プロ棋士の桐山くんは伊地知姉妹に拾われました   作:あまざらし

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1話 優しい姉妹

「──お姉ちゃん! お店の前に倒れてる人がいる!」

「ほっとけ、ただの酔っぱらいだろ?」

「それはちょっとはくじょーな気が……。もしかして学生さんなのかな?」

 

 三月下旬。

 夜、先輩棋士の付き合いで無理やりお酒を飲まされ、何とか最寄り駅に辿り着いた帰り道。

 歩くこともままならなくなったボクは、朦朧とした意識の中、声を聞いた。

 

「おいお前っ大丈夫か!? 虹夏、水持ってるか」

「ちょっと待って──キミ大丈夫? はいっ、お水だよ。飲める? 家はどこなの?」

 

 ダメだ、思考が……呂律も回らない。

 まずは感謝を、あと、たぶん家は近いことを伝えないと。

 呻くような声しか出てこない己を恥じつつ顔を上げる。ぐらつきゆがんだ視界には閃光のような光の残像しか映し出されなかった。

 

「コイツまだ高校生か? まだ寒いし……仕方ない、歩かせるぞ。虹夏、お前も手伝え」

「う、うん!」

 

 突然の浮遊感がボクを襲う。

 しかし直後、目の前が急に真っ白になって、そこでボクの意識は途絶えた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 なんの曲だろう。薄暗く狭い部屋で音楽が流れている。

 懐かしい。ここはきっと家族で下北に寄った帰りに入ったカラオケボックスだ。

 

 父さんに母さん、妹のちひろとボク。

 あの時、家族全員でカラオケしたんだ。

 父さんとボクは流行に疎かったし母さんはとても歌が上手だったから、もっぱら母さん一人で選曲していたっけ。

 

 「ちひろ このお歌しってるよ!」

 「じゃあいっしょに歌いましょ」

 父さんは二人が歌うのを楽しそうに眺めていた。

 「お兄ちゃんも!」

 そう言ってちひろは小さな両手でマイクをかざす。

 ボクは旋律を思い出しながら、ちひろと一緒に歌った。

 

 ああ、こんな日常(まいにち)がずっと続けばいいのに……。

 日常?

 ボクの現実は、

 

 息が荒くなる。

 

 (飲酒運転のトラックの巻き添えですって……)

 (息子さんはどうなるのかしら)

 

 ボクの日常は、ある日いきなり引きちぎられるように唐突に終わった。

 遠足から戻ると、ボクの家族三人は冷たくてかたい、まだらのカタマリになっていた。

 

 

 

 鼓動が早まる。ああ、また夢か……。

 

 猛烈な頭痛で覚醒すると、知らない居間にボクはいた。

 鼻歌まじりの声とジューッと何かを炒める音が遠くから聞こえる。

 

「やっと起きたか」

「こ、ここは?」

 

「お前が酔いつぶれてた店の上のマンションだよ」

 20代くらいだろうか。

 ソファーで雑誌を広げつつ少し気だるそうな黄色い長髪の女性が答える。

 

「あ、起きたんだね、おはよう。でもキミっまだ未成年でしょ! だめだよー飲酒なんて」

 そして同じく金髪のテールを揺らし、右手にはお玉を、そして桃色のエプロンを身に着けた同年代の少女がボクを叱責するのだった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「どうかな」

 おいしい。

 お味噌汁に微かに生姜の風味が加わっていて酒で傷んだボクの胃に優しく染み渡った。

 

「おいしいです。その、虹夏さん」

「そっかそっかー素直な反応だとやっぱり嬉しいね!お姉ちゃんいつもそっけないんだもん」

「うるさい」

 

 目を覚ました後、ボクはおおよそ事態を把握した。

 昨晩酔いつぶれ倒れていたボクを見かけた二人は、親切にも家に上げてくれたらしい。

 ボクの記憶は残っておらず、かろうじて覚えているのはなんとか最寄り駅に着いて改札を出たところまでだった。

 

 ああ、最悪だ……。

 何度目かの謝罪をして、その度にボクは二人から「もういいよ」と呆れられた。

 そして助けてもらった上、更に朝食をいただくという恥の上塗りをしているのが今の状況だ。

 目の前に座る二人が根っからの善人であることが、より一層ボクの罪悪感を募らせる。

 

「桐山零くん……だったよね。──えっと零くんは高校生?」

「は、はい。四月から二年生に進級します」

 

 先程、二人から自己紹介をしてもらった。

 少し眠そうなお姉さんが伊地知星歌(いじちせいか)さん。

 

「じゃあ同い年だ! 高校はどこ? このあたり?」

 そして向かいの席で明るく話しかける少女が妹の伊地知虹夏(いじちにじか)さんだ。

 どうやら二人は少し年の離れた姉妹らしい。

 

