一節
世の在り方に疑問を持つことはない。幼い頃よりそういうものだと躾けられ、それが当然であると認識していたが故に。
だが、己に与えられた境遇を恨事と思うかと問われれば――――応と答えよう。
由緒あるヴァリエール家の三女に生まれたのは……まぁ仕方ない。望んだわけではないが、しかしその事実については、誇りに思っている。
問題は、魔法を使う技量こそが格の象徴であるこのハルケギニアの貴族社会において、肝心要である魔法の才能がゼロであることだ。
何を唱えても、何を試しても、何を努力しても、その全ては失敗と無駄に終わる。失敗に失敗を重ね続けて、付いた字は"ゼロ"のルイズ。
公爵家に生まれながら、その家名に恥ずべき存在。それがルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
そんな己が遣る瀬なくてならない。情けなくてならない――――つまり、ルイズは自分が嫌いなのだ。
それでも、この度の魔法学院進級試験とも言える"使い魔召喚の儀式"には、並々ならぬ覚悟を持って臨んだ。泣き言を言う前に、まず努力する。それが彼女の道であったから。
数ヶ月も前から下準備と予行演習を重ね、常人の五倍は努力していたと自負できる。
過去に召喚された使い魔の種類と召喚者の傾向から考えられる予測や、効率的な呪文の詠唱スピード、タイミング、杖の振り方、魔力の込め方、陣に立つ位置、召喚した使い魔毎における契約までの行動、暴れられた際の対処法、契約後の世話――――エトセトラ、エトセトラ。
ともすれば、それだけで王都のアカデミーに論文として提出できそうな膨大な資料と予行演習を重ねた末での、まさに一世一代の大勝負であった。
結果は――――進級できた。
そう、進級"は"できたのだ。
それはつまり、召喚に成功し、使い魔との契約にも成功したことを意味するのだが……ルイズにとってはどこか釈然としない結果であった。
それが昨日のこと。
召喚の儀式から一夜明けた午前。
ぼんやりと、ルイズはそのまま背中と腹がくっついてしまいそうなひもじさを抱えながら、授業――内容は既に聞き流しできるレベルで習熟済みの水系統、秘薬生成についての授業である――を聞き流し、今頃どこで何をしているのかも定かではない、朝の問答の後忽然と姿を消したままでいる己の使い魔について――――その召喚から今まであった出来事を回想する。
召喚の儀式が昨日の昼。回りまわってきた召喚順序のトリ。意を決して臨んだ一度目の召喚が、予定調和のように失敗するところまでは想定済み。
それから数えるのが嫌になる回数の爆発を経て、これでダメなら自決してやる覚悟で臨んだ最後の一回。
結果は―――――ついに成功。
召喚されたのは、それまで幾度となく顕現した爆破の衝撃ではなく、まるで神話にあるような禍々しい黒鉄の馬に跨る、どことなく神秘的な目をした一人の少女であった。
腰まで届く黒髪を二つに結わえ、見たこともない装束を身に纏い、腰には用途不明の鉄の塊――それは、どことなく鳥の翼のようにも見える――が目に付く。
最初はその小さい身なりと特異な出で立ちから、何か理由でもある騎士の少女なのかとも思った。
だが、騎士の如き出で立ちであるが華奢な体躯から剣を振り回すようにも見えず、ましてや帯刀もしていない。
杖を隠し持っているとすれば、メイジの娘である可能性も考えられる。最悪、鋼の馬に刻まれた紋章のようなものから察するに、どこかの貴族の少女を召喚してしまった可能性もあるかもしれない。
一瞬でそこまで判断して、ルイズは動揺を押し殺し、自身が召喚したその少女を再び見やる。
黒ずくめの怪しい少女は、状況が飲み込めていないのだろう。キョロキョロと忙しなく周囲を見渡し、空を仰ぎ、また慌ただしく周囲をぐるりと見回して、最後にルイズを食い入るように見つめてくる姿を見て、そう推察した。
同時に、心の中で落胆する。
贅沢を臨んだつもりはなかった。
だが、少なからずとも、自身がこれまでに重ねてきた下調べ等の苦労を鑑みても、グリフォンやマンティコア程度なら召喚できるはず。そう、思(いあが)っていたのだ。
確かに、目の前の少女が騎士なりメイジ(つまりは貴族)なりであれば良い結果と言えたかもしれないが、しかしそれはそれで非常に面倒なことになるのが目に見えている。
