執筆の励みになる事はもちろん、少しでも楽しんでいただけたのだと思えば作者冥利に尽きるものです。
不定期ではありますが、今後とも宜しくお願い致します。
ステラの驚愕の行動の後、周囲の騒ぎっぷりはもう、それはそれはひどいものであった。
一人の叫びを皮切りに、それに同調したのか、あるいは野次馬根性によるただの便乗なのかわからないが、周囲にいた貴族の少年少女は興奮に沸き立ち、あれよあれよという間にここ、ヴェストリの広場へと集まってしまった。
その流れは洪水のようなもので、とてもではないが、ルイズ個人の力でどうにかできるようなものではなかったのは、述べるまでもない。
慌てたルイズがいくら大声で馬鹿なことはやめろと声を張り上げても、一度頭を沸騰させた馬鹿共には決して届かず、対極的に冷静な者からは、皆面倒事はゴメンだとばかりに無視される。
面倒事。そう、これは紛う事無く面倒事そのものだ。
教師達には既に知れ渡っていて、今なおこの騒ぎを止めようと野次馬の輪の外郭で奮闘しているのが遠目に見て取れる。言うまでもなく、バカ騒ぎが好きな一部の生徒達によって阻まれているが。
事が終わった後、どうなるかは想像に難くない。
学院内で起きたトラブル。学則で禁止されている決闘騒ぎ。挙句、その渦中にいるのが実技能力"ゼロ"の落第生とその使い魔。
どうあっても、ルイズが糾弾される流れを変えることはできないだろう。そう結論付けることができてしまった時点で、ルイズはもう、この騒ぎを止めることを放棄したくなった。
だが、今回ばかりは――――止められない理由/ワケがある。
事を起こしたのが例え出会ってからまだ一晩しか経っていない使い魔であろうと、召喚した者として、また契約を交わした主として、その使い魔を見捨てる真似など、到底できようものか。それは、貴族の風上にも置けない愚行だ。魔法の才能がゼロだろうがなんだろうが、その愚かしい真似だけは、決して―――決して、貴族として踏み越えることがあってはならない分水嶺であると、ルイズは信じている。
故に、その小さな体に精いっぱいの虚勢と、最大限の威風を纏って、ルイズは彼の愚か極まりない同級生に毅然と立ち向かったのだ。
「ギーシュ! 馬鹿な真似はよしなさい! 生徒同士の決闘が学則で禁じられているのは、いくらバカなアンタでも知ってるでしょ!」
「やれやれ……君は一つ、勘違いをしているよ、"ゼロ"のルイズ」
静止の声を張り上げるルイズに対し、小馬鹿にしたような態度を取るギーシュ。
そのやり取りを傍らで見守っていたステラが、静かにその表情を強ばらせたようにみえた。
同時に、確かにルイズは感じ取った。尋常ならざる、心臓が縮み上がるほどの寒々しさを。
それが、ルイズの不安を加速させる。ギーシュの嘲りの言葉などどうでもいい程に。
「禁じられているのは"生徒同士"による決闘だ。生憎、君の使い魔は"生徒/貴族"じゃない」
「詭弁よ! そもそも、こんなくだらない事で決闘騒ぎを起こしている事そのものが、恥ずかしいとは思わないの?!」
「“くだらない”? ……君は、本気でそう言っているのかい?」
「なんですって……?」
不愉快そうに鼻を鳴らして言うギーシュの言葉に、ルイズは眉を顰める。
彼の言わんとしていることが理解できない。
たかだか地面に組み伏せられたぐらいで何を言っているのか。その程度の事で決闘騒ぎを起こしていたら、今頃ルイズはこの学院における生徒達の半数以上と決闘していたことだろう。
そう、これは“ルイズにとって”その程度のことでしかない。だから、こんなくだらない理由で自身の使い魔/平民の少女が殺されていいはずがない。らしくもなく身を挺してでも庇い立てするのは、そういった理由からだ。
しかし、ルイズは失念していた。
ルイズ・フランソワーズは例えその身に青い血が流れていようとも、未だこの学院において―――ひいては今ある貴族社会という枠組みにおいて、紛う事無く"異端"の存在であることを。
それは何も、魔法の才だけの話ではない。
育ってきた境遇。培ってきた経験。ぶつかってきた試練。そして、独りの人間としての価値観。
何もかもが、一般的な貴族の生き様から外れているものだ。
