私の使い魔は最後の人類   作:[ysk]a

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二節

 

 

 

 

 

 朝食をマルトーら使用人達と共に終え、その日の授業の始まりを知らせる鐘が鳴れば、ステラのささやかな昼の仕事が始まる。

 なお、この日は先にルイズに言われていたことを守り、食べる量を控えめにしたら、やたらとマルトーに心配された。

 理由を話せば「そんなつまらない事気にすんな! 昼からは腹いっぱい食え我らの黒姫!」と盛大に背中を叩かれた。

 なので、ちょっぴり機嫌がいいステラは、あまり好きではない昼の仕事にも、それなりに楽しく励むことができたといえる。

 

 朝食を終えて寮まで戻ってくれば、言うまでもなくルイズの部屋の掃除だ。

 ベッドの乱れたシーツ類を取り替えて手早くベッドメイクを行い、バケツとモップ、雑巾にその他もろもろを用意して、年季の入った部屋を隅々まで掃除する。

 この時大きく活躍するのが、先日シエスタから貰った小瓶だった。正確に言えば、その中にある半透明の液体である。

 ひどく頑固な汚れがあれば、そこにこの液体を一滴垂らし、後は布で擦るなりするだけで直ぐ様新品のような美しさに戻るのだ。

 木材に効果が無いのが残念といえば残念だが、それを補って余りある利便性が在る。 

 シエスタの話を聞く限りではそれなりに高価な代物のようだが、この学院での給金の良さを鑑みれば大したことはないらしい。ある意味、この学院における必需品でも在るのだから、使用人の皆は必要経費と割り切っているのだそうだ。

 ともあれ、貰いっぱなしが良くないことは、ステラの知っている数少ない常識に含まれている。

 そんな気を使わなくていいと、頑なに返礼を拒むシエスタに対し後日必ずお返しをすることを約束しているステラだが、実のところその返礼の品をどうすべきかは、まだ決まっていないのだが。

 

 そうしてアレコレと思案しながらも、ルイズの机周りや衣装棚の整理、今朝持ってきた洗濯物を収納し、おおよそ使用人が為すべき仕事のほとんどを行うと、掃除の仕上げに濡れた箇所の乾拭きを終え、最後に掃除中に学院の警備課から届けられたルイズ宛の郵便物を整理して机の上に置いておけば、昼の仕事は終わりだ。

 この後は、昼食まで自由時間である。

 ステラは掃除の後始末を終えると、身につけていた使用人の服から召喚当初の黒尽くめの格好へと着替え、いつもの様に"窓"から外へと飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麗らかな日差しの下、さて何をしようかと思案するステラ。

 昼食まで、まだ数時間は在る。

 それまでの間、ステラがすべき事で特にコレと決まったものはない。

 ルイズの授業にひょっこりと顔を出すこともあれば、使い魔達が集う場所に行って交流を図ったりもするし、気まぐれにシエスタの手伝いや、学院の屋根でひたすら日向ぼっこをすることもある。

 つまりは、単純にその日の気分次第であり、その気まぐれっぷりからいつしか、ステラは学院のあちこちで"ヴァリエールの黒猫"と呼ばれつつあった。

 そんな黒猫様の本日の行動は、今まですっかり忘れていた愛車/トライクのメンテナンスである。

 先ほどの掃除中にふと、召喚日の翌日にコルベールに預けたままずっと放置してきたのを思い出したのだ。

 色々とカルチャーショックやら人類との出会いで浮かれきっていたこと等、様々な要因があったので仕方ないといえば仕方ない。

 とはいえ、あまり長い間メンテナンスを怠るのは良くないし、召喚による影響がないとも言えない。実のところ、召喚されてからは文字通り放置していたため、試運転もまだなのだ。それ故に、今日は愛車の様子を見るついでに軽くメンテンナンスをしようと思い立ったのだった。

 

 ステラがやってきたのは、学院の五つの塔のうちの一つ、火の塔――――の脇にある掘っ立て小屋だ。

 家主はここトリステイン魔法学院きっての変人教師、ジャン・コルベールである。

 普段は生徒の誰一人として寄り付かない独身教師の城だが、春の使い魔召喚の儀式から来客が一人増えた。言うまでもなくステラである。

 

 

 

「先生、いる?」

 

 

 

 立て付けの悪い扉を遠慮無くノックして、ステラは抑揚がないのによく通るという奇妙な声で訪問を告げた。

 ややしばらくして、バタバタと慌ただしい物音とともに何かが崩れる音、短い悲鳴、さらにもう一度物音がして、ようやく扉が開く。

 いつの間にかコルベールに対して先生と呼ぶようになっているが、これはステラ自身、コルベールという人間に敬意を払っているからだ。 

 ルイズ達のようなこの学院の生徒達が呼ぶ儀礼的な意味ではなく、真の意味での"人生"の先達に対する純粋な敬意から来ている。

 そのため、当初は戸惑うばかりであったコルベールも、その真意を聴いてからは快くその呼称を受け入れていた。

 

 

 

「おや、ステラ君。いらっしゃい」

「今、大丈夫?」

「あぁ、ちょうど調合が終わってね。今は成分の抽出中なんだが……」

「入っても平気?」

「はは、やや散らかっているがね。さぁ、入り給え」

 

 

 

 最近覚えた儀礼的な挨拶をたどたどしく返しながら、ステラはコルベールの案内にしたがって、掘っ立て小屋の中へと入っていった。

 コルベール自身、小屋の中を散らかっていると表現したが、事実、小屋の中は実に"雑然"としていた。

 控えめに言っても散らかっている、で済むだろうか。

 足の踏み場が無いとまでは言わないが、しかしそこかしこに書物や物が散らばり、積み上がり、押し込められている。仮にこの部屋のスケッチを頼もうものなら、画家の毛髪をものすごい勢いで擦り減らした挙句筆を折らせてしまうかもしれない。そのくらいに、酷く散らかっていた。

