プロ棋士の桐山くんは伊地知姉妹に拾われました 作:あまざらし
ライブハウス『STARRY』の場所はわかりやすい。
伊地知家の地下1Fにあるからだ。
ただ問題が一つある。一見さんお断りの雰囲気を醸し出している点だ。
仕事の都合で何度か訪れた一流のホテルや旅館とはまた違った、どこか重くて暗いそんな印象。
もしかしたらボクがライブハウスという場所に初めて入る緊張がそうさせているのかもしれない。
意を決して手を伸ばすと、ヒンヤリとした鉄の感触が伝わる。
重い扉を引くと、受付近くにショートヘアの青い髪の少女が佇んでいた。スラッとしたシルエットからか少し大人びても見える。
彼女はこちらを見るなり不思議そうな顔をする。
「誰? まだオープン前だよ」
「あの本日、手伝いに来ました桐山といいます」
「む、キミが虹夏が言ってた子?」
「あ、はい。そうだと思います」
「名前」「はい?」
「桐山……何?」
「すみません。桐山零といいます。本日はよろしくお願いします」
「”零”だね。わかったよろしく」
そう言って彼女は右手を前に出す。
握手かと思って荷物を左手に持ち変え、右手を前に出すが彼女は少し不満げだった。
「違う。それ」
彼女が見つめるのは差し入れに持ってきた和菓子だった。
「あ、こちらですか。よかったら皆さんでどうぞ」
「零、ありがとう。私は
「あ、はい。リョウさん、よろしく……って、えっ!!」
リョウと名乗った子はお土産を開封するなり、両手でつかんだ和菓子をパクリと二つ平らげ、瞬時に目の前から消滅させた。
「ゴクリっ、おいしいねこれ。零、どうしたの?」
「”どうしたの?” じゃないでしょ! リョウ何やってんのー!」
こちらに気づいた虹夏さんが、慌ててフォローに入るのだった。
「ごめんねーリョウは今日のバイトのシフトメンバーなんだけど……浪費家でいつも金欠なんだよ。あっ、でも根は悪い子じゃないから! 零くんもその、同い年だし仲良くしてあげて」
「零はイイ奴だね、私の勘はよく当たるから。わかった仲良くする」
「いや、リョウに言ってないんだってば!」
「はは、リョウさんは面白い方なんですね」
「まあね。それほどでもある」
「リョウは変わり者って言われるのと喜ぶんだよ」
「そんなことないし……」
否定するリョウさんの顔を見るとどことなく嬉しそうだ。
「お前ら~ サボってるんじゃないぞ!」
僕らの会話に気づいた星歌さんが注意することで、いったんこの場はお開きとなった。
◇ ◇ ◇
皆で店内を清掃をした後、ボクは虹夏さんからドリンクコーナーの接客を教わった。
ドリンクの種類は豊富だがよくあるパターンからボクは優先的に覚えていく。
そうしてオペレーションを記憶していると、いつの間にか開店時間は過ぎたようだ。
お客さんが続々と入店し始める。
だいたい200人程度だろうか。
小会場くらいの広さはあるこのライブハウスも今は手狭に感じる。
今日は忙しい、そんな虹夏さんの予想通りお店は繁盛していた。
更に時間が過ぎるとステージに人が集まり始め、それに反して、ボクの担当するドリンクコーナーは落ち着きを見せる。
隣でサポートする虹夏さんは客足をうかがいつつ、場を和ませようと雑談をしてくれた。
「零くんってもしかしてバイト経験ある? 思ったより場慣れしてるよねー」
バイト経験はほぼない。奨励会時代の記録係くらいだろうか。
でも棋士の仕事は将棋を指すだけではない。将棋を通して様々な人と関わる機会がある。
ボクはまだ学生だから経験は少ないけれど。それでも同年代と比べると多いのかもしれない。
「はい、少しですが」
「そっか……。ごめんね。零くん大変だろうに私、手伝わせちゃった……」
虹夏さん、朝の話でボクのことお金のない苦学生だと勘違いしてそうだ。
「いえ、気にしないでください。今は支援もあってそこまで大変でもないので。それに今回はボクが手伝いたかったんですから!」
「そ、そっかそっか! ならよかったよー」
ほっと胸を撫で下ろし、虹夏さんはステージの方を真剣な表情で見つめていた。
「実は私さ、最近リョウとバンドを組んだんだ」
「そうなんですね」
「うん。私はドラムでリョウはベースで──それにリョウのベース上手いんだよ。まぁ私はそこそこ……だけどさ。いつかメンバー集めてあのステージに立つのが目標なんだ!」
「いい目標ですね」
「う、うん。でさ、突然なんだけど……零くんって『ギター』とか興味ない?」
”ギター”
今までボクが関わってこなかった分野だ。
興味が無いといえば嘘になる。
でもこれはそういう類の質問じゃない。
「すみませんがギターの知識は全然なくて。その、お役にたてないかと……」
「ゔっ、ダヨネー。そんな簡単に”天才”ギター少年は転がってないかぁー。いやでも実は”天才”ボーカリストだったりとか……」
虹夏さんの期待した目に怖くなったボクは、瞬時に首を大きく横に振って断る。
声が小さくなりがちなボクには、それこそ無理な気がしたから。
「あはは冗談冗談。私も歌下手だし、急にごめんね零くん」
「す、すみません虹夏さん。でも他のことなら手伝いますので……」
バンドってお金かかるのかな?
