目が覚めた時、最初に見えたのは見知らぬ天井だった。
起き上がろうとするが体に力が入らない。
首だけを動かし辺りを見渡す。
白い壁、鼻孔につく薬品の匂い。ここは病院か。
誰かが俺の手を握る。
横を見ると、そこにはフェイナがベッドにもたれ掛り寝息を立てていた。
起こさないよう注意して手を握り返す。
すべすべだぁ…。
フェイナの肌はキメ細かく、いつまでも触っていたくなるような感触をしていた。
そんな馬鹿なことを考えていたら病室のドアが開き、そこからガリルが現れた。
彼は俺の顔を見た瞬間、おっ、と声を上げた。
そして、俺の傍に来て頭を下げてきた。
何で謝ってるんですかねこの人。
疑問に思っているとガリルは口を開いた。
「お前のお陰でフェイナが助かった。感謝する。」
何時にもなく真面目なガリルに居心地が悪くなる。
「じゃあ、溜まってる仕事は帳消し?」
そう聞くとガリルは顔を上げ、鼻で笑う。
「なわけねぇだろ。」
数日後、右手に痺れを感じながらも退院することが出来た。
フェイナは何度も俺の様子を見に来てくれた。ちょっと過保護じゃないですか…?
流石に入院中は仕事を任せられる事は無かった。
完全に心を悪魔に売っているのだと思っていたが、案外そうでもなさそうだ。
村の空気を肺に取り込む。久々の外の空気はいつもより少しだけ美味しく感じられた。
家に帰る途中、村人達に声を掛けられる。
皆一様に俺の事を褒め称えてくれた。
その光景がむず痒く、照れ隠しにおどけて見せる。
家に入るとケルバが待っていた。
彼の目の下にはクマが出来ており、心労を掛けてしまった事に申し訳なくなる。
「よく、よく孫を助けてくれた。」
入院中も散々聞かされたお礼を再びかけてくる。
「いえいえ、フェイナが無事で良かったです。」
心の底から思ったことを伝えると、ケルバは目に涙を浮かべながら俺に感謝の言葉を伝えてきた。
夜になり、食事の時間になると慌ただしくフェイナが扉を開けて入ってくる。
「良かったぁ!間に合った!」
そう言いながら料理を運んでくるフェイナの姿に、思わず笑みが零れる。
フェイナは俺の前に皿を置くと椅子に座り、両手を合わせて目を瞑る。
「退院を記念して!」
それに倣って俺も目を閉じ、手を合わせる。
「いただきます。」
フェイナの作るご飯は相変わらずの見た目だったが、今日はなぜか一段と美味しかった。
風呂に入りベッドへ体を放り投げる。目を閉じた途端に眠気が襲ってくる。
明日は何をしようかなと考えているうちに眠りについてしまった。
翌日。
慣れとは恐ろしいものだ。まだ万全とは言えない体であるのにいつの間にかガリルと鍛錬をしている場所に来ていた。
だが、そこにいたのはガリルではなくフミツキだった。
「……どしたんすか?こんな時間に。」
いつもなら彼女は惰眠を貪っている時間だった。
そのうちやっと起きてきたと思ったら俺を冷やかしに来るのだ。
いつになく神妙な面持ちを浮かべた彼女に、やや緊張してくる。
「そろそろじゃな。」
「何がですか?」
「超越者を殺すのじゃろ?」
一瞬思考が止まる。
今の今まで忘れていた。あまりにも色々な出来事がありすぎた。
だが正直この村で最後を迎えるのも悪くないかと考え始めていた。
そう思っていた矢先の出来事に、俺は動揺を隠しきれないでいた。
「……そうっすね。」
「ならば準備を始めるのじゃ。」
そう言って彼女は俺に背を向け歩き出す。
「え……ちょ……ちょっと待ってよ!」
彼女の背中に声を掛けるが、振り向きざまにこう言った。
「覚悟は決まったのではないのか?」
「いや……まぁ……そうなんだけど……」
