宿泊先の宿に着く。
予約を取った扉に手を掛けた段階でようやく冷静になった。
これからも旅を続ける二人との関係性を今悪化させると後が辛くなってしまう。
やっぱり床で寝ようか。
結局、床で眠ることに決めた俺は寝ているであろう二人を起こさないようにそっとドアノブを捻る。
ゆっくりと音を立てないように開けた隙間に体を入れて部屋の中へと踏み出した。
部屋は既に消灯しており、二人の寝息だけが支配する闇が広がっていた。
廊下も月明かりが照らしているだけであり、部屋まで明かりが侵入することは無い。つまり、二人がどこで寝ているかの認識すらままならない。
俺の足音が二人に気付かれぬ様に細心の注意を払っていく。
幸い二人は俺が部屋に入ってきたことに気付く素振りは全くない。
そこでようやく部屋の間取りを思い出す。
確か正面からベッドを見た時、右手には人一人が横になれる大きさのソファーがあった筈だ。
なんとか手探りでソファーの位置をあぶりだした俺は、物音を立てないよう細心の注意を払いながらソファーに身を委ねる。
二人が起きる様子は無い。ミッションコンプリートだ。
眼を閉じやや肌寒い空気に体を晒し、心地良い睡魔に意識を持って行かれようとした瞬間に、俺が入ってきた扉が開くような音が聞こえる。
締め忘れたかな…、そんな事を思いながら重くなった瞼を開け扉を確認すると隙間から廊下の月明かりが漏れ出していることに気付く。
「面倒くせぇな…」
独り言を呟き、扉を閉めようと上体を起こした瞬間。
キィー…
誰も触れていない筈の扉が音を立てる。
ホラーが苦手な俺はその音だけで金縛りにあったかのように身動き一つとれなくなる。
すると扉からは木に爪を立てるような音を鳴らしながら何者かの指が侵入してくる。
恐怖のあまり悲鳴を上げることすらできず、ただただ扉に視線を向ける事しかできない俺に構うことなく開き続ける扉はついに物音の正体を招き入れた。
黒い影が僅かに開いたとびから侵入してくると同時に俺の目の前までやってくる。
部屋自体は真暗だというのに何故か奴の姿は見える。
暗闇よりも深い黒。
そいつは俺の顔をじっと見つめて口を開く。
な…ンデ…?
その言葉の先は言わないでくれ。
最近は滅多に聞くことの無かった言葉が訪れるような気がした。この言葉が聞こえる時、それは誰かが死ぬ時だ。
フェイナの時は例外ではあるが、それ以外での致死率は100%と言っても過言ではない。
その言葉は間違いなく俺にとってのトラウマだ。
だから
「や…めて…」
ナンでタスけてくれナかったの?
『イカヅチ』
その言葉をかき消すように魔法を唱えた瞬間、視界が歪む。
意識を保っていられない。
そんな俺に黒い影はひたすらに言葉は投げかけてくる。
やがて歪んだ視界は重くなった瞼によって遮断されていく。
「シロさん!」
ミラの声で目が覚める。
「え、なに?」
先程まで見ていたのは夢だったのか、ミラの声で覚醒したばかりの瞼は寝起きのように重かった。
「大丈夫ですか?随分うなされていたようですけれど…」
言われてみれば汗を掻いている。
あの悪夢は俺の心を深く蝕んでいるようだ。
まだ鮮明に残っている悪夢を振り払うべく頭を振る。
あれは本当に夢だったのだろうか。部屋を見渡してみるも、何者かが侵入した形跡は何一つない。
強いて言うなれば俺の体が汗でびっしょりだという事だ。
これは由々しき問題である。早急に風呂に入らなければ後数時間で死に至るだろう。
「あれ?エルダさんは?」
部屋を見渡した時に気付いたのだが、部屋にあるのはミラの姿だけだった。
「少し出かけてくると言っていましたが、どこに行ったのかまでは聞いていないんです。」
どこか嫌な予感がする。
もしかしたてアイツの目的は……、いや、考えすぎか。先程まで見ていた悪夢の所為で敏感になっているだけだ。
きっとすぐに帰ってくる。そうに違いない。
「ごめん、ちょっと探してくる!」
「あ、ちょっと!」
ソファーの側に置いてあった防具を手に取り、部屋を飛び出す。
走っている間にも防具を着用していく。風呂に入れなかった服の上に防具を付ける不快感は拭えないが今はそんな事を気にしている場合ではない。
一階に降り食事処に足を運ぶもエルダの姿は無かった。
飛び込むように入室した俺を心配してか、給仕の方が声を掛けてくれるも応対している暇は無い。そのまま厨房を通り抜け、裏口から外へと出て行く。
宿屋の外に出た後、周囲を探すもやはり姿は無い。
どこにいるんだ、そんな焦燥に駆られた時。
目の前に何かが落ちてきた。
よく見るとそれは見慣れた、いつもエルダが身に付けているローブであった。
落ちてきた方向に目をやる。確かあそこは露天風呂のあった場所だ。急いでもと来た道を引き返し二段飛ばしで階段を駆け上る。
「ちょっとシロさん!?」
部屋から出てきたミラを無視して露天風呂の方へと走る。
「エルダさん!!!」
扉を破らんばかりの勢いで開ける。
そこには洗面台で歯磨きをしているエルダがいた。
「…ふぁに?」
