プロ棋士の桐山くんは伊地知姉妹に拾われました   作:あまざらし

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7話 二海堂戦

 4月下旬。

 桜も散って、各々が新たな生活に慣れ始める頃。

 

 今日も朝の駅のホームは、人が行き交い騒々しい。

 ボクは対局へ向かうため、学校を休み一人電車で移動していた。

 

 列車は今日も多くの人を乗せて目的地へ向かう。

 車内は常に人でごった返しているし、みんな各々の時間を楽しんでいる。

 それが有象無象のようで、そしてボクもその仲間の一人として迎えられているようで。

 だからかボクには心地ち良かった。

 

 でもそれは偽りだってこともわかっているのだ。

 皆と同じ列車に乗っているのに。

 止まらぬ列車に一人で乗っているような気分に陥る。

 

 それは多分ボクが一人、道を外れてしまったから。

 

 プロへの道は乗ってしまったが最後、もう降りることはできない。

 負けて転がり落ちるまでは。

 

 それでも、

 

『いよいよ今日は対局だね 頑張ってね零くん! 応援してるよっ』

 

 朝届いたメッセージがボクのその寂しさを和らげてくれたんだ。

 

 

 

「おう桐山やっときたか」

「スミスさん、一砂(いっさ)さん。おはようございます」

 将棋会館で待っていたのは、仲良しコンビの先輩棋士二人だった。

 

「いいからちょっと見てみろって」

 スミスさんが対局室の襖を少し覗かせると、

 

 むっちりなボディで気合十分。

 そして何故か劇画チックな二海堂? がそこに居た。

 

「うらやましーなー桐山ァ。見ろよあの気迫。全部お前のためなんだぜ?」

 一砂さん……そうは言いますが。

 なんかもう二海堂の作画が変わってません? 

 一人だけ別の世界から来た作風の、ある意味”溶けたひとりちゃん”状態である。

 

「でも桐山。お前も今年一番のいい顔してると思うぜ!」

「えっ?」

「おっ、”いっちゃん”もそう思った? 俺もなんか今日の桐山、いつもよりビシッとしてるよなって」

「ま、あのミスを挽回しないとだからな。分かるぜ~桐山ァ!」

「そりゃそうだよな」

 あははは! と二人は周りを気にせず高らかに笑う。

 

 しばらく、からかわれそうだな。

 ボクは二人を無視して、さっさと対局室へ向かうことにした。

 

「遅いぞ」

「そっちが早いだけだろ、二海堂」

「そうか。まぁ気がはやってしまってな。さぁはじめようか」

 

 ボクと二海堂の対局が始まった。

 

『2五桂』

 ゆっくりとした流れから二海堂が仕掛ける。

 

【2四銀】『3五歩』【同銀】『1五歩』

 

 この前指したときから分かってはいたけど。

 二海堂強くなってる。

 じっくりと。でも揺るがないで攻めてきている。

 

 気つけば対局は中盤。

 ボクは思い出していた。初めて二海堂と対局したあの泥のような持久戦を。

 だから今回もそうなるんじゃ、という微かな直感。

 そんな読みは当たったようだ。

 盤にはお互いがじっくり腰を据えた、持久戦模様が広がっていた。

 

 選択が難しい場面で長考中の二海堂が突然、前傾姿勢を取る。

 まさか!? ──体調を崩したのかとボクは心配になると、二海堂はボクの気も知らず、真剣にブツブツと読み筋を辿っていた。

 

(まだ終わらない)

 

 むしろ……この圧力は。

 ボクが初めて観戦したライブのような。

 いや、あの時以上でボクに迫ってくる、目の前から発せられる凄まじい”気迫”。

 

 ああ、この執念がコイツの強さの根底なんだ。

 この時ボクは二海堂の強さの一端に触れた気がした。

 

 対局も終盤に差しかかり。

 静かで、それでいて張り詰めた部屋の空気の中。

 気がつけば残された対局は僕たち二人だけ。

 そこは狭い対局室に残された二人の呼吸音と駒音だけが響く、静かな世界だった。

 

 形勢はボクが優勢だ。

 でも二海堂も一歩も譲らず、不安定な戦況が続いている。

 

 でも、負けてやるつもりはない。

 

 そして僕たちの両者譲らない終わりの見えない持久戦は続き。

 結局、対局は夜にまで及んだ。

 

「ありません……負けました」

 最終的には詰みの形まで追い詰め、辛くもボクは勝利する。

 

 直後の感想戦。

 長期戦をまるで感じさせず、でも悔しさは隠さず熱心に検討する二海堂が目の前にいて。

 ああ、コイツも同じ道を進むんだなという当たり前の事実に気がついて、思わずボクの心は少し軽くなったんだ。 

 

