プロ棋士の桐山くんは伊地知姉妹に拾われました 作:あまざらし
(Side: 幸田香子)
私は将棋の家の子に生まれた。
棋士である父にとって全ての基準は将棋であり、だから娘である私も当然のように駒を持ち、将棋に打ち込むようになった。
歯車が狂い始めたのは、”アイツ”が来てからだ。
家族を失い、居場所も失ったアイツは、父に連れられ狂ったように将棋を指し続けていた。
最初は私も急に出来た、”はじめての弟”みたいに可愛がろうと思っていた。
でも私たちは何かと神経質な年頃だったし、それにアイツは私たち家族とは、常にどこか一線を引いていて。
しかも4つも年上のアタシに、棋力を伸ばし着々と追いて来ていて。
次第に苛立つことが多くなっていった。
当然、私も負けたくないので抗った。
だがその抵抗虚しく、とうとう私はアイツに初めて負けたのだ。
高1の夏のことだ。
「負けたからって手を出すやつがあるか!」
負けた悔しさで咄嗟にアイツの頬を叩いた私は、父にこっ酷く叱られた。
でも、それでも怒りは収まらなかった。
アイツに負けたことが悔しくて、そして何より勝てない己に無性に腹が立った。
だから私はアイツに再戦を申し込んだ。
2週間後に日付を指定して。
再戦までの2週間は今でも振り返っても地獄のようだった。
家でも学校でもどこでも将棋のことだけを考えて。
食事すらまともに喉が通らなくなりそうになって、流石に周りからも心配された。
でもそれほど真剣に打ち込んだのだ。
アイツの癖や傾向を自分なりに分析して、研究して。
その分だけアイツの怖さを知って、でも昔の私より強くなった自信を持てた気がした。
再戦の日。
盤面が複雑になれば、読みが深いアイツを相手取ることは不利だと思った私は、攻めの将棋を選ぶ。
元々そのスタイルが性に合っていたことも起因していた。
中盤で私は果敢に攻めて攻めて、実際いい所までは迫った感触はあった。
でも、アイツは小学生離れした冷静な立ち回りで守りを固め、私の駒を捌き切り、結局敗れてしまった。
この2週間の努力が報われず、自分の意思に反して思わず涙が溢れそうになったその瞬間。
「ここ。負け筋でした」
アイツが指摘したのは、終盤に私が見逃していた手らしい。
アイツが幾らか手を進めて、ようやく私にも勝ち筋が残っていた事を知る。
「いい対局でした。またやりたいです」
お世辞ではないと、すぐわかった。
何故なら盤の向いに座るアイツは、今までで一番楽しそうな顔をしていたのだから。
でも私はこの時、悟ったのだ。
”この世界では一生、私は桐山零に勝てないのだと”
「零。アナタ、将棋以外に趣味はないの?」
「……無いです。ボクには将棋くらいしか」
零は少し考えつつも、暗い顔して他に答えはないと返答する。
「何それ? まあ知っていたけれども。じゃあアナタの家族は?」
「えっ? そうですね。父さんは多趣味だったかも。ちひろ、妹はまだ小さかったから。あと、そうですね。母さんは歌が好きでした」
最後に珍しく微笑んだアイツを見て。
「まあいいわ。じゃあね零」
そう歌ね。
一週間後、私は将棋を捨てた。
捨てようとした。
だが驚いたことに、辞める直前に父から一度引き止められたのだ。
「お前は努力次第ではまだプロになれる可能性がある」と。
昔の自分なら嬉しさで飛び跳ねただろうその言葉を聞いても、今の私には何も響いてこなくて。
破裂しそうで、ぐちゃぐちゃになった感情を押し込めて私は聞き返す。
「ねぇ父さん。なら頑張れば、零にも勝てるの?」と。
その時、曖昧に笑った父の顔は今でもよく夢に出てくる。
結局、父の反対を押し切って、私は”歌の道”に進む。
別にアイツの言葉に流されたわけじゃない。