いくら両親が一般的かつ最上級の教育を与えてくれても、どれだけ他者より貴族たらんと努力していようとも、"魔法の才能がゼロ"というただ一つの事実によって、それらは正道から外れた邪道となる。
故に、ギーシュという極めて“模範的”な一般貴族というカテゴリに属する少年は、そんな"規格外"の無能貴族たるルイズへ助言でも与えるかのように講釈を垂れるのだった。
「わかりやすく言おう。いいかいルイズ。今回の事は、平民が、貴族に手を上げたんだ。まさか、この事の重大さがわからないわけではないだろう?」
「それは謝罪したはずよ。彼女はただ、私の身を案じただけ。その結果乱暴なことに成っちゃったけど、それだって今後は―――」
「ならば聞くが、君は自分を組み伏せた平民を、なんの罪科もなく許せるのかい?」
「……理由次第だわ。そして、この場合においては、正当な理由があるのは明白じゃない!」
「だが、その後わざわざ手袋まで投げてよこした。平民が、貴族に向かって、手袋を、だ」
一言、一言。
噛みしめるように言葉をつなぐギーシュは、心底腹立たしそうに顔を歪ませている。
と、ルイズは頭の片隅でささやく己の声を聴いた。
間違っていない。あのバカは、確かにバカであるが、このハルケギニアにおける貴族として、至極全うなことを言っている――――と。
だから、彼の行動に可笑しいところは別段ない。決闘を止めるだけの理由が、こちらにはない。
反論が浮かばず、そのまま押し黙るルイズを、ギーシュは得意げな笑みを以て嘲笑った。
「―――――ほら、決闘をするには十分に過ぎる理由だろう?」
「っ……馬鹿言ってるんじゃないわよ! その程度の事で決闘なんて、貴族の名折れだわ!!」
「まだわからないのかい? ならば、君と僕らじゃ価値観が違うってことになるね。なにせ、君は"ゼロ"で、僕達は"貴族"だから」
「なっ―――――!!?」
それは、ルイズの人生にとって最も辛辣で、そして最も最悪な侮蔑の言葉。
ギーシュの言葉を聞いて、周囲に漣のような嘲笑が響き渡るが、それすらもルイズの耳には入ってこなかった。
彼は言外にこう言っている。
貴族だからこそ、示しが必要なのだ、と。
そして、それが理解できない君は、貴族では無い、と。
思わず視界が真っ赤に染まるほどの怒りを覚える。今すぐこの場で杖を引き抜き、あのボンボン貴族の小僧に向かって、いつかの母のようにウインドカッターを叩き込んでやりたい衝動にかられる。十中八九、ウインドカッターではない爆発が起きるだろうが、構うものか。
だが、その凶悪なまでに危険な衝動を、ギリギリと、震えるほどに拳を握り締めて耐え抜き、多少伸びた爪が肌にくい込む痛みでもって、強制的に怒りを抑えつけた。この侮辱に対して決闘を挑まなかった己の自制心を自画自賛したい程の我慢だったと言えよう。
悔しい、などという生易しいものではない。むしろ、それすら通り越して己を殺したくなるほど、ルイズ・フランソワーズは自分を情けないと思った。
貴族として馬鹿にされるならまだいい。魔法の才能がないのは事実だし、この世界では魔法の才能と青い血、二つ揃って初めて貴族として認められる。
だが、その青い血すらも否定されるのは、耐えられない。
鼻の奥がツンとして、途端に目尻が熱くなる。
そして、あと少しでソレが、普段は分厚く構築している堤防をぶち破り、勢いよく溢れそうになった時だった。
「大丈夫」
「っ、ステラ……?」
そっと、いつの間にか傍にやってきていた黒髪の少女が、その両手でルイズの目尻を撫でる。
主人よりも頭一つ程背の高い漆黒の使い魔は少しだけ膝を曲げ、相変わらず無表情なまま、しかしはっきりとした意思をもってルイズの目を見た。
「負けないから」
その言葉を聞いた時の心境を、ルイズは生涯忘れない。
もとはと言えばアンタの所為だとか、こんな馬鹿な真似は今すぐやめろとか、殺されちゃうとか、言いたいことはたくさんあったはずなのに。
何かを言いたいのに思考はまとまらず、だが、こちらの目をしっかりと見ながら、それでいて力強くそう断言する使い魔の言葉が、幾度も脳内で繰り返される。
でも、どれだけ力強くそんなことを言われても、ルイズの目の前にいる使い魔は"平民の少女"なのだ。理性は、その事実を忘れることができない。