「その剣の主に誓ったのではないのか?」
エリーゼ。
その名前を思い出した瞬間に虫唾が走る。
なんで俺は忘れていたのだろう。
あんなにも憎んでいたというのに。
心の底から湧き出てくる憎悪に体が震える。
その様子を見てフミツキは安心したかのような顔を浮かべる。そして再び口を開く。
その声色はいつものようなふざけたものではなかった。
「お主の解呪はこの大陸では出来ん。じゃが別の大陸には魔法よりも呪術を重んじる国がある。」
そこまで聞いてようやく彼女が何を言いたいのか理解した。
恐らく彼女は俺にそこへ向かうように促しているのだ。
確かにこのままこの村にいても何も始まらない。
むしろ悪化していくだけだ。
「その名はミレーバルという。」
聞いた事の無い名前だ。
一体どんな所なのか想像すらつかない。
それでも行かなければ。
超越者を殺す為の寿命を稼ぐために。
やつを殺す為にはまずこの呪いを解く必要がある。
そのためにはそのミレーバルとかいう場所に辿り着かなければならない。
「なに、今すぐという話ではない。じゃが残された時間は少ないぞ。」
それだけ言うと彼女はその場から立ち去って行った。
一人になった瞬間、様々な思いが頭の中を駆け巡る。
今の幸せな時間を捨ててまで超越者を殺すべきなのか。
結論はすぐに出た。奴隷の少女、ゴブリンの巣に居た冒険者、そしてエリーゼ。
それらは俺に関わらなければその先の人生があった筈だ。
奴隷の少女は、俺が大人しく宿屋に戻っていれば死ぬことは無かった。
冒険者は、俺がルウを待ってから行けば助かったかもしれなかった。
エリーゼは、俺が逃げていなければサキュバスに出くわすことは無かった。
幸せな人生があったかもしれない。
それを俺は奪っていった。
俺だけがのうのうと寿命を待つことは出来ない。
「行くよ、俺」
少し時間が経ってから訪れたガリルに事情を説明する。
彼は黙ったまま話を聞いてくれた。
説明が終わってから少し間が空き、ガリルは頷く。
「分かった。」
「俺はお前じゃねぇ。お前にはお前の選択権がある。それを俺が決める事なんて出来ねぇさ。」
「まぁ、ガリルならそう言うと思ってた。」
「フェイナには伝えたのか?」
「いや、まだ。」
そうか、と言って木剣を渡してくる。
「待ってれば弁当持ってその内来るだろ。始めるぞ。」
「病み上がりなんだけど?」
そう言いつつも木剣を正面に構える。
「俺からの選別だ。病み上がりだからって手加減はしねぇぞ。これが最後なんだからな。」
そう言い放ったガリルは俺に向かって突進してきた。
その動きはいつもより遅く感じられた。
だが反撃する隙は一瞬もなかった。
彼の一撃は俺の木剣により受け流される。
「どうした?そんなもんかよ!」
「まだまだこれから!」
体が軋む。それでも攻撃を受け流し続ける。
これはガリルから教わる最後の生きる術なのだから。
ゴブリンとは違い一撃はそんなに重くないものの、流れるような剣術はスタミナを容赦なく削っていく。
そして遂に、
「ふっっっ!!!」
ガリルの一撃を受け流さず体で避け、突きを放つ。
体には当たらずとも肩の衣服が裂ける。
「やるじゃねぇか。」
分かってる。その気になったら俺を叩きのめせる事なんて。
先の襲撃で見せたゴブリンとの勝負を横で見ていた俺なら分かる。
「全然、本気出してない癖によく言うわ。」
「当たり前だろ。俺が本気でやったら死んじまうだろうが。」
「じゃあもう少しだけ付き合ってもらおうかな?」
そう言って俺は再び剣を構える。
「後悔すんなよ?」
「こっちの台詞だよ。」