息を止める事ならば簡単だ。単純に口を閉ざしているだけでいい。
呼吸をせずにいられる時間は常人なら1、2分と言ったところか、でもそれは何の障害物もない状況であればの話しだ。
木や石を巻き込んだ濁流は容赦なく俺の体に鞭を打ち、数秒前まで視認できていた二人の姿をいとも容易く消し去る。
既に上下左右の感覚は失われていた。今は全身を襲う痛みに耐えながら命が終わるのを待つだけだ。だが最後だからと言って感傷に浸る暇を与えるほど自然災害は甘くは無い。更に激しさを増す水圧はまるでこの場で溺死しろと言わんばかりだ。
段々と意識が遠のいていく。酸素が供給されない肉体は生命活動の維持を放棄して機能を停止し始める。
「ゴボっっ!!!」
右腕に鋭い痛みが走り意識が覚醒する、濁流の中で自身の右腕に視線を移すと小さくはない枝が突き刺さりそこから血液が流れだしている。
先程まで死に対する感覚が薄れていたのだが、自身から流れ出す血液を目にして再び生への執着が生まれてくる。
死にたくない。
幾らそう思っても打開策が無い。このままでは遅かれ早かれ窒息死してしまう。
必死に空気を取り込もうとするが口から吐き出されるのは気泡ばかりで全く吸い込むことが出来ない。
肺に残った僅かな酸素を浪費して尚も生きようと足掻いている姿は酷く惨めなものなのだろう。
それでも。
俺は。
浮遊感を感じる。
先程までの水中での抵抗力から解放され、断たれていた酸素の供給が再開される。どうやら濁流の頂上に到達したようだ。
噴水の様に広がる濁流の先端から体が放り出される。
「やべっ…じぬ!」
決して低くは無い高さから放り出され地面が俺を受け止めるかのように待ち構える。
一瞬の間があった後、俺の体は勢いよく地面に叩きつけられた。
受け身も取れず無様に地面に転がる。
口の中には砂利と血の味が広がり、背中にも鈍い痛みが走っている。
地面に衝突した拍子で口から少量の水が吐き出される。
死にゃ良かった…肺も痛ぇし、腕も痛ぇし、体も痛ぇ。
仰向けになったまま空を見上げる。
青一色に染まった綺麗な空には忌々しくも俺の体をこれでもかと照らすお天道様が輝いていた。
「はぁ~…」
暫く仰向けで息を整えた後クソデカため息を吐く。
幸運にも俺の体から離れずにいた剣を杖にして立ち上がる。
周りに目を向けるも俺と同じく濁流から放り出された人影は見えない。
自身の体質はなんとなく分かっている。それに目を向けてこなかっただけだ。
人が死ぬ前後には必ず『あの言葉』が聞こえる。
つまり俺がこうして生きているのにも関わらず、二人の声が聞こえないという事は恐らく二人は無事だ。
無事…のはずだ。
そうでもないと色々と不味い、精神的に。
俺の都合で二人を引っ張ってきて道半ばで死なれると俺の立つ瀬がない。
不安を確信に変える為歩き出す。目的地は無い。二人を探すだけだ。
『何だかんだで君らと冒険出来て良かったよ』
『さてと、そんじゃまぁ。』
『また来世でな。』
「…やっぱ探すのやめようかな。」
あんだけ死亡フラグ立ててたのに生き残っちゃうってマジ?恥ずかし過ぎてもう会えないわ…
だが一つ勉強になった。どうやら俺は何かを決心する度に黒歴史を造り出す魔法を使用できるみたいだ。その魔法の効力は一生続くのだろうか、一生解けないのならばそんな呪いは今すぐ解いてしまいたい。
こんな筈じゃなかった。何時だってそうだ。
何だかんだで良い結果に転がってきた試しがない。いや、今回は良い方に転んだのか?
