『ペルソナ4短編集』   作:OKAMEPON

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2023年猫の日記念に書きました。
時間軸としては1月くらいです。(マリー未救出)


【鳴上悠×白鐘直斗】
『寂しがり屋の猫』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 それは年も明けて少し経った頃の事。

 稲羽の町を騒がせていた事件も本当の意味で終息に向かい、その犯人やらの事に関して世間は少し騒がしくはあったが稲羽の街には随分と平和な空気が戻って来ていた。

 町全体を沈めるかの様な一寸先すら見通せぬ程の深い混迷の霧は、一人の男の空虚さと絶望と諦念が生み出した壊れた街の最果てでそれを生み出していた者を倒す事によって打ち祓われ。僕たちの現実の世界は確かに救われたのだった。

 日本と言う国の、その一地方の片田舎の小さな町だけれど。それでもそこは人々の暮らす世界であり、僕たちは確かに小さな世界を救ったのだと思う。

 そこに至る過程は決して平坦なものではなく、『真実』を掴み取る為に辛い決断が迫られた事もあった。しかし、最も苦しい時分にあってさえ冷静さを失わなかった彼の尽力によって『真実』の為の道は閉ざされる事は無かったのであった。

 そんな彼……鳴上悠は、年が明けて少ししてからというもの、何かが気に懸かっているのか時折テレビの向こうの世界で何かを探している。

 何を探しているのかと訊ねた事はあったが、彼自身何かが引っ掛かってはいるがそれが何なのかは明確に言語化出来る状態では無かったようで。彼らしくなく少し要領を得ない答えを返していた。

 その為、僕たちは事件が終わってからも幾度と無くあちらの世界を訪れている。

 今日も、そんな日であったのだ。

 

 稲羽の町を覆っていた霧は晴れたが、このテレビの中の世界の霧は晴れる様子は無い。この霧が晴れるとシャドウたちが暴れだすそうなので晴れていては寧ろ危険なのではあるけれど……。

 しかし、霧を生み出していた存在は確かに僕たちが倒したのだ。……生み出した存在を倒したからといって霧が消える訳では無いのだろうか? だから、この世界には霧が残り続けているのか? 考えても、元々謎だらけであるこの世界の事はハッキリとは分からない部分の方が多い。

 そう言った部分に彼も何かしらの引っ掛かりを感じているのだろうか……。

 

 彼がより重点的に調べているのは、久慈川さんの心が作り出した劇場と、菜々子ちゃんの心が作り出した天国の様な場所と、そして真犯人であった足立の虚無が生み出した壊れ果てた町であった。

 どうしてそこを調べるのかと彼に聞いた所、違和感があったからだと言う。

 劇場で戦ったクマくんの影、天国で菜々子ちゃんをこの危険な世界から救い出そうとした僕たちを阻んだ生田目のそれ、そして足立の中に巣食っていた霧を生み出すもの……。

 それらに、彼は確かに何かを感じたのだそうだ。

 だからこそ、それらと戦った場所に何か残っていないかと探しているのだ、と。そしてそれは、今の彼が感じている言語化し辛い引っ掛かりに繋がるのではないかと言う事であった。

 

 壊れた町の情景は、それを生み出した男がこの世界から去っても……そしてその身の内に巣食ってたモノを打ち祓っても、何一つ変わらずにそこにある。

 そこを徘徊するシャドウたちも、足立が抱えていた虚無の強さが故なのかとても強力なものばかりで、幾度と無く踏破した場所ではあっても油断は出来ない。

 そう、別に油断していた訳では無かったのだ。

 

 何度となく見かけたシャドウの様でいてその色合いが少し異なるシャドウの攻撃を、他のシャドウへと攻撃していた為咄嗟の回避行動が出来なかった僕はまともに喰らってしまった。

 ペルソナの力で守られている事もあってそう大した威力は無いものであったけれど、元々小柄で軽い僕はその一撃に吹き飛ばされてしまって。

 硬い地面に打ち付けられて転がった僕は、直ぐに体勢を立て直そうとして。そして……立つ事が出来ずそのままよろける様に腕を突いてしまう。

 身体の何処かが痛い訳では無いのに何故か立てない事に戸惑って、「え?」とそう零したつもりであった。

 しかし、喉から零れ出たのは「なぁん」と、そんな猫か何かの鳴き声で。

 

「え? 猫??」

 

 攻撃の余波で巻き上げられた細かな砂塵に視界を奪われつつ、こんな世界で聞こえる筈の無い鳴き声に戸惑っている仲間たちの声が聞こえた。

 その直後シャドウを完全に掃討した様で、仲間たちがそれぞれにお互いの状況を把握しあおうとする声も聞こえた。

 

「あれ? 直斗くんの反応が何か変だよ?

