プロ棋士の桐山くんは伊地知姉妹に拾われました 作:あまざらし
(Side:後藤ひとり)
『宇宙に果てはあるのでしょうか』
『観測可能な宇宙の直径は920億光年と言われています。ですがこれでも宇宙全体の大きさではないのです』
「じゃあ私はミジンコだ……」
たまたま宇宙の動画を視聴していた。
そんな時だ。襖がガタリっと大きな音を立てて、そして眩い光が私に射し込む。
「ひとりちゃん! また動画見て……。明日の準備するんじゃないの? 皆が来るんでしょ?」
「もう、わかってるってお母さん。ちょっと休憩してただけ」
嘘だった。
本当は緊張してて現実逃避で動画サイトを眺めていたんだ。
残されたタイムリミットはもう24時間を切っている。
明日の今頃、私の家に結束バンドの皆が遊びに来るのだから……。
前回、零さんと喜多さんがウチに来たとき。あのときは、い、いきなりだったし。今回は心構えというか、心の準備が……。
「でもホントなのかしら。喜多ちゃんも来てくれるって?」
「う、うん。たぶんみんな来るって」
「それに桐山くんも来るんでしょ! お母さん楽しみだなー。ふたりちゃん、プロの先生に将棋の指導してもらえるなんて。ふふふ、将来はプロ棋士かしら」
そう、零さんも一緒なんだ。
キッカケは次の会議の場所をどこにするかと雑談していた時のことだ。
「いいなーいいなー二人とも。私もぼっちちゃんのお家、行ってみたいなあ」
話が盛りに盛られた喜多さんによる私の家のエモいエピソード? を聞いて、虹夏ちゃんが羨ましそうにしていた。
嫌な予感がする。
そんな私の防衛本能も虹夏ちゃんフットワークの軽さの前では無力同然だった。
「ねぇ、次の会議。迷惑じゃなければでいいんだけど。もし良かったら、ぼっちちゃんのお家とか──駄目かな?」
うっ、陰キャはお願い事を断れない。
でも私も成長しているはず。だから頑張って断ろう、そう思った。
あれ? それって成長しているのだろうか、私……。
だが運の良いことに、私は天才的な言い訳を閃いてしまったのだ。
「あ、いや、でもその、我が家には5歳の妹がおりまして……。とても騒がしく会議の邪魔になってしまうかと」
「ふたりちゃん? その日だったら予定空いてるから、よかったら僕が皆の邪魔にならないようにふたりちゃんの面倒見てようか? ほら約束だったから。将棋を教えるの」
「えっ、零くんホント! じゃ、次回のバンドTシャツのイラスト考案会議はぼっちちゃんのお家ってことで問題ないよねっ!」
「え、あ、あのー」
カンッ! カンッ! カンッ!
『後藤ひとり! KO負けだぁ!』
脳内で実況と効果音が響き渡る。
渾身の私の言い訳ストレートパンチ。
それを零さんが優しい眼差しで華麗に躱し、コンビネーションで虹夏ちゃんが見逃さずカウンターを決める。妄想の私は堪らずダウンした。視界も真っ白で燃え尽きてしまったようだ。
いや当時の私も本当にダウンしていたかもしれない。
だって途中から記憶が無かったし、意識が復活したらもう私の家に来る流れになってたし……。
でも。
楽しそうに話すバンドのみんなや、将棋を広められるかもと珍しくウキウキした零さん。そんな皆の様子に、今更無理ですなんてとてもじゃないけど断れるはずもなく……。
でも家族が断るという隕石が落ちるレベルの微かな望みもあった。
だが父も母も2人にまた会えると二つ返事で承諾し、「将棋! 将棋!」とふたりもスキップしていた。
ああ、5歳の妹に嫉妬しそうだ。
まだ5歳。
将来はバラ色。
陽キャにだってなれるし、プロミュージシャンだって、プロ棋士にだってなれるかもしれない。
それに比べて私はミジンコ。
……そういう訳で今日に至るのだった。
「お姉ちゃんお昼だってー、ご飯だよー」
そんなふたりの呼びかけを聞くまで、結局私は何も出来ず動かなかった。
◇ ◇ ◇
8月を迎え季節はすっかり夏に。
(ふたりちゃんにはこれがいいかな?)
