「エルダさーん!ミラー!」
返事はない。
だが一本道の為、進む方向を迷う事は無かった。
暫く進み続けるも、一向に景色が変わらない。
念願のダンジョン探索に踊らせていた心もすでに熱が失われ、不安が支配していた。
それから何時間が経ったのだろうか。いや、一時間も経っていないかもしれない。
時間を確認する術が無い為、最初に居た地点からどの程度歩いたかすら分からない。
ミラとエルダさんがこのダンジョンに居るのかも分からない。
ここから生きて帰れるのかも分からない。
分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。
ここはどこだろうか。時間を気にしていた場所からどれくらい歩いたのだろうか。
ただの一本道。人もいなければ、敵の姿も見えない。
それでも歩き続けるしかない。道は一本なのだから。
ここはどこだろうか。腹も減ってきたし、喉も乾いてきた。
でも景色は変わらない為、精神が参ってるだけかもしれない。二人と別れてまだ五分程度しか経っていないかもしれない。
歩く。
ここはどこだろうか。流石に二人と別れて一分は経っているだろう。
すでに思考は停止している。考えても景色は変わらないのだから。
歩き続ける。
ここはどこだろうか。
やがて広場に到着する。
停止していた思考が動き始める。ここがどこかなんて事は問題ではない。
ここにはいくつかの樽がある。中に食料が入っているかもしれない。
樽を覗くも中には何も入っていなかったがあることに気付く。
「…鞄に食べ物入ってるじゃん。」
鞄を漁ると出発前に入れていた携帯食料が入っていた。乾燥した肉と、竹で作った水筒に半分ほど入っている水。
後の事は考えられない。腹に押し込むように全て食べてしまった。すると不意に睡魔が襲ってくる。
ここなら敵に襲われる心配もないだろう。羽織っていたコート布団代わりにして目を閉じる。
数秒も経たずに意識は闇へ落ちていった。
目を覚ますとそこにはいつもの天井があった。
変わらない遺跡のような天井だ。
カタ…カタ…
自分の足音しか聞いていなかった耳は敏感に反応する。
どうやら進むべき通路の先から聞こえるようだった。
その場から微動だにせず音の正体が近づくのを待つ。
やがて通路から音の主が顔を出す。
白い頭部に、異常な程細い体躯。白い棒が何本も連なり体を形成する。
骸骨
ソイツは何の迷いもなく空洞になった眼窩をこちらに向けてくる。
手に持っている物はさび付いた刀剣と、木製の丸い盾。
骸骨はこちらの存在を認識すると刀剣を掲げ襲い掛かってくる。
急いで立ち上がり奴の剣撃を受け流す。筋肉を持たないからだろうか骸骨は剣に重心を持ってかれ地面に剣撃を見舞う。
「うらぁっ!」
前屈みになり隙だらけの頭部を切断する。
「痛っ…」
首を失くした筈の骸骨は再び動き出し刀剣を振り上げる。
防具で大部分は守れたものの振り上げられた刀剣は頬を切り裂いた。
「こんのぉ!」
骸骨の体を蹴り飛ばし、胴体を真っ二つにするべく横薙ぎを放つも盾に阻まれる。バランスを崩したところに刀剣が振り下ろされる。
それを転がるように回避するとそのまま起き上がり距離を取る。
『イカヅチ』
魔法を放つも効いている素振りを見せない。骨に電撃は聞かないらしい。
再び骸骨が斬りかかって来る。
今度は受け止めず横に避ける。すれ違いざまに足を斬り落とす。
地面に倒れた骸骨はそれでも這い摺って俺を殺そうとしてくる。すぐさま刀剣を持つ腕を切り落とし体を滅多切りにする。
やがて骸骨は動かなくなった。当たり前だが、こいつを殺しても何かが起こるわけでは無い。
息を切らしながら通路を進むと再び広場に到達する。
「…おい、マジか。マジかよ!」
目の前にあるのは宝箱だ。見た目はボロボロだが食料が入っているかもしれない。
