LCのマオに憑依した一般女性の話 作:(◇)
空に向かって手を伸ばし、なんとか手のひらが地面についてくれた。這って本の布団の中から這い出て一息つけたかと思いきや、おまけみたいに落ちてきた本がガツンと頭にぶつかった。ちくしょう私はトムとジェリーか。いや
明滅している視界がようやくまともに映り出し……私は目を擦って現実であることを確認する。
「うわぁ、あたしとっくの昔に不思議な国の少女は読まなくなったよ?」
視界いっぱいに広がるのは、奥行きが怪しくなるほど有る本棚の山脈と本の群れ。国の大図書館なんて目じゃないぐらい大規模な書庫は、漫画などの二次元の世界にしか無い代物だ。
私がこの場所の扉を開く前の建物の縮尺とまるで合っておらず、夢見る
そうしてふと視線を床から少し上に上げてみれば、遠くにも同じような本の山脈が広がっており……私が入った場所の扉がなかった。
「扉が無い……はぁ、もうこんなことばっか」
朝目が覚めればモーニングのハムはお前だと言わんばかりにスライスされそうになり、ゴキブリの擬人化に追いかけ回されたり、今度は魔法の国の大図書館へ一方通行と。理不尽が起こり続ければ慣れてしまうものだ。それとも私の脳が麻痺しているのかは分からないけれど。
「って、そう言えばさっきの人は?」
この場所の扉を開いた人物が居ない。もしもこの空間の持ち主なら、あれだけの醜態を晒した私に何かしらアクションがあると思っていたのに。
「あ、居た」
「……」
辺りを見渡せば遠く離れた場所の階段を、変わらず草臥れたように歩くスーツ姿があった。
こんなところに一人取り残されれば、二度と外に出られなさそうだ。少なくともあの男は外に出ていたのだから、この場所から出る方法も知っているのだろう。
軽く走って男の近くへと寄る。足元に本が乱雑にあるけれど薄暗過ぎない程度には光もあるためか、この場所に足を踏み入れた時のように足を滑らすことも無いだろう。
「ねぇ、あんたってこの場所が何なのか分かる? それとも此処ってマジであんたの家だったりする?」
「。 ……」
家、という単語に男は一瞬だけ足を止めた。どうやら私の声は届いていたらしい。ただ反応したのはそれだけで、先ほどと同じように何も言わずにただ歩き続けている。
「……いや、私の言葉が届くってことは意図してガン無視してんのね」
正直私は目の前の男がこの場所のステージギミックか何かなんじゃないかと思えてきた。敵に気が付かれないようにストーキングしろってタイプの。何度話しかけても意味が無いから先に進めって感じのやつ。
着いて来いとは言われていないけれど他に行く宛も無い。私は辺りを眺めながら男のゆっくりとした歩調に合わせて辺りを見渡す。
階段を上ったから下の階の様子がよく分かる。中央にある本の山は文字通り本が乱雑に積まれて山になっていたり、遠くには耐震対策に中指を突き立てたような巨大な本棚がいくつもある。もう3階まで登ったけれど、1階の本棚の上には飛び乗ることもできそうだ。
灰色で人気の感じられない場所だ。だけど本棚には整理された跡があり、対照的に本でできた山は無造作に置かれたように感じる。
整理することに飽きたのか、それとも整理する人が消えたのか。
「……増えた。……やっぱり誰か居る?」
とさ、と。小さな音とともに本でできた山に一冊の本が無造作に投げ入れられる。それは自分たちの居る階よりも上からのものだ。
「……」
相も変わらずゆっくりと気だるげに歩く男を追い抜いてしまおうかと思った。だけどこの男の歩みの終着点がどこかも気になっているのも事実だ。
「……ここの場所の主が居るなら挨拶しないと失礼かな。……いや人んちに頭からダイブしている時点で今更か」
結局私はこの黒づくめの男の後ろをのんびりとついていくことにした。案外止まった場所に上の人がいるかもしれないから。
――
「……なにこれ」
「……」
数分歩き続けると石でできた足場の開けた場所へとたどり着く。相も変わらず本で散らかっているけれど、うちの母校のグラウンド以上に広そうだ、という私の能天気な視点と、『この場所で戦闘を行うとしたら、自分も相手もほぼ対等に戦えるだろう』という冷静なマオの判断が湧いてきた。だがこの『都市』とやらに適応していたマオですら私の目の前の光景には首をかしげざるをえなかったようだ。
地面に部屋の間取り図のように線が掘られている。テーブル、ソファ、ベッド。それが置かれる予定を立てられそうな場所には本が積まれていた。
さっき母校のグラウンドを思い出したのはそのせいだ。こう言う部屋があるといいなーって子供の頃地面に足で線を付けて遊んだりしたこともある。
「ーー」
立ち止まっていた男が微かに何か呟いた。そして部屋の入り口らしき場所の線を越えて積まれた本の前に行き、疲れたようにそこは倒れ伏した。
「……どうしよう」
線を越えて男の近くに寄っても別に問題なさげだけど、地面に書かれた線がそれを戸惑わせた。
例えば四方に石を置くだけでその中心部は特別な場所に見えるだろう。入りにくい場所を作るって言うのがよくある結界とかの考え方だ。
そういう意味ではこの線は正しく結界の役割を果たしている。
かと言ってベッドと本の山を間違えて倒れるようは姿を見て放置しても良いのだろうか?