それなら、雑多な面倒事に煩わされることもない、普通の動物の使い魔の方がはるかにマシというものだ。
……結局、そんなルイズの予想というか妄想というか杞憂は、斜め上方向にかっ飛ぶ現実によって粉砕爆破されることとなったが。
無事に(その後、召喚した少女が突然大泣きを始めてなだめるのが大変だったことが些事であれば、だが)使い魔の契約を終えて知ったことであるが、ルイズの使い魔となった少女は、ここハルケギニアとは全く異なる世界の住人であり、ましてや騎士でもなければメイジでもない。そして、彼女は彼女の故郷において唯一生き残った人類だった、とも。
いざ自身が召喚した使い魔がどんな存在なのか、どうにかして少女からルイズが聞き出したことをまとめると、そういうことになる。
あまりにも荒唐無稽な話に、ルイズはしばし我を忘れた。
おまけに、口数は少ないくせに異様なまでに好奇心旺盛で、話の途中幾度となく話題が脱線したりして、とにかく話を聞き出すだけでも非常に苦労した。苦労した挙句が、そんな結論だったのである。
他にも小難しいことやよくわからないことを(タバサみたいに無表情で淡々と)しゃべくりまくっていた気がするが、それよりもルイズはショックが大きすぎて話のほとんどを聞き流していた。
無理もないことである。
せっかく使い魔を召喚して契約までこぎつけることができ、これで安心して進級できると思っていたら、その正体が実は物狂い一歩手前(最悪そのものかもしれない)のアブナイ小娘だったのだ。
つまるところ、ルイズは己の使い魔―――ステラ、と名乗った――の話を九割九分九厘、信じちゃいなかったのである。
そうして一夜が明け、寝坊した挙句に無表情無言無愛想の三拍子揃った使い魔と起き抜けに沼に木の杭を打ち込むような問答を繰り広げ、根負けした末にほとんど朝食を食べる暇もなかったのでパンを一欠片口に放り込み、今やいつ暴動を起こし出してもおかしくないお腹の虫に戦々恐々しながら昼食兼使い魔との懇親会である昼の懇親会を待ち遠しく思っている今である。
……考えてみれば、昨日の召喚からこっち、ケチが付きまくりではないか。進級できた喜びと相殺どころか思いっきり下方修正である。
そもそも、あの無口無表情のタバサ――同学年の少女。鉄面皮の優等生――みたいな使い魔が、こっちの言うことさえきちんと聞いてくれれば良かっただけの話だというのに――――あんのアホ猫ときたら、言葉がわからないのかそれとも無視してるのか、あるいはたまに反応したかと思えば洪水のような質問攻め。しまいにはご主人様を放置してどこかに出かける始末。
召喚してからこっち、まったく主人の言うことを聞かない使い魔に、そろそろルイズの堪忍袋の緒も耐久力が心許なくなっていた。
しかし、その怒りを素直にぶつける気にもなれない。
なにせ、召喚直後から大泣きをかまし、かと思えば物狂い一歩手前かのような意味不明なことを無表情に、しかも真顔で淡々とのたまっていたのだ。その不気味さが、普段であれば怖いもの知らずなほどに気が強いルイズをさえ萎縮させていた。
下手に藪をつついて蛇を出したくない気持ちと、しかし今後――もしかしなくとも、生涯を――共にする使い魔/パートナーなのだから、という葛藤がルイズを悩ませる。
「……でも、いい加減躾はしっかりしないとダメよね」
カリカリと、羊皮紙に今後の課題をリストアップする。
相手とどうコミュニケーションを取るかを第一に、主従関係の自覚、使い魔としての自覚、貴族社会のある程度の常識、その他教え込まなければならない事柄を簡潔に箇条書きしていく。
いつまでも使い魔に好き勝手させていては、メイジの、ひいては貴族としての沽券に関わる。早急に問題を解決しなければ。
「さて、これにて本日の授業は終了。しばしの休憩時間後、二年生の皆さんはスズリの広場にて使い魔との懇親会があります。各自遅れぬように」
ちょうど、そんな問題を解決するのにぴったりなシチュエーションも用意されている。
ここは一つ、主従の関係というものを、あの薄ぼんやりとした無表情小娘――とは言っても、身長はルイズよりも頭1つ分ほど大きいのだが――にわからせてやるわ!
