プロ棋士の桐山くんは伊地知姉妹に拾われました 作:あまざらし
ひとりちゃん達の初バイトの日。
『先輩、今何処でしょうか? 助けてください! 後藤さんが、後藤さんが大変なんです!』
時刻は22時半を回っている。
対局帰り。ボクは最寄り駅である下北沢駅の改札を急いで通る。
深夜の駅は人もまばら。
急ぎ足で帰宅する背広姿のサラリーマン。
ほろ酔い気分で駅を歩く大学生。
喜多ちゃんからの緊急の連絡を受けたボクは、駅構内を捜索していた。
「零先輩! こっちです!」
ボクを呼ぶ声がする先ではジャージ姿で辛そうに俯くピンク髪の女性と、その子を心配そうに看病する赤髪の女の子が。
ひとりちゃんと、喜多ちゃんがいた。
話を聞くと、二人の初バイトは多少のハプニングがありつつも無事に終了したようだ。
問題はその帰り道。
ひとりちゃんの体調が急変したらしい。
「喜多ちゃん。虹夏さんには連絡した?」
「はい、でも伊地知先輩もう寝てるのか反応はなくて……」
既に深夜帯だ。
虹夏さん達は、早めに休んでしまったのかもしれない。
喜多ちゃんは持ち前の運動能力で、何とかひとりちゃんを休める場所まで運び出したはいいが、既に夜も遅く。
その後、共通の知り合いに片っ端から連絡するも、運の悪いことに反応したのはボク一人だけだったらしい。
ボクは息を整えつつベンチに腰掛け、ひとりちゃんを観察する。
浅く早い呼吸音。寒そうに小刻みに震える体。
薄っすら滲ませる額の汗。
そしておでこを手に当てると、ボクの額よりも数段高い熱……。
典型的な風邪の症状。
意識はあるから重症ではなさそうだけど。
やっぱり無理が祟ったのかな。
でも、この時間だと普通の病院はやってないだろうし。
「ひとりちゃん。今日はもう遅いから、いったんボクの家で休んでもらってもいい?」
苦しそうなひとりちゃんに問いかける。
普段だと彼女は、即座に目を逸らす。
だが今はそれすら出来ないほど辛そうだ。
「れ、れいさん? で、でもそれは……申し訳なく……」
「気にしなくていいから。解熱剤を飲んで、水分補給して安静にしようか。ボクが居て気が休めないなら、ボクは何処かホテルにでも泊まるから心配しないで」
「零先輩、私も心配ですから付き添います! ほら週末で明日は学校もお休みですから……それに桐山先生のご自宅ってどんな所か気になりますし」
「え、親御さんは? 心配しない?」
「問題ありません! 友達の家に泊まるって連絡したら許可が降りましたから」
そう言って僅かに目線を逸らす喜多ちゃん。
本当なのかな……。
何となく全てが真実ではなさそうな気がした。
ボクが怪しんでいると、「ははは……」と乾いた笑いで喜多ちゃんは誤魔化そうとする。
でも、今、喜多ちゃんが一緒にいてくれるのは凄い頼りになるし。
ひとりちゃんも安心できるだろうから。
仮に喜多ちゃんが怒られたら、事情を説明してボクも一緒に謝るしか無いか。
「わかった。じゃあ喜多ちゃんもお願いしていいかな」
「はい、任せて下さい!」
バイト疲れを全く感じさせない”キタ~ン”とした表情で喜多ちゃんはガッツポーズする。
「じゃあ、ちょっとごめんね」
ひとりちゃんを背負い、喜多ちゃんとボクの自宅へ向かった。
◇ ◇ ◇
そして僕らは10分もかからず帰宅する。
ボクの部屋は相変わらず殺風景だ。
すぐにだだっ広い部屋に新品の布団を敷く。そして、喜多ちゃんの手も借りつつ、ひとりちゃんを横に寝かせ安静にさせた。
まさか二海堂から先週届いた、引っ越し祝いの無駄にふかふかな布団がすぐに役立つとは……。
アイツもたまには役に立つな……。
ボクは二海堂を久々に褒め称えた。
帰り道、『STARRY』の側に立ち寄ったが、案の定マンションの明かりは消えていて。
虹夏さん達はもう寝ていそうだし。
わざわざ起こすのは心苦しい。
「喜多ちゃん?」
ボクの部屋を見渡していた喜多ちゃんは、どこか愕然とした表情で立ちすくんでいた。
「えっ、あ、そっか……先輩は男の子ですもんね。化粧品とか無いわよね。一応予備はあるけど、足りるかしら」
ボクの言葉に”はっ”っとして、きょろきょろと部屋を移動する喜多ちゃんは、色々と物入りそうだ。
「ごめんね。ボクの部屋って全然物がなくて……後で足りない物とかコンビニでよければ買いに行こうか?」
「そんな私のことは気にしないで下さい! でも今度、色々プレゼントしますね! やっぱりイソスタだと食器は重要なんですよね」
