プロ棋士の桐山くんは伊地知姉妹に拾われました 作:あまざらし
『お兄ちゃん! 起きて!』
長野に住んでいた頃の日曜の朝。
家族一緒に寝ていたはずの妹の”ちひろ”がボクの肩を揺らす。
瞼を開けると、珍しく休日の両親はまだ深い息で眠っていた。
居間に移動すると妹の好きなアニメ放送が終わり、暇になって遊び相手を探しに来たようだ。
気まぐれで飽き性で、毎日興味が目移りする妹にボクは振り回されてばかりで。
そんな昔は当たり前だった休日の一コマ。
ああ、また夢だ。
どうしてこんな懐かしい夢を見るんだろう……。
「お兄ちゃん、起きて! もうすぐご飯だって」
後藤家に厄介になって、一夜を明かし。
体の揺れを感じて目を覚ますと、亡くなった妹みたいな小さな女の子が目の前に現れた。
「ちひろ?」
「ちひろじゃないよ、”ふたり”だよ。この子は”ジミヘン”」
「ワン!」
眼鏡を掛けて、焦点を合わせる。
目を凝らすと、そこには”ひとりちゃん”そっくりの小さな女の子と、お供の犬が横にいて、ボクに朝を告げるのだった。
後藤家の朝は賑やかだ。
今日の朝食はひとりパパが担当している。手伝いを頑なに拒否されボクはソファーに腰掛けていた。
ソファーの右側にボクが、左側には喜多ちゃんが、そして真ん中にひとりちゃんの妹の”ふたりちゃん”が座っている。
ボクの隣に座っている二人はいつの間にか仲良しになっていた。
朝から驚くほど元気な喜多ちゃんとふたりちゃんは、女の子らしい会話で盛り上がっている。
「ねぇお兄ちゃん。本当にお兄ちゃんもお姉ちゃんのお友達なの?」
「そうだよ。それにお姉ちゃんのバンドのファンでもあるんだ」
「え~、ウソだぁ。だって今までお姉ちゃん、お友達なんて誰も連れてこなかったんだよ」
あまりにストレートなふたりちゃんの物言いにボクは驚く。
思い返せば、昨日のひとりパパとママの反応から予想はしてたけれど。
ひとりちゃんの後藤家での心象は、だいぶ辛辣のようだった。
「先輩、ふたりちゃん姉思いで可愛いですね」
「うん、とっても可愛いね」
どの辺りが姉思いなのかは分からないがボクは同意する。
「えへへっ、えい!」
その発言を聞いたふたりちゃんは、気まぐれな猫のようにボクの膝の上に飛び乗って座り込んだ。
「こらっふたり、行儀悪いから止めなさい。桐山くんごめんなさいね」
「いえボクは全然。ふたりちゃんは何が食べたいの?」
「えっとねー、卵焼きっ!」
「わかった、卵焼きだね」
どうしてこの家はこんなに落ち着くんだろう。
ふたりちゃんの食べ物を取り分けながら、ボクはこの酷く懐かしい雰囲気に流されそうになってしまって。
「せ、先輩、では私が先輩の分を取りますので! 何がご所望でしょうか」
「あ、ありがとう。えっと……」
でも喜多ちゃんの普段どおりの発言で、すぐに現実に引き戻されたのだった。
◇ ◇ ◇
「お母さん、ご飯はー」
朝食を終え、食後のコーヒーをいただいてる時。
風邪の症状から回復したのか、ひとりちゃんが元気な姿でいつものジャージを着て居間に降りてきた。
「後藤さん元気になったのね!」
「よかったね。ひとりちゃんおはよう」
僕たちの挨拶に生返事をするひとりちゃん。
しばらくの沈黙の後、
「えっ、え、え、え、な、なんで。えっ?」
ひとりちゃんは僕たちを見て混乱する。
風邪でひとりちゃんの記憶は曖昧だったのだろうか。
喜多ちゃんから、事細かにこれまでの説明を受けている。
時より顔色を青くしたり、赤くしたり色々な表情を見せ、最後には全てを思い出したひとりちゃん。
迷うこと無く僕たちに土下座したのだった。
「もうそんな気にしなくていいわよ。ですよねっ零先輩!」
「うん。症状が軽くて良かったね」
「あ、そうだ。もうこんな時間に! あの、すみません! テレビお借りしても良いですか?」
「勿論よ、喜多ちゃん。好きに使ってちょうだいね」
「ありがとうございますママさん! 後藤さんも一緒に見ましょ! 今日は大注目で見逃せないんだから」
了承を得た喜多ちゃんは、何か張り切っているようだ。
ん?
大注目?
テレビのチャンネルが変わり、画面にはタイミングよく番組の切り替わったことを告げる和風の音楽とタイトルコールが流れる。
「MHK杯テレビ将棋トーナメント1回戦」
「本日の対局者は、昨年の新人王、”桐山零六段”と……」
って、今日の放送ってボクの対局の日だったの!!