ルイズは、その小さな胸の前で拳を握り締め、大きな決意を抱くのであった。
★
さて、とあるピンクブロンドのご主人様が、言うことを聞かない使い魔をどう躾けるか内心で炎を燃やしている頃。
当の使い魔である少女―――ステラは、古めかしくも頑丈かつ堅牢に築き上げられたトリステイン魔法学院が火の塔の頂上、その屋根の上で風を感じていた。
流れる白い雲は眩しい陽光を適度に遮り、青臭くも暖かな臭いを孕んだ風が肌を撫でる感触がひどく心地良い。
ステラの暮らしていた星でも、この世界と変わらぬほどに緑は溢れていたが、やはりどこか違う。それはきっと、人類という存在の有無という決定的な差だ。
風になびくフードを手で押さえながら、眼下でせわしなく動き回る使用人――女性がほとんど。メイド、という役職だ――や、本塔とよばれるこの学院中央の塔で授業を受けている生徒達を目で追うステラ。
どれもこれも、研究所のデータベースの映像記録でしか見たことがない。それでいて、どのデータベースの情報にも合致しない。そんな不思議な光景に、ステラの胸がドキドキと弾む。
この異世界に召喚されて一日が経った今でも、ステラは目の前の光景が信じられずにいた。
夢にまで見た、たくさんの人間が生きている世界。自分以外に人類が歩き、呼吸し、会話をする世界。
夢か幻か。でも、この肌を撫でる風と鼻腔をくすぐる匂い、色鮮やかな風景に他人の声は紛れもない現実である。
それがどれほどステラにとって感動的で、絶望の淵にあった心を救い出してくれたことか。
乗っていたトライク――フェンリルという名である――ごとこの異世界に召喚された時には、目の前の出来事が信じられず、思わず涙してしまうほどであった。
たった一日で、これまで経験したことのないような情報の奔流に晒されていたステラであったが、ある程度の情報収集と推測を経て、今は従来の落ち着きを取り戻していた。
あれこれと考えることはまだまだたくさんあるが、なによりも、あれほどまでに夢を見た"人類"の生きている世界であることは、間違いない。
それだけで、ステラは十分だった。現金な話だが、もう少し生きてみようと、思えるようになった。
人がいる。それだけが、ステラの消えかけた心の火を、再び灯してくれた。
さて、そうやって折れた心を立て直し、絶えず流れていた涙を拭うと、ステラはようやっと自身の置かれた立場、というものを認識した。
召喚、使い魔、契約、ハルケギニア、二つの月、そして―――――魔法。
どれも、ステラの世界においては存在しなかった――いや、概念自体はあった――モノだ。
こと、魔法という現象は、ステラにとって不可解極まりない神秘である。
詳しい原理がどうなっているのか知りたい、という好奇心が沸々と湧き上がってくるのはもちろんだが、ひとまずはそれらは置いておく。
肝心なのは、自分がそんな不思議極まりない"異世界"へと"召喚"されたという事実。
あのピンクブロンドの気難しい少女――ルイズ、といったか――がステラを召喚し、使い魔の契約なるものを流れで行ってしまった。
その証拠が、今は手袋をしているせいで見えないが、左手の甲に刻まれたルーン文字である。ちらりと、見えないそれを透視――しようと思えばできる――するかのように見やる。
異世界であるというのに、いくつかステラの世界との類似性が見られるのは興味深い。ルーン文字があるということは、ここは北欧やその近辺の文化圏に近いということだろうか。あるいは――――ちがうそうじゃない。また思考がズレた。
頭を振って、改めて思考のレールを整える。
端的に、かつステラの知識内の定義に当てはめれば、契約をなして使い魔となったステラは、ルイズという少女の従僕、という身分が適している。
その事実に、意外にもステラは嫌悪感を覚えることはなかった。
単純に、自分にその概念が理解しきれていないからなのか。あるいは、どんな形であれ、"他人"と共に生きることができるだけで満足なのか。
いずれにしても、今後、ステラがルイズと共に生きなければならないことには変わりない。
で、あるならば。
「……どうしよう?」
ぽつりと溢れるその言葉は、戸惑いの表れ。
数える事すら億劫になるほど長い年月を、ただ独り孤独に過ごした少女にとってソレはひどく困難極まりない難題であった。
