プロ棋士の桐山くんは伊地知姉妹に拾われました   作:あまざらし

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5話 小さな海

 恥ずかしい。

 恥ずかしい。

 恥ずかしい。

 

 恥ずかしくて、そして無念だ。

 

 ボクはなんてミスを犯してしまったんだ。

 

 気がついたらボクは一人、公園のベンチに腰掛け長時間、呆然としていた。

 週末の金曜日。

 公園の時計を確認すると16時を回っていた。

 社会人なら仕事の仕上げに奔走している頃だろう。

 

 思えば対局後どうやってここまで来たかも覚えてないや。

 冷静になって最初に戻ってきた記憶は、寝る前に対局相手の棋譜を再確認していた時のこと。

 でもその対策も全くの無意味に終わってしまった。

 なにせ一瞬で終わってしまったのだから。

 

「れ、零くん! こんな所でどうしたの? 今日は確か手合いだったよね」

「に、虹夏さん! ──ご、ごめんなさい!」

「えええっ零くん! な、なんで逃げるのーっ!? ちょっと待ってよー」

 

 予期せぬ虹夏さんとの出会いに戸惑い、咄嗟に全力で逃亡してしまう。

 合わす顔が無かった。

 今日はもう人と関わりたくなかった。

 何よりこれ以上、ボクの無様な姿を彼女に見せたくなくて。

 でも結局、こうして彼女から逃亡している自分が小さく感じた。

 

 虹夏さんの姿も見えなくなり、ボクは一度ゆっくり立ち止まる。

 肺が、足が、そして身体中が久々の全力疾走に悲鳴を上げていた。

 夕刻に空を飛ぶいつものカラスの鳴き声が、今日はボクを嘲っているようだった。

 

 まっすぐ部屋に帰ろう。

 そして今日は誰にも会わずに寝てしまおう。

 そんな後ろ向きな計画を立てて、やっとのことでマンションのエントランスに到着すると、

 

「やっぱりここだったー」

「に、虹夏さん! な、なんで……」

「私だって零くんより得意なことくらいあるって! 例えばこの街のショートカットなんてお手の物だし」

 

 どこか得意げな様子の虹夏さん。

 そして虹夏さんは離すまいとボクの腕を掴んで手を引く。

 

「そんな”一人にして”って雰囲気出された方がよっぽど気にしちゃうよ」

「えっ……」

「ちょっとこの”虹夏お姉さん”に話してみなさいって。そろそろメンバーの皆も来るだろうし、さぁ『STARRY』にレッツラゴー!!」

 

 虹夏さんとボクって同い年だよね? 

 そんな心を声を無視して、彼女はボクを連れ出す。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 本日の対局。聖竜戦の挑戦者決定戦リーグは、12人を2組に分けて、その中の6人総当たりで行われるリーグ戦だ。

 既に一敗しているボクはタイトル戦の挑戦者になるには崖っぷちの状況。

 今回選択した戦型は、昨晩練った対策通り、第一候補は角換わりだった。

 

 今思えば初参加となるリーグ戦の、しかもA級のトップ棋士相手だったから緊張していたのかもしれない。

 あるいは次の獅子王戦の対二海堂戦に意識が向いていたのかもしれない。

 今日の対策で少し寝不足だったからなのかもしれない。

 今となってはもうボクにも分からない。

 

 あの時のボクは、開始直前まで盤の前で正座し、集中していた。

「では始めてください」と案内が聞こえ、緊張を解く。

 どうやら対局時間になったようで、相手に一礼する。

 

 そして僕は迷うことなく初手『2六歩』を指した。

 

「えっ?」

 向かいから戸惑いの声が上がる。

 

「ん?」

「あ、あの、今日はこっちが先手だったような……」

 

(えっ……)

 ボクはその場で凍りついた。

 結果、対局相手の指摘通りだった。そのまま反則となりボクは敗北した。

 先手と後手を勘違いしたのだ。

 改めて対局表を確認すると、確かに今日のボクは後手番だった。

 

「へぇー、それって反則負けになっちゃうんだね」

「はい……」

「そっか”待った”とかやっぱり出来ないもんね」

「はい……」

「ひょっとして零くん疲れてる? 思えば私、昨日も連れ出しちゃったし」

「そ、そんなことはないです! 本当に、今回はボクが悪かっただけで……。本当に、本当にそんなことはないから!」

 