「嘘だろ!マジか…頼むよ本当に!」
何でも良い。カビの生えたパンでも、苔が生えた水でもいい。
とにかく飢えを解消する何かがあればいい。
急いで宝箱を開ける。
「熱っ…!」
勢いよく開けた宝箱の縁には刃物が付いており派手に手を切る。
鋭い痛みを感じるも何かが入っているかもしれない。中を確認してみる。
「なんだこれ…」
中に入っていたのは先に四つの刃がついてあるメイスだった。
勿論食べることは出来ない。
闇の中で呆然とするも、残っているのは手の痛みと希望が失われた喪失感だった。
言葉を発することが出来ない。こんなもの今の状況では何の役にも立たないゴミだ。
宝箱の前で立ち尽くしていると、
トンッ
肩に弱い衝撃を感じる。
「え?」
目を向けると俺の肩から矢が生えていた。
遅れてやって来る激痛。
痛みに顔を顰め矢が放たれた方向をみるとクロスボウを番えた骸骨が二射目を放っているところであった。
放たれた矢は体ごと振り向いた俺の胸に当たり下に落ちていく。どうやら防具が身を守ってくれたようだ。
「う…あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
絶叫し骸骨に剣を振るう。
頭部を飛ばされた骸骨は先程の骸骨と同様、倒れる気配はない。
それどころか持っていたクロスボウを捨て殴り掛かってきた。
拳は胸部に当たるも俺にダメージは入らない。
無我夢中で剣を振るう。飛び散った骨の破片が防具の付いていない肌を傷つける。
それでも原型を留めない程砕き続けた。
やがて骸骨は動かなくなり、俺もその場で尻餅を着く。
ずっと気になっていた肩の矢を引き抜く。
「いっっだぁぁぁ!!!!」
激しい痛みに伴い少なくない血液が流れる。
無理に抜かなければ出血することは無いが、すでに頭の回転は鈍くなり肩の異物を取らなければという気持ちが行動を起こした。
引き抜いた矢を見てふと感じる。
これを飲めば少しは喉が潤うのだろうか。
そう思った時には既に、血液を喉に流し込んでいた。
味を気にする余裕はない。口を上にあけ流し込む。
やがて一滴も垂れてこなくなった矢を投げ捨てる。
既に骸骨は黒い液体となり地面に染み込んでいた。
食えるのか?
この得体の知れない物を?
そんな考えはとうに消えていた。
液体を手で掬い口に入れる。
「う゛っえ…」
口の中がヒリヒリする。それでも口の中に入ったという事は食べれるという事だ。
意を決し飲み込む。喉が灼けるように痛い。それでも飲み込む。
やがて感覚が麻痺してきたのだろうか喉の痛みはそれほど感じなくなっていた。
それどころか少し空腹感が紛れた気がした。
カタ…
通路の先から音が聞こえた。
食事の時間だ。
最初に魔物を口にしてからどれくらい経過しただろうか。
何度も睡眠を取っている。ちゃんと8時間寝て、16時間起きているか分からない。時計が無いのだからしょうがない。
例え16時間寝て8時間起きていたとしても問題は無い。
定期的に食事はやってくるのだ。
ガシャ……
通路から食事が現れる。
だがその食べ物は全身に鎧を身に着けていた。もしかするとその下に喰える肉があるかもしれない。
黒い液体で汚れきった口元を拭い、食事をするため剣を構える。
「なぁ…お前は美味しいんですか?」
俺の言葉を合図に食事が突進してくる。
こんな瞬発力のある食べ物は足に肉でも詰まっているのだろうか。
考えるだけでも涎が垂れてくる。
迫ってくる斬撃を受け流すも食べ物は器用に手首を捻り続けざまに斬撃を放つ。
「ぐぁっ!」
腕甲で受け止めるもあまりの衝撃に仰け反ってしまう。
すかさず食べ物は突きを見舞うも、胸部に当たり俺に倒れこんでくる。
「危ねぇな!ちゃんと前見てくださいよ!」
倒れこんできた胴体に剣を突き立て食べ物の鎧ごと串刺しにする。
ガコンッ!ガコンッ!
