ウマ娘世界の中国史 概説 (を勝手に作ってみた)   作:河野通豪

1 / 3
卒論は秦の始皇帝で書きましたが、このあたりの年代はかなり怪しいです。




古代中国社会へのウマ娘の参画から夏王朝の成立まで

江戸時代の末期にペリーの黒船が襲来したことは皆様ご存じかと思いますが、この黒船を派遣した国:アメリカは、当時の人々から「夷狄」と呼ばれておりました。

 

また16世紀半ばに主に九州などで行われた、スペイン人やポルトガル人との貿易を「南蛮貿易」と呼び、スペイン人やポルトガル人は「南蛮人」と呼ばれていたことを学校の授業で習った方も多いはずです。

 

ところで、現在の中国の正式な国名は「中華人民共和国」なのも皆様ご存じかと思います。この「中華」は「自国を世界の中心にあって、花が咲きほこっている」という意味です。すなわち、自分達が世界の中心を支配している最も先進的な人々であると考えていた訳です。この思想を「中華思想」と言い、古代から存在していました。もっとも、その考え方が露骨になってくるのは今回扱う時代からかなり後の漢の時代にはなりますが。

 

さて、この「夷」「狄」「蛮」は、「戎」と合わせて、「四夷」と呼ぶことがあります。意味は中華思想における中華の領域「中原」の外にある人々のことです。それぞれ中原の北にいる人々を「狄」または「北狄」と呼び、南にいる人々を「蛮」または南蛮、東にいる人々を「夷」または「東夷」、西にいる人々を「戎」または「西戎」と呼ぶ訳です。 

 

ここまで中原の外にいる人々について分類してきましたが、古代中国における中原の領域は相当小さいものであり、現在の中国河南省および山西省南部などを含めた洛陽盆地を中心とする狭い範囲に限定されておりました。

 

この狭い領域で起こった文明こそ、「黄河文明」であります。この領域に住む人々は氾濫原を利用して農耕をはじめたことでその他の地域の人々に先んじてより豊かな社会を形成していました。

 

そんな彼等と交易を重ねたのが先程申し上げた「四夷」と呼ばれる人々であります。北に住む北狄の人々は山西高原の広大な森林の中での狩猟に勤しみ、西に住む西戎の人々は乾燥した草原で羊を飼う遊牧、東に住む東夷の人々は黄河・長江・淮河に挟まれた大デルタ地帯で農業と漁業を、南に住む南蛮の人々は焼畑農業に従事していました。彼等「四夷」と中原の人々の交易を通した混合によって古代中国の土壌が形成されていきました。

 

しかしながら、この交易の最も重要たる部分は、この中原と呼ばれる地域に「ウマ娘」が移住・定着しだしたということにあります。

黄河文明の最古の文化であるおおよそ紀元前7000~5000年頃の裴李崗文化の遺跡からはウマ娘の痕跡が全く見られないのに対し、ウマ娘の痕跡がはじめてこの地に現れるのは仰韶文化の後期の遺跡であることから、ウマ娘はもともと中原にはおらず、おおよそ紀元前3500年前以降に余所の土地から入ってきたのであろうとされています。

ではウマ娘はどこから来たのかと言いますと、中国東北部の遼河文明や南方の長江文明に属する遺跡からウマ娘の痕跡が確認出来るのはさらに年月が経ってからとなるため、ウマ娘は西方から中原に入ってきたという説が今日の主流の考えとなっています。

 

皆様ご存じの通り、ウマ娘の膂力は人間の数倍にも達することから重労働の労働力としての適性がヒトオスよりも高いこと、また容姿がヒトメスよりも勝ることでヒトの男女双方から歓迎されたウマ娘は中原社会に馴染んでいきます。こちらも皆様ご存じの通り、ウマ娘はヒトの倍近い量の食事を必要としますから、ウマ娘としても農耕社会で豊富な食料は魅力的であった訳です。

よってウマ娘の中原への流入は日を追うごとにどんどん加速していきました。

 

が、ここで1つ、問題が発生しました。それは氾濫原であることの宿命___黄河の洪水の多さです。黄河の洪水のために、競走本能の強いウマ娘の走り場のバ場状態が悪くなってしまうことはウマ娘にとっては死活問題となっていました。中には先天的な特性として道悪○や道悪◎を持つようなウマ娘もおりましたが、大多数はこのバ場状態を嫌い、中には食糧と良バ場とを天秤にかけて、良バ場の多い余所への移住を考えるものも出る始末。既にウマ娘の労働力が不可欠になりつつあった人類社会においても、ウマ娘の他地域への大々的な移住論が高まることは社会的な不安要素となっていきました。

 

 

この状態を解決した人物こそ鯀と禹の親子でした。

2人は東夷の出身であり、河川の水運に携わる身として黄河の事情を熟知していました。鯀は高地を削り低地へ客土してその差を埋める「湮」を用いましたが黄河の治水は不完全に終わりました。禹は更に放水路を用いた排水を行う「導」と「疏」を更に用いたことで黄河の治水を完成させました。

 

そして、治水を完成させたことでウマ娘は落ち着き、社会の治安も回復。ウマ娘・ヒトミミ問わず広い支持を獲得したことで、禹は当時の王であった舜から禅譲を受け、中国最初の古代王朝「夏」を建国したとされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。