 検討が終わり僕たちは対局室を後にする。

 もう遅いから寄り道することなく、二人で歩いてそのまま会館の出口まで辿り着いた。

 ただ先程から妙に歩みの遅い二海堂が気になって様子を見ると、対局室では元気だった二海堂の顔に、うっすら汗が浮き出ていた。よく見ると顔色も悪く、傍目でも明らかに体調を崩していそうだ。

 

「二海堂ッ!」

「これくらい大丈夫だ……って花岡?」

「お久しぶりです晴信様。そして桐山様」

 

 二海堂のお付きの花岡さん。

 世界一周の旅行中だったはずの彼が、なぜか会館前で待機していた。

 話を聞くと、どうやら旅行を中断して二海堂の元へ戻ってきたらしい。

 二海堂は花岡さんに連れられ、急いで病院へ向かった。

 

 冷たい夜風を肌で感じ、緊迫した一日が終わったことを実感した。

 

 そしてボクは一人、帰路につく。

 

「勝ったよ……虹夏さん」

 

 彼女との約束を守れた。

 その安心感なのか空を見上げると、半分に欠けた月がボクをささやかに祝福してくれたように思えた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「ありがとな桐山」

「いえ、今日はボクも暇だったので」

 

 今ボクは星歌さんが店長を務めるライブハウス『STARRY』の手伝いをしていた。

 

 結束バンドの初ライブまであと10日ほど。

 追い込みの時期という事もあり、虹夏さんたちは今日もスタジオ練習へ向かっているはずだ。

 

 熱心なバンド活動の弊害か。

 ライブハウスのバイトの欠員がどうしても生まれてしまうようで。

 二海堂との対局が終わり、久々に伊地知家にお邪魔になったボクがその話を聞き、手伝いを買って出たという流れだ。

 

 前回と同じように清掃をした後、ドリンクコーナーに向かう。

 ボクはそれしか出来ないので、思い出しながらの接客。

 あの事件の後、学校でもボクは妙に顔が広まってしまったから。

 今日の接客は少し心配したけれど、世間から見たらまだまだボクは無名なようでホッとした。

 

 前回と違い虹夏さんがいないドリンクコーナー。

 彼女がいなくても義務的にドリンクを受け取る客足は途絶えない。

 だから営業としては問題ないのだけれど……。

 

 でも、なぜか明るい彼女がいないだけで、この薄暗い空間が更に寂しく感じた。

 

 

「助かったよ桐山。今日は寄ってけよ、虹夏も帰って用意してるだろうし」

「は、はい。ありがとうございます」

 スタッフも慌ただしく解散し、ボクは星歌さんに連れられ今日も伊地知家にお世話になる。

 

「ただいまー」

「お姉ちゃんおかえりー」

 仕事を終え、僕たちが家にあがると遠くから虹夏さんの声がする。

 

「お邪魔します」というボクの何気ない一言に、

「今更、桐山の”お邪魔します”も何かヘンだな」

 横から星歌さんからの思いがけない指摘が入る。

 

「えっと……た、ただいま?」

 少し間を置いたボクの言葉に、星歌さんは柔らかな微笑みで”おかえり”と頷き「あ~、今日も疲れたー」とスタスタ奥へ進む。

 

『今はここが零の家なんだから。せめて”ただいま”くらいは言いなさい』

 一人残されたボクは、小さかった頃に諭された師匠の言葉が蘇っては頭に響いていた。

 

「もうすぐご飯できるから。零くんはくつろいでてよ!」

 虹夏さんにそう言われ、手持ち無沙汰になったボクはちょこんと居間のソファーに座る。

 

 耳を澄ませると、奥から料理中の虹夏さんがジューっと何かを炒める音。

 そして、隣にはリラックスしながら雑誌をめくる星歌さんが居た。

 

「ん? どうした?」

「いえ、なんでも……」

 

 そっか。もう一ヶ月経つんだ。

 ボクがこの家に初めて来て、そして二人に出会って迷惑をかけて、今日でちょうど一ヶ月なんだ。

 

 あの時は居場所のないボクでも一人暮らしさえすれば、自分の居場所が勝手に出来ると思っていた。

 でも結局何も変わらなくて。

 そんな時にたまたま二人と出会って、ボクは何かが変わってしまった。

 

 それが具体的に何なのかは、まだよく分かっていない。

 でも、ただ一つ予感していた。

 これは知ってしまったが最後、多分もう二度と元には戻れないものなんだっていう。

 不透明だけど明確な予感が。

 

 

 

「ええ~、5月6日って対局日なの! 零くん」

「は、はい」

 