「れ、零さんだ!」「お兄ちゃんだぁ!」
帰っちゃダメかな……。
妙に居心地が悪く、少し耳が熱くなるボクを他所に盛り上がる後藤家の子どもたち。
「桐山くん? なんで桐山くんがテレビに出てるの?」
「き、桐山くんって、あ、あの!? よく見たら本物だ!? す、凄い。ひとりは”あの”桐山くんと友達だったのか!」
困惑するひとりママと、興奮気味のひとりパパが居るのだった。
「本日の解説役はこの方、『二海堂晴信四段』です!」
「よろしくお願いします」
あの日の収録はイマイチ覚えていない。
そういえば解説役が二海堂だったことを思い出して、既にボクは嫌な予感しかしなかった。
「なんかあの人、”ボドロ”みたいだね!」
「え? ボドロ?」
ふたりちゃんは、意外にも二海堂の風体に興味津々の様子だ。
ボドロってあの国民的人気アニメ映画のまんまるした森に住む知的生命体だよね。
昔ボクも家族で見たことはあった。
言われてみれば、ふっくらした体格は似ているような気はする。
「知らないの?」
「知ってる知ってる。ふたりちゃんは、”ボドロ”好き?」
「うん、好きー」
純粋な笑顔でそう言われるとボクは何も答えることは出来ず。
どうしてだかボクはアイツに敗北した気分に陥り、テレビの音や周りのボクを応援する歓声が一瞬、遠のいた。
視線をテレビに戻し、対局はまだ序盤。
だが、ボクが飛車を振ったところで二海堂の様子が一変する。
「あぁあああ、俺が解説の日に振りやがったな! テレビ放送だからってカッコつけんな桐山ァ!!」
「二海堂先生! そんな大声上げても対局者には聞こえてませんから」
「いいか桐山! それでも俺が認めた”
「二海堂四段! 落ち着いて下さい!」
自分勝手な二海堂の物言いにボクはイラッとした。
「うるさいな二海堂っ! だいたいボクはオールラウンダーなんだよ! いいからこの後の候補手を解説しろよ。お前だって仕事放棄してるじゃないか! プロとして、ちゃんと仕事しろよ!」
「えっ、桐山先生が怒鳴ってるなんて。でも珍しくて素敵ですっ」
「まぁ、おとなしいと思ってたけど、やっぱり男の子なのね」
「うんうん、これも青春ってやつだよねぇ、ロックだよねぇー」
「あっ……」
周りの反応にボクは”はっ”として、すぐソファーに座る。
隣に目を向けると、ひとりちゃんは小刻みに震えている様子。
もしかして怖がらせてしまったのだろうか。
「あ、あの、ごめんね。ひとりちゃん。いきなり大声出して……」
そして突然、”ひとりちゃん”は立ち上がり、
「──れ、零さんの”ウソつき!”」
普段出さない、かすれた声で叫び、居間から逃げるように彼女は飛び出す。
『ウソつき!?』
何のこと?
拒絶のショックだろうか。
ボクは呆然とし、魂が抜け落ちた。
「せ、先輩が後藤さんみたいに! 戻ってきて下さい。先輩!」
「はっ」
喜多ちゃんの声で何とか意識を取り戻す。
だがまだ後遺症が残っているのか、思考がぼんやりする。
それにしても一体なぜ?
”心当たりが全くない”
「私にもよく分からないのですが……先輩、後藤さんを頼みますね!」
「き、喜多ちゃん。ありがとう。ひとりちゃんの様子を見てくるよ」
でも手がかりもないし、喜多ちゃんの助けも借りたい所だ。
「私はまだテレビで桐山先生の対局を応援しないといけないので!」
「えっ?」
そう言葉を残し、即座にテレビにかじりつく喜多ちゃん。
彼女の行動は、『プロ棋士桐山零』のファンとしては鑑なのだけど……。ボクは思わず呆気に取られてしまうのだった。
ひとりママから「多分、自分の部屋に籠もっていると思うわ」と言われ、ボクは彼女の部屋をノックする。
しかし反応がなかった。
「ひとりちゃん、入るね」
一言注意して部屋に入るが、そこには誰もいない。
別の部屋に居るのかと思ったが、耳を澄ますと押入れから何か声が聞こえる。
あの中にいるのかな?