 初めて見るけど……これってバステの一種?」

 

 戸惑った様な久慈川さんの声と、そして僕の状態を確認しようとする皆の声が響く。

 それに返事をしようとしても、喉から零れるのは相変わらずに鳴き声だけで。

 流石に、何かとんでもない事が自分の身に起きているのではと思うものの、先程の攻撃で眼鏡が何処かに弾き飛ばされてしまったのか、視界は深い霧に覆われた状態で自分自身の状態を確かめる事すらままならない状況であった。

 

「……何で猫が此処に……?」

 

 どうやら砂埃は収まった様で、僕に複数の視線が向けられているのを感じるのだが生憎霧の所為でよくは見えない。

 

「僕は此処です」と、そう訴えてもどうしても言葉は出なくて。

 その内に、霧の中から突然大きな手が迫って来て僕を抱き上げた。

 突然高く持ち上げられた事にビックリして固まってしまった僕を、まるで巨人の様に大きくなった彼が少し驚いた様に見詰めている事に気付く。

 暫し、互いに何も言葉を発する事無く沈黙が落ちる。

 が──

 

「先輩! その猫が直斗みたい!

 さっきのシャドウの攻撃で、直斗、猫になってしまったんだと思う!」

 

 恐らく状況を理解しようとその優れたアナライズの力を使っていたのだろう久慈川さんが、信じられないと言った様にそう言葉にする。

 その直後、全員分の驚きの声が、響くのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 どうやら僕は猫になってしまったらしい。

 人の言葉を話す事は出来ないし、どうやら前足になってしまった手では何も持ったりする事は出来ない。

 シャドウの攻撃を受けた際に吹き飛ばされてしまっていた僕の眼鏡は仲間たちが回収してくれた様だが、人間の為に作られてる眼鏡が猫の頭に合う筈も無いので正直この世界の霧の中だと自分の状況すらろくに把握出来なかった。

 とは言え、幾ら小柄な方であるとは言え、彼の両手に胴体がすっぽり収まってしまう程細くは無いし、何より霧越しに朧気に見えるまるで巨人の様に大きくなった彼の姿を見れば僕が小さくなってしまったのだろう事位は把握出来る。

 

 久慈川さんのアナライズによると、僕のこれは一種のバステではあるらしい、

 バステであれば大概の場合は戦闘が終われば時間を置けば治ってしまうものばかりであるのだが、どうやらこれは特殊なものであるらしく自然と治るにしてもまだ時間が必要な様であった。

 どうやら単なるバステと言うよりは、この壊れた町を作り出した足立の心の片隅に在った『動物になってしまいたい』みたいな逃避的願望が影響しているそうだ。

 バステを回復させる様なペルソナの力を使ってみても、全く手応えは無い。

 僕の思考回路は元のままである事を証明したくても、言葉を話せない状況ではそれも一苦労である。……と思ったのだが、鳴き声でしかない筈の僕の言葉を、彼は何となくではあっても理解している様だった。

 元々猫好きで普段から町中の色んな猫と触れ合っているからか、猫などの動物のそれも何と無くではあってもその意思や意図を察する事が出来るのだそうだ。

 まあそういった彼の特技の助けもあって、猫の姿になってしまっても僕は僕である事を理解して貰えたのだけれど。しかし、現状では僕の姿を元に戻す方法が無い事には変わりは無い。

 

 とにかく一旦テレビの外に出てみようという事になり、探索を切り上げる事になった。なお、猫になってしまった上にこの霧の中を見通す事が出来ない僕は、彼に抱き上げられる形で運ばれる事となる。

 猫を抱き慣れているからか、彼のその手付きに不慣れなものはなくとても安定していて。僕の身体を支えているその手は、普段感じているそれよりもはるかに大きくそして逞しく感じる。