訝しげな表情を浮かべたエルダが口に歯ブラシを突っ込んだまま問いかけてくる。
そこで一気に冷静になる。
部屋を飛び出す前にも、あれがただの夢だという事を確認した筈だ。だというのにこの男は何を勘違いしたのか寝起きの体を無理矢理奮い立たせて右往左往していたのだ。アホらしい。
その次にやってきたのは羞恥心だ。馬鹿みたいに騒ぎまくって宿屋中を走り回っていたのだ。今すぐ消え去りたい気持ちに駆られる。
不幸中の幸いなのがエルダが裸ではないという所か。これで一糸纏わぬ姿であればミラの剣で串刺しにされエルダの魔法でこんがり焼かれていただろう。
「あー……」
なんと言えばいいのか言葉が出てこない。
俺が勝手に思い込んでいただけだというのに恥ずかしくて顔を上げられない。
「……その、なんでしょう……」
床に両膝をつく。
「申し訳ございませんでした。」
頭部を床に付け両手をその前で重ねる。
土下座してます、私。
エルダが歯ブラシを口から出し言葉を発する。
「…シロは面白いね。」
「え?」
思わず頭を上げる。
「何考えてるかわかんない。」
「…てな訳で、次はこのレベルソの滝って所を通りたいんだけど。」
二人に呆れられた後、風呂に入りさっぱりした所で朝食をとりながら二人に説明する。
「確かにそのルートが一番早いかもしれませんね。」
「でしょ?」
「でもここから先はわたくしの知らない世界になりますわ。フェーデル周辺であればお力になれるのでしたけれど…」
正直ついてきてくれるだけでもありがたい事だ。ミラとエルダが居なければ今頃は蟷螂の腹の中に納まっている頃だ。二人には感謝しても仕切れない。
「エルダさんはここら辺の事は知ってます?」
「…微妙。」
無いよりマシだ。ポジティブに考えよう。元々冒険なんて行き当たりばったりの放浪のようなものだ。それに今回は地図がある。迷う事もないだろう。
であれば次は冒険の準備だ。幸いにもオグの村はポーションの原産地で有名な場所だ。傷を癒すほかにも様々なポーションがある筈。
昨日見たゲーミングポーションは置いておいても、魔力を回復したり防御力をあげるポーションなんかもあったりするではないか。
さらに言えば食料の確保や装備の手入れ等、いつ次の目的地に着けるか分からない状況で準備を怠るのは愚の骨頂。
「じゃあ俺はポーションの確保、ミラとエルダさんは装備や食料の確保をお願いできる?」
「分かりましたわ。」
俺の役割が軽いのは気の所為だろう。様々なポーションを見てみたいという気持ちも無くは無いが勿論それだけじゃない。俺の装備は既に完成しているといっても過言ではない。
エリーゼから貰った剣に、フェーデルの鍛冶師が俺の戦闘スタイルに合わせてくれた防具。強いて言えば防具の魔力補充程度だろうか。
それもホルトの森では戦闘自体が少なかった事もあり、魔力の残量を示す宝石は依然として輝いたままだ。
それに資金も無限にある訳ではない。使いどころは慎重に選ぶべきだ。
そんなこんなで気の済むまでポーションを漁った俺は二人との集合地点である村の出口へと向かった。
集合場所に着くもまだ二人の姿はない。少し待っていようかと思っていた矢先、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
声の方へと目を向ける。そこに立っていたのは防具を新調したミラと相変わらず黒いローブを身に纏ったエルダが手を振っていた。
「防具新しくしたの?」
「えぇ、どうかしら?」
ミラは上機嫌になりながら華麗に一回転を決める。
以前使用していた防具は前面に銅色のプレートを張り付けただけの明らかに新米冒険者と分かるような見た目だったのが、今は銀色に輝くプレートが背面まで覆っている。
肩にも同じような銀色のプレートが装着されており、全体的に見れば防御性能がかなり高くなったように見える。
恐らくプレートには俺の防具と同様、魔力が付与されいるのだろう宝石が嵌め込まれていた。
その下には全体的に薄緑色をした服を身に纏っていた。
「まぁ、いいんじゃない?」
「反応が薄いですわ。」
わがままなお嬢様である。確かに似合っているが特段褒めるような事でもないだろう。パーティーを組んでからしばらく経つのだ、今更褒めた所で何かが変わるわけでもない。
それにミラの方から言い出されたことにより、その後に告げる言葉をどれだけ装飾した所で、その言葉が軽く聞こえるのは否めないのだ。しょうがない。
無視だ、無視。
「痛った!」
尻に強烈な衝撃を受ける。
擦りながら振り向くと無表情のエルダが足を上げていた。
最近どうにもエルダが感情豊かになっている気がする。パーティーに馴染んでくれたのはありがたいが武力行使を多用してくるのは止めていただきたい。今のは俺が悪かったけど。
それに蹴られた尻がジンジンと痛み続ける。その筋力を生かしてこのパーティーの攻撃要因として活躍してもらいたいくらいだ。
だが俺も馬鹿じゃない。俺は反省が出来る男。同じ轍は決して踏まない。学習が出来る男なのだ俺は。
