――ザック、ザック、ザック……
放課後、ホームルームを終えて友人と別れたハニーマイティは、チーム・バルカンのホームへとやってきていた。
いつもなら落書きまみれの外観に辟雍しつつも、さっさと中へと入って練習用のジャージに着替えるのが彼女のルーティーンなのだが、今日は違っていた。
――ザック、ザック、ザック……
ホームの玄関先に一心不乱で穴を掘る不審者、もとい不審なウマ娘が一人。しかも彼女はどう見てもマイティがよく知る人物だった。
「なにやっているんですか、ウインディ先輩」
呆れ気味の声色でマイティが尋ねると、穴を掘っていたウマ娘――シンコウウインディが手を止めて顔をそちらへと向けた。
「おお、マイティ! ふっふっふ……よくぞ聞いてくれてのだ! この落とし穴は、今日ここに来る一番の大物を落とすために作っているのだ!」
泥だらけになりながら、ウインディは笑顔で言った。一番の大物……一瞬、それが誰なのか気にはなったが、巻き込まれるのも嫌だったのでマイティは器用に落とし穴の横を通ってホームへと向かった。
「お疲れ様でーす……って、あれ?」
そして入った瞬間に感じた強烈な違和感。マイティは暫し首を傾げて、中を見渡した。
「何か……綺麗になってる?」
運動部の部室、しかも同性だけの空間とあってチームのホーム内は結構散らかっていた。しかもスイープトウショウがよくわからない魔法の道具を持ち込んだり、トーセンジョーダンの化粧品やウインディの何かよくわからないアイテムでごった返して、さながら場末のアメ横のような混沌を表していたのである。
しかし今日はそれらが全て綺麗に片付けられ、部屋の隅に整頓して置かれている。
「おー、マイティ。どうでい、サッパリしたろう」
箒片手にイナリが現れた。頭には手拭い、制服の上にはエプロン。完全に家の掃除をするお母さんスタイルである。
「ど、どうしたんですかイナリ先輩。急に掃除なんかして」
「へへへ、そりゃ今日は……なあ?」
含みのある言い方をするイナリにマイティは首を傾げつつも、荷物を置いた。
「おつー、マイティー」
すると横に座っていたジョーダンがネイルの手入れをしながら挨拶してきた。すぐにマイティも挨拶を返そうとするも、そこで彼女の動きは止まった。
「じょ、ジョーダン先輩。何か今日、メイク気合入ってません?」
「は、はぁ? へ、べつに何時もどーりだし……」
「え……でも、ネイルは勿論、睫毛もアイラインも今日はいつもより気合が入ってますし、肌の艶も痛たたたたっ! つ、抓らないで下さい!」
「全く、うっせーし……」
耳まで赤くなりながら、ジョーダンはマイティの腕を抓っていた。
涙目になりながらマイティはジョーダンから逃れると、抓られた箇所を労わるように擦っていく。
「ちょっと五月蠅いわよ二人とも! 今、こっちはお茶の準備をしてるんだから!」
すると部屋の奥からひょっこりとスイープが顔を出した。どうやら中にある簡易的なキッチンで何かしていたらしい。
「お茶ですか……って、これは」
そこでマイティは傍らに置いてある、白い紙袋に気が付いた。
「こ、これって……今、都内で話題の『カスケード』のバームクーヘンじゃないですか!?」
ワナワナと震えながら、マイティはその綺麗な花模様の書かれた紙袋を凝視した。
トレセン学園は女子校なだけあって、ファッションやスイーツの情報はすぐに生徒内で伝播する。
この『カスケード』はトレセン学園の近くにある洋菓子屋で、現在生徒達の間で密かにブームとなっている場所である。
しかしこのお店は意外といい値段がするため、おいそれと学生が買える代物では無い。
なのでレースで勝った時や良い成績を出した時など、ハレの日に奮発していく場所という認識の店であった。
「な、なんでこんな高いモノがここに……す、スイープ先輩が買ってきたんですか?」
「そ、そうよ! な、何か問題でも……」
「な、なにかめでたい事でもあったんですか。結構しますよねコレ……」
そこまで言った時、マイティの目にある物が飛び込んできた。
壁にかけられたカレンダー、そこには大きく花マルが書かれている日がある。そしてそこに刻まれている日にちは、今日で間違いなかった。
「……あ」
そこでマイティは思い出した。
