透き通るような霞龍 作:右側に居るタイプのゴア・マガラ
「外傷が無い?」
同行した”先生”の指示のもと、勝ち抜き続けたシャーレ新入部員たち。
血だまりの中、死体……ではなく、気絶したアウトローたちの持ち物を改める、先ほど合流したトリニティ自警団の面々が居た。
この都市で最も影響力のある巨大学園、その三柱の一つトリニティは、格式と歴史を併せ持つ名門校ながらも、同時にそれらがまばゆい誘蛾灯となって、様々な不良生徒から襲撃を受けるのが日常茶飯事と化していた。最もそれらは、トリニティのより取り見取りな”処刑機構”に手を下され、誘蛾灯に近寄った虫と同じ結末を迎えることになる。
だが、それは被害が出てからの話にすぎず、普段の小さな不幸は積みあがる一方であった。
自警団とは、そういった不幸を少しでも減らすために設立された過去がある。そのためそこに所属する人間たちは、如何なる形であれ、善意と優しさを持ち合わせていた。
銀髪を硝煙と少しの血錆に汚しているこの少女、スズミもまた、知的で冷静な性質に、やさしさと細やかさを秘めている。
そんな彼女ではあるが、実際に戦うとなると優しさをもってしても銃弾は飛び交うものだ、と理解していたし、ましてや外傷がない血だまりなどをみたことはなかった。
倒れているアウトローたちは皆貧血を発症していたようで、顔面蒼白そのものといった外見になり果てている。ところがその出血は例外なく粘膜から起きており、外傷といったものは見られない。目、鼻、喉等から、それらが溶け落ちたかのようにこんこんと流れだす血液は、かなりの時間が経っても尚固まる素ぶりを見せない。
不気味であるが、終わったものは片付けるほかにない。手早く治療を要請し、ひとまずは応急手当を行う。
救急キットを開けば、鉄さびの匂いに混じってアルコールの臭気が鼻孔に入り込み、何とも言えない空気を肺に取り込む羽目になった。
「う……」
誰のものかもわからないうめき声が現場に響く。刹那、まるで自分がその声を出したかのような気分になってしまったスズミであったが、数秒の後、目の前の血だまりに落ちている生徒の物であると気づいた。
「意識があったんですね、治療を行うので大人しくしてください」
とは言う物の、この出血ではしばらく動けもしないし暴れられもしないだろう。なんであれば、この発声だって条件反射のようなものかもしれない。
「霞の向こうから……怪物が来たんだ……皆やられる、アレは人に、敵う物じゃ……」
だから、このような世迷い事だって、本当のことではないのだ、と。アウトローらしからぬ弱気な発言、そしてその不可思議が過ぎる内容に恐怖する自分を振り払う。
少し背筋に厭なものを感じたスズミであったが、まずは目の前の傷病者を手当てを完了することにした。優しさとは、誰に振りまこうが価値あるものだからだ。
スズミが傷病者を発見する数十分前のこと。既に脱走者たちは、シャーレの先生が率いる部隊に主力がかち合い、至る所で散発的な抗争を引き起こしていた。
どこまでも澄み渡った空を尻目に、どこまでも濁った空気を肺いっぱいに吸いこんで、走り、構え、撃つ。
────数では勝っていた。名もなき少女は、カバーの脇に倒れ伏していたいくつもの銃創を身に纏う同胞から弾を分捕り、連邦生徒会へと銃口を向け、また引き金をぐん、と引く。
今まで勝ちの目を見たことはなかった。何故そうなったかと言われれば、奇跡的なめぐりあわせの悪さが続いたというだけで、別に特筆することがないのがまた彼女にとっての負い目でもあった。
だが、今はどうであろう。あの────自分とは大違いの、勝ち組の、誰もが必要とされていて輝いていた連邦生徒会が、まさか鼻つまみ者の自分たちに負けようとしているではないか。それが気持ちよくて、しかし少しだけ虚しい。
勝った後のことを考える。勝ったことが無いのでわからず、結局銃声を響かせるしかなかった。流行の歌とやらが、更生部屋に流れることはない。
幾度リロードし、幾度撃ち尽くしたころだっただろうか。着弾音がくぐもり、怒号が掻き消えるほど戦った頃に異変は起こった。
そもそも何故、このような開けた場所で、音がくぐもるというのか。
血だまりの中、生徒会役員、そしてその下部組織構成員の持ち物を物色していた時に、ふと周囲を見回してみた。
いつの間にか、当初の定位置より随分と遠くに来てしまったことに気が付く。仲間は自分を合わせて5人、分隊はほとんど傷を作らないまま、気分良く暴れていたせいだろうか。
そして何より────先の見えない霧が、不意に視界を覆い尽くす。この街で霧など、ほとんど見たことはない。加えてこれほど突然であればなおさらである。
この場の誰もがスモークを疑うが、この範囲にこの速度で、そして一様に広がるもの等聞いたことも見たこともない。この街の全てが集まり、流れ出すブラックマーケットへそこそこ入り浸った自分たちでさえ知らないのであれば、連邦生徒会のような堅物がそんなものを持っているとは考えにくかった。規格にあう銃弾だけを奪い取ると、この分隊のリーダーである名もなき生徒は警戒を開始した。
戦いの趨勢を決める要素。それはいくつもの議論を重ねられ、未だに完全な答えの出ない問の一つでもある。何故人は、このような野蛮な問いかけに、その持てる知性の全てを注ぎ込んでなお答えを得ようとするのだろうか。