「負けないって、だって、アンタは平民じゃない! 勝てるはずないでしょ!」
「うん。私はあなたの使い魔/ステラ。だから、私がルイズを守る」
「バカっ! 平民じゃ貴族に勝てないの! 死んじゃうかもしれないのよ!?」
「大丈夫。こういうのは、慣れてる」
「は? 慣れ……って、ステラ!」
それだけを言い残し、ステラは踵を返す。
どんな言葉をかければいいのか、あるいは先程のように、無駄と知りつつも止めるべきであったのか。
そうしてルイズが判断に迷っている間にも、場の流れは止まることを知らず移ろいでいく。
広場の中央では、漆黒の少女と気障な少年が相対し、それを囲むようにぐるりと円を描く野次馬達が見守る。
その場にいる野次馬の誰もが思う。なんと愚かで哀れな少女だろう、と。
平民の身でありながら貴族に逆らう愚を犯すだけでなく、その貴族との決闘に徒手空拳で挑むなど、狂気の沙汰だ。それをここにきてもなお、理解できていない様子は愚かとしか言いようがない。まさに道化の極みだろう。
これ以上の見物はないし、日々娯楽に餓えている貴族の少年少女達からしてみれば、学院という閉塞した環境内で知らずと溜まっていく鬱屈したストレスを、存分に吐き出す絶好の機会でもあった。
故に、異様だった。
本来であれば、あの愚か極まりない"ゼロ"の使い魔に罵詈雑言が投げつけられて然るべきだ。それなのに、現状はその真逆。
深、と静まりかえった広場には、雑言どころか嘲笑一つ聞こえない。
静かで、重い空気が満ち満ちていた。
今この場に広がっている、愚かしくも嘲笑一つ洩らそうものならばその場で窒息しそうな、あるいは目に見えない錘で全身を縛られているかのような重圧がなんであるか――――戦場に立った者であれば容易く理解できたであろう。
残念ながら、それがなんであるか理解できたのは極一部の生徒のみであった。
それでも、黙りこくる周囲とその場の空気に怯むことなく、それまでの居丈高な姿勢を保ち続けたギーシュという少年は、もしかすれば大物なのかもしれない。
一方で、そんな渦中の当事者たるステラは、実のところ、すでにこの件についての関心を、全くと言っていいほどなくしていた。
ほとんどその場のノリでこんな厄介極まりないもめ事を引き起こした自覚は、一応ある。同時に、そのことに責任も感じていたし、だからこそ収集をつけるためにも(ステラの"知識"の中では)最もこの時代に適当な解決手段を選んだつもりだ。そういった意味では、この件に関する責任感というべきものは最低限持っている。
だが、それだけだ。
かつて、短い期間ではあったものの、それでも命がけの壮絶極まりない殲滅戦争を思えば、"魔法"という懸念事項こそあるものの、あの"A級"や"総統"に比肩するようなものがそうそうあるとも思えない。いや、仮に目の前の軟弱極まりない少年がそんな存在であれば、それはそれで興味深い事ではある。
だが、およそステラの経験と知識から察するに、摸造花の杖を気障ったらしく振り回して悦に浸っているような少年が、かつてのPSS部隊隊員のような実力を持っているようには、到底見えなかった。
故に、今起きているこの事態は、ステラの命どころか主たるルイズをも脅かすものではない。
"そんなこと"よりも。
今のステラにとっては、自己分析による自身への"違和感"の方がよほど重要な案件であるといえた。
今回の件は、ルイズが馬鹿にされたことと、"三度"という基準を満たす敵意を感じたので行動を起こしたものだが、それにしたって、己の事ながら疑問を抱いてしまう程短絡的に過ぎるものだった。これほど自制が効かない状態に陥ったことに、自分でも驚くくらいに。
本来であれば、もっと"上手に"やれたはずだ。なにも今この場で―――それも態々"データベース"から知りえた中世欧州における決闘の風習を真似てまで騒ぎを拡大させる必要は、全くなかった。
何度自己分析しても、この自分の行動にはまったくもって合理性が見当たらない。直情的で実に人間的な、自分からは最も縁遠い(と、ステラ自身は思い込んでいる)非合理的な行動だ。
直接的な原因はともかくとして、なぜそれに激発されてしまったのか。
―――――わからない。
ルイズへの忠誠心? 使い魔としての矜持?
