うららかな日差しと、窓から流れ込むそよ風に白亜のヴェールが揺れる。
長閑と言ってもいいその風景は、様々な薬草の香りがミックスされた独特の空気さえなければ心やすらぐ空間としての役割を十二分に担っているだろう。
学院内に滞在する人々を癒す場所。心身ともにその治療を行うためのトリステイン魔法学院、医務室。
決して小さくない、というより、下手な宿屋よりも大きく壮麗な寝室といっていいその一角で、怒号が破裂した。
「ほんとにッ…………ほんっとーーーーにっ!! バッッッカじゃないのッッ?!!」
「…………ごめんね?」
「"ごめんね?"―――――じゃねーーーわよこのアホ使い魔ッ!!」
桃色の怒髪が天を突き、憤怒に震える顔はそれでも可愛らしさを損なわず、それどころか耽美な艶やかさとなって彩られている少女が、淑女らしからぬ罵声を放つ。
室内を震わせる気炎は、言うまでもなくこの学院一の問題児、ルイズ・フランソワーズのものだ。
となれば、怒鳴られてるその相手は、昼の一件で瞬く間に有名人となった"ゼロ"の使い魔こと黒髪の少女ステラで間違いなく、いじらしくも、ベッドの上で両足を畳み、両の手を軽く握り膝の上に載せるその姿は、主からのお叱りを受ける従順な使い魔そのものである。一部の人間が見れば、その頭にしなだれた犬の耳を幻視するだろう。くたくたに萎れた尻尾も見えれば上級者である。
少ないとはいえ、ステラの体の数カ所に刻まれていたかすり傷――恐らくは、槍が掠めた痕だろう――に軟膏を塗りつけ、乱暴に包帯を巻きながら、ルイズは鼻息荒く目の前の向こう見ずで考えなしな使い魔を叱り続けていた。
「掠り傷程度で済んだからよかったものの、下手すれば死んでたのよ!? ご主人様の言うことも聞かず、挙句決闘までけしかけて騒ぎを大きくして、しんp―――気を揉ませやがってからにぃい~~!」
その掠り傷が、実は本気で回避するのが億劫だったため、必要最小限の動きで回避した結果だとは言えない。
言えばどうなるか――――その程度を察することができるくらいには、ステラはルイズを理解し始めていた。
「いひゃいひょ、ふいふ」
「うっさい! アンタのせいでこちとら寿命が十年単位で縮んだ思いをしたんだからね!」
包帯を巻き終え、それでも怒り冷めやらぬとばかりにステラのほっぺたを両手でつねりあげるルイズ。かつて上の姉からよくやられていた折檻手段だが、やはり効果は覿面らしい。
普段無表情な少女が、うっすらと涙目になりながら許しを請う姿はどことなく被虐心をくすぐられるものがある。
スズリの広場での決闘騒ぎが終わってから、そんなに経ってはいない。
決闘が終わり、ようやくといった鈍間具合で場の鎮圧にかかった教師達から尋問を受け、ステラが掠り傷とはいえ傷を負っていることを理由にこの医務室まで避難してきて、まだ数刻といったところか。
医務室に常在している医師はおらず、大抵は水魔法を担当している教師が呼ばれて飛んでくる形になっている。
ステラの傷が深ければ迷うことなくそうしていたところだが、あろうことかこのアホ猫は、あれだけさんざんご主人様に気苦労をかけておきながら、たいした傷は負っていなかった。
本来ならば、それは喜ばしい出来事である。だが、ルイズ・フランソワーズという少女は、ちょっとばかし面倒な性格をしていた。
自分はあれだけ気を揉んで心配して翻弄されていたというのに、この使い魔ときたらケロッとした表情で「ごめんね?」ときた。
そのあまりにも脳天気な様子に、ルイズは生来のプライドの高さとか心配性だとか自分の使い魔の強さへの誇らしさだとか自覚無自覚様々な感情をミックスして、結局どうしていいかわからないまま―――いつも通り癇癪玉を弾けさせた訳である。
それでいながら、きちんと治療を行うあたりはルイズの性格の現れだろう。
ちなみに、ルイズはある程度の怪我なら自分で治療することができる。己の忌々しい才能――爆発魔法――のせいで、ほぼ毎日生傷が絶えないからだ。
貴族の淑女としてあるべき姿からは程遠い結果として身についた技術だが、それがこんな時に役立つとは、人生とはどうなるかわからないものだ、と幼い身ながらに達観的な感想をいだいてしまう。