食べ物は俺の顔を食い破ろうと唇を失った口で噛みつこうとしてくる。
剣を抜き取りつつ後方へ下がる。
「お前も腹減ってんのか!」
改めて食べ物の体を見ると、右腕に刀剣を持ってはいるものの既に左腕は欠損していた。
「今度は俺の番だっ!」
食べ物に切りかかるも片手で受け止められる。
受け止められるどころか刀剣を斜めにして剣を滑らせようとしてくる。
こいつは普通の食べ物じゃない。
度重なる食事によって汚染されていた心が奴を殺すべき対象だと認識した。
奴は再び斬りかかってくる。
受け流す態勢に入るも衝撃はやってこなかった。
「フェイントォ!?」
奴は一歩引いた位置で姿勢を低くしている。あの構えは…
居合だ。
頭のどこかにある記憶が不鮮明でありながらも、その姿勢に近い事を証明する。
その瞬間、恐ろしい速度で横薙ぎが飛んでくる。
慌てて剣で受け止めるものの筋力が足りず、結果として胴体で受ける羽目になってしまった。
体が吹き飛ばされ壁にぶつかる。
「は…ぁっ…!」
尋常では無い痛みが胸部に走る。
唯一恐れていたことが起きてしまった。
防具の魔力切れ。
魔力の残量を示す宝石は輝きを失っていた。
「クソッ……」
何とか立ち上がるも、既に視界は霞んでいた。
それでも諦めるわけにはいかない。
剣を杖にして立ち上がる。
魔法は効かない。筋力も技量も相手が上。
だが逃げるという選択肢は取れなかった。逃げるという事は今まで来た道を戻るという事だ。
今までひたすらに、あるかもわからないゴールを目指して歩いてきたのだ。一歩でも戻ると壊れてしまう。精神も肉体も全て。
だからと言ってこの状況を打開できる術は…
ある。一つだけ。
遥か昔のことに思える鍛冶師の話を思い出す。
お前が着ているそのローブ、斬撃や打撃に加え多少の魔法に耐性がある。
そうだ。このコートは斬撃を通し辛い…はず。であれば出会い頭に奴の体にコートを押し付け倒す。
倒した後は奴が握っている刀剣を足で押さえ滅多切りにするだけで良い。
ローブの紐を解く。
「これで…最後だ…これが無理なら俺のこと食ってもいいよ?」
そう言うと奴は剣を正面に構える。言葉は分からないだろうが雰囲気を感じたのだろう。
静寂がダンジョンに訪れる。
先に動いたのは骸骨だった。やはり奴は速い…が、
俺も地面を踏みしめ突貫する。だが手に持っているのは剣ではない。
奴は刀剣を高々を上げる。
「来いっっ!」
奴が刀剣を振り下ろすと同時にローブを両手で広げる。
刀剣にスピードが付く前に絡めとり、自分の体ごと奴を押し倒す。
幸い、刀剣は上へと上げていた為、刀剣を持つ腕の場所は分かる。
左足で腕を踏みしめ、右足で胴体を踏みつける。
「死ねぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」
技術など必要無い。満足に身動きが出来ない相手の体を壊すだけだ。
踏みつけられた骸骨は立ち上がろうとするも胴体を足で押さえつけられている為、抵抗が出来ない。
剣を無茶苦茶に振るう。
振るっている最中に左足から腕が逃げ、刀剣が俺を襲おうとするもローブで視界を塞がれている為、致命的な場所に攻撃は来ない。
「早くっ!死ねって!言ってんだろっ!」
左足で奴の顔面を何度も踏みつける。確実に骨の砕ける感触があるものの未だに刀剣は俺を殺そうとしてくる。
余程、顔面を踏みつけられるのが嫌だったのか、俺の左足を斬りつけ、突き刺してくる。
