会を生き抜くアルたちですらどこか落ち着く雰囲気を醸し出している。
外の水道で手足についていた泥を落とした彼女たちは、ジャージから普段の服装に着替え、ここ数日世話になっている家の客間へと通された。
それぞれここ数日で定位置になりつつある座布団へと座ると、すぐに温かいお茶を淹れてきた雀の女性が彼女たちの前に湯飲みを置いて立ち去る。先述の通り、賄いとして七草粥を作りに行ったのだ。
「……」
「……ほぅ」
かたん、という音とともに閉められた襖。
その音が響くほどに、便利屋68の4人の間には会話が無かった。
それぞれ自分の端末を確認していたり、ちゃぶ台の上に置いてあった煎餅を齧りながらお茶を啜ってみたり、縁側から見える庭の景色をなんとなく眺めてみたり。
会話こそないものの、それはここに来るまでに4人の間に不和が訪れたのではない。
言葉もいらないほどに彼女たちはリラックスできていたのだ。
まるでぬるま湯に浸かっているかのような、陽だまりの中で微睡んでいるかのような、温かくてのんびりとした時間。
その空気に誘われたのか、田植えと七草集めの疲れもあってうとうとと船を漕いだアルは、ちゃぶ台に伏せて軽く眠ろうとして──。
「──いや、駄目じゃないのよ!?」
「ゲホッ!? けほっ、うわっ、びっくりしたあ!? どうしたのアルちゃん!?」
ふと、自分たちの状況を客観視してガバリと起き上がった。
唐突なアルの行動に驚いたムツキが、齧っていた煎餅を喉に詰まらせて苦しそうな咳をする。
そして恨めしそうな表情でアルを見たが……当の彼女は、ムツキの視線に気付いた様子も無く頭を抱えていた。
「何をのんびりしているの私たちは! 便利屋68はハードボイルドでキヴォトス一のアウトローを目指していたはずよ! なのにどうしてこんなに平和でのんびりとした時間を享受しているの!?」
「別に今日くらい良いんじゃないのー? 私たちも頑張ったんだし、ねえ、カヨコちゃん?」
「まあ、今の私たちがアルの言うハードボイルドかって言われると違うだろうけど。別に、きちんと働き終わった後くらい良いんじゃない? ブラックマーケットからの依頼を終えた後だって、オフィスで休むこともあるんだし」
「わ、私はアル様がご不満なら、今からでも新しい依頼に行ってきますけど……」
とはいえ、アルの言葉に賛同するのは彼女の信奉者であるハルカのみ。
カヨコの反論を受けて、しかしアルは毅然とした態度を崩すことなく言葉を続ける。
「オフィスとこことは場所が違うわ! 常日頃からアウトローたれと己を律することの出来るあの場所でなら、私たちはハードボイルドに休憩が出来ているはず! けれどここはダメ! 平和過ぎて思わず完全にリラックスしてしまうのよ!」
「ハードボイルドに休憩って……」
「あはは! まあアルちゃんらしいと言えばアルちゃんらしい意見じゃない?」
アル曰く、便利屋68はハードボイルドでアウトローな集団。故にこのように平和で温かい空間でぬくぬくと過ごしていると、腕が鈍ってしまうのだとか。
無慈悲に、孤高に、我が道の如く魔境を行く。そのようなポリシーを掲げたアルを呆れた表情で見るカヨコと、そんなアルだからこそ面白いと笑みを浮かべるムツキ。
そして、アルの信奉者であるハルカはというと。
「分かりました、アル様!」
「……え?」
アルの言葉に感銘を受けて、懐から1つの機械を取り出した。
それは、便利屋68の面々が(やむを得ず)良く知るものであり、ハルカが事あるごとに「掃除」と称して多用している爆弾の起爆スイッチだった。
「アル様の志を邪魔するというのなら、この家を──消します!」
「ストーーーーーップ!! ハルカ、ストップよ!!」
何の躊躇いも無く起爆スイッチを押そうとするハルカを慌てて止めるアル。
ここまで世話になっておいて、自分たちにはそぐわないから、などという自分勝手な理由で爆破なんてしたら、それはただの悪逆非道である。
アルの慌てぶりにケラケラと笑うムツキの声が客間に響く中、何も知らない雀の女性は家を爆破される事なく七草粥を作り終わり、お盆に乗せて持ってきたのであった。
「それじゃあ皆、手を合わせてちょうだい。……いただきます」
「「「いただきます」」」
「はい、どうぞめしあがれ」
アルがハルカの凶行を止めてから少しして。
雀の女性も含めた5人は食前の挨拶を済ませ、七草粥を食べ始めた。
ほかほかと湯気を立てるお粥は出来立てではあるものの、食べたアルたちが口を火傷しない程度の熱さになっており、匙で多めに掬っても食べやすいように調整されている。