ふと、眼下がにわかに騒がしくなってきたことに気づき、その音の方へと視線を投げる。
ステラの居る火の塔から本塔を見るようにして右手側、隣の土の塔との間の広場に、次々に使用人達が集まってなにかの準備を始めている。
外食用のテーブルからイスその他諸々をどこから持ってきているのか不思議な勢いで並べ立て、次いでその喧騒に誘われるようにして、本塔から生徒達がぞろぞろと集まりだした。
羽織るマントの色から、それがルイズの所属している集団の一群であると推測。同時に、彼ら彼女らが様々な生物/使い魔を連れていることからも、ステラは確信を深める。
おそらく、これから彼処で使い魔を交えた何かがあるのだろう。それも、ルイズの所属する集団が。
ならば、彼処で待っていればルイズにも会えるかもしれない。
丁度いいチャンスだ。ご主人様と親睦を深める―――あるいは、今後のことについて話し合いたいと考えていたステラにとって、この流れは渡りに船であった。
だが、それには一つ、分厚く大きな壁がステラの前に立ちはだかっていた。それをどうにかしない限り、親睦を深めるなど夢のまた夢。バンクにもあったように、ヘタをすれば武力による外交的対話に発展する可能性もある。
由々しき事態だ。
時は一刻の猶予を争うというのに、今のステラにはその問題の明確な解決手段が見いだせていない。このままでは朝の問答の二の舞になるのは明白である。
解決手段を検索したくとも、ここは研究所でもなければ端末を持っているわけでもない。正直なところ八方塞がりであった。
そんなステラを悩ませまくっている問題は何か――――至ってシンプルな話である。
すなわち、
「…………コミュニケーションって、どうすればいいのかな」
その発言は、ステラという少女が仙人レベルの引き籠もりであったことの、何よりの証左である。
そうして屋根の上で悩み苦しみ悶えている間にも、広場には次々に生徒達が集まってきている。無論、その中には探していたピンクブロンドの小柄な少女の姿もあった。
未知との真なる対話は、すぐそこまで迫っている。
ステラは覚悟を決めると、その身を翻して塔を飛び降りたのだった。
★
トリステインという国のみならず、ここハルケギニアにはいくつかの魔法学院が存在する。
元はその名のとおり魔法を探求する輩達が、お互いの知識と技術を切磋琢磨するために、あるいは既存の魔法の更なる探求やかつて始祖が用いたと言われる魔法の研究のため、そして今の技術を更に極める修行のために集まってできた"施設"であった。
そこは"魔法を極めし者/ウィザード"を目指して国中からメイジが集まる魔法使い達の学び舎であり、同時にその学院を抱える国の戦力をも意味していた。
学院から優秀なメイジが輩出され、他国との戦いにおいて目覚しい活躍をすれば自然と学院の名声は他国へと轟く。
―――其の者、彼の魔法学院に有り。
―――彼のメイジを抱えし某の国と学院に、栄光在れ。
優秀なメイジが国を救い、国は優秀なメイジを得ようと学院を援助する。
戦争が利潤を産み、利潤が規律を産むように、学院を卒業したメイジが国の要職に就くようになると、いつしかメイジが貴族と言われるようになった。
それは、同時に彼らメイジ達の意識の変革でもあった。
手段であった"魔法"が"権威"へと変わり、魔法を扱うものこそが貴族という魔法という存在の変質。
いつしか魔法学院は、魔法を学問としてではなく、貴族としての教養として扱うようになる。
そうした変化を脈々と受け継ぎ、時代とともに変化、定着していった末が、今日の魔法学院なのである。
中でもこのトリステイン魔法学院は、他国におけるソレとは比較にならない歴史を誇る学院であった。
名のあるメイジの多くに限らず、かつてはここトリステインの王族もその素性を隠し教えを請うために入学したと言われている。
なればこそ、その学院長ともなれば、さぞや偉大な人物なのだろう――――というのが、主に国外におけるトリステイン魔法学院学院長、オールド・オスマンの外聞である。
果たして、トリステインの貴族のみならず、世界各地からも入学したいという貴族を集めるその学院長とは、一体どれほど偉大なメイジであるのか。
その正体を知るトリステイン魔法学院が学院長秘書、ミス・ロングビルは鼻で笑う―――――ただの変態ジジイだ、と。