 一瞬の浮遊感の様な不思議な感覚の後、何かを通り抜けた瞬間に聞き慣れた店内BGMが響いている。

 ジュネスの家電売り場に帰って来たのだ。

 ……残念ながらテレビの外に出ても、僕の姿は元に戻らないままであった。

 だが、霧に覆われていたあの世界と違ってこちらでは周りをハッキリ見渡す事が出来る。

 彼の腕の中から少し身を乗り出して周りを見渡そうとしたその時だった。

 客か店員か、普段はあまり人気の無いこの家電売り場に誰かが近付いてきた気配を感じたのか。

 

「直斗、苦しいかもしれないけど少し我慢して」

 

 と、彼がそう言うなり、僕はいきなり温かなものに包まれた。

 突然のそれに驚いたが、どうやら彼は僕の姿を隠す為に、その冬用コートの中に僕を隠した様だ。

 未だかつてない程に彼を近くに感じて、こんな状況だと言うのに僕の鼓動も早くなる。猫になったからなのか聴覚は何時になく鋭敏で。彼の鼓動の音もハッキリ聞こえて来て、僕の鼓動の音と混ざり合って聞こえるそれに落ち着かなくなる。

 何処かに向かっているのだろう振動を感じながらそのまま大人しくしていると、突如その暖かな闇から解放された。

 どうやらジュネスの屋上のフードコートの様だ。テーブルの上にそっと解放された様なのだが、途端に感じた寒気に思わず身を震わせると、再び彼に抱き上げられてその膝上に招かれた。更には、彼は自分が巻いていたマフラーを解いて僕の上にそっと被せる様に緩く覆う。

 

『それでは先輩が風邪を引いてしまいますよ』

 

前足になってしまった手でタシタシと自分を抱えている手を軽く叩いて「ニャウ」と訴えたその言葉に、彼は柔らかな表情で微笑む様に「良いんだ」と答えた。

 

「直斗の方が寒がりだからな。俺はまあ、ちょっと位なら平気だ」

 

 直斗の方が大変だし、と極当たり前の様に彼はそう言って僕を気遣う。

 それに抗議した所でこの人は多分無視するだろう事はもう経験上分かっているので、それ以上は黙る事にした。

 それに、今はそれどころでは無いのは確かだ。

 

 霧に覆われた視界から解放され、改めて目で確認出来る範囲で確かめた僕の姿はやはり猫そのものだった。

 あまり自由に関節を動かせない前足といい、ゆらゆらと背後で揺れる尻尾といい、全身を覆っているらしき髪色と同じ濃紺に近い毛並みに。頭の上では三角形に近い形の耳がぴょこぴょこ動いているし、髭は周囲の状態を鋭敏に知覚させる。

 何処からどう見ても猫である。人間的要素は欠片も無い。

 こうして思考出来ている事だけが、僕が僕として連続した意識を保っている証拠であった。

 

 まだまだ寒さが厳しいこの時期の屋上は、当たり前だが人気は殆ど無い。

 今も利用者は僕たち位なものなのだろう。まあ、そうでもなければこんな場所で猫の姿になっている僕が堂々と姿を現す事は出来ないのだが。

 周りに配慮する必要が無い事もあって、僕たちは遠慮なく話し合う。

 まあその話題は当然僕の事であり、猫になってしまった僕を一体どうするのかと話し合っていた。

 自宅に帰る事も出来るが、まあ当然の事ながら猫の姿のままでは今日一日を一人で過ごす事は難しい。その為、何処かの家で僕の面倒をみようと言う話になったのだが。

 

「私の家だとムクが居るからな~……。

 いや、猫を虐める様な子じゃないけど、でも大きな犬にじゃれつかれるのは恐いもんね……」

 

 里中先輩の家には大きな犬が居ると言う事で却下となって。

 

「私も……どうしても動物は難しいかも。ごめんね、直斗くん」

 

 生き物を飼う事に慣れてはいない上に実家が旅館である天城先輩も申し訳無さそうな顔をして。

 

「お婆ちゃんに話せば許してくれるかもだけど……」

 

 家で食品を扱っている久慈川さんも即答は出来ない様で。

 