 虹夏さんに遠慮されることは避けたくて、何故か必死に否定してしまった。

 もしかしたら公園で彼女から咄嗟に逃げてしまったのも、それが原因だったのかもしれない。

 

「ならよかった……でも少し安心したよ。零くんはやっぱりプロなんだね!」

「え?」

 今日初めて近くで見た彼女の顔は、どこか納得した表情をしていた。

 

「普段すっごくおとなしいし優しいからさー。零くんの負けず嫌いな所、初めてみたよ」

「そ、そうかな?」

「そうだよ」

 虹夏さんは目に力が宿り、活気あふれた声で続けた。

 

「──次の対局は勝とうね零くん!」

 彼女の言葉は魔法みたいだ。

 だって不思議と次は勝てる気がするんだから。

 

「うん……次は絶対に勝つよ!」

「うんうん絶対だよ。あ、今更だけど勢いで連れてきちゃったけど大丈夫? やっぱり家に帰ってお勉強した方がいいのかな?」

「大丈夫、次の対局は期間が空くし……」

 

 それに次の対局は何年も前から知ってる因縁の相手だ。

 だからお互いの全力を出すだけ。

 

 ボクの次の対局相手、それは二海堂晴信だった。

 

 そしてコンビニで買った差し入れを片手に、僕たちは『STARRY』へ向かった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 『STARRY』に入店すると星歌さんが椅子に腰掛け、ジュースを飲んでいた。

 ボクを見た星歌さんは少し驚き、その後全て分かったような顔をする。

 今日の対局結果がバレていることを悟ったボクは、恥ずかしくなり、挨拶もそこそこに逃げるように控室に向かった。

 

 そして今、結束バンドの4人が揃って会話に花を咲かせている。

 

「やっぱり、ぼっちちゃんと零くんってちょっと似てるよね」

 この話題、実は昨日もボクが来る前にバンド内で少し話になったらしい。

 ボクを紹介する時、事前に”ぼっちちゃんを安心させるため”って虹夏さんは昨日言ってたけれど。

 実際に会ってみると、その判断は正しかったように思う。

 

「零くんも学校だと一人のこと多いもんね」

「はい。リョウさんと虹夏さん以外とはあまり話さないかな……。今は二人が同じクラスで昔よりずっとマシだけど。昔は誰とも会話してなかったし……」

 

「意外だったけど、やっぱり零さんは仲間かもしれない! た、確かにちょびっと似た雰囲気だし……」

 こちらを向くひとりちゃんの弾けそうなほど嬉しそうな表情。

 今まで長髪に隠れていた無垢な瞳が輝いてて、少し失礼かもしれないけどボクの妹みたいで、懐かしくて可愛らしかった。

 

 どうやら彼女もボクと同じで友達が少ないらしい。

 似た人を見つけ、喜んでいるのかもしれない。

 気持ちはわかる。学校にはあまり良い思い出が無かったから。

 

「不思議。零はイイ奴なのに」

「もしかしたら、みんな遠慮してるのかもねー」

「それ、ちょっと分かります。私も昔だったら、零先輩と同じクラスでも”気後れ”しちゃうかもしれません」

 

 

「気後れですか?」

 ぽかんと不思議そうな表情をするひとりちゃん。

 

「あれ? 零くんのこと、ぼっちちゃんにまだ言ってなかったかも。喜多ちゃんも話してない?」

「後藤さん、もしかして……零先輩のこと知らない?」

「えっ、えっ、知ってます……けど? 桐山零さんですよね? (もしかして私だけ仲間外れな何かがあるのでは……ト、トラウマが……)いぎゃああああ」

 

「まずい、ぼっちちゃんが溶けそう」

「溶ける?」

 溶けるって一体何っ? 