「は、はい。ただ最近、下北沢に越してきて。四月から『下北沢高校』に転入します」

「ほう……」「へー」

 星歌さんと虹夏さんが互いに目を合わせ、姉妹揃って含んだ笑みを浮かべる。

 息のあった二人に血の繋がりと仲の良さを感じさせる。

 なぜだかボクの居心地は悪かったけれども。

 

「あ、あの……」

「あー、ごめんごめん。それにしてもなんでお酒なんか? 零くんそんなキャラじゃなさそうなのに。あっ、もしかして内なるロックに目覚めたとか?」

 

6九(ろっきゅー)

 

 鈍い頭の痛みを無視するように制御不能のまま、刹那に印象的な棋譜が脳内でいくつか浮かび上がる。その中で宗谷名人が前回の獅子王戦防衛を決めた盤面がクローズアップされた。

 やはり今でも印象的だからなのだろうか。あの瞬間をリアルタイムで観戦していた当時の衝撃が蘇る。

 

「零くん?」

 ろっく、ああロック。もしかして音楽の一つのジャンルのロックってことかも。

「あ、いえ。えっと……」

 

 そうしてボクは二人にたどたどしく昨日の不始末の詳細を語る。

 説明をするにつれ二人の表情はどんどん険しくなっていき、自分の声が細くなってしまうが、二人は最後まで静かに耳を傾けてくれた。

 

「何なのその先輩! ひどすぎるでしょ!!」

「おい桐山、そいつも高校生なのか? それとも大学生か?」

 

 一緒に飲んだ相手、それはボクと同じプロ棋士の先輩だ。

 でもボクは、その事実を正直に告げるのを躊躇った。

 この件が将棋連盟に発覚したら連盟や会長に迷惑をかけるかもしれないから。

 それにお世話になっていた幸田家にも……。

 

 いささか乱暴な言葉を次々繰り出す虹夏さんに、冷静な質問をしつつ威圧感が増す星歌さん。

 態度は違えど二人共、本気でボクを心配してくれているのが伝わってくる。

 初対面なのになんて優しい人達なのだろう。

 つい先程まで勝利に貪欲な特殊な環境に身を置いていたせいで、一層、新鮮な感覚だった。

 

 でも、ごめんなさい。

 

 そんな人達にボクはこれから『嘘』を付きます。

 

「その……年の離れた方でした」

「なんだ。煮え切らないな。そいつとはどんな関係なんだ?」

「……将棋の対局をした方です」

「しょーぎ? あのチェスとかオセロとかの?」

「は、はい。でも初めて会った方で、少し強引に誘われてしまい、連絡先も不明でして……」

 

 嘘だ。本当は昨日ボクが負かした対局相手とその棋士仲間だった。

 

「場所はどこかの将棋教室とかだろ? 受付で名簿を見せてもらえばわかるんじゃないか。お金とか大丈夫か? 警察に相談した方がいいだろ」

 大人である星歌さんの適切な提案がボクを苦しめる。

 

「は、はい。でもあの警察とかはその……終わったことなので。それよりお二人には本当にご迷惑おかけしてすみませんでした! なんとお詫びしてよいのか……」

 

「いいよ。まあ事情は分かったし。ただ次からは絶対に断れよ。桐山はお坊っちゃんみたいだから知らないだろうが、世の中には本当に酒癖の悪いクズってのはどこにでもいるんだ」

 

 そんなアドバイスと共に今日一番のため息をする星歌さん。

 何故だかとても実感がこもっていた。

 

「そうだ、折角だしお姉ちゃんお店手伝ってもらったら? 今日ちょっと忙しいって言ってたじゃん。あのね零くん! お姉ちゃんってね、こう見えて下にあるライブハウス『STARRY(スターリー)』の店長なのだよ!」

 虹夏さんは誇らしそうに星歌さんに向けて、ひらひらと両手を振る。

 

「こう見えては余計だ! あと無断で高校生働かせられないから」

「えー、私も高校生なんですけどー」

「お前は妹だろ」

 

 今日の手合いはない。

 昨日の飲み会を断りきれなかったのも、それが一因だった。

 

 ライブハウスの手伝い。

 バイトなんてほぼ未経験のボクにできるのだろうか? 

 でも、少しは役に立てるのなら……この二人に恩返しがしたい。

 そう思った。

 

 つばを飲み、直後に生じた二日酔いの痛みをボクは無理やりかき消す。

 

「あ、あの! ボクでよかったらお手伝いさせてください!」

 思ったよりも大きな声が出てしまって、二人が少し驚く。

 そして星歌さんは何度目かわからない困った顔を浮かべ、また一つため息をつく。

 

「わかった。じゃあ16時に店に来てくれ。それまでにその酒臭い服、着替えて来いよ」

 え? 臭い? 