たまたま駅前で路上ライブしていたバンドマンが、誰にも縛られず歌っている姿を見て、
『荒んだ私でも、歌なら自由になれるかもしれない』
そう思ったから。
結果、私は成功してしまった。
駒を捨てるように、歌手の名を『香子』から『響子』に改めて。
将棋と同じように、多くの人が夢を見ては散りゆく”歌”という分野で頭角を現した。
昨年、デビューした勢いのまま、ストリーミングや配信も波に乗り。
4月に出したアルバムは、2ヶ月経っても常にランキング上位をキープしている。
当然、そのための努力はした。
でも初めからある程度、普通の人より歌は上手かったと思う。
出来るから練習に身が入り、さらに上を求めて上手くなり。
そして答えのない”音楽の世界”に深く潜り込んでしまった。
それを”才能”と言ってしまえばそれまでだ。
それでも時々こうも思うのだ。
望んだ才能を持たず、望まぬ才能を持ってしまった今の私は”何者”なのだろうかと。
高校も途中で辞めバイトと掛け持ちして、通い始めた音楽スクール。
そこは評判も良く、メジャーデビューしていた先輩も過去に在籍していたから私も選んだ。
そんな場所に通う、目標を共にした同期の仲間たちが、私にも昔は居た。
でも最初の一ヶ月で一人辞め。
そして時が過ぎて、また一人、また一人とその道を去って行き。
最初は全てを投げうって同じ道を志していたはずの同士達は数を減らす。
運良く音楽事務所に所属し、そしてデビュー出来た子は私以外にも居た。
だが”売れること”、そして”売れ続けること”は、それ以上に厳しくて。
そして先月、最後の同期が道を閉ざし、気づけば私の周りには”誰も”居なくなっていた。
『ごめんね響子ちゃん。でもね、もうアナタと比較され続けるの辛いの。私はアナタみたいにはなれないから』
辞める直前の同期の言葉を思い出す。
ああ、私にもその気持ちがよく分かる。
こんな今の状況で、時たま私は”アイツ”を思い出すようになった。
今だったら分かってあげられたのだろうか。
父に連れられ、一人寂しく盤に向い続ける”零の気持ち”が。
彼の才能のせいで、周りから人が離れていった時の彼の寂しさが。
でももう、全てが手遅れだ。
私は将棋を離れてしまい、そして零が我が家に帰って来ることなど絶対にないのだから。
今は、次の大型ライブに向けてのプロモーション撮影中。
その束の間の休憩時間に、私はメイク直しをして貰いつつスマホで動画を眺めていた。
オススメに私の曲をカバーしている”芋っぽい服装の女”のサムネイルが表示されている。
顔は写っていないが概要には、学校中で人気者の高校生と書いてあった。
この服装はあえてなのかしら?
再生数だけに惹かれ期待せずに動画を再生すると、いい意味で期待を裏切るギターの表現力。
技術が見た目に似合わずシッカリしていて。
更に年相応の若々しい新しさも感じられて。
その少女の演奏を聞くと、不思議とあの時の将棋盤で向かい合った”零”の顔が浮かぶのであった。
――アカウント名は『ギターヒーロー』
この子と一緒に歌えば、私は何か成長出来ると思って。
何よりも積み上げ抱え込んだ、このドス暗くて重い悩みが晴れるかもしれないと思って。
衝動的に概要欄の連絡先にコンタクトすることにしたのだった。
しかし、一週間経っても、
「なんなのあの芋娘! 全っっ然、返信寄越さないじゃない!!」
あの少女から返信は来なかった。
だが、それから更に一週間ほど時が過ぎて、
『大変光栄なお話をありがとうございます』
返信が来た。
『ですが私は”結束バンドのギタリスト”として生きるため、折角のご指名ですが、辞退させていただきます』
丁寧な断りの返信が。
詳細を聞こうにも、追加の返答はなく。
”結束バンドのギタリスト”って何?