「俺ん家は親に言えば大丈夫だろうけど、……まあ男の家ってのも気ぃ遣わせちまうだろうしなぁ……」

 

「あと、クマがうるさいし……」とぼやいたのが花村先輩だ。

 巽くんは、何処にも行けなかったら来たら良いとは言ってくれたけど……。

 そんな時、彼がそっと手を挙げる。

 

「俺が直斗の面倒を見るよ。

 俺、直斗と付き合ってるから」

 

『ちょっと!? 何言ってんですか!?』

 

 突然そんな事をぶち撒けた彼に、その場は騒然となる。

 今まで隠していたのに突然こんな場所で暴露されて、僕としては慌てるどころの話では無くて。ニャーニャーと抗議の声を上げてしまう。

 バシバシと結構強めにその腕を叩くが彼は全く意に介しないし、寧ろその手は僕をがっちり抱え込む。

 

「ちょ、おま……何時から付き合ってたんだよ!?」

 

 初耳なんですけど!? と驚愕する花村先輩に、「言っていなかったからな」と頷いた彼は、僕たちが去年の十一月頃には付き合っていた事まで明らかにしてしまう。どうしてそこまで言ってしまうのかと抗議しても、やはり彼は全く意に介してくれない。しかも僕が言わんとしている事を分かった上でやってる。酷い、人権無視だ。

 

「……直斗から、気恥ずかしいから秘密にしてくれと頼まれてた。

 でも、俺としてはこういう状況になってしまったからこそ、直斗の彼氏として確りと直斗を守りたいし少しでも出来る事をしてやりたいんだ。

 だから、俺が直斗の面倒を見るよ」

 

 穏やかな口調ではありながらも有無を言わせぬものも感じるその言葉に反論する者など無く。僕たちがこっそりと付き合っていたそれに衝撃を隠せないままに、その場は解散となったのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 霧がすっかり消え去った町で、彼にとっての掛け替えの無いものは全て取り戻されている。

 彼にとっての帰る場所であり、「日常」の象徴であるのだろう其処……堂島家には、長らく入院していた家主である堂島さんと菜々子ちゃんが帰って来ている。

 長期間の入院を要する程の重傷を負っていた堂島さんも、そして一度は心肺停止状態にまで陥った菜々子ちゃんも。もうそんな出来事が彼等を襲ったとは思えない程に元気な姿を見せているのであった。

 

 彼に連れられて僕は何度か訪れた事のある堂島家へと上がらせて貰う。

 当然ながら、人間として訪れた時とこうして猫になってしまった今では、同じ場所でも随分と見え方や感じ方が違うので、知っている場所である筈なのに見知らぬ場所に迷い込んでしまったかの様にも思えてしまうのは少し不思議だ。

 

「お兄ちゃんお帰りなさい!

 あれ? どうしたの? 猫さんをつれてきたの?」

 

 大好きなお兄ちゃんの帰りを察知した菜々子ちゃんが弾んだ声で僕たちを出迎えて、そして彼の腕の中に居る僕を見て驚いた様な顔をした。

 物凄く猫好きな彼ではあるが、居候の身であるからと遠慮しているのか、一応手懐けた猫たちを家に上げた事は無かったそうだ。それもあって驚いているのだろう。

 

「ああ、少しの間預かる事になったんだ」

 

「そうなんだ! ちょっとのあいだかもしれないけど、いらっしゃい、猫さん!

 ねえお兄ちゃん、この猫さんのお名前は?」

 

「えっと…………ナオちゃんだよ」

 

 腕の中の僕に目を落としながら、彼はそう菜々子ちゃんに僕の仮の名を教えた。適当な名前を考えるのが面倒だったのか何なのか、まあそういう事になった様だ。

 菜々子ちゃんは随分と嬉しそうに、「ナオちゃんって言うんだ! かわいいね!」と僕の頭を優しく撫でてくる。彼のその手よりはまだ手慣れていないが、それでも随分と心地好い撫で方をもう既に心得ている様だった。

 菜々子ちゃんも動物が好きな様で、猫が家に居る事に喜びを隠せない様で。

 早速居間に居る堂島さんにそれを報告している様だ。

 

「猫を預かったのか?

