プロ棋士の桐山くんは伊地知姉妹に拾われました 作:あまざらし
6月上旬の土曜日。その日は夕方から生憎の雨模様で。
例年より低い気温のはずが、ジメッとしていて蒸し暑い日だった。
「オーディション?」
「そうだよ! お姉ちゃん意地悪なんだから」
「虹夏、またその話かよ……」
夕げ時、虹夏さんは普段と違って不貞腐れていた。
虹夏さんの誕生日を疑惑のサプライズでお祝いして、これからも仲睦まじい姉妹が続くのかと思っていた。
そんな矢先、まさか一週間も経たずに、こんなに予想外に重苦しい食卓が出来上がるとは……。
詳細を聞くと、めでたいことに”結束バンド”の新曲が完成し、星歌さんにライブ参加依頼をしたことがきっかけとなった。
星歌さんは前回のライブの演奏だと、”結束バンド”は次のライブには出せないから、今度のオーディションで実力を見せろと課題を提示してきたらしい。
だから虹夏さんたちは来週、新曲をオーディションで披露するようだ。
そっか、前回の実力だと厳しいんだ。
ボクは改めて音楽活動、そしてバンド活動の厳しさを知った。
「でも星歌さんの言うことも一理あるかも」
「えっ、零くんまで……ショックだよ」
「あっ……ご、ごめん」
虹夏さんは思わぬ敵が増えてしまったと少し悲しんでいる。
自分の中に潜む冷徹な部分が垣間見えたようで。
両手で持っていたコップの水を飲んで、思わずため息をついた。
「ほう、桐山も案外分かってるじゃん。少しコレをやろう」
一方でボクにおかずを分けてくれる星歌さん。
って、星歌さん。その照り焼き、ボクが作ったやつなんですけど!
ちょっと味付け甘かったかな……。
でもライブハウスだって”慈善活動”ではないのだ。
箱の基準に満たない。
そう判断したなら、店長としてそのバンドをライブに参加させないことは当然の判断だ。
だから星歌さんがもし結束バンドを現時点で”そう”判断していたのなら。その道のプロとしてきっと正しい評価なのだろう。
でも、
「虹夏さん。結束バンドの皆なら、オーディションもきっと大丈夫だよ」
ボクの強めの言葉に、虹夏さんは嬉しそうな反応をしてくれるけど、それでも少しまだ不安の余韻もあって。ちょっとでも自信を持って欲しくて、ボクは続ける。
「だってこの前のライブ。皆は数週間であんなに成長していたんだから」
だからボクは強く信じて疑わない。
あの頃よりも、更に成長している”結束バンド”を見せてくれることは。
ならば後は”ファン”として祈るだけなんだ。
どうか彼女たちが、合格の基準に到達していますようにと。
彼女らを信じることしか出来ない、己の無力さに箸を握る力が強まる。
そしてボクは、同時に思い出す。
プロ棋士になるために身を置いていた奨励会の世界を。
努力や才能、その他全てを引っくるめて”将棋の強さ”ただ一点で競うあの熾烈な世界のことを。
いろんな記憶が錯綜する。
数多の少年少女が挫折する姿や。
そんな人達をボクはただ、見届けることしか出来なかったこと。
何より惜しくも棋士になる道を自ら諦めた”香子さん”のことを。
彼女が奨励会を退会する直前、鬼気迫る表情でボクと最後に対局した時、
彼女の”詰みまで届け”と念を込めるように、力強く駒を打ち付け響かせたあの音を、
ボクは思い出していたんだ。
◇ ◇ ◇
オーディションまで各々が不安な気持ちを抱え、結束バンドの皆は練習に励んでいた。
一方、学校では先月行われた中間テストの結果がまとまり、通知表が渡される。
「零くんってやっぱ頭もいいんだねー」
「今回はなんとかなったみたい。でも、虹夏さんの方が点数いい科目もあるね」
「私はほら、勉強する時間あるからさ」