「エルダさんも似合ってますよ。」
「…何も変えてない。」
「馬鹿。」
ミラに後頭部を叩かれる。
エルダに関わらずミラも俺に対しての辺りが強くなっている気がする。最初期のようなお互いに気を使うような遠慮がちの会話はどこに消えたのか。
俺が悪いのは重々承知の上なんだが、それにしても二人の当たりが強すぎる。
これもあれかな?仲間意識が強くなってきたからこそ生まれるコミュニケーションってやつかな。じゃあいいや。
「それでは行きましょうか。」
「イドラの街かぁ、何があるんだろうね。」
「…楽しみ。」
イドラの街へ行く為、現在は道中のレベルソの滝へ向かっている。
「エルダさんはイドラの街に行った事あります?」
「…立ち寄っただけ。」
「フェーデルよりも発展してますの?」
「知らない。」
「てかエルダさんはどこから来たの?」
「……………フィーテージ。」
随分と溜めたなおい。
普段、全く自身の事を話さないエルダに対してミラと二人で質問攻めをしている最中、ずっと気になっていたことを聞いてみる。
ミラは名前にフェーデルという家名がある事からして、フェーデル王国の何らかである事は分かる。
考えたくもない推理だが、王族の暮らしに飽き飽きして飛び出してきたんじゃないだろうな。もしそうであればミラの体に万が一のことがあれば俺は殺される。
でも現段階ではミラの方が俺よりずっと強いから、俺が死んだとしてもミラだけは生き残る可能性が大いにある。いや、そういう事じゃない。今はエルダの事だ。
彼女に対しては今までも何度か素性を聞き出そうとしたことがあるのだが、その度にはぐらかされたり無視されていて何も聞き出せないのである。
別に知ったところでどうという話では無いのだが、体を覆うローブに口数が少ないというミステリー的な要素をこれでもかと搭載した彼女に対しては好奇心が湧いて仕方がない。
そんな彼女から遂に出身地?を聞き出すことが出来たのだ。嬉しくて仕方がない。
「ミラ、フィーテージって知ってる?」
「いえ、存じ上げないですわ。」
「どんな所なんですか?」
「…知らなくていい。」
そんな殺生な。別に出身地がどれだけ都会だろうが田舎だろうがエルダに対しての見方が変わるわけではあるまい。だがこれ以上聞いても答えてはくれないだろう。
話題を失くしたパーティー一行に沈黙が訪れる。
こんな時、話題を真っ先に振るのはミラだ。彼女は持ち前のコミュ力で、話しかけられたく無い時も関係なく話し掛けてくるのだ。
永久機関かと思われる程の勢いで延々と喋り続け、終いには相槌も打たせずに一人の世界に浸る。その姿はまるでマシンガン。
その内ミラの言葉が耳から耳へと直通するかと思いきや、その時を見計らって俺に問いを投げかけてくるのだ。
今回もその口を生かして何とか話題作りに励んでほしいものだ。
「そういえばシロさんは転生者なのでしたっけ?出身はどちらなのですか?」
でかしたぞミラ。エルダとの会話が終わって数秒も経たないうちに俺に話題を振ってきた。
「日本の北海道。」
嘘ではない。実際俺の生まれ故郷は日本だし、北海道に住んでいたのも本当だ。だがこの世界で通用するかどうかは分からない。
そんな考えも杞憂だったのか、ミラは問いを続ける。
「まぁ、聞いた事の無い地名ですわね。どんな所なのでしょう?」
日本の事か…。長らく離れていた故郷について久し振りに思い直す事となる。
「……寒い。後は雪が降るかな。そういえば日本には自動車というのがあってだな…」
そこまで言ってはっと口を閉じる。
幾ら話題を探していたとはいえ、マシンガンに弾倉を詰め込みすぎてしまったようだ。ミラが口を開けずに硬直している。
ミラの顔を覗き込むと既に彼女の瞳は宝物を見つけた子供のようにキラキラと輝いていた。既にコッキングまで終わらせているようだ。
「自動車ってなんですの!?わたくし、気になります!」
天を仰ぎながら嘆く。
あぁ、また始まってしまった。
「ミラ!水の音が聞こえる!滝、近くなってきたんじゃないの?」
あれから質問責めにあっていた俺は、なんとかミラから逃げ出すべく適当な事を口走っていた。
しかしどうやら運が味方してくれたようで、気づけば目的地であるレベルソの滝へ近づいて来ていた。
ミラも流石に目の前に迫った景色に興奮を覚えたようで、俺への追及は止まった。
目の前には川があり石で作られた橋が架かっている。やけに川との距離が近いのはなぜだろうか。まぁいい。それよりも。
川の流れる方向と逆の方を見てみると轟々と音を立てながら水が降り注いでいる。あれがレベルソの滝だろう。
だが肝心の滝は日本で見た時と同様、高所から水が落下している。地図で見た時は水が上がって行くのを想像していたのだが、どうやら普通の滝のように見える。
滝の上方に目を向けるも、かなり高所にあるのだろう霧に覆われていて水がどこからやってきているのかは分からない。
それにしてもそれだけの高所から落下してくる割には川の流れは緩やかである。石橋が水面に近いのはそれによるものなのか?
