プロ棋士の桐山くんは伊地知姉妹に拾われました 作:あまざらし
9話 バイト
ボクがまだ幸田家に内弟子していた時の事だ。
7月のあの日は、息苦しい蒸し暑さと全てをかき消すような雷鳴が轟いていた。
『ゼロだってぇ──』
『──でも、ぴったりよねアナタに。だってそうでしょ』
『家も無い、家族も無い、友達も居無い』
『──アナタの居場所なんて、この世のどこにも無いじゃない?』
『でも──』
ボクと
でもその後、姉弟子は全てを諦めたような顔で、
『零。アナタはズルい奴よ』
『だってアナタは、アタシが一番欲しかったモノを持っているのだから』
『だから辞めるの──アタシは一番になりたいから』
そう言い残し、ボクの部屋から立ち去り。
次の日、姉弟子は自ら奨励会を退会した。
そんな過去の出来事を今更ながらボクは思い出していた。
◇ ◇ ◇
5月半ば。今日は陽気で過ごしやすい日だ。
時より爽やかな風が吹き、等間隔で植えられた新緑の並木道も、どことなくボクを晴れやかな気持ちにさせてくれた。
学校からの帰宅中。
先程リョウさんと別れ、今はボクと虹夏さんの二人で歩いていて。
虹夏さんは結束バンドの近況を楽しそうに語っていた。
「ひとりちゃんと喜多ちゃんが『STARRY』でバイトする?」
「うん、そろそろノルマ代を稼がないとダメだからね。明後日から参加してもらう予定なんだ」
初ライブのため、直前まで練習に明け暮れていた結束バンドのみんな。
その労いの意味も込めて、先週は各々のリフレッシュ期間に充ていたらしい。
ただ虹夏さんは、そろそろバンド活動を再開させたいようだった。
一方の先週のボクは、学校に行って、将棋の研究をして。
学校に行って、将棋の研究をして……。
思い返せば、さながら将棋ロボットのような生活だった。
ああ、話が逸れてしまった。
喜多ちゃんとひとりちゃんがバイトする件だ。
「喜多ちゃんはまだ分かるけど。ひとりちゃんはよく参加してくれたね」
「あー、まだ二人には伝えてないんだ。でもまあ、これから説得するから大丈夫だよー」
「えっ、それはちょっと急だし、確認は必要なんじゃ……」
特にひとりちゃん。
バイトの話なんてしたら全力で逃げ出しそうだけど。
でも喜多ちゃんや虹夏さんに頼まれたら断れないか。
ボクは不本意ながらひとりちゃんもバイトに参加する姿が想像できてしまうのであった。
「うっ、やっぱそうかなあ……。でも結束バンドをより成長させるには必要なことだし。きっと皆も納得してくれるって!」
「ということは、またライブやってくれるの?」
ファンとしては気になる情報だった。
「勿論だよ! 夏にライブでしょ、あとデモ音源も配ってさ。冬にレコーディングもしたいなー……そして大目標は武道館ライブ! ってまだ全部仮目標なんだけどね」
”武道館”って高校野球なら甲子園みたいなものだよね?
でもそっか、またライブやってくれるんだ。
今度は最初から全部、参加したいな。
前回は対局もあって、途中参加だったのは残念だったから。
「ファンとしてライブ楽しみに待ってるね、虹夏さん」
「期待しててよ! そうだ、よかったら零くんも今日の結束バンドの集まりに参加しない?」
虹夏さんは当然の事のように気軽にボクを誘う。
「ボクも?」
「ほらだって、ぼっちちゃんって零くんには懐いてそうだし。零くんからも説得してくれたらきっと喜んでバイト参加してくれるって」
そうかな?
ひとりちゃんと今までまともに目が合ったことなんて、数えるほどしかないよ?
「予定はないから集まりには参加はできるけど……」
「なら参加しようよ! ダメかな──”ファンゼロ号”さん?」
虹夏さんは首を傾げて可愛らしくお願いする。
まるでボクが”その言葉”に弱いことを知ってるかのように。
でも結束バンドの役に立てるなら、それは喜ばしいことでもあるから。
「分かった。後でお邪魔させてもらうね」
「うん! じゃあすぐ『STARRY』に集合だよ。またね! 零くん」
僕たちは虹夏さんの家の前で手を振り別れる。
そしてボクは自宅へ戻り、『STARRY』へ向かうのだった。
◇ ◇ ◇
「バイト!」
ひとりちゃんの今年一番の大声が遠くから聞こえた。
虹夏さんがライブ参加のノルマ代が必要になることを説明しているようだ。
「お母さんが結婚資金に貯めてて……どうかこれでご勘弁を」
ある意味予想通りだけど、ひとりちゃんが予想外の行動に出ていた。
ひとりちゃんは豚の形の貯金箱を虹夏さんに献上していて。
遠目でも彼女はやっぱりバイトをやりたくなさそうだった。
「ありがたく使わせてもらうよ」
「いや使わない使わない。そんな大切なもの」
「ねぇ後藤さん。一緒に頑張りましょうよ! きっと楽しいわよ」
そんな皆のやり取りをボクは少し離れた場所で眺めていた。
ボクだけ星歌さんに呼び出されていたからだ。
結束バンドの皆も、おそらく面倒事だろうと察知してか、まるで近寄ってこない。
「それで何の話でしたっけ?」
「ん? そうだな。あー不躾な質問だが桐山ってどれくらい稼ぎがあるんだ?」
ボソボソっと小さな声で星歌さんが質問してきた。
お金の話題? バイトに関連するからだろうか?