そして、一通りステラを叱り、叩き、頬を引っ張り、怒鳴り散らしてようやく気が済んだのか、ルイズはその小さな肩を大きく上下させながら、ステラの対面へと座り込んだ。
ステラは、赤く腫れた頬を撫でながら、この一連のルイズの行動の裏にある感情を、ほぼ性格に読み取っていた。
故に、対面に座ったルイズに向かって臆面なく問いかける。
「心配してくれたの?」
「っべ、別に!? そ、そそ、そもそも悪いのはアンタだし? 私の言うことひとっつも聞かないで騒ぎを大きくしたアンタの自業自得だし? でも私はアンタの主だから、主は使い魔のことに責任を持たなくちゃいけないわけで――――」
「ありがとう、ルイズ」
「――――っ~~~はぁ…………そういうの、ズルいわよ」
にへら、と。
心底嬉しそうに、それでいて思わず庇護欲を掻き立てられるような純真爛漫な笑みが、ルイズを直撃した。
てっきり、このアホ猫使い魔はどっかの留学生みたいに鉄面皮な無表情娘かと思っていただけに、この予想外からの攻撃にルイズは完全に毒気を抜かれてしまった。
――――なによ、笑えるんじゃない。
素直にそう思ってしまっては、もはや怒る事などできようはずもない。完全に毒気を抜かれてしまった。
ルイズは一つ、大きく溜息を吐いて意識を切り替えた。
「大体、なんであんなことしたわけ? 直接ギーシュが私に何かしたわけじゃないでしょ」
「敵意を向けられた。二回までなら偶然の可能性もある。でも、三回は必然。彼は、明確に敵意を持ってルイズを攻撃した」
「……攻撃って」
「何も直接的な手段だけを指さない。間接的な攻撃手段はいくらでもあるよ」
「それは、まぁ、そうだけど……」
思い当たる節というか、心当たりというか、とにかくそういった"まだるっこしい"やり方というのは、ルイズ自身、身を持って知っている。というか、貴族という人種のお家芸だ。
最近は件数が減っているから油断していたが、今後その辺りについても対策しておかないと、今回のような事件がまた起きかねない。そして、次もまた今回ほど"穏便"に片付くとは限らないのだ。
ルイズは冷や汗を流しながら、とりあえずステラに今後また、今回みたいな事にならないよう注意をする。
「でも、それにしたって過剰よ。普通、あんなこと程度じゃ命の遣り取りなんてしないわ」
「……ごめんなさい」
「…………はぁ。いいわよ、もう」
もはや何度目かも数えるのが馬鹿らしくなってきたため息を一つ吐いて、ルイズは肩を竦めた。ただ、それは安堵したという意味であり、同時に感謝の意味の現れでもあった。
曲がりなりにも、使い魔として主人を守ろうとしたのだ。
その手際こそ褒められるものではなかったが、心意気は、少なくとも必死にニヤニヤしそうになる頬の筋肉を全力で押さえつけたくなるほどには、嬉しい。
無論、そんなことはおくびにも出さないよう必死に努力しつつ、ルイズは努めて尊大になるように振る舞う。
「でも、次からはこういうのは禁止。手を出すのは、手を出されてからよ」
「……賛成出来ない」
「なんで?」
「そのせいで、人類は滅びた」
「…………ぁ~」
至極真面目な無表情でそう嘯く己の使い魔の言葉に、ルイズは思わず額に手を当てて唸ってしまう。
あぁ、そういえばそんな"設定"があったわね……。
一から全部嘘だとは思わないが、さすがに"コレ"をまるっと信じる事は難しい。
確かに、領地争いや隣国との戦争などでも、先制攻撃を許して敗退するなどザラだ。しかし、それをたかが貴族の子供同士の喧嘩程度にまで持ち込むのは大げさすぎる――――わけではないが、まぁしかし、ステラの場合は大げさにあたるだろう。
なまじ、先ほどの強さを見てしまった分、今後彼女の尋常ならざる力が振るわれた結果、どんな最悪の事態を招くのか、ルイズですら予想がつかないのだ。
つまり、なんというか、ルイズがステラと出会ってから常々思っていたことだが、この使い魔はいちいち想定スケールがバカみたいに大きすぎるのだ。大抵の前提条件が"人類すべて"とか世界規模の有様だ。これでは日常会話でも齟齬を来すのは当然だろう。そして、その盛大な食い違いが、決定的な事態を引き起こすのは間違いない。それを正すのもまた、主の役目であると、ルイズは弁える。
「あのね、ステラ」
「なに?」