視線を男に向けるが、場所が場所なら死体にしか見えない。男を起こそうと、結界になっている線を越えた。
「やめた方がいいわ」
後ろから突然声がかけられて、私は線を越えようとして踏み止まる。後ろを振り向き声の主と対面した。
「其処は【家】よ。招かれてもいないのに入るべき場所ではないでしょうね」
黒いドレスを着た女性だ。淡い色の髪を地面に付きそうなくらいに伸ばしていて、それと対比するような赤色の瞳が私を捉えた。
かく言う私は、彼女が髪を短く切ったらエヴァンゲリオンのレイちゃんみたいになりそうだ、と呑気に考えていた。現実逃避だったかもしれない。
【マオ】はLobotomy Corporation……LCでも実力は高い方だろう。R社という戦闘企業のチームの隊長をしているのだから。そしてそんな人の身体になった私がほんの少しも反応できなかったのが目の前の女性である。煮るも焼かれるも彼女次第と言うものだ。
「ええと、もしかしてあたしが此処に勝手に入ったのを怒ってらっしゃる……とか?」
「……そういう考えは無かったけれど、確かにそうね」
「藪蛇だったかぁ~。……あっそうだ【家】っていうのは、この線のこと? もうちょっと具体的に……」
女性は相変わらず無表情で感情が読めない。気まずさから視線を倒れていた男に戻し、私は言葉に詰まった。
「……」
むくりと上半身を起こし、ベッドに座るように積まれた本に座った男が居て、右手に何か取り出した。
手品か何かのように唐突に現れ手袋の上から握られたのは、毒々しい緑色の液体が詰まったエピペンのような注射器だった。
「ちょっとあんたそれっ…!」
「…………。……き、は」
私が止める暇もなく慣れた手つきで男は自分の首に注射器を突き刺した。
「くかきききはあきあはははははははははハハハハハハ」
男が狂ったように笑う。黒い仮面をつけているから表情は読めないけれど、先ほどのロボットのような状態ではなく、心底愉快だと言わんばかりだ。
薬物とかドラッグとかについて私は詳しく知らないけれど、さっき打ち込まれたものがまともなものであるとは思わないし、あの薬には思い当たる点もあった。
「……エンケファリン」
LCでアブノーマリティから抽出していたもので、効率の良いエネルギーの燃料として使われているという描写があった。そしてなによりネツァクが大量摂取して自身の身体を腐食させていた。
ドラッグとしても使用できる……当たり前だアレは一種の感情の塊を自分の中に入れることなのだから。思考や感情の変調も起きて当然だろう。
「似たようなものよ。……アレが薬として利用できることは、まだあまり知れ渡っていなかったはずだけど?」
「薬って! 明らかにどこか体を治すようなもんじゃないでしょアレは!」
私は男を指さしながら女性へと言う。
酷く胸糞悪い話だ。ドラッグをやることは自業自得だとして、それを見過ごしたまま居るこの女性に苛立った。
「体は治せないでしょうね。そんなもの私が何時も直しているから」
「治すってどういう」
「ハハハハハ………………あ?」
男の笑い声が唐突に止まった。そして宙を見上げながら背を本の山に預けるようにして力を抜いた。
「――ああ。君も先に帰ってきていたのか。それなら声をかけてくれてもいいだろ?」
男は宙の誰もいない空間に向かって話す。
「…………そんなことじゃ流石に驚かないって。ああいいよ、俺がやる。身重なんだからゆっくりして居ろって。…………君が好きなのは知ってたけれど、今の材料でできるか? ……分かった分かった、可能な限りで再現してみるよ。俺も好きだしな」
朗らかに、自分の身内に話すように男は言葉を紡いだ。何もない空間に向かって。
男が【
まるで子供のままごと――と言うには不気味過ぎだ。だって一人で何の疑いも無く、そこが家だと信じてこの男は動いている。男にとって私が見ている世界は現実ではないのだ。
ああ、確かにこれは【家】だ。その中で何の疑いも無く家族と一緒に暮らしている。誰か他者に無造作に踏み込まれるような場所じゃない。
気持ちが悪い、吐き気がする。私が知っている【家】というものとかけ離れすぎていて現実味が無い。一人暮らしをしていた身分だけど家族の温かさは私だって知っている。それがとてつもなく遠いものに感じて、不安が心を揺さぶった。