ただ一言では説明が難しい。棋士は固定給のような制度もあるが、基本歩合制だ。
それに個人事業主扱いのため不安定で人それぞれだろう。
あまり人に話すことでもないので、ボクも小声で星歌さんの質問に答える。
「一応固定給みたいなものもあるのですが基本は対局によって変わります」
「ほう」
星歌さんは続けろと説明を促す。
「えっと……ボーナスのような対局もあって、例えばちょうど次の対局に勝てば結構な額の賞金をいただけます」
次のボクの対局は獅子王戦6組の決勝戦だった。
「どれくらいとか聞いていいのか?」
「えっと勝てたらこれくらいです」
ボクは手のひらで数字の9を作る。
「1回で9万円くらい?」
「それにゼロが一つ付きますね」
勝ったら優勝で90万、負けても準優勝だから20万のハズだ。
仮に獅子王位を獲得した場合は4000万円を超える賞金となる。
途端、星歌さんの顔色が変わる。
更に隣で聞いていたPAさんの表情も……。
「それ1回でなのか?」
「まぁ、でも次回の対局は決勝戦で特別なので。その賞金の要素が大きいです」
コイツ本当に高校生か? というボヤキが聞こえた気がした。
「おい桐山。今のアイツらに絶対、金銭面で手を貸すなよ」
「えっ ダメなんでしょうか?」
あのままでは、ひとりちゃん可哀相だし。
多少なら援助しても良いのでは? と思っていた所だった。
「バンド活動ってのはな。自分たちの力でゼロから周囲に実力を認められる必要があるんだ。ずっとお前の資金を当てにしたらアイツらが成長しないから。お前だってそれは本意ではないだろ」
ボクのせいで結束バンドの成長を阻害することは、確かに避けたい。
「分かりました。でもファンとして常識の範囲なら問題ないですよね」
「勿論、そこまで咎める気はないよ」
「桐山くん。店長ってすごく過保護だと思いません?」
面白おかしくPAさんは、星歌さんを茶化す。
そういえば星歌さん。
スタジオ練習とか、ボクのバイトのヘルプ依頼とか、先月も裏で結束バンドに加担してた疑惑もあったような。
だから「確かに」とボクは思わず頷いて笑ってしまう。
「なっ……桐山、もうお前は行っていいから」
恥ずかしそうに照れる星歌さんからボクは解放され、結束バンドの元へ戻るのだった。
◇ ◇ ◇
結局ひとりちゃんは予想通りバイトから逃れることは出来なかったみたいだ。
ボクが会話に加わった頃には、明後日のバイトに震えるひとりちゃんにはお構い無しで、結束バンドの皆は次の話題に移っていた。
議題は、よりバンドらしくなるには? だった。
そして懐が寒いからなのだろうか、今はグッズで収益化を目指そうとしていた。
「将棋のグッズってやっぱりサインとかなんだ」
「はい、揮毫といって毛筆で文字やサインを書くことが多くて。印刷のものとかもあるけど」
「私も持ってますよ。ちょっと待ってて下さい」
そして喜多ちゃんはボクの色紙と一緒に写った猛烈に加工された写真を皆に見せる。
うっ……それは。
でも喜多ちゃんの技術力が高いからなのか、イソスタに並ぶ他の写真と見比べてもそれほど違和感が無かった。
「キレイな字だね。いいなぁ」と虹夏さん達が欲しがるくらいにはキラキラに誇張されていた。
「そうだ。じゃあこの只の結束バンドにサインをしよう。650円で」
「リョウ先輩のサインなら安い! 買います!」
「いやいやそれ、意味ないから……」
喜多ちゃんはならばと思いついたように提案する。
「結束バンドのファンゼロ号。桐山零先生のサイングッズ。これは爆発的に売れること間違いなしですよ!」
「えっ、ボクのサイン?」
「だって零先輩、この前の対局だってOH! TUBEの生放送、リアルタイムで1万人は視聴者いましたし。新人王のときはテレビ放送もしてたじゃないですか」
去年の新人王の記念対局。喜多ちゃんも見てたんだ。
でもあれは、宗谷名人の人気が凄いからだしな……。
「リアルタイムで1万人……。動画投稿してるだけの私がライブ配信しても絶対に1000人も来ないよね……アイデンティティが私のアイデンティティが」
話を聞いていたひとりちゃんは原因は分からないが潰れそうになっていた。
「ちょっと待った! それは認めません。あくまで零くんはファンなんだから。私たちだけの力で成長していかないと」
虹夏さん……。
ボクは虹夏の言葉に感心していた。
星歌さん。虹夏さん達はきっと大丈夫です。
ボクの資金なんか無くても、絶対にバンドを成長させていきますよ。
「虹夏の言う通り。それにガールズバンドに男の影があったらそれは破滅の予兆になる」