―――――いや、どれも違う。
確かにステラはルイズに好意的だ。ステラにとって、ルイズは地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようなものでもあったのだから、それ相応の感謝と好意を抱くのは当然の帰結である。
なにせ、死ぬつもりであったところを拾われたばかりか、他世界とはいえ、念願であった人類と再び巡り合わせてもらったのだから、使い魔として仕える程度の恩返しは安いものだ。
そういった意味で、ステラは非常に大きな恩義をルイズに感じている。
だが、それらは自身の行動の原因足りえるかといえば――――否だ。まだ、そこまでの段階ではないと、断言できる。
無心の内に己の命を賭しても守りたいと思えるほどの、かつて、遥か昔、この身を引き裂かれそうなほど哀しい想いを抱くことになったあの"暖かいモノ"では、未だ無いからだ。
これはもっと外因的で、かつ強制力の働いた“何か”ではないか。そう分析する。
ともあれ。
もはやこの段階まで来てうだうだ悩んでも仕方がない。やってしまったことはやってしまったことであり、それでもなお、ステラの"ルイズを守りたい"という気持ちに迷いはない。
ならば、この"茶番"を早く片付けてしまおう。
ステラにとって、今起きているこの"騒動"は、結局その程度の事だったのだ。
「算段はついたのかい?」
「……決闘なら、懸けるものがあるはず」
「なるほど。道理ではあるね。では、君が負ければどうするつもりなのかな」
「私の首をあげる」
間髪をおかずにそういってのけるステラに、場がどよめいた。
ステラが自身の命をあっさりと投げ出したことに対する驚愕と、同時にそのあまりにも軽々しい扱い方に動揺したのだ。無論、ステラにそんな気などさらさらあるはずもなく、ましてや負ける気など塵芥ほどもあるわけがないが故の発言だ。
しかし、そんなステラの思惑などわかる人間がいるはずもない。故に、どよめいた。
誰であれ、己の命は惜しいものだ。
例えばそれが、崇敬する主を持つ騎士候等であったならば、その主のために命を投げ出すこともあろう。
だが、周囲から見れば、ステラはルイズと出会ってからまだ一日しか経っていない。どんな劇的で運命的な出会いであろうとも、たったの一日でそれだけの信頼関係を築き上げるには、常識的に考えて不可能だ。事実、ルイズ自身も、どうしてステラがそんな事を言い出したのか、理解できなかったのだから。
ルイズは思う。
たかだか出会って一日程度。使い魔の契約だって殆ど成り行きで、お互いのことはほとんど知らない。ましてや命を投げ捨てるほどの信頼関係など、構築できていようはずもない。
それなのに、あの黒髪の少女はためらいもなく己の命を擲った。
彼女は騎士でもなければメイジでもない。ただルイズに成り行きで召喚された平民の少女が、この"無能"のために命を擲ったのだ。
それはもしかしたら、"ルイズに召喚されていなければ死んでいたかもしれなかった"からなのだろうか。いや、むしろそう考えたほうが辻褄が合う。でも、それにしたって、この命の投げ捨て方は、あまりにも常軌を逸している。
そして、ギーシュは、不覚にも目の前の少女に臆した自分を、内心で恥じた。
「……冗談のつもりなら、全く持ってナンセンスだね」
「? 冗談じゃないよ。本気。ただし、私が勝てば、ルイズに謝って」
「……いいだろう」
ステラの目を見て、ギーシュは彼女が虚偽なく本気であることを知る。
であれば、もはや進めるしかないだろう。
無論、ギーシュとて本気であの少女の首を貰おうなどとは考えていない。せいぜい地面に這いつくばらせて謝罪をさせる程度で終わらせようと思っていたのだ。