 まあ、お前ならちゃんと世話も出来そうだから、少しの間なら構わんが……。

 しかしウチに猫を飼う為の道具なんて無いぞ」

 

 長く入院する程の怪我をした事もあって最近は早めに帰らせて貰っているらしい堂島さんが、彼の腕の中に居る僕を見詰めながらそう言葉にする。

 まあ、猫は猫だが、中身は僕なのでそんな心配は要らないのだが……。そんな事は当然知る由も無い堂島さんの心配は御尤もである。

 

「大丈夫だよ、叔父さん。

 それに、この子はとても大人しいし賢いから、気にしなくても良いと思う」

 

 そう言いながら彼は、菜々子ちゃんに頼んで畳の上に柔らかなタオルを重ねて貰い、そこに僕を座らせた。

 大人しく彼のなすがままにタオルの上にジッとしている僕を見て、堂島さんは感心した様に声を零す。

 

「ほう、確かに随分と大人しい猫の様だな。

 随分と毛並みも良いし、良い所の猫なんじゃないのか?」

 

「どうだろう? それは分からないけど、そうかもね」

 

 微妙に言葉を濁した彼のその真意には気付かなかったのか、堂島さんもそっと僕の頭を撫でようとする。あまりそんな素振りは見せてこなかったが、案外堂島さんも猫などが好きなのかもしれない。

 何処か武骨にも感じるその分厚い手は、その見た目とは裏腹に壊れ物に触れようとしているかの様に優しいものであった。

 

「ナオちゃん、とってもかわいいよね!」

 

「ナオちゃん? そんな名前なのか……。

 まあ、少しの間だろうが、よろしくな」

 

 そう言って堂島さんは優しく微笑みかけた。

 ちょっと落ち着かない位に二人とも歓迎してくれている。

 特に、菜々子ちゃんは猫がこんなにも近くに居る事に興味津々である様だ。

 

 菜々子ちゃんたちが見てくれているからと、彼はそのまま夕飯の支度を始めた。

 居間からだとその後ろ姿しか分からないが、しかしとても手際よく料理している事は見て取れる。

 菜々子ちゃんが料理のお手伝いをしようとするそれに快く応じて、簡単な部分を任せてあげるその横顔は、とても優しい『お兄ちゃん』の顔で。

 菜々子ちゃんと接している姿はもう何度も見て来たけれど、特捜隊の皆の前で見せるそれとはまた少し違うその表情に、僕はまた新たな発見をした気になって、それに見惚れてしまう。

 そしてふと堂島さんの方を見ると、彼と菜々子ちゃんの事を本当に優しい眼差しで見守っていた。

 事件を追う時の、職務中の堂島さんの姿ばかりが僕の中では印象に残っているけれど。しかし、こうやって穏やかな時間の中で大切なものを見詰めているその眼差しもまた、深く印象に残るもので。

 ……おじいちゃんや薬師寺さんも、僕がそれに気付いていなかっただけでこんな風な眼差しで僕を見守ってくれていたのだろうかと考えてしまう。

 

「はい、できたよ!」

 

 軽いものを持った菜々子ちゃんと、大きな皿を持った彼がちゃぶ台にそれらを並べて。

 そして彼は、煮付け用のそれを取り分けておいたのだと、魚の切り身を皿に載せて僕の目の前に置く。

 流石にキャットフードの類は抵抗があるだろうと考えてくれたのだろう。

 これはこれで抵抗はあるのだが、手が使えないので仕方が無い。

 

 堂島さんと菜々子ちゃんと彼の、そんな家族の団欒は僕にとっては初めてのもので。特捜隊の皆とはしゃぐ様に集まっている時のそれとはまた違う温かさがあるものだった。

 菜々子ちゃんがその日にあった事を楽しそうに話ているのを、堂島さんや彼は愉しそうに聞いているし、時々それに口を挟む事もある。時には彼に話が向けられたり、逆に堂島さんの方へとそれが向いたり。

 穏やかながらも弾んでいるそれに、こうして少しだけ離れた場所で加わっているのは何とも不思議なものだ。

 そうやって、温かなその時間を僕も共に過ごすのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 夕食を終えて、僕は居間から彼の部屋へと連れて行かれる。

 何度か来た事はあるのだけれどその度に緊張してしまうのは、彼の極めて個人的な空間に立ち入っていると意識してしまうからなのか。

 