「アンタはまず、解釈の尺度を世界規模から個人に縮めなさい」
「……? ルイズの言っている意味がわからない」
「シンプルな話よ。まずは、相手を殴ったら、殴った相手が怒るって程度に納めろってこと。人類規模まで考えなくていいから」
「……もっと単純/シンプルに?」
「そういうこと」
理解力が悪くないのは救いなのか。それにしたって、この"ズレ"はちょっと常軌を逸している。先ほどの戦闘力も含めて、付き合えば付き合うほど、謎が深まる使い魔だ。
そう……先ほどの決闘。あの時のステラの動きは、文字通り常軌を逸していた。
ゴーレムを相手取るとして、たとえ単体であろうと平民では逆立ちしても勝てない。
熟練の騎士や傭兵ならまだしも、戦闘も経験したことのないような平民では手も足も出ないのが"常識"だ。
加えて、相手は"あの"ギーシュだったのだ。
彼はああ見えて、実はゴーレムの操作及び指揮能力に関しては、学年のみならずこの学院においてもかなりのレベルを持っている。
二つ名とは決して伊達ではなく、秀でた何かを持つ者に送られる誉れだ。
無論、中には自称する恥知らずもとい身の程知らずもいるが、そういう輩は魔法を使わせればすぐに地金が現れる。そして、あのギーシュというグラモン家の女好きは、二つ名に相応しき地金を持っている。
つまり、非常に遺憾であり、かつ忌々しいことだが、ルイズはかの少年の実力を認めていた。
そんなギーシュが操るゴーレム、それも都合七体を苦もなく駆逐してのけたあの強さは、どうあっても"たかが平民"のものではない。
見た目は奇妙な風体であるが、しかしどう見ても荒事に慣れているようには見えない少女の平民であるというのに、このちぐはぐさは一体何なのだろうか。
まさかステラの話した事が全て真実であり、事実、人類最強の存在であったことなど知るはずもないルイズには、文字通り理解不能な話だった。
そして、深まる疑問に追い立てられるように、続けて先ほどの戦闘のことについて問いかけようとしたルイズの疑問は、しかし医務室に響き渡る声に遮られた。
「ミス・ヴァリエール。こちらにいらっしゃいますか?」
「はい!」
しっとりとした、それでいて落ち着きのある女性の呼びかけに、思わずルイズは背筋を正して答える。
石畳の床に、ヒールの音を響かせてやってきたのは、緑髪の美しい美人、ミス・ロングビルだった。
手には書類の束を抱えており、おそらくその処理の途中にルイズの呼び出しを承ったのだろう。それでも、少しも嫌そうな顔をせず、真摯に働いている姿は好感に値すると、ルイズは常々思っている。あと、その淑女らしい佇まいや、特にスタイルには非常に妬ま―――もとい、憧れるものがあった。
「何か御用でしょうか、ミス・ロングビル?」
「ええ、学院長がお呼びですわ。理由は、ご説明するまでもないでしょう?」
「……はい」
来てしまったか。
ルイズはわかりきっていたことをあえて聞いて、答えがその予想通りであったことに、胸中で嘆息する。
あれだけの騒ぎを起こしたのだ。当然、呼び出されるのは覚悟していたこと。しかし、それがまさか学園長直々にとは思いもよらなかった。
下手をすれば退学とまでは行かないが、実家に連絡が行くくらいの沙汰は下されるかもしれない。そうなった場合、その後に訪れる阿鼻叫喚の地獄を思い描いて、ルイズは胃がキリキリと痛むのを自覚する。
だがまぁ、どうあっても逃げられない以上、腹をくくるしかないだろう。いや、腹ならもうくくったのだったか。
あの広場での決闘。ルイズの制止を気にも止めず、悠々と決闘に赴く使い魔の背中を見送った時から。
使い魔があれほどの覚悟を見せたのだ。主たる自分がこんなんでどうする。
そう、胸中で己を叱咤し、ルイズは気合十分とばかりに立ち上がる。
「ステラ、行くわよ」
「うん」
こんな時、素直に頷いてくれるステラの存在が、言葉に出来ないほど頼もしかった。
★
「とまぁ、大層な覚悟を持って足労もらったところ申し訳ないんじゃが、お咎めはナシじゃ」
「……は?」
「納得行かぬかの?」
意を決して学院長室にやってきたはいいものの、待ち受けていたのはニコニコというよりはニタニタといった笑い方で、先の決闘騒ぎについて一蹴する学院長と、その後方に侍る、やれやれと深くため息をつく禿頭の教師、コルベールの二人だった。