将棋会館の売店にて。
小さい子向けの将棋の駒をボクは手に取る。
最近は初心者向けの商品も充実していて業界の努力を感じる。
あとはそうだな。うん、入門書も買っておいた方がいいかな。
ボクが目星の入門書に手を伸ばした所だった。
「うんうん、嬉しいぞ桐山。キミも将棋の普及の大切さを分かっているんだな!」
「え? 二海堂、早いじゃないか」
待ち合わせまで20分は余裕があったはずだけど。
振り返れば仁王立ちの二海堂がそこにいた。
「で、で? 誰に教えるんだ? よかったら手伝いたいんだが? ホントによければだけど」
にこやかな二海堂は妙に乗り気だった。
教える相手はひとりちゃんの妹、ふたりちゃんだ。
結束バンドの皆が後藤家でTシャツのデザインを考えることになったらしく、その間、ボクがふたりちゃんに将棋を教えることになったのだ。
この前、後藤家にお世話になったときの約束でもある。
ひとまずボクは二海堂が後藤家に突撃した後の展開を妄想する。
(ボドロみたいだね)
うん。あの時のふたりちゃんの反応なら、二海堂こときっと気に入ると思う。
(桐山くんのお仲間かい? ならオールオッケーだよ!)
(いつでもいらっしゃい)
ひとりパパとママも快く迎えてくれるだろう。
もしも問題があるとするなら……
(ム、ム、ム、ムリムリムリムリ)
ボクは最後に難攻不落な後藤家の長女の顔が浮かんだ。
無理無理と必死に拒否する空想上のひとりちゃんは、なぜか風船みたいに膨らんで……バンッと破裂音と一緒に砕け散ったのだった。
な、なんだ今の妄想は……。
でも突然知らない人が来客しても、ひとりちゃんは怖いだろうしな。
だからボクはやんわり断ることにしたんだ。
「友達の妹さんだよ。でも予定は明日だし、二海堂も流石に急だろうから……」
「そう気にするな桐山! じいや、明日の予定は? そうかそうか。では全部キャンセルで!」
「畏まりました坊ちゃま」
「おいいい二海堂っ! 今、遠回しに断ったんですけど!? 花岡さんも急に予定変更して大丈夫なんですか? それに知らない人がいきなりきても、後藤家の皆がびっくりしちゃうでしょ」
(ひとりちゃんだけだろうけど)
「む、確かに先方に失礼があってはいけないな。ご家族の要望に答えるのもプロとしての努め。よし、じゃあ問題ないか念のため聞いてくれないか桐山」
「え?」
そして当日。
「おはよう諸君! さて忘れ物はないか? じいや、では安全運転で頼むぞ!」
「はい坊ちゃま。皆さまも到着までは1時間は掛かります故、どうぞごゆるりとお寛ぎください」
結束バンドからは喜多ちゃんと虹夏さんの二人。そしてボクと二海堂を乗せたリムジンは花岡さんの安全運転で軽快に進み始めたのだった。
「じぃやさん! ナビ任せて下さいね!」
前方では助手席を買って出た喜多ちゃんが、既にこの状況に順応し朝とは思えない元気な様子でドライブを満喫していた。
一方、後部座席の真ん中に座るボク。そしてその左隣に座る虹夏さんは、
「零くん何か飲む? 二海堂くんもどうぞー」
「ありがとうニジカ君。では、お茶をいただこうか」
「お茶ーっと、はいっ零くん。これ二海堂くんに渡したげてね」
「あっ、はい虹夏さん」
あれ?
もう車内でボク以外はこの状況を受け入れてるの?
「そういえばリョウ先輩も今日来ればよかったのに」
ごく自然な喜多ちゃんの言葉。
その言葉でボクの心臓の鼓動がドクンと大きく跳ねる。
この前の号泣した時のことが嫌でもフラッシュバックするから。
そういえばリョウさんは!?
あ、あれ?
もしかしてリョウさんが今日来ないのって、ボクが居て気まずから断ったとか?