それが、どれほど愚かしく暢気な考えであったか―――――ギーシュは生涯に渡り、忘れることはない。
「では、ルールを説明しよう。とはいっても、至極シンプルなものさ。僕は君に“参った”と言わせる。君は、僕からこの"杖"を奪うか、“参った”と言わせる――――どうだい?」
手に持つバラの造花をこれ見よがしに見せつけつつそう問いかけるギーシュに、ステラは一瞥しただけで即答した。
「構わない」
「よろしい。では、始めようか。君の相手は、この"青銅の"ギーシュが創り上げた至高の戦乙女、ワルキューレが相手しよう!!」
そう言って、ギーシュは模造花を勢いよく――かつキザなポーズを交えて――振るった。
模造の花弁がひらひらと舞い落ち、地面に達するや否やまばゆく輝きだす。
そして次の瞬間、バラの花弁は精緻な装飾に彩られた金属の騎士へと変貌を遂げていた。
これには、さすがにステラも驚きを禁じ得ない。
見た目では、間違いなく原子変換の類だ。それなのに、周囲の空間において質量変動による揺れや、あの質量から推測されるエネルギーの余波がまるで感じられない。ステラ自身が行う武器変換に似ているが、しかし間違いなく別物である。
"眼"で見ても詳しいことがわからないため、ステラに今起きた事象をこれ以上深く考察する方法はなかった。となれば、すぐさま思考を切り替えるのがステラという少女である。
敵性個体1。脅威度―――測定不要。
改めて状況把握をするまでもない。遥か昔に相対したエイリアン共とは比べるべくもない相手だ。
そんなステラの内心など露程も知らないギーシュは、解り難いものであったが、表情を少しだけ驚きに染めたステラを見て機嫌を良くしていた。なんだ、所詮は平民の少女ではないか、と。
鉄面皮の無表情な少女が見せたわずかな驚きの表情から、ギーシュはステラが内心動揺しているに違いないと思い込んだ。
貴族の魔法を見て驚くなど、想像も及ばない僻地で育った田舎娘なのだろう。であれば、ワルキューレ一体でも過ぎた相手と言うもの。適当にあしらって、早々に終わらせてしまおう。
ある意味それは、この世界の貴族として、また一般的な平民を相手にした場合における貴族の心理として、至極全うな物であった。
しかし、ギーシュは今まさに失念している。
自身が相手しているのが、あの"異端児"の象徴である"ゼロ"のルイズ、その使い魔であることを。
であれば、自身の図る常識がどうして通用しようか。
"異端児"とは、すなわち常識から外れ、理解しがたい存在であるからこその異端であり、その埒外の存在が呼び寄せたものが、またどうして常識の枠内に収まる存在であると断じれるのか。
残念なことに、ギーシュはそれに気づくことができぬまま、目の前で己の作り出したゴーレムが大地に叩き伏せられるのをただ見ている他なかった。
疾風が踊り、轟音が響く。
ひしゃげた青銅が派手に砕け、大地には土埃と決して小さくない罅割れを爪痕として残している。
立っているのは、誰もが予想していなかった存在。
長いツインテールの黒髪を翻し、黒衣の裾についた埃を払いながら、非常に億劫そうな仕草で面を上げる少女。
「……これだけ?」
ステラの、あまりにもつまらなさそうなその一言は、深と静まりかえる広場に寒々しく響き渡った。
―――――それは、一瞬の事だった。
杖を振るわれ、ギーシュご自慢のゴーレム、ワルキューレが突撃をしたまではいい。この場にいた誰もが理解できるし、しっかり把握している。