勢い勇んでやってきたルイズからしてみれば、ひどい肩透かしである。
「いえ……ですが、学則で禁じられていた決闘をしてしまった以上、何もお咎めがないとは思っていませんでしたので……」
「今回の件で、お主は規則を破ってはおらぬしのう。幸いなことに学院側への被害も無い」
「……」
微かにむくれるルイズ。
翻せば、毎度毎度学院側に(主に物理的な)ダメージを与えていることへの痛烈な皮肉でもある。
反論する余地もないので黙っているが、この爺にはいつか絶対、将来目にもの見せてくれようと固く決心した。
「それに、子供の喧嘩ごときでいちいち目くじら立てておったら、今頃お主の実家とアホ貴族の間で戦争がおっぱじまっとるわい」
「……はぁ」
オスマンが述べた予測は、何も一から十がデタラメというわけでもない。
どうも学院の生徒達のみならず、一部の教師にも言えることだが、ルイズが第三女とはいえ、由緒正しき公爵家の令嬢であることを失念している者が多すぎる。
そもそもが、第三女とはいえ、トリステインにおいても並びうる家格が片手で数えて足りるほどしかないヴァリエール公爵家の令嬢に対し、やれ"ゼロ"だの"無能"だの罵れば、それがヴァリエール家に対する侮辱と取られ、家同士を巻き込んだ大事になってもおかしくはない。
だというのに、学院長オールド・オスマン曰く"学院内の怖いもの知らず/身の程知らず"達は、"学院内"という特殊な状況であることやルイズが大人しいのを良い事に、好き放題これまでやらかしてきたわけである。将来己の首が締まっても構わないのか、はたまたそこまで考えが及んでいないのか。どちらにせよ、頭の足りていない貴族子女の増加は、学院が今抱えている問題の一種でもあった。
無論、ルイズ自身もこんなくだらないことで一々家柄を持ち出したくないという思いがあって、今まで恥辱に耐え忍んできたのだが、実質、学院内最高家格を持つルイズが今まで我慢してきたというのに、それより遥かに家格で劣るグラモン家"如き"が決闘まがいのことで騒ぎ立てるというのも片腹痛い話なのである。
ましてや、従来こういった騒ぎにおいて、ルイズへの糾弾の矢となっていた学院側への物理的ダメージもない。
つまり、学院側からすれば、今回の"決闘騒ぎ"はあくまで生徒間のいざこざであり、それだけのこと。
ダメージもない、クレームもないとなれば、学院側からお咎めがあろうはずもない。
確かに規則で禁じられた決闘を起こしてしまったのは問題かもしれないが、それとてギーシュが言っていたように、問題なのは貴族対貴族であった場合だ。今回は貴族と使い魔の決闘であった以上、その規則からは外れていることもまた、お咎めナシという結論に至った論拠でもあった。
そして、一石二鳥という形になるのか、今回の一件で、よほど頭がおめでたいことになっている者を除いて、迂闊にルイズとその使い魔であるステラの両名に喧嘩を売ろうなどと考える輩はいなくなることだろう。
喧嘩を売れば返り討ちにされ、それに対して文句を言おうならば、最悪の場合公爵家との全面戦争を覚悟しなければならない。割に合わないにも程があるというものだ。
「では、私達が呼び出されたのは、一体どんな要件ですか?」
「無論、君が召喚した、そこの使い魔ちゃんじゃよ」
「……私?」
それまで物珍しげに学院長室を見回していたステラが、突然水を向けられたことで小首を傾げた。
「ステラのルーンについては、そちらにいらっしゃるコルベール先生が直々にスケッチされていたので、ルーンの模写の提出は必要ないと思っておりましたけれども……」
「うむ、その件については問題ない。実際に、問題がないからこそ進級が成っておるわけじゃからの」
「……では、一体?」
「それについては、私から説明しましょう」
ルイズの疑問に声を上げたのは、それまで神妙に佇んでいたコルベールだった。
生徒の中では禿頭の変人教師と、実に不名誉な渾名で呼ばれているが、八割ほど真実である。
それ故、この学院においてよくよく面倒事を押し付けられる立場でもあり、なにかと問題が起こるとその後始末に回ることが多い。そのせいでその頭部は滅びゆく草原となってしまった、などという実に不敬な噂が流れるほどだ。