「――――ところで、ミス・ロングビル」
「はい、学院長」
トリステイン魔法学院が本塔、その最上階に位置する学院長室にて、ロングビルはいつものように書類作成や帳簿整理、あるいは生徒の両親貴族から送られてきた手紙類を片付け、今は昨日行われた新二年生達が召喚した使い魔の報告書を確認しているところであった。
そんな仕事熱心なロングビルに、やたらとシリアス極まりない重々しい声をかけたのは、件の"偉大なる"学院長、オールド・オスマンである。
ロングビルは内心煩わしく思う感情を押し殺し、営業スマイルと共に顔を上げて学院長に向き直った。
「本日の下着の色は黒かね?」
「っ―――――さぁ? どうでしたかしら?」
引き攣りそうになる頬を無理やり笑みに変え、ロングビルはそうはぐらかした。
しかし、そんなロングビルをオスマンは鋭い眼光で睨めつけたままだ。
豪奢なデスクの上で口元を隠すように両手を組み、背後の大窓から差し込む陽光を背負っていることも相まって、とんでもないプレッシャーを放っている。
なるほど。
確かにこの姿を見れば、この耄碌しかけている変態ジジイを偉大な魔法使いだのなんだのと思ってしまうのも仕方ないのかもしれない。
だが今しがたそのしわくちゃの乾燥した口から零した言葉通り、このジジイは偉大な魔法使いではあるだろうがそれを打ち消し上書きし帳消しにしてしまうレベルで変態だ。端的に言えば淑女の敵である。
こんなしょうもない変態ジジイが偉大だなんだと言われているのだから、世の貴族共の程度も知れるというものである。
「隠しても無駄じゃよ。儂は全てお見通しじゃ」
「――――"錬金"」
目からハイライトを消し、冷徹と冷酷さを持ってロングビルは素早く杖を引き抜き、この部屋の床、そのとある地帯に魔法をかける。
瞬間、甲高い小動物の鳴き声――というより、悲鳴だろうか――が短く木霊する。
それに慌てたのは、誰であろうオスマンだ。
「み、ミス? 今、何を錬金したのかね?」
「あら、ご安心ください学院長。少々、不埒極まりない害獣を仕留め損なっただけですわ♪」
見事な営業スマイルを一本。
震え上がるオスマンは、チラリと部屋の端を横切る何かを見やる。
そして安堵したかのようにほっと溜息を吐くと、やれやれと大仰な様子で言った。
「ふぅ、突然錬金なぞするから何事かと思ったわい。で、話は戻るがミス。やはり儂は、黒の下着というものは些か清純さに欠けると思うのじゃよ。なにせ黒とは誘惑の色。始祖ブリミルをも恐れぬエルフの如き魔の色じゃ。多くの魅力を孕みはするが、同時にそこには毒をも喰らう危うさを秘める。然り、時にはそのスリルの味も美味であろうて。じゃがのう、やはり儂は、ミスのような清純な乙女には黒よりも―――――」
「……学院長?」
「なんじゃねミス。今儂はお主にとって大切―――――な」
相も変わらず軽口を叩こうとした翁は、その口を噤まねばならなくなった。
それは肌を潰すような圧迫感。あるいは、喉を締め付ける万力のような攻撃の意思。
ハッ、と面を上げれば――――そこには、表情無き竜の化身が佇んでいた。
┣¨┣¨┣¨┣¨ ┣¨┣¨ ┣¨┣¨……
その背後に正体無き圧迫感と、全身から溢れ出る比類なき覚悟の精神を携えて、私が上、貴様が下と言わんばかりの傲然とした態度で立つミス・ロングビルがそこにいる。
確かに、彼女は今でこそ貴族としては没落した身であるが、その身に刻まれた高貴なる者の血は絶えてはいない。
優雅に、それでいて絢爛に。
教員ではないためどの階級をも表さない質素なマントをゆったりと翻し、静かに、しかしそのマホガニーのデスクにヒビを入れるほど力強く右手を置き、左手に腰を当てて学院長を睨み据える。
「確かに、世の殿方にとって、気になることでしょう。乙女の秘密、翻る布の最奥。火に群がる羽虫のように、例えその気がなくとも目を惹かれる――――悲しいことですわねぇ?」
「う、うむ。そうじゃな。実に悲しい男の性じゃ」
有無を言わさぬその迫力に、オスマンはただ頷くしかない。
「ところで―――」
さらにヒビが入るデスク。派生して、そこからいつの間に魔法を唱えたのか、オスマンの顔を、"錬金"によって創られた短剣長剣槍鋸その他数え切れない程の金属の刃が、その柄を蔦のようなものに掴まれて十重二十重に囲んでいた。