「それで貴女は? ブックハンターというわけではないのでしょう?」
【家】の光景にたじろいでいた私に、女性から質問が投げかけられた。
ブックハンター、という名称にどこか聞き覚えは在ったけれど無視した。前の事、この場所に来る前のことを考えるのが少し辛かったからだ。
「あたしは……マオ、だと思う。此処に来たのは……わかんないよ。気が付いたらこの世界にいたんだ」
名前の呼び方は同じだからマオと名乗ってもおかしくは無いだろう。
「【マオ】ね。此処は簡単に来られるような造りではないけれど?」
「それは、掃除屋に追われてあの男に着いて行ったから。――ここは?」
私は辺りをぐるりと見渡して女性に問う。明らかに異質な空間だが、女性がこの場所の主であることはなんとなく想像がついた。
「【書庫】よ。もう来客を招く予定も無くて、ただ本が積み上げられるだけの場所」
「【書庫】。……ねぇ、あんたの名前は?」
「【アンゲロス】。あの男は【オルランド】とでも呼んでおけばいいわ。……私は貴方を此処に残すつもりもないから必要のない情報でしょうけど」
【アンゲロス】【オルランド】。どちらも知らない名前だ。少なくともLCでは聞いた記憶が無い。オルランドはどこかの英雄の名前だったような気がするけど、詳しい話は知らない。
アンゲロス……恐竜みたいな名前だトリケラトプスとかみたいの、って私はバカ丸出しの考えが頭を横切っていた。
「……あたしを殺すの?」
「別に。出口は作っておいたわ。裏路地の時間が終わったら出て行って家に帰りなさい」
「……家」
アンゲロスが指さした場所には扉があった。あそこから出ればここから出られるのだろう。
あそこから出れば――この夢は終わってくれる?
「……はは」
そんな都合のいい話が無いなんて、今のこの時点で目が覚めていない段階で分かっていた。
家、という単語を聞きたくなかった。だってそれは
私がもう失って二度と帰ることのできない場所じゃないか。
「何処に帰れって言うわけ!? 訳が分かんないうちにこんな世界に放り出されてさぁ! 殺されそうになって、追いかけまわされて! 次は何をしろっていうの!?」
思わず私は怒鳴りつけるように声を吐き出していた。
アンゲロスの酷く冷めた視線が私に突き刺さる。知らない内に心がボロボロで、耐えきれなかった感情がここにきて零れた。
「……」
アンゲロスは何も言わない。心底どうでもいいものを見るような眼だ。私が感情のままに言葉を出しかけたとき、隣から呑気な声が聞こえてきた。
「――あーちょっといいか? 悪いんだけど人の家の前で大声出すのは止めてくれないか? ……ああなんでもないよ、俺が対応するから先に食っていてくれ」
スーツ姿の男、黒い仮面はそのままのオルランドが、【家】の玄関に位置する部分に立っていた。
「何があったんだ? こんな時間に怒鳴り声が聞こえてくるなんざまともじゃないぞ?」
「知らない、知るもんか! こんなバカみたいなゲームの世界にまともなんて言葉を使わないで!」
「……まぁまぁ落ち着いてくれよ。ほら深呼吸しよう、息を吸ってー、吐いて―」
男に促されるままに私は呼吸を整える。
滅茶苦茶なリズムに聞こえていた心臓の音が落ち着いてきてはいたけれど、感情が酷く揺れたままだった。
「……落ち着いたか? それならまずは認識合わせといこうか。君の認識だと現状はどうなっているんだ?」
「……あたしは」
自分が一般的な生活を送ってきて、戦いだとか殺しだとか人の死とか、物騒なことには無縁の人間だったこと。自分がこの身体ではなかったこと。自分がこの場所をLobotomy Corporationというゲームの中に居ると認識していること。
ぽつりぽつりと言葉を零していくと、オルランドは「あ~」と何かに納得し空を仰ぐようにして額に手を当てた。
「可哀そうに、自販機かどこかで人格を買ってそいつを頭の中にぶち込まれたのか」
「……なにそれ」
オルランドが私の言葉に全く信じていないような回答だった。少なくとも私の認識と現実が嚙み合ってないことだけは表情でわかった。