今回は、ルイズの召喚の儀に立ち会った事と、そんな背景があってオスマンに呼ばれたと言える。まぁ、実際はステラのルーンを報告したことで、体よく問題/厄介事を押し付けられた格好であるが。
ともあれ、コルベールは一度、その眼鏡の位置を直し、咳払いをした。
「コホン。いいですか、ミス・ヴァリエール。あなたが召喚した使い魔は"人間"です。学院史上前例がなかったため召喚の場では先送りにしましたが、その意味はわかりますね?」
「……はい」
ルイズとて阿呆ではない。コルベールの指摘したその問題点については、召喚した晩に相当に悩んだ事だ。
「いくら平民といえど、人間一人を召喚してしまったというのは、事情を知らぬ人々からしてみれば誘拐と同義。その補償はこちらで行わねばなりません」
本来であれば、召喚してしまった使い魔/人間を故郷へと一旦送り届け、その家族に事情を説明するのが筋だろう。
そして、形なりなんなり相手側の了承を取り付ける事が肝要だ。
貴族の中には平民などそこらの家畜程度にしか捉えていない輩もいるが、事は使い魔という一大事に係る件である。迂闊で杜撰な方法を取れば、どういった問題が起きるか考えるのも馬鹿らしい。
ましてやルイズの家は公爵家だ。
そこらの木っ端貴族のような無様な真似をしてはならないし、かと言って不必要に平民に対して謙る事も許されない。その塩梅について、ルイズはうまくやれるのか。
コルベールのその深い智性を湛えた瞳の奥では、密かに目の前の不器用な落第生を心配する光が揺らめいている。
だが、そんなコルベールの心配を他所に、ルイズは内心安堵していた。
というよりも、そういう問題点を全く気にせずとも良い使い魔を引いたのは、確かに運が良かったのかもしれない、と都合のいい解釈すら覚える。
「ミスタ・コルベール。その件については昨晩彼女と話し合い、既に結論が出ています」
「ほう?」
コルベールが少し驚いたように応える。まさか召喚当日に解決できる問題とは思っていなかったのだ。
彼としては、ルイズに対し特別休暇を与え、召喚した使い魔の少女と共にその故郷へ向かわせる算段も立てていたのだが、目の前の少女が自信満々にそう答えるのを聞いて、無用の心配であったかと嬉しくなる。
ルイズは背後に控えていたステラに振り向くと、小さく頷いてみせる。
その意図を察したステラは、一歩前に出てルイズの隣に立つと、相もも変わらず感情の色が乗らない平坦な口調ではあったが、はっきりとその意志を口にした。
「私は、このままルイズの使い魔でいる」
「ですが、一度故郷に戻るべきでしょう。報告はしておくべきです」
「必要ない。もともと、独りで暮らしてた」
「……流浪の身であったということかの?」
「そんな感じ」
「ステラっ」
敬意もへったくれもない物言いに、思わずルイズは肘でステラの脇腹をど突く。涼しい顔で受け止める使い魔の、その無表情なようでほんの少し得意げな顔にチリッと苛立ちを募らせる。まるでダメージはないようだ。
そんな二人に、オスマンは「よいよい、ミス・ヴァリエールも楽にするとええ」と手を振った。
ステラは空気を読むことなく――というより、ルイズの圧力ある視線など意に介さず話を続ける。
「私に家族はいないし、帰る家もない。だから、このままルイズの使い魔を続ける」
「……まぁ、本人がそう言うのでしたら、その意志を尊重しましょう。そうなると、今度は貴方の立場が問題となります」
召喚に伴う問題がクリアされたとなれば、次はステラのこの学院における立場という問題が浮かぶ。
無論、使い魔として召喚された以上それなりの待遇は与えられるが、なにせ"人間"という前例のない存在だ。
これが幻獣の類の一般的な使い魔であれば、それ相応のノウハウがあるのだが、今回のような例外においては全く持って参考資料がない。
前例がない以上ある程度特例を認めなければならないのは当然で、肝要なのはその線引であった。
「立場?」
「然様。本来、使い魔は人間を想定しておらん。となると、どういった待遇で扱われるべきか。それが問題となるんじゃよ」
「具体例で言えば、寝床や食事でしょう。そもそも、このトリステイン魔法学院は、貴族の子女が利用することを前提とした施設です。身分故にその権限は明確に区別されていて、使い魔とは言え"貴族ではない"以上、学院内の各施設への立ち入りや利用にかなりの制限が出ることになります」