 言われて気がつく微かに鼻を刺激するアルコールの臭い。そんなにひどかったのか。

「わっ、えっ、す、すみません! わかりました。よ、よろしくお願いします!」

 

「それと”親御さん”にちゃんと連絡しとけよ。気まずかったら私もフォローするけど」

「あ、それは大丈夫です。今はボク、”一人暮らし”なので」

 

 ボクは表情が固くならないよう注意して答えた。

 

「えっ」「……」

 二人は驚き、一瞬、言葉を失う。

 

「その、桐山のご両親は?」

「亡くなりました。でももう随分と昔のことなので」

 

 ボクはおかしな表情になっていないだろうか……。

 この話は少し苦手だ。だいたい同情され反応に困るから。

 

 でも、

 

「そっか……少し似てるね私達。うちもお姉ちゃんと”二人暮らし”みたいなもんだし」

 虹夏さんはカラッと笑うのだった。

「えっ……」

 予想外の返答で、今度はボクが言葉に詰まった。

 

「虹夏が9歳のときに母親が亡くなって。父親も……まあ、仕事が忙しくて家を空けててな」

 そう言って遠くを見つめる星歌さんは、少し寂しそうな面持ちだった。

 

 引っ越してからは食べることのなかった朝食。

 それも優しくてあたたかな食卓。

 それがボクと似た境遇だけどボクとは真逆な姉妹との、決して忘れることのない出会いだった。

 

 

 

「それにしても零くんって実はご近所さんだったんだねー」

「ええ、本当にご迷惑をおかけしました……」

 

 後ろからスマホを覗き込む虹夏さんが嬉しそうに話しかける。

 帰り際、現在地から引越し先を確認すると『STARRY』のすぐ近くだった。

 徒歩でおよそ3分とそこらだ。

 

 お昼まで厄介になるわけにはいかないので、二人と別れ一日振りに新居に戻る。

 にぎやかな家から一変し、途端、夢から覚めたような静寂がボクを襲った。

 

 シャワーを浴び服を着替え、時刻は11時を過ぎた頃。

 手合いがないのだから、当然予定もない。

 普段なら暇を潰すようにPCを起動して将棋の研究をするところだけど……約束まではまだ時間がありそうだし。

 

 ボクは簡単な準備を済ませ家を離れた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 三月町。

 そんな川沿いの穏やかな町にある老舗和菓子店『三日月堂』。

 

 棋士は職業柄、糖分を欲する。脳をフル稼働させるからだ。

 そういったこともあってか、三日月堂は棋士の間でも有名な和菓子屋さんらしい。

 ボクも昔仕事でお世話になった棋士に教えてもらって以来、リピートしている。

 

「いらっしゃいませ」

 店内のカウンターにいる”女将さん”に優しく迎えられた。

 定番の三日月焼や春らしい季節感のある桃色のお菓子がウインドウに並べられている。

 

 ライブハウスの店員さんって何人くらいなのかな。

 10人くらいは必要か? 

 悩んだ結果、余ったら将棋会館に持っていこうとボクは少し多めに購入することに決めた。

 

「すみません。三日月焼きを10個と春の和菓子のセットを1つお願いします」

「ありがとうございます。詰めますので少々お待ち下さいね」

 

 女将さんがお菓子を詰めていると、旦那さんと思われる男性が顔をのぞかせる。

 

「いらっしゃいませ。またありがとね」

「こんにちは。冬の和菓子も美味しかったです」

「それは良かった。春も自信作でね。また感想聞かせてね」

「あ、はい」

 

 世間話は苦手だ。

 だけど会話が弾まなくても許されるような、そんな和菓子屋独特のゆったりとした空間がボクは好きだった。

 

「お父さん、お母さん帰ったよー」

「あかり、おかえりなさい。早いわね」

「大学卒業するとやることもないからね。友達も今日は追いコンあるって言ってたから。あら、いらっしゃいませ。いつもありがとね」

「あ、はい。こんにちは」

 

 ”あかり”と呼ばれた女将さんの娘さんが気さくに話しかける。

 女将さんに似てとても優しい雰囲気の人だ。

 

 月に一度は来るから、顔を覚えられてしまったらしい。

 三人とも皆、満開の花のように幸せに満ちた笑顔。それが何故だかボクの目に焼き付く。

 

「おまたせしました。こちらから失礼しますね」

「ありがとうございます」

 

 三日月堂を後にし、腕時計を見る。

 時刻はもうすぐ15時。ボクは急いで手伝いへ向かった。




■桐山くんいない川本家はどうするんだよ!
→ この世界では最初から幸せな家庭にしました。おそらく一番の改変。

■『STARRY』前で酔いつぶれてたら美人姉妹に拾われましたとか許されるのかよ
→ 『3月のライオン』のストーリーを謎っただけという事実。さすがだ主人公。

■伊地知家の父親の扱い
→ 仕事忙しすぎて単身赴任もしくは別居という想定
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