「特異点――一応言っておくけど特殊な技術のことな。それで人の人格を全く別物に変える技術があるんだよ。昔の友人は人格ガチャだとか言って笑っていたけれど、その人格を入れる前まではそんなことを言う人間じゃなかったんだよなぁ」
「……あたしのこの意識が偽物だって言いたいの?」
「まぁ信じられる話ではないな。安全安心で人の死とは無縁の生活だった? ――そんな場所【都市】にあるわけないだろ? だとすれば好き勝手作った人格にそういう情報を入れたぐらいしか」
「違う! あたしはこの場所じゃないところで生きていた! 友達も、私を育ててくれたお母さんもお父さんも居たんだ! この記憶が嘘なわけないでしょ!?」
現実が私に押しかかる。やめてと叫びたかった。この世界が私にとっての現実にしたくなかったから。
滲んでいた視界が対に決壊して涙が零れた。力が抜けて、もう何もしたくなくてそのままぺたんと地面に座って項垂れた。どうにもならないことぐらい私だって分かる、立ち上がらなければならないことも知っている。
オルランドは困ったように頭の後ろをかき、アンゲロスは相変わらず熱のない視線を向け続けている。迷惑をかけてしまっていると、そう理解していたけれど、思わずと言ったように私の口からそれは零れた。
「……家に帰りたいよ」
「方法が無いわけではないわね」
アンゲロスは何でもないことのように言った。
「――え?」
「おいアンゲロス」
オルランドは咎めるような口調で名前を呼ぶ。それを無視してアンゲロスは言葉を続けた。
「……あらゆる現象で望みを叶えるためには【エネルギー】【変換器】【情報の入力】を必要として、逆説的にそれを用意出来さえすれば、叶えられない望みは殆ど無いでしょう?」
「えっと……?」
話が難しく何とか読み取ろうとする。例えば明かりをつけるためには懐中電灯っていう変換器が必要で、電池っていうエネルギーとスイッチを入れるという情報の入力が必要ということかな。
「【情報の入力】に関してはもう今すぐにでもできるし、【変換機】の用意も私にとってはそう難しい事ではないわ」
「じゃあエネルギーさえあれば!」
「そこまで私が用意する義理があると思う?」
「それは、……思わないけどさ」
はっきり言って道筋を教えてくれただけでも十分だった。意を決してアンゲロスに私は聞いた。
「……あたしは何をすればいいの?」
「記憶や感情からはエネルギーを抽出できる、他者からでもね。そして抽出するための道具は貸してあげるわ。……Lobotomy Corporationのことを知っている貴女なら、何をすればいいのか分かるでしょう?」
「……誰かの感情を奪ってエネルギーにしていけばいいってこと?」
「記憶ごと奪ってしまってもいいけれど、貴女はそれができそうにないから」
アンゲロスの視線に落胆や侮蔑が含まれる。私が平和な世界に生きていたということを考慮した結果なのだろう。
「オルランド、彼女を手伝って」
「本気か? 彼女を助けても少しの金にもならないぞ。……まぁ薬を供給されている立場だから文句は言えないけれどさ」
オルランドは小さくため息を吐いて肩をすくめた。完全に嫌悪しているわけではなく、彼が手を貸してくれるだろうことが分かった。
「目を瞑っていればここは意識が落ちるわ。少しの時間休んでおきなさい」
アンゲロスはそう私に言うと背を向けて歩き出す。後のことはオルランドに任せたようで、その問いは目が覚めるまでに聞いておきたかった。
少しでも安心が欲しかったから、話が始まってからずっと思っていた疑問を尋ねた。
「ねぇアンゲロス……なんで私にそんなに良くするの?」
「暇つぶしよ」
アンゲロスはこちらを見もせずに答えた。
――
マオが目を瞑り意識を落としてからしばらくして、オルランドがアンゲロスに近づく。
「それで、本当の所の理由は何だ?」
「――――――――」
アンゲロスが言葉を返した。
「……ああ、そう、か」
「……貴方ももう薬が切れる頃でしょう?」
「…………」
オルランドは何も返さない。アンゲロスに向けていた視線は何処にも向かず、やがて電池が切れたようにその場へ倒れ伏した。
「……おやすみなさい」
指を鳴らす音が響く。彼女の姿はもうそこには無かった。