「制限?」
「例えば寝所ですが、学院寮ではいらぬ面倒が生じます。無難なのは、離れにある使用人達が暮らしている寮になりますが……」
「大丈夫。寝床はルイズと一緒の部屋でいい」
「私も構いません。その件についても、既に昨晩話し合った事です。私は彼女を使い魔として受け入れると同時に、私付きの侍女に類する立場で扱うつもりです。学院内でも、そのようにお願いしたく思います」
「なるほど、侍女ですか。良い案です」
「そうじゃのう。確かに、侍女に類する立場であれば面倒も少なかろう。寝床が一緒という事に騒ぐ輩がおるかもしれんが、まぁ問題あるまいて」
「ただ、一つだけ、お願いしたいことがございます」
「重要。これだけは、ルイズと話してても結論がでなかった」
ルイズは苦虫を噛み潰したような微妙な表情で、そしてステラは無表情の中にはっきりとした真剣さを帯びて、教師二人に向かって言った。
「食事の件です。昼の一件でお分かりかと思いますが、おそらく今後も彼女を連れて食堂で共に食事をすれば、またいらぬ諍いが起きないとも限りません。かといって、彼女を普通の使い魔達のところへ向かわせるのも……」
「なるほど……」
「その辺りは、小うるさいボンボンが多そうじゃしの。確かに問題じゃ」
「ですが、妙案が浮かばず……最悪、料理を包んでもらって、彼女には私の部屋で食事をさせようかと思っておりますわ」
「悪くはない考えですが、手間が多くなりそうですね。一度や二度なら問題ないでしょうが、今後毎日となると……」
「使用人達と一緒に食事を取るのはどうかの? 昼の一件で、食堂の連中には歓迎されること間違いなしじゃろう」
「あぁ、それでしたら、食堂の料理長であるマルトー殿とは個人的な親交があります故、そちらの使い魔殿の食事を個別に用意してもらうようお願いしてみましょう」
願ってもない提案に、ルイズは少し目を見開いて驚く。
そこまで好待遇扱いをしてもらえるとは思っていなかっただけに、オスマンとコルベールの提案は非常に有難いものだった。
「よろしいのですか?」
「構わんとも。むしろ、これまでミス・ヴァリエールが被ってきたトラブルに対し何もできずにいた事の償いの一端と捉えてくれれば良い」
「生徒同士の諍いに、安易に手を出すと更に大きなトラブルを招いてしまいますからな」
「お察し致しますわ」
「ミスが聡明で助かるわい。というわけじゃ、話はコルベール君の方から通してもらうとしよう」
「承りました」
「ステラも、いいわね?」
話が纏まったところで、肝心の当事者へとルイズは水を向ける。
ステラは、それに対し間髪をいれずに答えた。
「ん、構わない。ここの食事は美味しい。たくさん食べられるならそれで満足」
「ステラ、アンタね……」
「ほっほ。良い良い。ならばその旨も、料理長に伝えておくとしよう」
「お気遣い、有難うございます、オールド・オスマン」
「助かる」
「だからアンタは一々態度がでかいのよ! ほら、しっかり頭下げる!」
「むぎゅ」
今にも破裂しそうな堪忍袋の緒をどうにか締め付けながら、ルイズはぼんやりと立つステラの頭を押さえつけて無理やり下げさせた。
その様子を楽しげに眺めるオスマンと、微笑ましく見守っていたコルベールだったが、二人の主従の遣り取りが一段落ついた頃を見計らって、コルベールは抑えきれない何かを堪えた様子で、しかしゆっくりと問いかけた。
「ところで使い魔殿」
「ステラ。ステラでいい」
「では、ステラ君。ずっと、ずっと尋ねたい事があったのだ」
「何?」
小首を傾げるステラ。その無礼な口調にもはや文句を言う気も起きないルイズは、しかししっかりと半眼で隣の使い魔を睨みつけている。
しかし、コルベールは全くもってそんなステラの態度は気にしていない。いや、違う。肩が震え、眼鏡が陽光を反射して怪しく煌めいていた。
何事か、とルイズが疑問を覚えたその時、ついにコルベールが弾けた。こっそりとオスマンが両手で耳を塞いでいたことに、ルイズは後になって気付く。
「き、きき、君が召喚されていた時に乗っていたあの鉄の馬はなんだね!? 一体どういった技術で成り立っている!?」