そうだよね……。
人様の家にお邪魔して親の昔の映像見て泣き出してすぐ帰るとか……迷惑すぎるでしょ。何やってるんだよボクは。
あの日以降、特にリョウさんから何も反応はないけれど。
バツの悪さはまだ残っていて。
「あーうん。誘ったんたんだけどね……。お婆ちゃんが今夜峠なんだって」
「え? リョウさんのお婆さんが!?」
「それ大丈夫なんですか!?」
そわそわするボクと喜多ちゃんを他所に、虹夏さんは何故か悟りを開いたように落ち着き払っていた。
「あーダイジョブダイジョブ。お婆ちゃんの峠、今年で10回目だから」
「ん?」
つまり嘘ってことかな?
そういえばこの前、リョウさんの家に犬も犬小屋も無かったけれど……。
「に、虹夏さん。じゃあリョウさんがこの前、愛犬のペスが手術するって教室で話していたのは……?」
「うん、それも嘘だね」
リョウさん……。
そして虹夏さんによるリョウさんの断る口実リストが披露され、先程の一瞬の気まずさが、夏の暑さと一緒に蒸発していったのだった。
それにボクって結束バンドのライブ後も泣いてたし。
今更かもしれない。情けないけれど。
それにしても……
今日、みんなは初めて出会ったはずなのに。
明るくさと破天荒さがどこか似ている喜多ちゃんや二海堂も。
面倒見が良くて時に強引な虹夏さんも。
一歩引いた大人の花岡さんも。皆は遠慮なく普段通り上機嫌で。
それにどこか安心しつつも、僕はチョット胸がつかえたような寂しさが抜けないまま後藤家までの快適なドライブは続くのだった。
◇ ◇ ◇
虹夏さんがインターフォンを鳴らし、暫くして扉が開いた。
「い、いえーい……ウェ、ウェルカム~」
派手なクラッカー音が鳴り響く。
玄関の先にはジャージにクラッカー、それに襷のような物とサングラスを身に着けたひとりちゃんに歓迎され。
「ひとりちゃん、遊んでないでみんなをリビングに案内なさい」
「は、はい……」
再び僕は後藤家へやって来たのだった。
「キミが噂に聞くヒトリ君か。桐山の心の友と書いて”心友”の二海堂だ!」
「だ、だだだ誰? れ、れれれれ零さん!?」
リビングで一休みする間、ひとりちゃんと初対面の二海堂が挨拶する。
だが、ひとりちゃんにはまだ荷が重いようで即座にボクの後ろに隠れ震えていた。
確かに二人は初対面だ。でもなんで彼女が二海堂を見る顔つきは、ホラー映画で亡霊に遭遇したみたいに恐怖に満ちているんだろう。
そういえば昨日の電話に出たのはひとりママだったけど。
もしかしてひとりちゃん。
二海堂が来ること事前に聞いてない?
怪しむようにボクがひとりママを見ると、彼女は舌を出しイタズラ顔で笑いかける。
「桐山くんサプライズ大成功ねっ! 娘たちを驚かせようと思って黙っちゃった」
「うんうん、プロ将棋が二人揃って娘を指導してくれるなんて……。お父さん感激だなー」
「えっ、あのっサプライズって。もう片方の娘さん、ひとりちゃんが今にもショック死しそうなんですが!!」
でもセミの抜け殻みたいに動かないひとりちゃんには、誰も何時もの事と気にも止めず会話は進んでしまい。
「久しぶりねっ、ふたりちゃん!」
「こ、この子が妹さん? かっ、かわいいー」
「こんにちは、ふたりだよ」
「うむフタリ君! ご丁寧にありがとう。ふふふふ、では早速参ろうかっ! フタリ君! 桐山!」
予定通りボクと二海堂がふたりちゃんに将棋の指導を行い、結束バンドの皆はTシャツのイラスト案を会議することになるのだった。
ボクは初め、知り合いの子に教えるとあって張り切っていたのだが……。どうやら自分は将棋の指導が下手らしい。
「なんだその取扱説明書みたいなルール説明は!」
二海堂にそう評されるくらいに。