調べると、ケーブルの結束バンドがまずヒットし。
更に調べると、美容系のイソスタアカウントはヒットしたがそれしか出てこない。
ま、体よく断られたってことね。
きっとこれも私への”報い”なのだろう。
あの時に零を叩いた右手の痛みがジリジリと蘇る。
そして私は予定表を見つめる。
明日は、父さんと零の対局日だ。
◇ ◇ ◇
『将棋』は”楽しい”かと問われて。
ボクは『はい』と即答できない。
むしろ苦しいことの方が多いから、『いいえ』なのかもしれない。
でも、確かに楽しかった思い出もあるんだ。
ボクが初めて将棋を楽しいと思ったのは、父がまだ生きていた頃。
幸田師匠が、まだボクの師匠じゃなかった頃。
師匠は時より家に遊びに来て、父と毎回、将棋を指していた。
ある日、病院の急患で外出していた父の代わりに、ボクは師匠と対局してもらった。
当時から運動も苦手で流行りから乗り遅れていたボクは、周りの同級生の会話に参加することは出来なくて。彼らの会話が異国語に思えて。
でも、初めて師匠と対局した時、なぜか師匠が何を考えているのかストンとボクの頭に入ってきて。
ボクが一手指すと、師匠はその一手に答えるようにパチンと指し返してくれて。
家族以外では碌に会話も出来なかったボクにとって、それは不思議な体験で。
でも僕たちは確かに将棋盤を挟んで会話が出来た気がしたんだ。
それが凄く”楽しく”て。
だからそれ以降、父の友達なのに、師匠が来るとボクはソワソワと嬉しくなったんだ。
◇ ◇ ◇
6月の下旬、順位戦B級2組 初戦
今日の対局相手は『幸田柾近八段』
ボクの師匠だ。
外の暑さから隔離したように、冷房の効いた対局室。
その冷気が、フル回転したボクの脳を冷却するように循環している。
既に対局は終盤で、現在はボクの手番。
本来なら長考する場面ではない。なのにボクは貴重な持ち時間を使い、次の一手に既に30分以上長考していた。
形勢は多分ボクの優勢だ。
このまま持ち駒の『金』で守りを固めれば、ボクの『玉』を詰ますには時間が掛かりそうだから。
だから普通に考えたらそう指すべきなのに。
ボクはその道に進めず立ち止まる。
安全そうなその道は、ザラッとした嫌な予感がするのだ。
今は無難でも進んだ先の先は崖で、気づけば後ろから喉元に刃を突きつけられるような嫌な感覚。
だからボクは立ち止まって深く考える。すると別の手が浮かびだした。
それも一つだけじゃなくて幾つも幾つも。
何もない部屋に複数の扉がボクの前に現れるように。
でもぱっと目についた扉の展開を予想しても、やっぱりどこか決め手に欠けて。
やっぱり素直に指そう。
ボクがそう思った瞬間、何か閃いたように、攻めっ気を思い出させるように、奥にあった一つの扉が光り出す。
急いでそこに駆け寄ると、
この手は……ひょっとするともう勝てる状況なのか?
不思議と次の展開が気になる一手だった。
少しでもミスするとボクの形勢が危うくなって、第一感では打ち捨ての無謀な手なんだけど。
手を進めたら……。
それに今ここで無難に指せば、もう二度とこの先の景色を見ることが出来ない気がした。
だからボクは長考の末、発見してしまったこの扉から、もう目が離せなくなってしまって。
途端に”楽しく”思えてしまって。
その扉をこじ開けるように、ボクは『香』を握り締め、盤に打ち付けていた。
”守り”ではなく、”攻め”の一手を。
そして予想した通り、その後は綱渡りの連続で。
一手もミスすることが許されない、厳しい状況でボクは攻め続けて。
でもその状況が、盤の変化が”楽しく”て。
「ああ無いな……負けました」
「ありがとうございます」
最終的に、なんとかボクが勝利する。
向いの師匠は沈黙している。
でも負けたはずなのに、どこか晴れやかな表情をしていた。
ボクが不思議に思っていると、
「零、あの香打ちは研究だったのか?」
「……いえ。でもふと閃いてしまって、指してました」
ボクの言葉に師匠は懐かしそうに笑う。
こんなに綻んだ顔の師匠を見たことは”幸田家”でも無かったかもしれない。
「そうか閃いてしまってか、血は争えないな」
「えっ」
戸惑うボクを他所に、師匠は嬉しそうに語りかける。
「良い手だったな”零”。あと少し懐かしくてな。今日の終盤、お前の父さんと対局しているみたいだった」
「えっ?」
「あの場面、普通は守る一手だろ? プロなら負け筋を消すために堅実に固く守る。でも奨励会時代に桐山もよく、今みたいな場面で常識はずれの手に飛び込んでたよ。面白そうだからって」
ああ、そうか。
今更ながらボクは思い出す。
師匠のこの笑顔。
長野の家で父さんと指してた師匠は、よくこんな感じで笑っていたじゃないか。
あの時のボクは、彼らと一緒に笑っていて。
今のボクはどんな顔をしているのか、見当もつかないけれど。
師匠から贈られたその言葉で、ボクは体の芯からホカホカとしていた。