 でも向かいに座るひとりちゃんは、今にも人以外の何かに変化しそうだった。

 

「ぼっちちゃん大丈夫だから戻ってきてー。伝え忘れてただけだからー」

「は、はい。な、な、なんでしょう」

 ひとりちゃんが元に戻った……ように見えた。

 さ、錯覚だったのかな……。

 

「こほん、説明しましょう! 零先輩はね──実は、桐山零『先生』なのよ! 後藤さん!」

「先生?」

「そう、先輩は将棋の先生なの。将棋のプロ棋士で現在は六段。しかも史上5人目の中学生でプロ入りを果たした天才少年。将来は名人を約束された存在。それが桐山零先生なんです!」

「お~ありがとうね喜多ちゃん。詳しいね!」

「だって私、先生の大ファンですから!」

 

「そ、そうなんだ……って、あれ? ぼっちちゃーん」

「ぼっちが溶けた」

「(違う。この人も違う。私なんかと違ってもう自立できてるプロの人だ。メジャーデビューしてサクッと音楽チャートで世界4位とか獲得できちゃうようなプロなんだ……一瞬でもそんな凄い人と同類だと思った自分が憎い……)」

 

「ぼっちちゃーん」

「後藤さん!」

「やっぱぼっちは面白い」

 

 ひとりちゃんが溶けた。

 疲れてるのかな。

(ひょっとして零くん疲れてる?)

 虹夏さんの指摘、実は正しかったかもしれないと揺らぎ始めた。

 

 

 元に戻ったひとりちゃん。

 何かを聞きたくてタイミングを図るように、ちらちらとボクを見ている。

 

「あ、あの、零さんはもう自立してて。その……学校を辞めようと思ったことはないんですか?」

 

 ボクは言葉に詰まった。

 ひとりちゃんの質問。

 声は震えていて、でも真剣な質問だった。

 もしかしたら彼女は学校を辞めたいのかもしれない。

 

 答えは簡単だ。

 

「ある。何回も辞めようと思ったよ」

「じゃ、じゃ、じゃあなんで……」

 

 ”なんで学校を辞めないのか?”

 

 一つ呼吸する。

 他の三人も心配そうにこちらの様子を窺っていた。

 ボクはできるだけ落ちついた声で、惨めな過去を思い出しながら回答する。

 

「最初は意地だったんだ。中学は将棋ばっかりで友達に恵まれなかったから。高校に進学しない選択肢がまず浮かんだんだ。」

 

 淡々と話すボクに反し、周りの空気が重くなるのを感じ取った。

 ボクはそれでも構わず続ける。

 

「でもね、それでも進学したのは、多分、逃げなかったっていう”記憶”が欲しかったんだと思う。ボクだって”普通の人”と同じように高校を卒業出来たっていう証が」

 

 ひとりちゃんを見つめる。

 彼女はうつむき、表情は分からない。

 

「今の学校は少し楽しいけれど。それはきっと虹夏さんやリョウさんがいるからだと思うし……そう考えると偶然なんだよね」

 

 ひとりちゃんがゆっくり静かにこちらを向く。

 彼女の表情から気持ちは読み取れなかった。

 

「でも今の状況を克服したくて、勇気を出してるキミは凄いと思うから。今は上手くいかなくても、いつか何かの形で報われるとボクは思うよ」

 

 何より報われてほしいと思った。

 彼女も自分に似ているところがあるから。

 

「えっ……」

「それに今も学校で頼りになる人が傍にいると思うし」

 

 ボクは喜多ちゃんを見ると”任せてください!”とキラキラした目で彼女は頷く。

 

「ねぇ後藤さん! 私、クラスは違うけど、これからは遊びに行くわね。だって友達なんだからっ(キタ~ン)」

「う、うっ、め、目があああ。ま、まぶしすぎる! 陰キャには致死量の輝き……。それにもし私が近くにいたら喜多さんのお友達が隣にいるコイツ何者? って表情でこちらを蔑む未来が……やっぱ駄目っ……

 

 そして喜多ちゃんを直視した”ひとりちゃん”は──

 また溶けた。

 

「後藤さん! ねぇ後藤さん戻ってきて!」

 一人ぼっち仲間として、ボクはひとりちゃんを勇気付けようとして。

 そしてボクは失敗した。

 何がダメだったのだろうか……。

 

 ひとりちゃんが溶けた原因を考えようと思ったが、

「零くん!」

 突然、張り詰めた声で虹夏さんに呼びかけられボクは振り向く。

 

「学校、一緒に卒業しようね」

 その時の虹夏さんの言葉が、いつまでも耳に残っていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ゔぉ、おおお。これでいいんだ」

 再度、元に戻ったひとりちゃんはリョウさんに作詞の進捗を見てもらっている。

 

「は、はい。か、会心の出来です……」

「そう。ロックバンドにしては、このサインはちょっと子供っぽいと思う」

 違ったサインを見ていた。

 