なぜかお客さんと一緒に待機しているリョウさんを見つめながら、ボクは使い所がなく無駄に貯め込んだ貯金額を思い出す。
「ううん、でもありがとね。興味あったら零くんも楽器やってみようよ。私も協力するからさ」
「あ、はい。機会があれば」
「それ絶対やらない奴でしょー。そういえば零くん今更だけど”敬語”とかいらないよ。同い年じゃん!」
「えっ、はい。えーっと、わかった」
「うんうんその調子だよ、さてそろそろ始まるよ! このバンド評判なんだよねー。もう暇になるし零くんもお客さんとして楽しんでってね」
「はい。ありがとうございます」
「敬語」「あっ」
ボクにとって初めてのライブ観戦。
ライトが暗転する。
ぽつぽつとまばらに聞こえる観客の声援と、周辺の静けさが昔見た花火大会を思い出させる。
曲の開始ともにスポットライトがステージに点灯した。
前に立つのは男性4人のバンド。そんな彼らの戦いの幕が上がった。
正直、音の良し悪しはよくわからない。
でも、そんなボクにでも伝わってくる1つのメッセージ。
センターで歌い上げるギタリストも、それを支える奏者も”全力で”何かを僕らに届けようとしている。
ああ、知ってる。
ボクはこれに似た感覚を知っている。
ふっと一人の人物が浮かび上がる。
体調を崩しがちだけど、明るく前向きでふっくらとした体型の少年だ。
昔からボクに全力でぶつかってくるアイツを何故か思い出した。
アイツとの出会いは小学生だった。
真夏の炎天下。デパートの屋上で実施された小学生の将棋大会で初めて対局した。
あの日はお互いに満身創痍で。特にアイツは体調を崩しながらも粘り強く一歩も引かない戦いを繰り広げていたっけ……。
アイツ、『
実現すれば、プロになってからは”初対局”になる。
獅子王戦6組ランキング戦。
僕らは互いに勝利を積み上げトーナメントを進めている。
先日勝利した二海堂に続き、次の対局でボクが勝ち進めば再戦となる。
二海堂。
ああ、ボクだって負けたくない。
”気迫”
そんな文字が浮かび上がる彼らのライブだった。
◇ ◇ ◇
「桐山、今日は助かった。もう帰って大丈夫だぞ」
営業後の作業もつつがなく終了し、ボクはスタッフさんに挨拶をして帰ろうとしていた。
「えっ店長、今、桐山って……? やっぱキミ、まさか将棋の『プロ』の桐山零くんですか?」
店長の隣に座る口元のピアスが特徴的な女性がこちらを見て驚く。どうやらボクのことを知っているみたいだ。
「プロってなんだ?」
「店長、知らないんですか? すごい有名じゃないですか。数年前とかニュースでよく取り上げられてましたよ。宗谷名人以来の中学生で将棋のプロ棋士になったって……」
「?」「?」「?」
PAさんと呼ばれていた女性は周りに投げかけたが、反応は思わしくなった。
「ここ音楽オタクしかいないんでした……」
「えええええ! つまり零くんってギターじゃなくて『将棋』の天才少年だったってこと?」
「天才って訳じゃないけど。その、棋士の桐山です。ごめん……あまり知られたくなくて黙ってたんだ」
「許す。だから、これお願い」
リョウさんはどこからともなく取り出したペンと色紙をボクに差し出す。
「サインですか?」
「うん。大丈夫、悪いようにはしないから。ふふふ」
「リョウ絶対何か企んでるでしょっ! 零くんも簡単に書いちゃダメだよ。あ、でも私もちょっと欲しいかも?」
「お前ら落ち着けって。大体わかったから今日はもう全員上がりな。悪いけど桐山。確認したいことあるから少し残ってて」
スタッフはそれぞれ解散し、星歌さん、虹夏さん、ボクだけの3人だけ残され、
「じゃ帰るよ」
「は~い」
「えっ?」
そして何故か再び、ボクは伊地知家にお邪魔する。
皆で少し休んだ後、虹夏さんを手伝うためキッチンに向かい、遅めの夕食に取りかかった。調理の最中、カットした三人分の食材たちが色とりどりに並んでいる。いつもの味気ない食事とは違って豪勢で、ボクは懐かしくなった。
「意外でもないけど、零くんって料理出来たんだね」
「一人暮らしするために一通りは」
「でも、普段は全然料理してないって言ってたよねー」
「……うっ、はい」
そんなボクの反応を見て、虹夏さんは少し呆れたように笑うのだった。
「零くんに手伝ってもらって助かっちゃったよー じゃ食べよう食べよう!」
「お前ら私を除け者にするな」
「だってお姉ちゃん料理すると怪我しちゃうし」
星歌さん、ひょっとして料理苦手なのかな?