その言葉はどこか謙遜している気がした。
だって彼女は家事にバンド活動に、更にバイトに日々忙しいのだから。
隣の虹夏さんは全く問題ない優秀な成績で。
そしてボクも対局で欠席した1日以外は、さほど問題はなく。
些細な問題があるとするなら、
テスト返却の日と対局日が被った時に、ボクの答案が模範解答代わりに使われていたらしく、誤答の箇所が少し恥ずかしかったことくらいだろうか。
そして大きな不安があるとするら、
「リョウこれって……」
「いっそ綺麗に揃えた方がロックかと思って」
リョウさんのテスト結果が全ての科目で赤点になっていたことだろうか。
作曲していた時期とテスト期間が一緒だったことも影響しているらしいけど。
何故か猛烈な不安が押し寄せてきて、虹夏さんと一緒に期末テストに向けて対策を練ろうと話し合いになるのだった。
◇ ◇ ◇
”結束バンド”のオーディション当日。
その日、ボクは対局だった。
部外者だったのでオーディションには参加できないし、だから対局の有無なんて関係ないのだけれど。
対局後にスマホを受け取った後の、電源の起動が心なしかいつもより遅く感じた。
ボクがオーディションの”結果”を知ったのは対局後の夜。
将棋会館から出て、足早に駅に向かう途中のことだ。
スマホを起動するとロイン通知が一斉に流れ出し、お昼ごろに『合格』の連絡が結束バンドのメンバー全員からロインで届いていた。
良かった……本当に。
ボクが安心したのも束の間、どうやら皆の本題はその後のようだった。
4人から同時にチケット購入の催促メッセージが届いていたからだ。
えっと……結束感が有るのやら、無いのやら。
ひとまず虹夏さんにどうすべきか相談すると、緊急でメンバー間で話し合いとなり。
話し合いの結果、”ひとりちゃん”にボクのチケットが充てられることとなった。
虹夏さんの言葉を借りるなら「”ぼっちちゃん”とっても頑張ったから!」らしい。
他の思惑もありそうと脳裏に一瞬チラついたボクは、やはり酷いヤツなのかもしれない。
帰りの電車内、突然、”ひとりちゃん”からメッセージが届く。
チケット受け取りの件かと思ったが、悲壮感漂う『やっぱ犬はダメですよね……』というメッセージが。
誤送信なのだろうか?
ふと後藤家の可愛らしい犬”ジミヘン”が思い浮かぶ。
ジミヘンを頭数に入れたらチケットノルマ残り4枚は後藤家のみんなで確かに達成なんだけど……。
まさかと思い直し、ボクは首を横に振り窓の外を眺める。
それでも何故か”ひとりちゃん”の呻くような叫び声の幻聴がボクにも聞こえたような気がしたのだった。
◇ ◇ ◇
22時頃に最寄り駅に着くも、ボクはいつもの帰り道ではなく少し遠回りをしていた。
あてもなく、ただただ思考停止して寄り道をする。
思えばこの一週間は不思議な感覚だった。
言葉にするなら緊張。それも対局では一度も感じたことがないモノをボクは抱え込んでいた。
そこからようやく解放された自分に気づいて。
でも、その残った火照りを冷ますように。
ボクは行く当てもなく歩く。
以前に居座ったことがある公園に偶然たどり着くと。
そこには一人の少女がベンチに腰掛け、夜空を眺めていた。
「え、虹夏さん!?」
「零くん!? ど、どうしているの?」
そ、それはこっちのセリフなんだけど……。
「ちょっと寄り道してて……かな?」
「いや、ビックリだよ」
驚いたのはベンチから立ち上がった虹夏さんも同じようで。
虹夏さんの長い髪が、生ぬるい夏の夜風になびいていた。
「その、虹夏さんは?」
「私はその、ちょっと眠れなくてさ」