「ごめんな、直斗。疲れてないか?」

 

『大丈夫ですよ、菜々子ちゃんもちゃんと気遣ってくれてましたし』

 

 少し心配そうに僕を見た彼に、大丈夫だと答える。

 夕食後、猫に興味津々だった菜々子ちゃんに色々と撫で回されていたのだ。まあ菜々子ちゃんは随分と確りしているので、よく幼い子供が生き物に対してやる様な無邪気な無体は働かなかったので、彼が心配する程の事は無かったのだけど。

 そう答えると、彼はそっと目を伏せる様に僕の身体を優しく抱き締める。

 

「……ごめん。俺の我儘に付き合わせて。それで直斗をこんな目に遭わせて……。

 俺がもっとちゃんと周りを見ていたら……直斗があの時不意を突かれる事は無かったかもしれない。そうしたら……」

 

 そうやって何かを思い詰め始めそうだった彼のそれを、その頬をタシタシと前足で叩いて止める。

 ふにふにと柔らかな肉球のその感触に、彼は自分を責める言葉を止めて僕を見た。

 

『先輩が気に病む必要なんて無いですよ。

 それに、多少時間は掛かったとしても、自然に治るものだって久慈川さんも言ってたじゃないですか。

 確かに、ビックリはしましたけど。でも、悪い事ばかりじゃないですよ』

 

 優しくて、誠実で、真面目で、お人好しな位に世話焼きで、冷静さを失わずに感情を制して考える事が出来て、頭の回転もそれを活かす知識の量も際立っていて、洞察力も高くて……。

 そんな風に、僕が憧れて来た物語の探偵たちの様に彼は格好良くて。何だって出来る、どんなピンチが訪れたってそれを切り抜けてしまえる。そう思わせるし、実際そう出来てしまうけれど。

 でもそれだけじゃ無い事も僕はよく知っている。

 実は何かと抱え込んでしまうし、自分を責めてしまう事も多いのだと、僕は知っている。

 

 僕が猫になってしまった事に関して、彼はもしかしたら僕以上に動揺して、そして思い詰めていたのだろう。

 思えば、彼がやたらと僕を抱いたままだったのも、不安だったからなのかもしれない。

 

 彼の腕の中から、グイッと身を乗り出す様にして、その頬をそっと舐めた。

 猫の舌はザラザラしているのであまり真剣に舐めると痛いだろうから、ほんの少し触れる程度で止める。

 そして「ニャア」と、彼を励ます様に鳴く。

 

「直斗……?」

 

 突然のそれに驚いた様に、彼は僕を見る。

 僕も彼を真っ直ぐに見上げた。

 

『僕は何処にも行きませんよ。ちゃんと先輩の傍に居ますから。

 僕が僕である限り、僕たちはずっと一緒です』

 

 仲間や友人に囲まれていても、どうしても寂しがり屋な部分がその心に片隅に確かに居る彼の。その柔らかなそこに触れるかの様に、彼の胸に前足を当てて。

 グルグルゴロゴロと喉を鳴らす様にそこに寄り添う。

 その仕草に最初は戸惑っていた彼も、穏やかにその表情を緩めて。

 柔らかく僕を抱き締め直して、そして僕のフワフワとした身体に顔を埋める様にする。所謂「猫吸い」というやつだ。

 人間の時の僕相手にもそうそうやらない様な激しいスキンシップに思わず、何をしているんですかとばかりにタシタシとその頭を叩いて抗議するのだが。しかし彼の嬉しそうな顔に何も言えなくなる。

 

「……直斗は温かいな。柔らかくて、とても良い匂いで。

 こうしていると直斗が生きてるって、そう心から感じる」

 

 ……菜々子ちゃんを喪いかけた事は、きっと今も彼の心に僕には見えない深い傷を遺しているのだろう。

『生きている』なんて、そんな当たり前の事に、こんなにも満ち足りて幸せだという表情を浮かべてしまう程に。

 それから暫くの間、僕は黙ってしまった彼に抱き締められ続けていた。

 

 そして、もうそろそろ夜も遅くなってきたから眠ろうか、と。布団を敷いた彼は、ふと僕を見て「どうしようか」と呟く。

 タオルなどを敷いた簡単なもので十分だと僕自身は思うのだけど。

 もし夜の間に元に戻った場合、それでは風邪を引いてしまうかもしれないからと。何と彼は僕の方に布団を譲って、自分はソファに薄い毛布一枚で寝ようとしたので、そこは猛抗議して思い直させた。