今日がなんの日か。チームにとってどういう日か。
「トレーナーさんが、帰ってくる日だ!」
ここ暫く出張に向かいチームを留守にしていた、チーム・バルカンのトレーナーが学園に戻ってくる日であった。
「そうかぁ~だからスイープ先輩、嬉しそうだったんですね」
「は、はぁ!? そ、そんなわけないじゃない! 使い魔のことなんて、今思い出した所よ!」
真っ赤になって否定するスイープだが、マイティはうんうんと頷くと憑き物が落ちたように笑った。
ウインディの奇行やジョーダンの本気メイクもこれで納得がいく。
帰ってくるトレーナーにいい所を見せたいのだ。
「またまたぁ、トレーナーさんのためにお菓子とお茶を用意するんですね!」
「ち、ちが……」
「うふふ、スイープ先輩って優しいです――」
「ディモルディモル、フォセカ!」
「ぶべっ!」
マイティの眉間にスイープの魔法(物理)が炸裂する。小さい体躯ながらもウマ娘の全力チョップは、マイティを涙目にするほどの攻撃力があった。
「うう、すいません……」
「ふん! 分かればいいのよ!」
スイープはプンプン煽りながらもお茶の準備に戻っていく。マイティは痛みで眉間を押さえつつも、それを手伝うべく動き始めた。最年少の後輩にとって先輩一人が何かしているのに、手伝わないわけにはいかなかった。
人数分のカップを揃え、お茶菓子を準備して紅茶を煎れていく。やがて紅茶の芳醇な香りが、部屋に流れ出した頃だった。
――ドスンッ!!
「あーはっはっは!! 引っかかったのだーっ!!」
大きな何かが落ちる音と、ウインディの大きな笑い声が聞こえてきた。
「っ!!」
咄嗟にスイープが動き、それにジョーダンが続いた。丁度、紅茶の入ったティーポッドを持っていたマイティはそれを置き、イナリと一緒に出入り口へと向かう。
「参ったか! 子分のくせに、親分を蔑ろにしたお仕置きなのだ!」
マイティが外に出た時、目に飛び込んできたのは、大きく開いた落とし穴の周りでウインディが飛び跳ねている光景であった。
恐らくウインディの仕掛けた罠にまんまと引っかかったのだろう。いるはずのトレーナーの姿がここになかった。
「と、トレーナーさん、大丈夫ですか!」
「安心しな、マイティ。これくれぇで心配されるようなタマじゃねぇさ」
思わず駆け寄ろうとしたマイティの肩を、イナリがポンと叩いた時だった。
「……やったな、ウインディ」
土埃まみれとなった男が穴から這い出してきたのである。
穴から顔を出した男はニヤリと笑い、そのまま地上へと飛び上がった。
背の高い男だった。
チームの中では高い方にいるジョーダンやウインディよりも頭一つ二つ、大きい。恐らく190に近い長身だろう。
容姿はどこか優男といった風貌だが、体格が良いために頼りなさは感じられない。
綿のワイシャツとズボンに、胸元で光るトレーナーバッチ。
このチーム・バルカンのトレーナーに間違いなかった。
「ちょとートレーナー大丈夫?」
「ふん! こんな見え見えの手に引っ掛かるなんて、油断してるからよ!」
トレーナーの元へ嬉しそうに近づくジョーダンと、口調は辛辣なものの尻尾をち切れんばかりに振るスイープ。二人に声かけられ、トレーナーは照れたように頭をかいた。
「出張から帰って直だから、疲れてたのかもな」
「がぶっ!」
「うおっ」
そんなトレーナーの頭にウインディが噛み付いた。しかし甘噛なのか、トレーナーはウインディが飛び乗ってきたような体勢のままで、彼女の頭を撫でた。
「ウインディちゃんを置いて、ずっと出張なんてふざけてるのだ! これまで我慢してきた分、噛みつかせて貰うのだ!」
「ちょっとウインディ! 使い魔とくっつきすぎよ!」
「あー、もー、帰ってきてからイキナリ大変じゃん」
三人のウマ娘に囲まれてもみくちゃにされるトレーナーだったが、ふとその視線がマイティとイナリへ向いた。
「おお、イナリにマイティ。久しぶりだな。変わりはないか?」
声をかけられたマイティはビクン! と肩を震わせる。新入りのマイティは、未だに彼に緊張する時があるのだ。
「い、いえ、大丈夫です。お疲れさまです、トレーナーさん」
「そうか、よかった」
そう言って浮かべた柔和な笑みに、マイティは顔が熱くなるのを感じて下を向いた。