「ご、ごめんなさい。や、やっぱり歌詞はもうちょっと練ってきます! (これ見せて冷たい反応されたら、いや気を遣われたら私っ……)わ、わっ」

 

 リョウさんから強引にノートを奪い取ったひとりちゃんはバランスを崩してしまい派手に転んでしまう。心配になってボクは立ち上がると、近くにいた結束バンドのメンバーがすぐに駆け寄っていた。どうやらケガはしてないようだ。

 

 安心したボクは、ひとりちゃんが落としたノートを取りに向かう。

 放物線を描いて落ちたノートは見開いていて、ページにはどうやら歌詞を書いた形跡がある。

 足を屈んで、伸ばしたボクの手が止まる。

 開かれたページには赤い線で大きく☓印に、『暗すぎる』と一言書かれてあった。

 

 これは……

 

 散々泣いて泣き腫らして 枯れた海が

 また今日も明日を 懲りずに探してる

 

 

 いつまで待っても 僕は 僕なんだよ

 変わらないのも 僕の 僕のせい

 それでも何か ちょっとちょっとでいい

 僕の光になって行き先を照らしてくれよ

 

「れ、零さん!」

 ひとりちゃんの焦る声が聞こえる。

 

「いい。すっごくいい。この歌詞、何かいい」

 ノートを拾うことを忘れ、ボクはひとりちゃんの歌詞に引き込まれた。

 

「あっ、そ、そのページは。違くて……。か、書きかけだし……。その、ちょっと暗いかなと思ってるんですけど」

 

「どれどれー、ホントだ! このページの歌詞、すっごくいいと思うよ! ぼっちちゃん」

「うん、ぼっちらしくて良いと思う。零みたいに刺さる人、きっと居るよ」

「すごいすごいっ良かったわね後藤さん! あ、私はここのフレーズ、とっても好きです!」

 

 ページの上には『小さな海』と書かれていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「ところで零先輩って今日対局でしたよね?」

「あ、えっと、そうだね……」

 

 結束バンドの話し合いも一段落して、思い出したように喜多ちゃんが尋ねてきた。ファンの前であの醜態を説明することは、どうやらボクの矮小なプライドが邪魔するらしい。

 

「その、早く終わったんだよ」

 ボクは適当に誤魔化すことにした。

 

「そうなんですか! 勝ったんですか? 先輩!」

 ”キターン!”という効果音が鳴り響くほど純粋な目を向けられ、ボクは乾いた笑いで返すしかなかった。

 

 ちなみにあの反則は、一般紙の記事になるほどの事件になっていたことを後に知る。

 

「おいっキリヤマ~、調子崩してない大丈夫? でもまっ、あの”伝説の放送事故”のお陰で将棋界は盛り上がったから! 災い転じて福となすってことかねー!」

 次の日、用事で立ち寄った将棋会館で神宮寺(じんぐうじ)会長と遭遇する。

 居心地の悪いボクとは対象的に、会長は話題ができて嬉しそうだった。

 しばらく会館には近づかないでおこう。

 ボクはそう心に決めた。

 

 更に週明けの学校でのこと。

 教室に入ると同級生の生暖かい視線がこちらに一斉に突き刺さる。

 もしかしてみんな、あの事件のこと知ってる? 

 

「仕方ないよ。だって私もニュースで見たもん。あ、そういえば今日結束バンドでね……」

 虹夏さんは気を使って別の話題に切り替え、

 

「零は大物だよ、ロックな人生ってそういうもの」

 リョウさんもクスクスと面白そうに笑っていた。

 このクラスにも、ボクの逃げ場はないらしい。

 

 ああ、前言撤回してもう学校中退しようかな……。

 ボクはひとりちゃんに大口を叩いたことを今更ながら後悔した。

 

 でもなぜか喜多ちゃんは「さすが零先輩! 規格外で素敵ですっ」と喜んでいた。

 ボクは喜多ちゃんを少し心配した。

 でもありがとね。




桐山くん盛大にやらかす。
この時の桐山くんはさぞ絶望したと思いますが、そういうのも人間らしいよねって思います。

今回の事件の聖竜戦は、
現実だと王位戦の挑戦者決定リーグなら先後確定してるみたいなので。
そちらが元ネタならという想定で…
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