「……鉄の馬?」
「あぁ、あの時ステラが跨ってた……」
「フェンリルのこと?」
「フェエエエエエェンリルッッ!!! フェンリルッッッ!! イイ、実にッ! イイッ!! 素晴らしい名前だ! かの伝説の幻獣の名は、あの黒鉄の躯体にまさにぴったりです!!」
「あ、あの、ミスタ・コルベール……?」
コルベールの豹変にドン引きしているのはルイズだけでない。オスマンもまた、尋常ならざるコルベールの様態に絶句していた。
ちなみに、ステラは状況を理解できていないのか相変わらずぼんやりとした表情で、エキサイトするコルベールを見つめている。
「一目見て理解した。アレは技術―――馬のように、しかし馬ではない何かを目指した境地の一端であると! つまりあれは馬の力を用いない個人用の馬車なのだろう!? 車輪はわかる、その軸をつなぐ機構も予想はついた! しかし最も疑問なのはその車輪を駆動させる動力がわからないッ! 以前馬車を引く馬を他の要素で行うことはできないかと試行した際車軸と車軸をつなぎそれを歯車を通じて人力で回転させる機構を思いついたのだがステラ君のアレを動かすにはあまりにも非力すぎるのだよしかしあれはそういった人力ではなくなにか別の力を用いている違うかねいや正しい私の推論は正しいはずだそしておそらくはその力の源は火だろう間違いない絶対だなぜならあれだけの重量を動かすには相応のエネルギーが必要でありそのエネルギーをもっとも効率よく生み出すには火―――すなわち爆炎! 爆炎の威力ならばアレと同重量を吹き飛ばすことも可能だそれは裏返せばそれだけのエネルギーを生み出す素養がその現象にはあると言え同時にその現象を応用すればどんな巨体であろうとも動かすことが――――そうか! つまり、あの鉄の馬はあの体内で爆発を起こしている! そうか、そういうことか!! つまり、爆発を連続させそのエネルギーで歯車を回しあの超重の巨体を動かす!! そうでしょう、ステラ君!?」
「……うん。概ね、その理解で正しい」
一息でとんでもない演説を繰り広げたコルベールに対し、ほとんど戸惑うことなく返答するステラ。
その瞳には、目の前で狂喜乱舞する禿頭の男への大きな敬意が現れている。
あの短い間の観察だけで、まさかトライクの本質に至るなど只者ではない。ステラは、目の前の興奮のままに喋くりまくるコルベールという男が、間違いなく天才の一種であることを確信する。
トライクが馬ではない何かの力で動くことや、そのために必要な機構を思いつくまではいい。だが、そこから一足飛びに"燃焼機関"という発想に至るのは、常人ではありえない。
ステラは、この世界がよくて中世ヨーロッパ程度の文化水準しか無いだろうと、この学院における生活様式とルイズの説明でおおよその検討をつけていた。
となると、ステラが乗っていた鋼の馬――――三輪駆動のトライクのような、機械仕掛けの駆動車輌といったものは存在しないだろう。せいぜいが魔法を使って動かす馬車がいいところに違いない。
事実、その予想は間違っておらず、隣にある大国ガリアでは、お国柄ということで王家や貴族の乗る馬車にガーゴイル――魔法で動く偶像だ――を用いていたりもする。
だが、それもトライクとは根本を異にするものだ。
発達しすぎた科学は魔法と区別がつかない、とはステラの世界におけるとある作家の言葉であるが、同じ魔法という括りに囲むことができても、その発想の土台から異なっている。
言うなれば、立つ位置が違うのだ。
ステラの世界が標高数千メイルの山の頂であるとすれば、このハルケギニアは海抜0メイルの平地に等しい。
だが、コルベールは、その平地にいながらステラの世界の頂における風景を幻視したのである。
それがどれだけすさまじいことなのか。
人の可能性の偉大さを目の前で魅せつけられたことが、ステラは嬉しくてたまらなかった。
一方で、コルベールもまた、未知の技術をひっさげてやってきた使い魔の少女に、得も言われぬ嬉しさを覚えていた。
時代を一つ跨ぐほどの発想力は、ともすれば周囲から奇人変人の類で見られる。事実、コルベールはそういう扱いを受けていたし、これまでそれを理解してくれる存在は、せいぜいがオスマンくらいだったのだ。しかも、完全に理解してくれているわけではなく、どちらかと言えば見守ってくれているというものであり、正確には理解者など誰もいなかったのである。