内心、オスマンは舌を巻く。おそらく、今の技量を考えれば、土の系統に関してのみ言うならば、彼女はどの教員よりも"手練"である。だのに、一秘書という役職に甘んじるしかない彼女の立場を、とても残念に思うのだ。
……それはそれとして、ロングビルの話はまだ終わっていなかった。
「こんな話はご存知でしたかしら? 昔々、樵にその命を助けられた白鳥が、人の身に化けてまで恩返しに来た――――そんな御伽話ですわ」
「も、もちろん知っておるとも。その樵が白鳥の秘密を覗き見た末、生涯子供が作れなくなったという話じゃな、うむ」
「フフ……そう、そうですわ学園長。さすがはオールド・オスマン。アルビオンの御伽話にも精通してらっしゃる……」
「ほ、ほぅ!?」
ツツツ、とロングビルの白魚のように白く細長い人差し指が、オスマンの服越しにその胸を下へとなぞっていく。
その顔には、嗜虐の愉悦に浸るかのような、怖気を覚えるほどに凄惨な笑みを浮かべていた。
「であればこそ。学院長もおわかりでしょう……?」
「ふむ、何をじゃね?」
「紳士たるもの――――いいえ、男であるからこそ、触れてはならない領域。放っておくべき花園、というものを……ねぇ……?」
「――――」
オスマンは何も言えない。言うことが許されていない。
その周囲を取り囲む刃の森は、間違いなくその矛先をオスマンの男の象徴へと向けていた。これにはさすがのオスマンも肝を冷やす。
もはや言葉はいらない。目の前のサディスティックな笑みを浮かべた秘書は、言外にこう言っているのだ。
――――次はその粗末なナニを切り落とす。
下手なことを言えば、次の瞬間老人と老人のマイサンがオ・ルヴォワールしてしまう。かといって、このまま沈黙していても結果は同じ。
どうすればいい。どうすればこの状況を振り出しに戻し、再びあの桃源郷を巡るめくるめくような興奮を求めることができるのじゃっ――――!
この期に及んでも、考えていることは変わらず目の前のサディスティックウーマンのパンツの色であるあたり、やはりこの爺は大物なのだろう。
そう、この期に及んでいるからこそ、この期に及ばせることができているからこそ、このオールド・オスマンは楽しくて仕方ないのだ。
それが、ロングビルは腹立たしくてならない。
確かに表面上は焦り、驚き、脂汗をダラダラ流す情けない姿ではある。だが、その目の奥。変態という名のヴェールに隠された賢者としての知性は、今のこの状況すらも楽しんでいるのがわかる。
いっそ本当にこの場で命を絶ってやろうかという危ない考えが鎌首をもたげるほどに、この耄碌爺の目は、ロングビルという個人の全てを見通しているかのように見える。
だが脅しは本気だ。
今日まで何度も我慢してきたが、はっきりいって仕事の邪魔である。数え切れない程の邪魔とちょっかいにいい加減堪忍袋の尾が切れたのだから、ここで一度はっきり釘を刺しておかなければならないのだ。
しかし、ロングビルは知ってしまった。
今のこの状況すら、この爺の目論見通りの"暇つぶし"に付き合わされているに過ぎないということを。
腹立たしさを通り越して呆れすら覚えるほどに、自分は弄ばれている。脅されていることすらも、まるで可愛い孫に拗ねられただけのような、そんな軽さで。
かといってこれ以上何か打開策があるわけでもなく、まさか本気でこの耄碌爺の粗末な何を串刺しにするわけにも行かず、どうしたものかと内心で悩み始めるロングビル。
―――――コンコン。
そんな膠着し始めた空気を切り裂いたのは、二度のノックであった。
ロングビルはため息を一つ吐いて、軽く杖を振り全てを"元通り"にすると、スタスタと作業机に戻っていった。
オスマンもまた楽しいやり取りであったと言わんばかりににんまりと微笑みを浮かべ、次いでどこからともなく取り出したハンケチーフで汗を拭った。心なしか本気で安堵しているように見えるのは気のせいかも知れない。もぞもぞと腰を動かすさまは非常に気持ちが悪いが。
そして、再び二度のノックが聞こえたところで、オスマンは威厳たっぷりに「入り給え、ミスタ・コルベール」と言った。
「失礼いたします学院長火急の要件がありまして!」
「わかったわかった、じゃからそう顔を近づけるでない暑苦しい!」
盛大に学院長室の扉を開け放って、礼儀もなにもなく入ってきたのは、この学院随一の奇人教師こと、ジャン・コルベールであった。