ハイテンションで喜多ちゃんは、次々と呪文のような商品紹介をする。
どこか空回り気味な彼女の話を軽く聞きつつ、ボクは今後やるべき行動を頭の中で整理していた。
まず最優先は、ひとりちゃんのご両親に風邪のこと連絡しないと……。
「喜多ちゃん。ひとりちゃんのご自宅の連絡先って知ってる? お家の人に事情を説明したいんだけど」
「うーん、流石に私もご自宅までは……」
と、悩みつつも何か閃いた喜多ちゃんはひとりちゃんに寄り添う。
「ねぇ、後藤さん、ちょっと顔向けてもらっていい? うん、ありがとね」
流れるように喜多ちゃんは、顔認証でひとりちゃんのスマホのロック解除をするのだった。
「先輩、きっとここです!」
そして『自宅』と書かれたスマホ画面を誇らしげに見せる喜多ちゃん。
うん、今は緊急事態だから……。
ボクは彼女に感謝し、連絡を優先させるのであった。
「夜分遅くにすみません。後藤ひとりさんのご自宅でしょうか」
「はい。ひとりはうちの娘ですが……」
「ひとりさんの友人の桐山という者でして」
「えっと……新手の詐欺でしょうか? ひとりちゃんにそんな、友達だなんて……」
まだ友人と名乗っただけなんですけど……。
この段階で、詐欺を疑うようなやり取りあったかな?
「えっと、ひとりちゃんのお母様ですよね。実はひとりちゃんが本日出勤したバイトの後、高熱を出して倒れてしまって……」
「まぁ、確かに昨日もあの子、変なことしてたから。えっ、少々お待ち下さいね。今代わります」
そして、入れ替わるようにひとりちゃんのお父さんが電話口に出る。
「ウチの娘の命だけはどうか! お金なら幾らか用意するので……どうか命だけはお願いします!」
「いやだから、友達なんですって!」
ボクは誘拐犯じゃないことを必死に弁明し、風邪を引いたひとりちゃんの状況を説明したのだった。
「ウチの娘が大変申し訳ない。今から桐山さんのご自宅に伺い、すぐ受け取りに参りますので」
そんな郵便物を取りに行くみたいな表現しなくても……。
先程までの娘の愛情は何処へやら。
受け取り忘れの荷物を、コンビニで受け取りするようなテンションでお父さんは平謝りする。
結局、車で1時間ほど費やし、ひとりちゃんのお父さんはボクの自宅へ迎えに来たのだった。
そして現在、なぜかボクと喜多ちゃんも車に乗り後藤家へ向かっている。
「先輩! 後藤さんの家ってどんなところなのかしら。楽しみですね!」
「う、うん。でも流石に悪いんじゃ……」
「そんな桐山くん、いつでも大歓迎だよ! 感動だなぁ。ひとりにまさか、こんな親切なお友達がいるだなんて……」
隣で運転しているひとりちゃんのお父さんは、うるっと目に涙を溜め、直ぐにでも泣き出しそうな雰囲気だ。
あの……でも今は運転中なので、出来れば泣くのはご勘弁を。
それに、横になってるあなたの娘さん。
車が揺れる度に辛そうになっているのですが……。
大丈夫なのかな?
一応解熱剤は飲んだから楽になってるはずだけど。
ボクが助手席に。そして後部座席には、喜多ちゃんの膝枕で横になっているひとりちゃん。
涙で運転が安定しないせいなのか、ひとりちゃんから「酔いそう……」とうわ言が聞こえたような気がしたのだった。
◇ ◇ ◇
僕たちが後藤家に到着する頃には、とうに日付は変わっていた。
そして現在、ひとりちゃんはやっと自室に戻れて、安静にしてぐったりと眠っているようだ。
一方の喜多ちゃんは真夜中とは思えないテンションで、ひとりママとの着せ替えショーを繰り広げていた。
「せ、先輩。これどうですかね?」
「喜多ちゃんもう深夜1時なのに元気だよね。でも、すごく可愛いくて、いいと思うよ」
「やった! じゃあこれにしますね。ママさん~! 私これにします!」
淡い桃色でゆったりとしたルームウェアを着こなす喜多ちゃんはとても似合っていたし、ひとりママとの仲も良好そうで。まるで本当の親子のようだった。
それでも、もうだいぶ遅い時間だ。
祭りに終わりがあるように、突如、慣れきった一人だけの静けさが戻る。
後は寝るだけとなったボクは、空いている客間に案内された。
喜多ちゃんはひとりママと同じ部屋で寝るとのことだ。
すぐには眠れないボクは、客間で仰向けになって一人知らない天井を見つめていた。
そんな時、”トントン”っとノック音が聞こえる。
誰だろう?