そしてお粥として米が漬かっている汁の部分は、普通のお粥であれば水に適量の塩のみで味を調節するところを出汁を使って煮込むことによって、アルたちが食べたことのあるお粥とは違う深い風味と旨味が生まれていた。
「美味しーい! こんなに美味しいお粥初めて食べたかも!」
七草粥の味に本気で感動した様子のムツキがそう言って、他の便利屋の面々も首を縦に振ることで同意を示す。
美味しいものを食べると無言になるというが、まさに今の彼女たちがそれであった。
「私、話を聞くまではいつもの雑草だと思ってたんですけど……ちゃんと料理すれば、ここまで美味しく食べられるものなんですね……!」
「塩だけに味付けを頼るんじゃなくて、出汁も使って、それで味がとっ散らかることなくまとまっているのは凄いと思う。うん、本当に美味しい」
「うふふ、こんなにも喜んで食べてもらえると、私も張り切って作った甲斐があったわ~。便利屋さんたち、いつも美味しそうに料理を食べてくれるんですもの、作り手としてこんなに嬉しいことはないわね」
「私たちの方こそ、田植えの報酬に加えてこんなにも美味しいご飯をご馳走してもらって。この仕事を引き受けて良かったと、心から思っているわ」
お粥の柔らかい食感と温かい熱が、疲れた体に染み渡っていく。
刻んで入れられている七草も、その食感で七草粥をただ出汁と塩の味がするだけのお粥とは違ったものに演出している。
雀の女性が好意で入れてくれたのだろう、大根やカブはきちんと煮込まれたことによって独特の甘味を生んでいて、お粥と一緒に口に含めば更なる味の変化を楽しむことが出来る。
しかし、その味の変化も優しいもので、病気で弱った時などにこの味を食べることが出来ればどれほど救われるか、と思うほどだった。
「あらあらあら! なら本当に、来年も貴女たちに田植えを依頼しちゃおうかしら! もちろん、報酬と賄い付きで!」
「えっ!? え、えーっと……」
アルの返答が嬉しかったのだろう。翼を頬にそえてそんな事を言った雀の女性に、今日までの肉体労働の日々を思い出したアルはギクリと頬を引き攣らせたが──。
「……ええ。来年の依頼も待っているわね」
最後には優しく微笑むと、彼女の言葉に頷いてみせた。
「あれー? いいの、アルちゃん? さっきアウトローにはこんなの似つかわしくない~とか言ってたのに」
「そっ……それは、言ってみただけよ! 金払いが良くて、こんなに美味しい賄いまで出る依頼を断るわけないでしょう!?」
「それ、依頼主の前で言っちゃうんだ」
「隠すことなく全て正直に言ってのける、流石はアル様です!」
すかさず飛んで来たムツキからのからかいの言葉に、少し恥ずかしそうに頬を染めて反論するアルだったが、肝心の言葉があまりにも素直過ぎるせいでカヨコは頭痛を堪えるように額に手を当て溜め息を吐いた。
けれど、アルの言葉に気を悪くした様子もなく、雀の女性はニコニコと笑っている。彼女も、この数日間の関わりでアルの心根の優しさを理解していたのだ。
「それに……たまには、こうしてのんびり働くのも悪くないのかもしれないわね」
「は、はい……! アル様がそうおっしゃるのなら、そうなんだと思います……!」
「ま、アルちゃんにはトラブルに巻き込まれるのが似合ってるけど! たまにはこういう一日で終わるのも悪くないよね」
「そのトラブルに私たちまで巻き込まれるのはごめんだけどね」
少女たちの視線は、次第に薄暗くなってきた空に向けられる。
きっと、明日からはまたトラブル続きの毎日が続くのだろう。
それは便利屋68が発端となったものなのか、それともアルがいつものように巻き込まれたものなのか……そこまでは分からない。
けれど、そんな忙しない日々を送る中でも、こんな風にのんびりリラックス出来る日があるとするならば。
──真のアウトローとしては赤点だけど、そんな日があっても良いのかもしれない。
便利屋68を率いる社長として、社員たちの柔らかな表情を眺めながら、陸八魔アルはそんなことを考えるのであった。
ラーメン屋が爆発したり、賽銭箱が爆発したり、依頼先を爆破したりと普段から忙しない便利屋68だけど、たまにはこんな感じの落ち着いた一日があってもいいんじゃないかなって思った次第です。
次回は第7話「パウンドケーキと兎の恩返し」です。
6話以降のおしながき(アンケ投票順に書く予定)
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セミナー×パウンドケーキ
-
救護騎士団×うどん
-
便利屋68×七草粥
-
放課後スイーツ部×例の丸い饅頭
-
ヴェリタス×ピザトースト