だが、そのゴーレムが、少女を横殴りにしようと手に持つ槍を振るった瞬間。その一瞬から先、ギーシュを含め、その場にいた誰もが理解しがたい現象を目の当たりにした。
槍が少女に届く寸前、突如として少女は黒い旋風となってしゃがみこみつつそれを避け、避けた際の勢いはそのままに、突き上げるような踵によってゴーレムの顎を打ち抜いたのだ。
そして、顎を蹴り上げられ、槍を空振った為に体勢を大きく崩したゴーレムの首へと流れるように巻きついたかと思うと、ぐるりと少女が飛び上がりながら回転。次の瞬間には、ギーシュご自慢の青銅製のゴーレムは頭から地面へと叩きつけられ、行動不能なまでに上半身を破壊された。
その正確な動きを把握できたのは、皮肉にも広場の遠くで静観していた一部の生徒と、絶賛覗き見中の教師二人だけ。
他は全員、少女が黒い旋風となって動いたようにしか見えなかった。
そして。
土埃が風によって払われ、上半身が残骸と成り果てたゴーレムの傍らで、ステラは身を起こしながらゴーレムの手から槍を奪い取る。
「?」
拾った槍を軽く振り回しては感触を確かめたステラが、ふと小首をかしげた。
武器を持った瞬間、それは起きた。
左手の甲、あの"契約のルーン"とやらが刻まれた手の甲が淡く輝いている。同時に、"眼"の力を解放した時のような、すさまじいまでの身体的能力の強化現象を自覚する。
ともすれば、それは自身の限定解除のアレに等しいもので、一種の全能感に近いものすら感じられた。
体は自分の意思、思考、想像する"そのまま"に動くだろう。振るう一撃は万軍を砕き、どんな攻撃だって当たる気がしない。
圧倒的だ。
この力があれば、あの時、奴らの"総統"とすら互角に戦えただろう。それほどまでに、圧倒的なまでの"力"が、ステラの内から―――いや、手の甲から生まれているのがわかる。
ひょっとしたら、これがルイズとの契約の効果なのだろうか。
いや、そうなのだろう。
確かにステラ自身の力として、この"力"に匹敵するものを引き出すことはできる。だが、それには大きな代償が伴うし、おいそれと使えるようなものではない。
だが、これは――――この恐るべき"力"は、ただ武器を持つだけでステラを包み込んだ。
同時にささやく声がする。
耳のすぐ後ろ。あるいは遠いどこか。決して見ることはかなわないのに、しかしはっきりと聞こえるそれ。
―――主を守れ。汝は剣。汝は盾。主の絶対的力。
ステラは、ざりっ、と大地を踏みしめた。言われるまでもない。
足元のゴーレム"だったモノ"の残骸をどかし、ギーシュへと向き直りながら、片手に持った槍をくるくると回す。
主だとか、使い魔だとか、そんなのは関係ない。
私は、ルイズに助けてもらった。
だから、私はルイズを助ける。守る。この命に代えても。
決意を新たに、ステラがその槍を構えた瞬間。
「ッ――ワルキューレェっ!!」
それまでただ驚き固まっていたギーシュが、あらん限りの声を張り上げ、全力の錬成を行った。
もはや衝動とすら言っていいその圧迫感に押され、ギーシュは出し惜しみなどという馬鹿な考えは捨て去った。
背筋を駆け抜ける、氷のような悪寒。あるいは、それこそが恐怖そのものだったのかもしれない。
舞い散る花弁は六枚。現れるゴーレムもまた六体。
錬成された青銅のゴーレムは、主を守らんと2-3-1の順に隊列を組み、突撃してくるステラを迎え撃つべく前衛が前に躍り出る。
ギーシュとて、二つ名を持つ人間として、ゴーレムの指揮はそれなりの修練を積んでいる。
少なくとも、同学年内で自分ほどゴーレムを多数操れ、かつ同時に六体の指揮を執りえる存在がいないくらいには、修練を積んだつもりだった。
それは密かな自慢であり、また矜持でもある。