「はい、どうぞ」
「来ちゃいました先輩。なんか今日、修学旅行みたいでワクワクしません?」
「喜多ちゃん、ひとりママのところで寝るって言ってなかった?」
「そ、そうなんですけど。なんか寝れなくって。ちょっとだけお話しましょうよ! ダメですかね?」
「いや大丈夫だよ。ボクもしばらく眠れそうになくて。少し分かるから」
そして僕らは寝静まった家のリビングに移動してソファーに腰掛る。
間接照明だけの薄暗い部屋。ボクの隣に座る喜多ちゃんは見たことのない表情をしていた。
彼女は少し虚ろな目をしていて、だからか無言の間がやけに長く感じた。
「そうかなって思ってたんですが、先輩って一人暮らしだったんですね」
「え?」
「あ、その、私って先生の大ファンですから。そういう情報も知っていて……」
遠慮がちに話す喜多ちゃん。
その言葉でボクの境遇を彼女に知られていたことを察した。
ボクの境遇はプロ入り当時、幾つかの記事で取り上げられたこともあった。
会長が手を回して報道自体は無くなったが、今でもボクのことを調べれば知ることはさほど難しくないだろう。
「そっか喜多ちゃんは知ってたんだね。うん、去年までは師匠の所でお世話になってたけど今は一人暮らしだね」
喜多ちゃんは笑うでもなく、泣くでもなく。
複雑な感情を受け入れられないように無表情だった。
「先輩は……やっぱり”特別”なんですね」
「特別?」
「そうです。憧れるほど凄くて、特別なんです」
言葉の意味とは裏腹に、その時の彼女の横顔はどこか悲しみを孕んだ感情が宿っているように思えた。
「よく分からないけど」
「ええ、多分それでいいんだと思います」
ボクは彼女の言葉の意味を探っていると、
「しんみりさせちゃいましたね」と彼女は謝りこちらを向く。
そして次の瞬間には、いつもの彼女らしい満面の笑みを見せる。
それからの彼女は学校のことや、気になっているお店のこと、ボクの知らないバンド活動のことなど話題を絶やさず、そして笑顔も絶やさずお話する。
「そういえば私、先輩に感謝しないといけないんでした」
突然思い出した顔をする喜多ちゃん。
なんのことだろう。
「今日は喜多ちゃんのフォローがあったから。ボクの方が感謝したいくらいだけど……」
「あ、そういうことじゃなくて。今更ですけど、あのギターの件。逃げ出す寸前だった私を助けてくれたじゃないですか」
ああ、あの件……。
「今の私って結束バンドに入って、後藤さんとも出会えて、先輩とも仲良くなれて。とっても幸せなんです。まるで夢のように。だからその、感謝したくて……ありがとうございますね」
「そっか、それはボクも良かったよ」
でもね、喜多ちゃん。
目を閉じて幸せそうな彼女を見てボクは思ったんだ。
ボクも同じなんだ。
キミはボクと違っていつも輝いていて。
ボクに甘すぎるほど優しいし、失敗しても励ましてくれる。
大ファンってことも、今でも不思議なくらいだけど。
だから、
「ボクの方こそ。いつもありがとね喜多ちゃん」
ボクの言葉に彼女からの反応は無い。
数秒後にコトンと左肩が軽くぶつかり、そして温かな体温が伝わる。
喜多ちゃん寝ちゃったのか。
そうだよね。
学校に行って、バイト勤めもして、ひとりちゃんの看病もして。
とっても忙しかったんだから。
ボクは彼女を起こさないように注意しながら掛布団を取りに戻る。
ソファーで静かに眠る喜多ちゃんは小さくて可愛らしくて。何処からあの活力が生まれるのか分からなくて。
”どうか風邪は引かぬように”、と願ってボクは彼女に布団を被せる。
「今日はありがとね。おやすみなさい喜多ちゃん」
そして、ボクは一人眠りに付いた。
実はリョウが医者の家のお嬢様という事実を桐山くんはまだ知らない。
設定変えたせいで喜多ちゃん想像以上のヒロイン力で困惑する。