その泡を食ったかのように焦る様はロングビルをも驚かせるほどで、道中にあった椅子を蹴飛ばしながら、コルベールは右手に何かの写書きを携え凄まじい剣幕でオスマンへと詰め寄った。
「いいえ学院長これは一大事ですぞ一大事なのです! とにかくこれを!! 昨日の使い魔召喚の儀にて生徒達の召喚した使い魔に刻まれたルーンの一覧なのですが!」
「……火の系統教師は皆こうなのが珠に傷じゃな。べっぴんさんなら言うこと無しなんじゃがのう」
「が・く・い・ん・ちょ・う!?」
「ええい分かっておるわ! だからその暑苦しいハゲヅラを摺り寄せるでないっ!」
「……あぁそうでしたわ。学院長、私そろそろ塔内の見回りに行ってまいりますわねそれではごゆっくり~」
「む、いや、待つのじゃミス! せめてこの空間に華がなければあまりのむさくるしさに儂は……! ミス、ミス・ロングビルーーーーっ!!」
空気を読んで華麗に去りゆくロングビルの背中に、オスマンは暑苦しく迫り来るコルベールの髭面を押しやりながら手を伸ばす。
だが無情にも、その背中はオスマンに振り向くことはなく、ましてやその懇願を阻むかのように、勢いよく扉が閉まるのであった。
「悲しいのう……最近の若者は老人に酷く冷たいわい」
「学院長ぉおお!! これを、このルーンがッ……!」
「わかっとるわかっとる、じゃからその顔を退けてくれんと事は始まらんのじゃミスタ!」
無情にも締まってしまった扉を恨めしげにみやりつつ、オスマンは抑える手に構わずなおも顔を近づけ用としてくるコルベールに強い口調で懇願する。
美女にこうやって迫られるのであればいくらでもばっちこいなのだが、暑苦しいハゲのオッサンに迫られて嬉しい要素など微塵もあるはずがない。
なぜかごっそりと生気を持ってかれたような徒労感を覚えながら、オスマンはようやくのいてくれたコルベールを半眼で睨んだ。
「……コホン。これは失礼」
「まったく……興奮すると周りが見えなくなるのは君の悪い癖じゃと言っておろう」
「お恥ずかしい話です……ですが、事は重大なのです!」
「重大な事なぞこの世には在りはせんよ。在るのは総じて些事ばかりじゃ。そして、その些事の積み重なりが――――」
「そのお話は耳タコなのでまたの機会に! それよりもこちら! このルーンをご覧ください!」
「……老人の箴言にも耳を貸さぬとは悲しい時代じゃのう。仕方あるまい、一体何を騒いでおるんじゃ」
元々このコルベールという男は、その年の割に子供のような心を持った男である。
何か興味深い発見や閃きを覚えると、今みたいに周囲を顧みず大はしゃぎする悪癖があるのだ。
なので、今回もまたよぅ訳のわからないことで騒ぎ立てているのであろう。そう思いつつ、先程からやかましいくらいに見ろ見ろとしつこく見せてくるルーンの一覧表を見やる。
そして、さすがのオスマンも、その軽口を止める他無い事態が起きつつあることを知る。
「……コルベール君。この事は?」
「無論、私しか存じません。偶々だったのです」
「良い判断じゃ。しかし、良くもまぁこんな古いルーンを見つけ出したものじゃのう」
「"始祖ブリミルの使い魔たち"は確かに古い文献になるかもしれませんが、使い魔という概念を遡れば必ずたどり着く文献でもあります。思えば、真っ先にこれを見るべきでした」
「……その時間でたるんだ貴族から学費を上手く徴収する方法を見つけてくれればもっとよかったんじゃが?」
「それは私ではなくミス・ロングビルにお願いするべきです」
「……彼女ではやりすぎになってしまうからいかん。もう少し手柔らかに且つ穏便な――――いや、そうではない。それも大事ではあるが、ひとまずおいておかねば」
「言いだしたのは学院長ですぞ」
「しかし"ガンダールヴ"とは――――召喚したのは誰かね?」
話題の強制転換は慣れたものである。
コルベールは、一度小さくため息を吐き、ズレた眼鏡を直しながら、しかし慎重にその名を口にした。
「……ミス・ヴァリエールです」
「ほう。"彼女"か」
「……はい。"彼女"です」
「―――――ほっほ。面白い娘じゃとは思っておったが、うむ。やはり期待通り面白い娘じゃな。胸がちっさいのが非常に残念ではあるがのう。夫人と次女の姉は実に素晴けしからんボデーだったのじゃが……」
「学院長」