ならば胴体を壊すまでだ。
奴が動かなくなるまで三分は経っただろうか。
やっと地面に腰を落ち着け、グチャグチャになった左足を見てみる。
もう感覚がない。動かそうとしても動かない。だがどうしようもない。
暫く休憩して立ち上がる。
さっきの奴がもう一度来たら確実に死ぬだろう。だったらもう進むしかない。
剣を杖にしてひたすら進む。
「ははっ…遂にお迎え来たかぁ…」
目の前に見えるのは、今までとは比べ物にならない程の広い空間。
天井からは月明かりのような物が差している。
だがその光景があり得ない事など分かりきった事である。
なにせ元々は迷宮の三階層から来たのだ。さらに言えばこのダンジョンに入って階段どころか上り坂すらなかった。
奥に玉座のような物が見える。あれがきっと俺の死に場所だろう。フラつく足取りで玉座の前まで行く。
良い最期だ。通路で死に絶えるよりも、玉座にもたれかかって死ぬ方が様になるだろう。
そんな事を考え足を進める。最後の踏ん張りだ。
脳内に走馬灯が流れ始めるもどこか他人事のような気がする。
「今の俺が見るべきもんじゃねぇよ…ははっ…」
一歩。一歩。最後に向かって歩みを進める。
呪いも解いていない。
超越者も殺してない。
イツワ村に帰ることも出来ない。
ミラとエルダとで食事をすることも出来ない。
「あぁ…結局ルウにお礼言ってなかったなぁ…」
久しく会っていない女性の顔も出てくる。彼女が居なければこの玉座で死ぬ事も適わなかっただろう。
後、十歩程度で辿り着けるだろうか、そんな時玉座から黒い霧が発生する。
霧の中から人影が現れる。
いつもの頭蓋骨に何故かボロボロの王冠を乗せている。
煤けたローブを纏い、手には杖を持っていてそれでいて
「おぉ…浮いてんなぁ…」
今までとは明らかな違いを感じる骸骨。
これはあれだ。ゲームで言う所のリッチという奴だ。
リッチは杖を向けてきたと思いきや空洞になっている筈の喉から声を出す。
『炎の腕よ』
呪文というのは人それぞれによって発声する言語が違う筈なのに、何故か次の瞬間俺の身に降りかかる魔法が分かった気がした。
杖の先が紅く光る。
火葬も悪くないよな。そう思いながら目を閉じる。
『コンジェラント・ギダール』
突如、視界に氷の壁が生成される。
「救助対象はあいつか!」
「ボスも居やがるのか…」
「ぶっ殺せぇぇぇぇぇ!!」
氷の壁の向こうに人の群れが飛び込んでいく。
壁の向こうから轟音が響き渡るもその間、俺は立ち尽くしていた。
どのくらい経過しただろうか、轟音が止み氷の壁が崩壊する。
目の前の光景に唖然とする。
今まで、黒い液体を食い続ける生活だったのに何故か目の前には大量の肉がある。
「シロさん!!」
所々防具が剥げていて瑞々しい肉体を露わにしている人間が、何やら叫びつつこちらに走ってくる。
「マジか…最後の晩餐てやつ?」
こんな量の肉を食いきれるわけが無い。神なんて信じてはいなかったがこの時ばかりは信じてもいいと思った。
そうだ。これだけ苦しい生活をしてたのだから最後くらいは美味しい物をたらふく食って眠るように死のう。
それが最後に感じる幸せになるだろう。
「いただきまぁす!」
剣を抜き目の前の肉を解体するべく、全力で駆け出す。
そこでやっと左足の感覚が戻り、激痛が走るもそんな事を考え…
「もう休んどけ。」
後頭部に強い衝撃を感じ、意識は薄れていった。