だがしかし。
「やっぱ探すか。」
先程とは打って変わって二人に会いに行く事に決める。
あの二人の事だ、多分気を使って触れないようにしてくれるだろう。それこそ俺が何も覚えていないとでも思っているだろう。
まるで保護者だがまぁいい。尾いてきたのはあの二人だ、一生脛を齧り続けて生きるとしよう。
「ん~?」
辺り一帯を見渡すが二人の姿は見当たらない。
それどころか人の気配すら感じない。
いつの間にか魔力で作られていた噴水が止まっており穏やかな川が流れている。
川の周辺は小石が散らばっており見通しが良いものの10mも歩けば雑草や木々によって視界が遮られている。
こういう時は無暗に探すのではなく焚火をして煙で居場所を知らせるのがいいだろう。
IQ300の頭脳で弾きだした結論を自画自賛しながら適当な枝を拾ってくる。
無造作に枝を地面に並べた後に気付く。
「どうやって火付けんの?これ。」
試しに魔法で着火を試みるも全く反応しない。
「詰んだな。」
諦めてその場を離れようとするがそこで一つの疑問が頭を過る。
「そもそもここ何処だ?」
地図を取りだそうとするも背中にある空気を掴んで落胆する。
「失くした…」
これは本格的にまずいかもしれない。
今この場で頼れる物は自分の感覚だけだ。
噴水があった場所は下が霧に覆われて見えない程の高い崖だ。つまりあの石橋からは遠く離れてはいない。
頭上にある太陽を見てみる。日はかなり傾いており日本の感覚だとおそらく向かうが西だ。目的地であるミレーバルは北西の方向を遥か行った先だ。
北に見当をつけると…あっちか。ミレーバルの方角が分かった。多分。
つまりこの先に歩いていけばイドラの街が見えてくる筈だ。多分。
はぐれてしまった二人も無暗に探すことは無くイドラの街へ行っているかもしれない。多分。
…多分。
だが地図を失くしてしまった為、正確な方向が分からない上に高低差もあるだろう。
「はぁ~…、面倒くさ…」
本日二度目となるクソデカため息を吐きながら目的地をイドラの街へ設定した。
重い足取りのまま木々を掻きわける。
「なんとかなってくれよ…」
「どこ?ここ。」
鬱蒼とした森は景色を変える事無く、ただ時間だけが無情に経過していく。
心なしかあたりが暗くなっている気がする。これまでに成果は一切無い。それどころか鞄の中に入っていた非常食も今は滝つぼの奥底にあるだろう。
なんだか懐かしい気分だ。異世界初日もこんな感じだったと思う。ということはこの後…
ガサガサと草むらから音が聞こえる。あり得ない事だとわかりながら一抹の希望を抱いて音の正体に声を掛ける。
「ミラ?エルダさん?」
草むらから顔を覗かせたのは狼のような見た目を…じゃなくて。
全身からキノコを生やした老人が出てくる。
「いや、誰だよ。」
「失礼な小僧じゃの、出会った先から罵倒とは。」
キノコの爺が此方を睨みつける。どうやら俺は相当疲れているようだ。
「あ、すみません。疲れててつい本音が…」
「それで誤魔化したつもりか?」
「いえ、ごめんなさい。調子に乗ってました。どうか命だけはお助けください。」
即座に地面に頭を擦り付け土下座をする。顔を上げると依然としてこちらをジト目で見つめている。
「まぁよい、小僧の言い訳など興味は無い。それよりもお主は何者だ?」
「えっと……一応冒険者をやってます、シロです。」
「ほう、冒険者だったか。ならば丁度いい、わしの荷物持ちをしろ。」
こんのクソジジィ、人が下手に出てるからって調子乗りやがって。とはいえ、こちとらほぼ無一文。それにこの先の道も分からず途方に暮れていた所だ。
「何か報酬とかあります?できればご飯とか…」
「腹が減ってるのか?食い物ならいくらでもあるぞ?」
「…キノコ料理しかないとかやめてくださいね…?」
という訳で荷物持ちをする代わりにご飯にありつける事となった。
「死ぬかと思った…」
「こんなもので弱音を吐くとは…」
おい、その先は言うな。前世界共通なのか?この話題。
人間一人入ってるんじゃないかと思わせるような重量の巨大な鞄を地面に降ろす。
そこにあったのはポツンと置かれた一つのテントだった。目の前には焚火をしていたような跡がある。
するとテントの中から何者かが出てくる。
「随分と遅かっ…誰だ?」
「あ、シロです。」
「拾ってきた。」
やめろその言い方。人を捨て猫みたいにいうんじゃねぇよ。
でもこの爺からすると俺なんか捨て猫みたいなもんか。だが一旦この話題は置いておいて…
テントから顔を出したのは額から角を生やした女性だった。
かなり肌を露出した格好をしている。露わになった腹部が目に付くもバキバキに割れた腹筋が警戒心を高める。
だがそれだけでなく、テントから出る際に腰を屈めていた筈なのに俺の身長に匹敵しているのだ。間違いなくその気になれば俺を瞬殺できるだろう。
「また余計な物を拾ってきたようだな。いい加減その拾い癖直したらどうなんだ?」
「老体にこんな重い物を持たせるお前には言われたくないわ。」
「えっと…」
二人でコントをしているところ悪いけど腹減ってしょうがない。半分はこの爺の所為だと思うが。
「おっと、紹介を忘れていたな。鬼族のディゼルだ。それでこっちのはキノコ爺だ。」
まんまかよ、キノコ爺。キノコ爺って。
「自己紹介は終わったな、飯じゃ飯。」
「ありがとうございまーす。」
はぁ…やっと飯にありつけるな。そう思った矢先ディゼルが耳打ちしてくる。