代わりにやってみろと二海堂に喧嘩を吹っかけたまでは良かったが、彼はかわいい猫をモチーフにした入門書を自作で装丁して指導する熱意の持ち主で……。
もうボロ負けだ。
ただもっとすごい人がいた。
「ふたりちゃん。すごい、また正解だ」
そう、生徒のふたりちゃんだ。
物覚えがいいのだろうか。
軽く二海堂との模擬戦をしていたら、齢5歳ながら的確に相手の急所を付くふたりちゃん。
ボクは戦慄していた。
この子は天才かもしれない──。
◇ ◇ ◇
小さい子の興味はすぐにうつろう。
だから将棋教室はものの一時間で終わってしまった。
その後、僕たちは居間でテレビを見たり、ふたりちゃんが好きな玩具を3人で遊んでいたり。もう何を遊んだか数え切れない程だったので時間は一瞬で過ぎていって。
気がつけばお昼時。
後藤家の皆は僕たちにお昼を用意してくれていて。それも大掛かりな。
僕たちは夏らしくお庭で『流しそうめん』を食べることになったんだ。
「流しそうめんするならやっぱり『巨大い◯はす』ですよね先輩! 絶対映えますよ」
「……どういうこと? 喜多ちゃん」
「あーうん、メジャーデビューしてタイアップ貰った時の練習らしいからっ。気にしなくていいよー、零くん」
喜多ちゃんの言葉は解読不能だったけど、流しそうめんって初めてかもしれない。
先程、掬い取った麺。
ボクは一休みするため縁側で座る。
一口啜ると麺の冷たさが暑さを打ち消すようでかつて無いほど美味しく感じる。
でも。
それは、きっと味だけじゃなくて。
庭先に目を向けると声も光景もカラフルで華やかで。
冷ました麺を流すひとりパパが居て。
あたたかな声でトッピングを補充するひとりママが居て。
まるで兄弟のように一緒にお昼を食べるふたりちゃんと二海堂が居て。
その二人になんとか接近しようと試みるひとりちゃんが居て。
総ての麺を掬い上げ飛び跳ねて喜ぶ喜多ちゃんが居て。
そして、
「そーめんおいしいね零くん!」
「うん、オイシイ」
隣に座って笑いかける虹夏さんが居るおかげなんだと。
その事実にボクは気付いて、もう一口啜ったそーめんは格別に美味しかった。
◇ ◇ ◇
夜遅くなるのも悪いからと僕たちは再び花岡さんの車に乗った帰り道。
心地よく振動する車に揺られ、結束バンドの二人はいつのまにか眠っていて。
ボクと二海堂がいつもの将棋談義をしていたときだ。
「そういえば桐山、『チケット』は持ってきてるな」
「ああ、てか二海堂。昨日渡す予定だったのに、なんですぐ帰ったんだよ」
「うぬっ、フタリ君のために我が傑作本の用意をしようと思い立ってな。本来の目的を失念してしまったのだ」
「全く……」
理由が理由だったのでボクは強く言い出すことも出来ず、2枚のチケットをバッグから取り出し。彼はそれを大切な宝物を預かったように受け取った。
「皆、善き人達だな。ライブ楽しみにしてる」
「うん」
そして遠くを見つめる二海堂は続けた。
「あとな……次は勝てよ桐山」
「えっ」
「何をとぼけている。獅子王トーナメント決勝戦だよ!」
「ああ、後藤九段との……」
一つ呼吸を置いて彼は言葉を強める。
「それと次は新人王戦だ。決勝で俺達は再戦するんだ桐山、そこで、次こそは俺がお前を倒すんだからなっ」
「ああ。でもボクも──負けるつもりはない」
二海堂の視線がこちらに向く。その力強い瞳に思わず吸い込まれそうになった。それは棋士として戦い続ける狭き道のりを選んだ覚悟が見え隠れしていたから。
沈黙する車内でウインカーの音が一定のリズムで鳴り響く。
帰路を分かつように都内を走る無数の車から1台、僕たちの車は大通りを離れ裏道をつき進んだ。
ライブの後、ボクには後藤九段との二度目の対局が待っている。