「確かにそういう話もあるけど。零くんなら大丈夫だよ」
「いや、この世に絶対はない。ちょっと二人来て」
そうして喜多ちゃんとボクは呼び出され。
「わっ」「きゃっ」
無理やり僕たちはくっつけられ、ツーショト写真をリョウさんに撮影される。
「ぼっち、これを見たまえ」
「うっ、この写真は……、この天元突破な陽キャ力は……、呪いが、呪いの呪詛が……、ロックバンドに煌めきなんて不要なんだ。この不条理な社会に一石を投じてこそロックな……」
ひとりちゃんは呻くように、呪文を唱えていた。
「うん、わかった。わかったから、ぼっちちゃん戻ってきてー。やっぱり零くんの力はお休みってことで。でも零くんは大丈夫だと思うんだけどなぁ」
虹夏さんはこっちを向いて、屈託のない笑顔を振りまく。
そもそもの彼女との出会いは、ボクが酔いつぶれた時だ。
そして最近、ボクが泣いた時ですら傍にいたのは彼女だった。
いつだってボクのダメなところを見せてしまっているから。
多分、ボクは手のかかる弟みたいに思われてるんだろうな。
目を合わせるのはバツが悪く、そして少し自分が情けなくなった。
「でも喜多ちゃんだけズルいよ零くん。私たちの分の揮毫は無理なの?」
「えっ」
突然の虹夏さんのお願いに戸惑っていると、
「そう私にも書くべき」
リョウさんも乗っかり、
「あ、あっ、わ、私も零さんのサイン欲しいかも……」
ひとりちゃんまで!?
揮毫ならいいのかな?
ボクは先程の星歌さんの警告を気にしていた。
「喜多ちゃんのはイベントで書いたものだし。じゃあ、みんなが夏のライブを成功させたらプレゼントするのはどうかな?」
「本当に? ダメ元だったのに、零くんいいの?」
「はい。でもプライベートなので。ちゃんとしたのは渡せないけど……」
「いいよいいよ! よーし俄然やる気が出てきたよ」
別にそんなご
喜多ちゃんのギターだって、一度は挫折してたし。
「伊地知先輩、ちょっと待ってください! 私気づいてしまったんです」
「なになに。どうしたのかね、喜多博士」
喜多ちゃんはかけてもない眼鏡をクイッとさせるポーズをする。
「桐山先生って実は六段に昇段されてから公式のイベントに一度も参加してないんですよ。しかも私の知る限り、近々の参加予定も無いんです。つまり、つまりですよ。もしこのまま桐山先生が昇段なんてしたら。私たちだけが桐山”六段”の揮毫をゲット出来るなんてこともあり得るわけです! これとってもレアですよ!」
「ほう、どれくらいになるの?」
リョウさんも両目を$マークにしながら食いつく。
「大人気なのに学生だから唯でさえ数の少ない桐山先生ですよ。直筆の揮毫なら最低でも1万円はしますし……もしかして物によっては10万円くらいになるかも?」
喜多ちゃんの一言で『STARRY』中に衝撃が走った。
左右を見渡すとスタッフさん達も話を聞いていたのか凄い形相をしている。
そして結束バンドの面々は、各々の妄想を膨らませているようだ。
「よーしみんな! 夏のライブ絶対成功させるよ、頑張るぞー」
「「「「おおおおー!」」」」
虹夏さんの掛け声に呼応する結束バンド。
未だかつて無い結束力をボクは見たのだった。
うん。皆の役に立つなら何でもいいか。
ボクは考えることを放棄したのだった。
◇ ◇ ◇
翌日の夜。
『桐山零様 突然のお願いとなり大変申し訳ありませんが、明日、私は風邪を引くため、バイトを代わっていただけないでしょうか。この度の不始末はギターを担保に工面致します。何卒よろしくお願い申し上げます』
ビジネスライクなメッセージがひとりちゃんから届く。
ひとりちゃん、風邪引いちゃったのかな?
それにしては風邪を引くのが”未来のこと”で不思議な文面だけど。
それも風邪が原因だろうと自分を納得させる。
でもゴメンね。明日はボク、対局があるんだ……。
その旨を彼女に返信する。
すると即座に既読が付き、
『終わった。。。』
なにやら不穏なメッセージが届いた。
『風邪引いたなら無理しちゃダメだよ。虹夏さんにはボクから連絡しておくから安静にしてね』
ボクは返信する。
一分ほど経過し、ひとりちゃんからまずは長文の謝罪文が。
次に虹夏さんには黙ってて下さいと口止め依頼のメッセージが届いた。
黙っておくのはいいけど……。
でも風邪は引き始めが肝心とも言うし、無理はよくないと思うのだけど。
念のため喜多ちゃんに『明日ひとりちゃんの調子が悪そうだったら無理させないで』とお願いする。
『任せてください!』と相変わらず頼りになる返信をボクは受け取りつつ、最近の喜多ちゃん、お守り役が板に付いてきたなと思うのだった。