兎にも角にも実際に渡ってみなければ何も始まらない。
「それでは行ってみましょうか。」
「そうだね。」
「…楽しみ。」
楽しみも何もないだろう。確かに壮大な自然は見ているだけで心躍る光景だが、それはあくまでも見ている場合の話。
実際に渡っている最中は水飛沫が飛び散り全身びしょ濡れになるだろう。楽しみに思える要素はどこにも無い。
「思ったより濡れなさそうで良かったわ。」
滝つぼから離れているとはいえ、てっきり少量の水飛沫が飛んでくるものだと思っていたがそうでは無かった。
たまに靴に液面が跳ねてくるものの、その程度だ。
「落ちないで下さいね?」
「俺を何だと思ってんの…」
対岸までの距離はそう遠くは無い。大した労力を使わずとも辿り着くことが出来るだろう。
そう思っているとエルダが口を開く。
「魔物。戦闘準備。」
そう呟いて杖を構えたエルダに続き、俺達も臨戦態勢に入る。
川から這い出てきたのは大量の触手を伸ばしたクラゲのような姿をした魔物だ。
ただ普通のクラゲではないことは確かだ。
自身の体重を支えるかのように発達した触手は一本一本が人の腕のような太さを持ち、更には先端に鋭利な爪のようなものがついている。
それにそのクラゲの傘は俺が見てきたクラゲと違い透明度が全くと言っていいほど無い、真っ青な色をしている。
てか普通に陸上でも生きれるのね。
だが奴の身長はどれだけ触手を伸ばしたところで人間の半分にも至らないだろう。
「一匹だけみたいだし、ぱぱっと魔法で片付けちゃいますか。」
こいつらは結局水中で生きてるんだろ?古から水属性の敵には雷属性の魔法が効果的と相場が決まっている。
それに地上でも水中と同じように動けるのならまだしも、そうでないのであれば遠距離から一方的に攻撃してしまえば良い。
魔法で生み出した電気を手の中で増幅させていく。
『イカヅチ』
俺の手の中から放たれた雷撃は一瞬にして奴に命中し、魔物を黒い泥へと変えた。
雑魚じゃねぇか。やっぱり異世界でも水属性には雷属性が鉄板なのだ。つまり今までお荷物状態だった俺はこの石橋を渡る間だけはこのパーティーの主戦力というわけだ。
思わず顔が緩んでしまう。
どうだ、と言わんばかりにミラの顔を見ると呆れたような表情を浮かべていた。エルダは相変わらず無表情である。
「…シロさん、前々から聞こうと思っていたのですが…」
そこで不自然にミラの言葉が途切れる。一段と険しくなった目線の先にあったのは、先程倒した筈のクラゲだった。
否、先程のクラゲが作り出した黒い水溜りは立ち塞がっているクラゲの背後に広がっていた。
つまり新手だ。それもぞろぞろと大量に川から這いずり出てくる。
いや、さっきまで俺は主戦力だとかほざいていましたけど、これはちょっと違うんじゃないですかね…?
もう数えるのも億劫になるほどに大量のクラゲ群れを成している。背後を確認するもすでに退路はクラゲによって埋め尽くされていた。
「魔力足りるかな…?」
「…可能な限り魔力の節約。」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ…」
「来ますわ!」
クラゲの波が三人組を潰さんとして前進を始める。
可能な限り、各個撃破を狙う。
左手を前に出し魔法を放った。