マイティにとっては学園内で接する数少ない男性である。恥ずかしがり屋でないこうてきなマイティには、トレーナーは少々刺激の強い存在だった。
「こっちは上手くやってるよ! それよりもダンナ、長旅で疲れたろう。練習前に一服しないかい?」
「そうか、すまないな」
「今日はスイープがダンナのために取っておきの、茶菓子を用意してるからな。ゆっくりしなよ」
「それは嬉しいな。是非、ご馳走させてもらおう」
「ちょ、ちょっとイナリさん……」
イナリに暴露され、スイープは林檎のように真っ赤になってしまう。そのまま大きな帽子を深く被り、恥ずかしそうに俯向いてしまう。
「そうそう、メッチャ美味しそうだったよ。とりま、お茶して駄弁ろーよ」
トレーナーの腕に絡みついてジョーダンが言った。基本はおとっりとした彼女であるが、今日はいつもよりもテンションあげといった感じにマイティは見えた。
「ちょ、ジョーダンまで近すぎよ! 使い魔も困ってるじゃない」
ジョーダンの反対側にスイープが陣取った。
トレーナーはその様子に苦笑しながらも、ホームへと進み始めた。
ウインディを肩車するように乗せ、両手にはジョーダンとスイープ。傍から見れば、美少女に囲まれている青年の図だが……
(何だか、お父さんみたいだ……)
マイティには何故だかそう見えてしまった。
そうなるとお母さんはイナリであろうか。マイティはチラリと隣の先輩へと視線を向けて、大きく頷いた。
この個性の塊が集まったチームは何だかんだいって、このトレーナーで保っている事が大きい。その事実をマイティは噛みしめるのであった。
…
……
…………
「つかれたぁ……」
日も落ち切った夕方。
マイティは重い足取りで寮への帰路に着いていた。
「だらしないのだ、マイティ! ウインディちゃんはまだまだ元気だぞ!」
「ウインディさんと違って、マイティは短距離専門でスタミナが無いのよ。しょうがないわ」
「そうそう。あんまり気ー落とすなって」
スイープとジョーダンに慰められながら、マイティはゆっくりと歩を進めていた。
「……皆、今日のトレーニング。気合入り過ぎですよ……いくらトレーナーさんがいるからって」
久々のトレーナー参加。そして指導ともいうことあってウインディ・ジョーダン・スイープは大ハッスル。
彼が出張に行っている間にこれだけの実力を身につけたのだ、といわんばかりの大健闘を見せた。
そしてそれに付き合わされたマイティは早々にスタミナ切れを起こし、イナリに介抱されていたのだ。
「おかげで遅くなっちゃ……あ、あれ?」
「ん、どったのマイティ」
「す、スマホが無いんです。あれ……あれ……部室に忘れちゃったかなぁ……」
「大変ね。付いて行ってあげましょうか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます、スイープ先輩。一人で行くので、先に寮へ戻ってて下さい」
頭を下げてからマイティは踵を返した。
そのまま小走りでホームへと戻っていく。確かまだトレーナーとイナリワンが残っていたはずだ。
あの二人は現在チームの指導者とリーダーであり、込み入った話が色々とあるらしかった。
「さてと、一応ノックして……」
入り口まで来たマイティがそのまま中に入ろうとした瞬間であった。
「ダンナ……あたしだって寂しかったんだぜ?」
中からイナリワンの声が聞こえてきた。
「すまん、忙しかったんだ」
「だからって全然電話もしてくれねぇし。いくらイナリさんが我慢強い女だからって、痺れがくるってもんさ」
「あっちでも接待とか交流会とか色々あってな。時間が取れなかったんだ」
「てやんでぃ! おかげであたしは色々不安だったんだぜ」
「分かった分かった。今度埋め合わせはするよ」
「えへへ、やった! 久々にお出かけさ」
普段のイナリからは考えられない、甘えた声。
それを聞いた瞬間、マイティはすぐにホームへ背を向けた。
――聞かなかった事にしよう。
そう決意したマイティは、寮へ向かって最高のスタートダッシュを切ったのであった。
トレーナーとイナリは健全な関係です。
トーセンジョーダンのヒミツ
実は、チームメンバー全員のネイルを既に準備している。