それが、ここに来て"真の理解者"が現れた。
話が通じる。議論が交わせる。
研究者にとって、これほど嬉しい事はない。
もはや、コルベールの興奮は絶頂に達していた。
「ッ――――素晴らしいッ!! アレを思いついた者はまさしく天才だッッ!! おお、考えれば考えるほどなんと瀟洒で合理的な手段か!!! そして何故いままでその方法を思いつかなかったのか己の愚鈍ぷりが恨めしくも呪わしく思う!!」
ひとしきりエキサイトしたコルベールの言葉が途切れてすぐ、静寂が訪れた。
コルベールを見つめるオスマンとルイズは、もはや筆舌に尽くし難いなんとも言えない表情でもって、トリステイン魔法学院が教師の一人を眺めている。
二人共、コルベールが変人だというのは重々承知していたのだが、ここまでエキサイティングするような人物とは思っていなかったのだ。
ましてや、オスマンはその長い付き合いの中でも、今日のように弾けに弾けたコルベールを見るのは初めてである。その胸中の驚きや察するに余りあるだろう。
そうしてひとしきりはしゃいでいたコルベールだったが、意を決した様子でステラに向き直ると、胸に秘めた情熱を投げ打つような勢いでステラに迫る。
「ステラ君、君にぜひともお願いしたいことが――――」
「だめ。断る」
「ちょ、ステラ!?」
頬を仄かに紅潮させ、自分が今どんな状態なのかもわかっていないであろうコルベールの願いを、ステラは最後まで聞くことなく断った。
そのあまりにも無碍な態度に、隣にいたルイズは目を剥いて焦った。
せめて最後まで聞くくらいは、と思うと同時に、今の使い魔の態度で気を悪くさせてしまったのではと焦る主の心情など露知らず、ステラは更に追い打ちを掛ける。
「"コレ"は、貴方が解かなければならない"扉"。私は答えを知っているけれど、それはきっと、間違ってる」
「――――あぁ」
短い言葉だった。
だが、それで十分だったのだろう。
己の使い魔の不敬を正そうと目を吊り上げた主など放っておいて、ステラは目の前の禿頭の男をじっと見つめる。
見つめられた男は、その上がりきったテンションを瞬間冷却させ、紅潮していた頬も普段の落ち着きを取り戻していた。
興奮と歓喜に彩られていた瞳にも理性が戻ったのか、深く大きな呼吸を一度だけ行い、居住まいを正して苦笑を浮かべる。
「――――そうですね、たしかにその通りだ。いや、お恥ずかしい」
「気にしなくていい。私は貴方を尊敬する」
「そう言っていただけると、有り難いですね」
「ヒント程度の助言はできる。いつでも聞いてほしい」
「それは助かります! いやぁ、実は独りで研究するというのも中々進展に難しい物があったのです。心強いアドバイザーを得られる事ほど嬉しい事はありませんな」
「見たいなら、見てもいい。ガレージを作ってくれれば、そこに置いておく」
「それは、つまり、君のフェンリルを!?」
「うん。整備もしないといけないし、保管場所は欲しかった」
「で、ででで、では学院の離れに私の研究室があります! そちらに!!」
「わかった。世話になる」
「いやいや、こちらこそ! ステラ君も、なにかあれば遠慮なく相談してきなさい! 微力ながら力になりましょう!」
「うん、コルベール―――さん?」
「先生でも構いませんよ。いや、どちらかといえば私がそう呼ぶべきなのでしょうが」
「ううん、ルイズの先生なら、私にとっても先生。よろしく、コルベール先生」
「はは、こちらこそ。いやはや、全くもって最高の使い魔を召喚したものですな、ミス・ヴァリエール!」
トントン拍子に話を進めていく二人に、全く話についていけない二人。
対照的な空気をそれぞれ纏いながら、話はようやく元のもの――ステラの処遇について――に戻り、今度こそ話は恙無く終わるのであった。
今回は短め。
次回は幕間を挟み、【土塊の盗賊】編へと入る予定は未定。
また、少なくとも次回更新はリアル事情により8月5日以降です。ご容赦を。
*誤字修正いたしました。ご指摘有難うございます。
今後とも注意しますが、もし見つけられましたら、随時ご指摘くださると幸いです。