しかし答えが無いとはいえ、ある程度の方向性という物がいつの時代にも存在した。
それは強さである。
それは賢さである。
それは数である。
それは連帯である。
いくつもの答えがあって、いくつもの誤りがあった。いくつもの死体と、いくつもの別れの先に、また新しい闘争がやってきた。
生きることを戦いであると評したものも居た、生きることは死に向かうことだというものもいた。
────結局、そのいずれにも意味はなく。つまるところ、どうあがいても生命はそこにあって、そこに在る以上のことはなかったのだ。
この怪物、霞の主である古龍オオナズチは、長年にわたりそのような世界で生存競争を行ってきた中で、実際にその考えが正しいと思っていた。
それは今、生きるために戦うことを選択した。この世界では生命がとても頑強で、ほとんど死ぬと言ったことが無いという。誰もかれもが銃口を向け合い、同種族内で戦いをしている。何故そのような余裕があるのだろうか。金獅子を始めて見たときも、同じようなことを考えていたことを思い出す。
同時に、きっとこの戦いも、彼女らにとっては────明日生きる糧を得るものではないのだろうとも思っていた。
自分たちの暮らしていた場所では、どれほど強大であろうとも明日生き残れるとは限らなかったというのにと、治り切った傷跡に眼球のみを向ける。
その目線の先、艶めいた紫色の皮が突如として揺らいで、それが瞳に達する頃に────忽然とその龍は消えていた。
どこから見られているのかもわからない、まさしく五里霧中といった事態の最中。歩幅は恐怖と不安で小さくなる一方で、型通りに構えられた銃身だけが確かに感じられる所有物であった。まるで街が、自分たちの知らない”何か”に支配されているようで、腹の中を彷徨い歩くかのごとき重圧が、この霧ように身体中へとまとわりついている。
主は霧の中、誰に気づかれることもなく壁面を這い回った。最早ここはそれの支配下であり、霞の中に潜む霞を見ることはできない。
誰かが耐えきれず恐怖を口にした。普段よりも水分を多く含んだ空気は、背筋の冷えを強く強調し、ある筈もない何かをより恐ろしく想像させた。
見えない何かは、ただ見えないというだけで恐ろしい災禍とされた。生き残ってきた生命とは、最悪を想定できる賢さを持ちうるものであり、だからこそ際限のない神秘、不明なものは恐れられた。この龍はそれを知っていて、それを利用する術にも長けている。音もなくその分隊員の一人に近づいて、気取る暇もなく銃を絡めとった。
そのような恐怖を笑い飛ばそうとする者もいた。この世には知らないものの方が多いのだから、突然霧が出ることもあるだろう。楽観視することについては反対だったが、リーダーである限りまず恐れるは部隊の制御不能状態。恐怖やパニックは、実際に死ぬよりも大きな打撃を与えることを彼女は知っていたから、それを肯定することにして────直後、自らの銃が霧に掠め取られたと錯乱するその部隊員を見て、全員に走って霧から抜けるよう命令した。
舌先で器用に銃を握りつぶす。精巧で高威力、撃たれれば龍であろうと無視できない文明の利器は、照準を煙に巻かれて終ぞ役立つことはなかった。
走って、走って、ただひたすらに走り続ける五人の生徒。法の外を気取っていた自分たちが、理の外に触れている。どう転ぼうが、しょっ引かれるよりも酷いことになると予感して、目前の勝利が、霞を掴むような話だったという現実に打ちひしがれた。
普段であれば、ここから追い回すようなことはしない。それが生存に寄与しないからであるが、今だけは話が違っていた。彼女らを鎮める必要がある、そう理解していたオオナズチはくるるるるる、と不気味に喉を鳴らした。
何かをひっかくような、それでいて液体をかき混ぜるような音が前方から響く。誰もが逃げ出したいと思っていたし、とうに正気も微かな痕跡を残すのみとなっていたが、部隊長だけは異変の中に現れた異変に気付いた。本能的に、生得的な感性に従って足を止めてしまう。残りの四人は、それに目もくれない。
だが、直感が正しかったようだ。即座にそれは証明される。
突如として、煙の噴き出すような音が鳴る。汽笛にも負けないその轟音に続いて、漸く霧の中から主が歩み出る。鮮烈で、微かな光を反射して煌びやかに色づきながら噴出する煙は、文字そのままの意味で”紫煙”と形容できるであろう。どうみても有害なそれを噴き出す魔物は、ギョロついた瞳二つで全員の位置を次々と捉え、開いた顎を振り回し、翼を広々と広げた上で、誇示するかのように二足で立っていた。
そのまま連獅子じみた動きでその毒息を吹き付ける。至近距離に居た四人は、毒の効能以前の衝撃で吹き飛ばされ、地に叩きつけられた。全身から淡く血が滲み出てきている。
まるで霧に存在が溶けていくように、止まることも、傷口もない流血。
直感は実に正確だったが、彼女を救うほどではなかったようで、吹き飛ばされずに済んだもののその肉体は限界を迎えつつあった。視界が真っ赤に染まる。瞳がはれ上がって、血涙となって流れ出した。彼女が見た最後の光景には、ただ何処までも続く霧だけがある。