 

「だけど、布団はこの一つしかないよ。

 一緒に寝るって事になるけど……」

 

 良いのか?と。そう彼は訊ねてくれる。

 恋人同士ではあり、しかも付き合い始めてもう二ヶ月近く経っているけれど。

 僕たちは今の所至って清い関係性でお付き合いをさせて貰っている。

 正直、今まで女であり子供である自分を否定して押し込め続けてきた僕にとっては、そもそも異性に対して恋愛的感情を懐いた事を認めるだけでも、もう断崖絶壁から飛び降りる程の覚悟が必要だったのだ。

 そこから何歩も進んだ状態になるには、心の準備の様なものが何もかも全く足りていなかった。

 そりゃあ、僕だってそう言う事をする相手は彼が良いし彼以外は絶対に嫌だと思うけど。でも、二人っきりの時に手を繋いだり、唇に軽いキスをするだけでももう一杯一杯なのだ。

 健全な青少年である彼には凄く我慢させてしまっているのかもしれないし、それを考えると申し訳無さはあるのだが……。まあ彼は、『直斗が良いと言うまでは何時までも待てるから、焦ったり無理をしないでほしい』などと言ってくれているのでそれに盛大に甘えさせて頂いている状態なのである。

 そんな状況なのに、別にそう言う目的では無いとは言え、同じ布団で寝ても良いのか?と訊ねてくれるのは彼の心の広さと言うか、誠実さ故なのだろう。

 だが、流石にそんな風に気遣って貰った結果、彼を布団から追い出して風邪を引かせるなんて当然論外なのである。

 良いに決まっていると、そう答えると。彼はそれ以上何か言う事は諦めた様で、そっと布団に入っては僕をそこに招く様に布団を持ち上げてスペースを作ってくれた。僕はそこに身を滑り込ませて、すっぽりと布団の中に入る。

 

「……何だか不思議な気分になるな。

 こんなにも近くに誰かの温もりを感じて寝るなんて、正直初めてかもしれない」

 

 ……物心付いた頃から両親は既に仕事人間で、独りで過ごす事が多かったのだと。そう彼は何時か僕に話してくれていた。

 だから、誰かと一緒に寝るなんて、殆ど経験のない事で。

 

『僕もですよ』

 

 そしてそれは、幼い頃に両親を喪ってしまった僕にも同じ事が言えた。

 それでもきっと、嵐の夜や怖い夢を見て眠れなくなってしまった夜には、眠れるまでおじいちゃんが傍に居てくれた僕のそれは、彼が抱えている『寂しさ』とは同じでは無いだろうけれど。

 

「……そっか」

 

 そうこうする内に、あちらの世界の探索をして疲れていたのだろう。

 ふと言葉が途切れたかと思うと、彼は安らかな寝息を立てていて。

 初めて間近で見詰めるその寝顔は、普段の精悍さすら感じる大人びて見えるそれとは違って、年相応……よりもどうかしたら少し幼く見えるものだった。

 

『先輩……』

 

 小さく呼びかけても、彼は身動ぎもしない。

 恐らく、深く深く寝入っているのだろう。

 楽しい夢でも見ているのか、その寝顔は安らかなもので。

 そして僕は、そっとその頬を舐めて、彼の唇にもそっと触れる。

 

『大好きです。だから……どんな事があっても、僕はあなたの傍に居たい。

 あなたがもう、寂しいなんて絶対に感じなくても良い様に。ずっと。

 愛しています。……悠さん』

 

 気恥ずかしくて、まだ面と向かって呼ぶ事が中々出来ない彼の名前を呼んで。

 そして、彼の腕の中に包まれる様にして、その温もりを感じながら僕も目を閉じた。

 

 

 

 

 

 その翌朝、元の人間の姿に戻っていた僕は、寝起き直後に彼の寝顔を間近に見る事になって。

 猫が居なくなって僕が現れた事を、堂島さん達に全力で誤魔化す事になるのだが、それはまあ……今は語る必要は無い事なのであった。

 

 

 

 

 

 

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