「キノコは好きか?」
マジか…
「キノコはもういいわ…」
世界中から集めてきたんじゃないかと思うくらい大量のキノコを胃袋に収めた後、重くなった体を楽にするように体を後ろへ倒した。
寝転がった体勢のまま辺りを見渡す。視界に映るのは焚火と月明かりに照らされた二人の姿だけだ。
二人とも未だにキノコを口に運んでいる。どこぞのピンクの悪魔でもないのに延々と胃袋に収められる光景を見てると彼らの胃袋にはブラックホールでも潜んでるのではないかと疑ってしまう。
ふと二人の手が止まる。食べている間も無言だったので少しばかり驚いてしまった。
「それで?何でこの爺に拾われることになったんだ?」
ようやく満腹になったのか、ディゼルは俺の顔を見ながら問いかけてくる。別にここで変に誤魔化す必要は無い。ありのままを話した。
イドラの街へ行く為レベルソの滝を渡ろうとした時、魔物に襲われボロボロの状態のまま魔力泉が湧き始め、遥か頂上まで連れ去られた事。
その際、パーティーメンバーとはぐれてしまったが無暗に探すのは効率が悪いと考え一先ずはイドラの街へ行こうとしてた事。
話している間はディゼルもキノコ爺も遮ることなく黙って聞いていた。
「そうか、ならば運が良かったの。」
「いや、パーティーメンバーとはぐれたんですけど…」
「そうじゃない。私達も明日、出発する予定だったんだ。目的地はイドラではないが途中までは一緒だ。」
なるほど…それだったら運が良かった。地図が無い以上勘を頼りにここまで歩いてきたのだ。案内人が居るのはとても心強い。
それにディゼルはぱっと見で強いと分かる、これならば道中で魔物に出くわしても問題ない筈だ。お言葉に甘えて明日は行動を共にしてもらおう。
「それなら、明日は宜しくお願いします。」
「あぁ、よろしく頼む。」
「荷物持ちが増えることはありがたい事じゃ。存分に感謝せぇ。」
ともかく方針は決定したので今夜の宿は決まった。疲れ果てた体を休める為二人に断りを入れテントに入る。
内部は外見から予想もつかない程広かった。これも魔法かぁ(思考放棄)
床に転がり腕の傷を見てみる。
滝から放り出された後、着地の衝撃で枝が抜けたは良いがキノコ爺と会うまで血が垂れ流し状態だったのだ。
あれ?なんか治りかけてね?
すでに腕の傷には薄皮が張っており完全に血は止まっていた。
「キノコのお陰じゃ。」
キノコ爺がテントに入ってくるなり告げた。
「治癒成分の入っているキノコを食材に入れたからのう。」
「キノコ万能かよ。」
じゃあこれから鞄には山ほどのキノコを貯蓄しておくとしよう。
とはいえ、さすがに今日は疲れた。キノコを詰めるのは明日からでも十分だ。意識が暗闇へと沈んでいく中で最後に聞いたのはキノコ爺の言葉だった。
「小僧、わしの鞄には触れてはならぬぞ。」
「あー、はいはい。」
適当に返事をしてそのまま眠りについた。
「うぉらぁ!」
飛び掛かってくる狼を刃で受け止める。相手にダメージを与えるのは決して剣を振るうだけでは無く、相手との駆け引きも含まれているという事を最近になってようやく分かってきた。
勢いをつけながら迫りくる相手に対しては斬りつける必要は無い。刀身さえブレなければ相手の攻撃を防ぐ事がどころか今回のように武器を所持していない魔物相手には有効打となる。ちなみに全部ディゼルの受け売りだ。
その言葉を証明するが如く、狼の身体を捉えた刃は一切揺らぐ事なく鮮血を浴びる。
「どうよ。」
ディゼルに朝早くから叩き起こされたと思ったらキノコ爺も含め出発する準備は整っていた。俺以外。
顔を洗う暇なく出発した俺達は以前まで戦闘要員として戦っていたディゼルの指導を受けつつ進み続けていた。
ディゼル曰く、俺は戦闘に関して素人にも等しいとのことで基礎からみっちりと叩きこまれている。
キノコ爺はその横で呑気にキノコを食ってやがった。
「シロ、お前さん魔力使ってないだろ。」
ようやくキノコから口を話したかと思えば次に出てきたのは説教染みた言葉だった。
「いやまぁ、今回は近接戦闘の手解き受けてるんで…」
「そういう問題では…あぁ、いい。ディゼル教えてやれ。」
そこから聞かされた話は目から鱗の連発だった。
魔力というのは決して魔法を行使する際に必要なだけのエネルギーではない。魔力を使って体を強化し戦う方が効率が良いし、何より安全だそうだ。
そこであることに気付く。
聞いたのはいつだったか…本来俺から放たれる魔法は魔力を持たない相手には致命的となる電流を放出するはずだ。それでも今まで戦ってきた生物の中には明らかに電流が流れる相手であっても平然と向かってくる奴らが居た。それらに共通するのは魔力の有無だ。
魔力を有している生物は自身の体に魔力を纏わせ、魔法への耐性を上げているのだとか。
ここからはディゼルから聞いた話だ。
身体に魔力を付与した際の恩恵は魔法への耐性だけではない。身体能力の強化も見込めるそうだ。それに俺が気付いていないと知ったのは初対面だった。
本来魔力という物は全ての人間に備わっている物であり、冒険者は例外なく自身に魔力を付与する事でステータスの底上げを行っている。
それが当たり前だ。だが初めて俺を目にした時、全身がボロボロになっているのにも関わらず魔力を行使している様子が全く見えない事に気付いたディゼルは実際に俺が戦闘する姿を見て確信したらしい。
「お前は魔力の使い方を知らない。」
「おっしゃる通りでございます…」