グラモン家四男としての誇りと、また美しき貴婦人を守る騎士として、その存在に足る技量を磨き続けてきたつもりだ。つもりだったのだ。
「遅いよ」
迫る黒髪の少女は、短くそういって、瞬く間に二体のゴーレムをたたき伏せた。
一体の胴が貫かれ、そのまま横に振りぬかれた拍子にもう一体のゴーレムが叩き潰される。同時に、その衝撃に耐えられなかったのか、ステラの持つ槍も砕けた。
ギーシュがその隙を見逃すものかと、三体のゴーレムを立て続けにけしかける。
個別に行ってもだめだ。反撃の隙を許さず、数で押しつぶす。
無論、その数としては圧倒的に足りないが、しかし三体のゴーレムによる同時攻撃を、そうそう簡単にさばけるとは思えない。熟練のメイジとて、三体のゴーレムを同時に相手にするのは至難なことなのだ。
だが、それは、あくまで一般的なメイジにおける話である。ギーシュは相変わらず、己が相対する敵がどんな存在であるかを失念していた。
鶴翼の如く、ステラを押しつぶすように襲い掛かる三体のゴーレム。手に持つ武器はそれぞれ同じ槍だ。
今度は手加減などしない。焦りと得体の知れない圧迫感、そしてなによりゴーレムを二度もあっさりと退けられた屈辱から、ギーシュは当初の目的を忘れ、本気でステラを殺すつもりになっていた。
振るわれる槍は、すべてがステラを刺し貫こうと狙い、どれもステラのような細身が受けようものなら貫かれるだけでは済まない威力を持つ。それが三つ、ステラを逃さぬよう、圧倒的な質量の幕となって襲い掛かる。
避ける空間はない。
ゴーレムを砕き、槍を失い、それでも突撃してきたステラの退路を塞ぐように、ゴーレムらの槍がステラを狙っていたからだ。
サイドステップをするにはあまりにも勢いが付きすぎている。逆にとまって避けようものなら良い的になるだろう。
どれかを避ければ別の槍が襲い、槍を受ければただでは済まない。ギーシュ渾身の迎撃態勢は、ある意味で美しく、そして非常に合理的な戦術から成り立っていた。
どこかで悲鳴が響いたような気がした。あるいは、ステラの名だったのかもしれない。であれば、ルイズだろうか。
ステラはぼんやりとそんなことを考えながら、しかしその唇の端にうっすらと笑みを浮かべる。
心配させるのは、よくないことだ。
だから、早く終わらせよう。
槍が、ステラを貫く。
―――ように、見えた。
次の瞬間、三体のゴーレムが砕け散った。
一体は腹部から粉砕され、一体は半身が吹き飛び、一体は腕をもぎ取られ地に伏せる。
そして、黒い旋風が、青銅の残骸を蹴散らしてギーシュへと迫る。
ほとんど本能的なものだ。ギーシュが杖をふるい、最後の一体を自身の目前に立たせる。たとえそれが、無意味極まりない行動だと理解していても。
予想通り、旋風は青銅の壁をものともせず砕き、散らし、すさまじい風圧でもってギーシュを叩きのめす。
それが、少女の持っていた槍が振るわれたが故の衝撃だと気づくことはなく、ギーシュは無様に背後へと吹っ飛ばされ、派手に転びながら地に伏せた。
思考が回らない。だが、視界はぐるぐると回る。
一体何がどうなったのか正確に把握できないまま、ギーシュはなんの考えもなく、普段そうするように起き上がろうとして、気が付いた。
自分を覆うように被さる黒い影。
頬に感じる、ひんやりとした感触。
目の前に見える、うっすらと土に汚れた黒いブーツ。
そして、そのブーツの足元には、砕けた自分の薔薇の杖があった。
ゆっくりと面を上げ、自分を見下ろすその存在を見て、ギーシュはようやく思い至る。
「……まだ、続ける?」
「―――――――参った」
あぁ、自分は、負けたのだ、と。