「……ぅおっふぉん」
ヴァリエールという名を知らぬ者は、このトリステインのみならず諸外国の貴族にも居はしないであろう。
特にこの魔法学院において、彼女は嫌が応にもその名を知られている。
曰く"ゼロ"のルイズ。"無能"のヴァリエール。
どれもが実技に対する悪名であるが、しかし一方でその座学の成績が入学当初からこの学院のレコードを塗り替える勢いで首席に立ち続けていることも、オスマンとコルベールは知っている。
故に、そのアンバランスさからある程度の危惧はしていたのだ。
「何かやらかすとは思っておったが、まさか斯様な大事を引き起こすとは思わなんだ。長生きはしてみるもんじゃて」
「……重大な事など在りはしないのでは?」
「無論。これとて瑣末な事象の一欠片に過ぎん。じゃがのう、もしその欠片がとあるパズルのソレであったとすれば? ましてや、そのパズルの完成図が途方もなく大きなものであったとすれば、どうじゃ?」
「……なるほど」
「そういう意味で、"コレ"は重大じゃ。しばらくは、儂らで事の成り行きを見守る他あるまい」
「よろしいのですか? もしこのルーンが間違いでなければ、ミス・ヴァリエールの使い魔はかの"ガンダールヴ"ですぞ」
「ふぅむ……色々と理由はあるんじゃが、大きな理由はアレじゃな」
「と、申しますと」
「暇を持て余しとる王宮の連中に、大事な生徒を供物にしてやる程儂は奴らが好かん」
「は、はぁ……」
「それにの、コルベール君。よくよく考えてみるのじゃ。仮に君が見つけてきたその文献と現状が一致しているとすれば、同時に、それはミス・ヴァリエールの立場をも暗喩しておる。じゃからこそ、静観じゃ。わかるの?」
「……はい」
「ほっほ、何、心配する程の事ではないわい」
楽しそうに、子供のような無邪気さと、孫を見守る祖父のような暖かさを湛えて、オスマンは笑みと共に水晶を取り出した。
そして一言二言、聞き取るのが難しいほどの早口で呪文を唱えると、水晶にはスズリの広場を遠方から写している光景が映る。
それが、風の系統の魔法の応用であることをコルベールは知っている。それも、スクエアクラスの"偏在"にも勝る複雑且つ高等な魔法であることも。
手を何度か動かし、その視界をある程度操作し、オスマンは手早く件の少女へと合わせた。
同時に、水晶に映るピンクブロンドの少女が会話している相手――――黒衣に身を包んだ、この学院の生徒ではない少女を見るなり、オスマンは微かにその顔に驚きの色を浮かべた。
しかし、それはほんの一瞬。コルベールすら気づかないその些細な表情の変化は、次の悪戯小僧じみた笑みに溶けて消えた。
「今の時間は、なるほど――――懇親会の最中じゃな?」
「はい。スズリの広場で行われています。特にトラブルは起きていないようですが、やはり"彼女の使い魔"がどう動くかでそれも大きく動くでしょう」
「人間を召喚し、使い魔と成すか―――――ほっほっほ。それも"彼女"のようなモノをのう」
「が、学院長、何かわかったので?」
「いやいや。何もわからんよ。儂はただ長生きしているだけの小狡い学院長に過ぎん。世の阿呆共が担ぎ上げるような偉大なる全知全能の賢者なんぞでは断じて無い。しかし、そんな儂でも、長生きするが故にわかることもある。いや、感じ取れる、と言ったほうがより正確かの」
「と、おっしゃりますと」
「――――――ほっほ」
神妙に聞き入るコルベールに向き直り、その老獪なる賢者は笑った。
水晶には、変わらず件の主従が映り続けている。その主たる少女から、使い魔の少女が離れていくのと同時に、広場のどこかから喝采のような騒ぎが聞こえてきた。
コルベールは何事かと振り返るが、オスマンは更に楽しそうに、嬉しそうに、それでいて若干の憂いを込めて水晶を見やる。
現世に蘇りし始祖の使い魔/ガンダールヴ。そのルーンを宿す黒衣の少女は、いつしか身なりの派手なキザったらしい金髪の少年と向かい合っていた。グラモンとこのバカ息子だろう、とオスマンは内心ほくそ笑む。
そして、オスマンは小さく万感の意を込めて呟いた。
「――――――聞こえてきたぞい、若き"ガンダールヴ"よ。世界が大きく動く、その大きな足音がのぅ」
*誤字修正をしました。ご指摘感謝致します。
*姉のボデー、修正しました。ご指摘感謝いたします。
オスマンのおっぱいせいじん!