「ウソつき……やっぱり居るんだ。でも考えたら分かること。プロの人に居ないわけないんだ。ダメなのは、いつだって私だけ……。私、なんであんな叫んじゃったんだろ……。どうしよう、もう……」
押し入れから微かに聞こえる彼女の声。
ボクは押し入れに近づき、彼女との対話を試みる。
「ひとりちゃん。よかったらお話出来ないかな」
「む、む、む、む、無理です」
断りの言葉は返してくれるみたいだ。
「その、ひとりちゃんが何に怒っているのか。よく分からなくて。良かったらそれだけでも教えてくれないかな?」
押入れから返答はない。
馴染みある和室の畳に正座して、それから数分は経過しただろうか。
押し入れからは音は聞こえなかった。
ふと部屋を見ると、物が少なくて自分の家みたいだなと感想を抱きながら、ボクは動かず彼女の反応を待っていた。
そして長い沈黙を破り、ひとりちゃんは押入れの襖を少し空ける。
ボクの様子を窺うように、ちょこっと顔を出し、目を合わせてくれるのだった。
「あ、あ、あの人……”親友”って言ってました」
「親友?」
「零さん。虹夏ちゃんや私たち以外、友達居ないって言ってたから。その……」
だからボクが”ウソを付いた”と思ったと。
でもひとりちゃん。
それは違う。
「違うよ。アイツは”親友”なんかじゃない」
「えっ」
ボクの声色で苛立ちが伝わってしまったのだろうか。
驚いたように目を見開くひとりちゃん。
気づけば押入れの襖は空いており、彼女はのそっと押入れから出て、体育座りをしている。
「ほらいないかな? 目が会った瞬間に今日から俺たち”友達だ”って言うタイプの人。アイツは多分そんな感じなんだと思う」
「あっ……確かに。でもそういう人って知らぬ間に私の傍から居なくなるんですよね。すぐ他の友達の所に行くから。だからあの手の人は一瞬でも気を許したら最後……」
なにかトラウマスイッチが入ってしまったらしい。
「ひ、ひとりちゃん?」
「はっ、はい。す、すみません。……じゃ、じゃあ、零さんにとって”あの人”ってどういった関係なんですか?」
ボクを見るひとりちゃんは興味のような、不安のような。
なんとも言えない様子だ。
「アイツは腐れ縁で。上手く言えないけど、多分その……将棋の”ライバル”だよ」
ボクは少し照れくささを感じつつ、彼女にそう告げたのだった。
「ライバル!?」
直後、ひとりちゃんの大きな声が部屋に響く。
「ライバルって最初は敵対心剥き出しだけど、さらなる強大な敵に立ち向かう時に、ちゃっかり主人公の元に駆けつけて助ける。あの”ライバル”!? そ、それはそれでダメだ! だって今は結束バンドのファンが1人増えてこれからだぜ! って時。このままでは次の敵を倒すため、『オレはコイツ(ライバル)と旅に出るんだ!』って零さんが旅立ってしまう……そうなったらファン0人に逆戻り。結束バンドは解散して、私は再びぼっち生活に……」
ひとりちゃんのボヤキが始まった……
彼女の地雷をまた踏んでしまったのだろうか。
「あ、あの零さん。ちなみにもう”あの人”と戦ったりは……」
「うん先月、対局したよ」
「もう手遅れ!」
「なにが!?」
結局ひとりちゃんを元に戻す頃には、ボクの対局の放送は終わっていたのだった。
◇ ◇ ◇
夕方、僕たちは後藤家の玄関でお別れの挨拶をしていた。
「お兄ちゃんと喜多ちゃんもう帰っちゃうの?」
「うん、今日は遊んでくれてありがとね」
「うっ、やっぱり私ここに住みます!」
ただ喜多ちゃんは、ふたりちゃんの可愛さにノックダウン寸前のようで。
「ふたりが知らない間にあんなに仲良く……このままでは私の立場が……」
そしてひとりちゃんも別の意味でノックダウンしそうになっていた。
「喜多ちゃん、冗談言ってないで皆に迷惑だから帰ろうか」
だけどそんなボクの言葉に、後藤家の皆がすかさず反応するんだ。
「そんな迷惑だなんて。零くんも喜多ちゃんもまた来てね」
「そうそう。零くんは今度ふたりに将棋の英才教育してくれる約束だろ」
その温かい言葉が愛おしくて。
「お兄ちゃん、喜多ちゃん。また今度、遊びに来てくれる?」
「ふたりちゃん絶対行くわね! ね、先輩。また来ましょう」
「うん、また来るね。ふたりちゃん。今度は将棋盤を持っていくから」
「零さん達がまた家に来てくれる? じゃ、じゃあ、あれですかね。”また明日”ってヤツですかね?」
「ご、ごめん、ひとりちゃん。明日は……ちょっと厳しいかな?」
ニヤケ顔の彼女に申し訳ないけど断りを入れる。電車で片道2時間はね……。
でもボクはそんな、玄関で手を振り別れた4人の姿が愛おしくて。
「先輩、後藤さんの家ってあの辺りですかね?」
帰りの電車の中、楽しかった思い出語りのように喜多ちゃんが指差す先の景色をボクは眺めようとすると、
西日が差し込んでいるからだろうか。
陽の光が眩しくて、視界が歪み、ボクはその方角を直視出来なかったんだ。
前話の続き。元々はどちらも書く予定じゃなかったお話。
でも色んな人と関わる方が楽しめるかなと思い、書いてしまう。
さて、そろそろ虹夏ちゃんの出番を……