★
スズリの広場の中央、彼の決闘騒ぎからは外れた木陰の下。
二人の少女が興味深そうに騒動の中心を眺めていた。
「あらまぁ、ルイズの使い魔が勝っちゃったわ」
「……」
「まさかタバサの言うとおりになるなんてね。どうしてわかったの?」
「……見てればわかる」
豊満な肢体を惜しげもなくさらすように、わざわざ制服を着崩している褐色の肌の少女は、その紅蓮のような紅い髪をかきあげながら傍らの少女に問いかける。
対して、タバサと呼ばれた少女は、自身の伸長を上回る長い杖を持ち、この国では珍しい青銀の髪を揺らして端的に答えた。
杖を持つ手と反対の手には、分厚い書物。ページの合間に指が挟まっているのは、騒ぎの途中から今までずっと読みふけっていたからに他ならない。
喧騒の匂いを連れてくるかのような風が吹き、二人の少女の顔を撫でていく。
タバサの答えに満足いったのか、あるいはわからずともどうでもよかったのか、問いかけた赤毛の少女は嫣然とした笑みを浮かべた。
「そんなものかしら。でも、確かにすごいわね、あの子」
「……」
ここから騒ぎの細かい様子は伺うのは難しいが、しかし輪の中で何が起きたか位は見ていてわかる。
それはつまり、ギーシュの作り出した六体のゴーレムを、あの黒髪の少女が一方的なまでに蹂躙していた様子も、見ていたことに他ならない。
「メイジ殺しか何かかしら?」
「違う」
「どうして?」
「対処が雑。メイジ殺しなら、もっと合理的」
「ふぅん?」
メイジ殺しとは、その名の通りメイジを相手取り、殺すことを生業とする者達、あるいはその技術を有する者を指す。
だが、そういった連中はとかく合理的だ。決して己にとって不利となる要素は作らず、メイジに魔法を使う隙を与えはしない。例え魔法を使われたとして、それに対抗するための"有効な"手段を用意しているものだ。
それが、あの少女にはまったく見られない。というか、完全にパワーに物を言わせたごり押しだ。あんなのは、とてもではないがメイジ殺しとは呼ばない。
「……キュルケ、楽しそう」
「私が? ふふ、確かにそうね。おもしろくなってきたかな、とは感じてるわ」
キュルケと呼ばれた赤毛の少女の笑みが深まる。
それは、獲物を見つけたような―――いや、楽しいおもちゃを見つけたといったような、実にコケティッシュな笑みだ。
普段からあの使い魔の主にちょっかいをかけ、楽しそうにしているキュルケの姿を知っているタバサは、しかし何も言わず一つ嘆息だけ残し、その場を去る。
「あら、もういくの?」
「読書。ここはうるさい」
「ふふ、そうね。じゃ、私もついていこうかしら」
「……好きにして」
「んふふ~、素直じゃないんだから♪」
「……重い。離れて」
普段から一人を好み、暇さえあれば読書にふける文学少女に抱き付きながら、キュルケはちらりと喧騒の中心をみやった。
確かに、周囲の喧騒はやかましい。
野次馬の輪の中央では、件の主従が――というか、その主が――姦しく騒ぎ立てているし、それまで野次馬に阻まれていた教師達が次々に輪を蹴散らしては生徒達に説教を始めている。
騒ぎが落ち着くまで、もうしばらく時間はかかるだろう。
なにより、この場にいたらとばっちりを食うのは目に見えていた。それを避ける意味でも、キュルケはタバサについていく。
ただ、キュルケもタバサも、その意識のどこかにあの使い魔の少女の事がこびりついていた。
学院きっての落第生、"ゼロ"の使い魔。
平民にありながら、平民に非ざる力を持つ不思議な少女。
そんな不可思議な主従といずれ深い関係になろうとは――――この時の二人は、欠片ほども思い描いてはいなかった。