そう答えて笑う彼女は、どこか興奮と嬉しさを隠しきれず、いつも以上に目が輝いていた。
「あ、零くんも良かったらこれ付けなよ」
そういって彼女はポケットからスプレーを取り出して、ボクの右腕にかける。
心地よい彼女の香りに紛れ、独特な薬品の臭いが微かにボクの鼻を刺激する。
「これは?」
「虫よけスプレー! もう夏だよねぇ」
虹夏さんの指示に従ってスプレーを浴びながら、ボクは外灯の光に無心で向かう虫たちを見つめる。
「ありがとう。その虹夏さん、改めてオーディションおめでとう」
「ありがとね。でもね、それだけじゃなくてね……」
彼女はどこか勿体ぶるように、言葉を選ぶように続ける。
「”ぼっちちゃん”がね、大活躍だったんだよ」
「ひとりちゃん?」
「うん、詳しくは秘密の約束なんだけどね。期待しててよ、夏のライブ!」
虹夏さんは右手に握りこぶしを作って自信をのぞかせる。
そして、先程と同じように彼女は再び夜空を見上げた。
「私ね、夢があって」
「夢?」
「そう、夢があるんだ」
虹夏さんは記憶を辿るように”夢”のことを話してくれた。
彼女の母が亡くなって、星歌さんがバンドを辞めてまで虹夏さんのために『STARRY』を作ってくれたこと。
だから”夢を諦めた”星歌さんの分まで、結束バンドを人気バンドにしたいこと。
そして『STARRY』を今よりもっと有名にしたいことを。
「だからね。ぼっちちゃんのお陰で私の”夢”にまた一歩、近づいたんだ!」
「そっか」
”ひとりちゃん”そんなに頑張ったんだ。
凄いな……素直に称賛すると共に、先程まで彼女に対して失礼な想像をしていた己を恥じる。
そして何よりボク一人だけが、その場に取り残されたような。
そんな感覚に陥った。
今こうやって”ひとりちゃん”が、虹夏さんに希望の星と称されていて。
リョウさんや喜多ちゃんも、今や結束バンドのメンバーとして欠かせない輝きを放っていて。
じゃあ、ボクはいったい。
キミの夢に、何をしてあげられるのだろう?
音楽の知識もまるで無い。
楽器を弾くことも出来ない。
ただ将棋を指すことしか出来ないボクに。
みんなの成功をただ祈ることしか出来ないボクはいったい。
「零くん?」
「あ、その……ボクは何も出来てないなって。ただ皆を応援することしか出来ないから」
虹夏さんが少し憤るように顔色を変え。
そしてすぐに優しい表情に戻って、首を横に振る。
「そんなことないよ。だって”零くん”なんだよ! 喜多ちゃんを連れ戻したのも、ぼっちちゃんが加入してくれたきっかけも」
でもそれは偶然だよ、というボクの思考を遮るように。
更に虹夏さんは続ける。
「それに零くんが居てくれるとね。私、頑張れる気がするんだ! 零くんは将棋のプロになって、もう私の夢を実現してるみたいでさ……私も負けてられないなって」
「え?」
そして思い出したような表情をして、虹夏さんは手を後ろに回し語りかける。
「そういえば前に零くんを”猫”みたいって言ったの覚えてる?」
不思議だ。
「あれ案外当たってるのかも」
いつもキミの言葉は、ボクの何かを揺り動かす。
「だって、零くんは私に幸せを呼んでくれる”招き猫”みたいなんだもん」
屈託ないの無い笑顔を添えて告げるキミの声。
それ以外の音が消えたように、ボクは幻聴した。
「だからさ。零くんにはね、これからも”結束バンド”のこと側で応援して欲しいな」
「……うん」
キミの言葉に頷き、そしてボクは反芻するんだ。
でも、やっぱりもっとキミの夢の力になりたいなって。
そして”ボクの夢”って何なのだろうと。
その日、見上げた夜空に浮かぶ少し雲のかかった満月は、穏やかな光を纏い、輝く星々に包まれていた。