「おい桐山、何か言いたいことでも?」
うっ……ギロリとした目つきの星歌さんからすごい威圧、圧迫感が。
「い、いえ。その、いただきます」
「いただきますー」「ちぇっ、いただきます」
食事をしながら、ボクは朝に黙っていた将棋棋士について二人に軽く説明する。
そしてやはりというか、因果応報というか。
ボクが付いた嘘はバレた。
「桐山、先輩っていうのはつまりそういうことか」
「そうです。将棋棋士の──あまり公に、連盟に隠したくて黙っていました」
「じゃあ誰かは把握してるんだな」
「はい、でも次からは必ず断ります」
「わかったわかった。ま、社会勉強になったと思って次から気をつけなよ」
「はい、ありがとうございます星歌さん」
ボクが全て白状し、星歌さんはどこかスッキリしたように一つ頷く。
「お姉ちゃんこう見えて零くんのこと心配してるんだよー。ほらなんて言ったけ、ツンツンツンツンデレ? みたいな」
「虹夏うるさい」「痛っ!」
朝と一緒だ。
おいしい。
言い合う姉妹を見つめながら、ボクはそんなことを思うのだった。
「桐山、一人暮らし大変だろ。仕事ない日はご飯でも食べに来なよ。まあ、材料費だけでも払ってくれればいいから」
帰り際、星歌さんからの突然の提案。
その純粋な好意を素直に受け取れずにボクは戸惑っていた。
「あっ、それ名案かも。零くん普段から全然栄養足りてなさそうだし、一緒に食事しようよ!」
「で、でも……」
「さっき零くんに嘘つかれて、私たち悲しかったな」
「ゔっ……」
痛いところを虹夏さんは的確に付く。
「それに料理手伝ってくれたら私も助かっちゃうし。はい。じゃあ決定ってことでいいよね!」
「えっ、は、はい……」
うんうんと満面の笑みで頷く虹夏さんの勢いに流されて了承してしまったが本当にいいのだろうか?
でもそうか。バンド練習や仕事をしつつ家事を両立させるのは二人にとっても負担なのかもしれない。ボクは一旦そう納得させた。
帰り道。
虹夏さんは飲み物を買うついでに途中まで見送るよと、ボクと二人、外を歩いていた。
偶然にも人とすれ違うことはなく、通りを歩くのは僕たち二人だけ。
ボクの少しの前を歩きながら、虹夏さんは無言で夜空を見上げている。
真似るようにボクも上に目を向けると、明るい星たちが沈黙を包むように輝いていた。
目的地の自販機の前で僕たちは立ち止る。
自販機の光に照らされながら、虹夏さんはいつもの明るい表情でボクに尋ねる。
「零くんは何がいい? お給料は出せないけどちょっとしたバイト代ってことで。だから気にしないでね」
「……じゃあ、冷たいお茶で」
断ることも出来ずボクは無難な選択をする。
甘いものを頻繁に食べる棋士はお茶やコーヒーを持参する人も多い。
ボクも例に漏れず市販のお茶を習慣的に飲んでいた。
「りょうかい! はいじゃあこれね」
「あ、ありがとう」
お茶を受け取ると、少し間をおいて虹夏さんは先程の件に触れた。
「零くん、本当に遠慮しなくていいからね。多分さ、お姉ちゃんも私も味気ないんだよ。二人だけの食事って……」
そして虹夏さんと別れボクは帰宅した。
何時間過ぎても別れ際に彼女が見せた複雑な表情が、ボクの頭から離れなかった。
翌朝。
結局どうすべきか迷っていたら、虹夏さんからロインでメッセージが届く。
『先に朝ごはん作ってるねー』
『零くん 悪いんだけど豆腐切れてたから買ってきてもらっていい?』
無視するわけにもいかないボクは、出かける準備を軽くして近くのコンビニに立ち寄り、急いで伊地知家に向かった。
「零、おはよう」
「えっ……リョウさん? はい、おはようございます」
少し驚いたが、家に上がるとリビングのソファーでリョウさんがテレビを眺めくつろいでいた。虹夏さんは朝食の準備をしていて、星歌さんはまだ起きていないようだ。
「あ、零くんおはよっ。リョウもいるけどいいよね! ま、まぁリョウはいつも食べる専門なんだけどね……」
「は、はい。全然」
話を聞くと金欠になりがちなリョウさんは、時々こうしてご飯を食べに来るらしい。二人は知らぬ間に今のような関係になっていたらしく、もう色々諦めたとのこと。
「まあ、リョウは”野良猫”で、零くんは”飼い猫”みたいなものなのかなー」
猫? 虹夏さんはトレードマークのリボンを結びながら、そんなよくわからない例えをするのだった。
桐山くん伊地知家の飼い猫になる。