 遅い夕食の後。

 実は今日の間ずっと言い出せず、虹夏さんに黙っていたことを告白する。

 バツが悪く学校では話せなくて、結局ここまで来てしまった。

 

 結束バンドの初ライブ日とボクの対局日が被ってしまったことを。

 

「初ライブ、零くんには来てもらいたかったのになぁ……」

「は、はい」

「桐山には大切な仕事があるんだから。仕方ないだろ」

 そんな星歌さんも、どこかテンションが低そうだった。

 

「でも対局は早めに終わって間に合うかもしれないので……。虹夏さん、それでもチケット買っていいのかな?」

「ホントに!? じゃあ今すぐチケット持ってくるね。ちょっと待っててー!」

「桐山、無理はするなよ」

「はい。頑張ります」

 

 どうやったらライブに間に合うのだろう。

 ライブは18時から。

 虹夏さん達の出番は最初だって言ってたし。

 対局の持ち時間は3時間で、夕食休憩もないから普通にやれば余裕はあるはずなんだ。

 でも、その日は玉将戦の1次予選の決勝だし、もし勝てたら取材も入る可能性が高い。

 そう考えると……。

 

「聞いちゃいない……」

 遠くからそんな星歌さんの呆れ声が聞こえた気がした。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「零、今大丈夫か?」

「はい、師匠」

 

 伊地知家から自宅に戻ってしばらくして。

 連盟から昨日届いた、対局表をぼんやりと眺めていた時。

 引越し後、初めて幸田師匠からロイン通話がかかって来た。

 

「零、今日の獅子王戦おめでとう。忙しくなるな」

「ありがとうございます。引き続き頑張ります」

 

 普段めったに来ない唐突な師匠からの通話。

 でもこのタイミングでかかって来た理由は、おそらく二つある。

 

「あと、この前のリーグ戦。あれは、なかなか派手にやらかしたな。そっちの生活は大丈夫かい?」

「は、はい。今はなんとか慣れました」

 一つ目は”あの件”を心配してのこと。

 

「もし一人暮らしが大変だったら、いつでも戻って来なさい。”香子(きょうこ)”も忙しくて帰ってこない日も多くてな。今は静かだから」

 

 将棋の師匠ではなく、娘の帰りを待つ父親の姿はどこか寂しげだった。

 ボクは「はい」と一言返し、回答を濁す。

 

 家族を失い、身寄りすらも定まってなかったボク。

 そんなボクに将棋のプロになるため、内弟子として長年に渡り幸田家に住まわせてもらった師匠への恩義。

 それは今だって片時も忘れることはない。

 

 それでも。

 ボクはもう、今更あの家に戻る資格はないだろう。

 

 師匠の柔らかな声を聞いて、ボクの小さかった頃の記憶が戻ってくる。

 

『零、普段の生活で師匠は堅苦しいから。お父さん、お母さんじゃダメか?』

 

 それは師匠の優しさだった。

 家族を失い、子供ながら身一つで投げ出されたボク。

 そんな難破船に一人で取り残されたような状況のボクを助け出すため、別の船に移るように提案してくた。そんな頼りになる大人らしい優しい言葉だった。

 

 でもその時のボクは、本当の家族を忘れられなくて。

 忘れることが出来なくて。

 

 難破船に一人で残ることを選んだんだ。

 

『ご、ごめんなさい──師匠。ごめんなさい』

『そうか、そうだよな。いいんだ零。お前の気持ちを汲んでやれなかった。ごめんな、私が悪かった』

 

 あの時のボクは、どうしても溢れる涙を止めることが出来なくて。

 師匠に優しくただ頭を撫でられながら、泣きやめ泣きやめと必死に心に向かって叫んでいたんだ。

 

「それと……」

 そして師匠が少し間を開けて言葉を紡ぐ。

 

 もう一つの理由。

 そして恐らくこちらが”本命”だ。

 

 右手に持っていた、一通の封筒。

 ボクはそれを思わず強く握りしめる。

 

「零、キミにも届いたかい」

「はい。連盟から昨日、日程が届きました」

「きっと6月だな……。楽しみだよ、まさか初めての対局が順位戦の初戦とはな」

「はいボクも……。その、よろしくお願いします」

 

 昨日、将棋連盟から届いた封筒の中身。

 それは近々行われるボクの対局予定日の知らせ。

 そして、6月から行われる順位戦の組み合わせ表だった。

 

 そう、B級2組順位戦。

 ボクの初戦の対局相手は、

 

幸田柾近(こうだまさちか) 八段』

 

 一人になったボクを匿ってくれた優しい人。

 そして、将棋のことだけは少し厳しいボクの師匠だ。




桐山くんvs二海堂

この物語のヒロインって”桐山くん”なのかもしれない……。
次回、初ライブ。
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