 ただ、ステラはそれを気にした風でもなく、ひょいひょいと障害物を華麗に回避して、ちゃっかりと自分の座るスペースを確保している。実に慣れたものだった。

 無論、どうして慣れているかなど言うまでもないだろう。さらに補足すれば、ステラはこの小屋に来るのはまだ三回目であり、この学院の生徒がその程度でこの雑然としたお手製迷路をスイスイと動けるかと言われれば、誰もが否定するのは間違いない。

 コルベールは、最初こそ申し訳無さそうな顔をしたものだったが、しかしなんら気分を害した様子のないステラを見て、小さく安堵の息を漏らした。

 それは微苦笑と成って現れ、同時に客人に対してなんのもてなしもないのは人として、ひいては生徒に対する教師としていかがなものかと思い立ち、自身が普段愛飲しているお茶を用意する。

 

 

 

「独特な風味で少し飲み辛いかもしれないが、飲むかね?」

 

 

 

 茶葉をビーカーに入れ、軽く振りながら尋ねるコルベール。デリケートさが欠片も無いその気遣いは、しかしステラが相手であった事が功を奏した。

 

 

 

「うん、飲む」

「カップがないので、ビーカーでも大丈夫かね? あぁ、無論これは飲料用だが」

「平気。私も普段、それで飲んでた」

「そうか。それは―――うん? 普段?」

「私も、召喚される前は研究所で暮らしてた」

「ほほう」

 

 

 

 研究所、という言葉に敏感にコルベールが反応したのは、至極当然だろう。

 意味合いとしては二つあるが、端的に言えば好奇心と仲間意識だ。

 無論、ステラもそれを感じ取ったからこそ、コルベールが先を促すよりも先に話を続ける。その間、コルベールは手際よくお茶の準備を進めている。

 

 

 

「意外?」

「否定すれば嘘になる。詳しい事情を聴いても?」

「研究内容の詳細は話せないけど」

「それは残念だ。しかし、事情くらいは知っておきたい。なにせ、ステラ君はミス・ヴァリエールの使い魔であるし、今は私にとっての生徒であり、同時に大切な仲間だからね」

「……」

 

 

 にへら、と。

 コルベールの言葉の何が嬉しかったのか―――ステラははっきりとわかるほどに、無言で相好を崩す。

 それはあどけなく、無垢で、そしてなにより喜色に溢れたものであったからか、コルベールは一時見惚れてしまった。

 

 そこで、極短い時間でお茶が出来上がる。水はもともと沸かしていたものがあったのと、そのお茶があまり長い時間蒸らすような種類ではなかった故だ。

 慌てて茶葉を取り除くコルベールだったが、その際、勢い余って普段のように魔法を使わず、熱せられたビーカーを直に触ってしまった。

 「あつっ」と慌てる姿を見て、ステラが今度は静かに笑いを零す。嫌味のない、子供が嗤うような純粋なものだった。

 それに気分を害することもなく、恥ずかしいところを見せてしまった事への苦笑を浮かべつつ気を取り直したコルベールは、今度こそ慎重に魔法【レビテーション】を用いてお茶をビーカーへと注ぐ。

 普通のお茶であれば、もう少しゆとりをもって準備できるのだが、コレは先ほどコルベールが言ったように独特の風味があり、通常のお茶のように淹れてしまえばそれが殊更得も言われぬエグミとなってしまう。そのエグさは愛飲しているコルベールでさえ渋い顔をするほどである。

 まぁつまるところ、このお茶を上手(飲めるよう)に淹れられるのは、この学院でコルベールただ一人なのであった。それを披露する相手がステラしかいないというのが、実に寂しいし、せっかくのその機会だというのに、カッコ悪いところを見せてしまって残念極まる。

 意気消沈するコルベールだったが、ステラはその"作業"を眺めながら構わず話を続けた。

 

 

 

「私は、世界の環境を再生したかったの」

「環境――――それはまた、なぜ?」

「当時は壊滅的だった。生態系がグチャグチャで、絶滅した動物も多かった。それを何とかしたくて」

「……詳しく聞いてみたいところだが、それは今度にしよう。しかし、それはとても時間がかかることだと思うが」

「時間はたくさんあったから。でも、成功はしなかったかな」

「……中断させてしまったのならば、ミス・ヴァリエールを責めないで貰えないかね?」

「ううん、そうじゃない。もともと、できなかったの。だから、諦めてた。生きることも」

 

 

 

 コルベールを見つめる青い瞳には、ただ悔恨の一文字しか無い。

 昏く、冷たく、凍えそうな青い瞳の語る"苛み"が、その絶望の片鱗をコルベールへと叩きつける。

 それは、彼にとっても身に染みてよく分かる心理だった。故に、彼女に返す言葉を持たない。

 人が生きる事を諦めるというのは、言うほど簡単なことではない。

 本能というものは、訓練しなければ到底制御できるものではないし、それとて完全ではないのだ。ましてや幼い――外見だけの話ではあるが――ステラであれば、とコルベールは嘆息する。同時に、このような少女がそうなってしまうというのは、一体どれほどの挫折と苦悩を味わったのかと。

 見た目にそぐわぬ経験が、まさかその年齢に比例したものだとは気付けないコルベールであるが、それでも薄っすらと、目の前の少女はもしかすると、あのオールド・オスマンと似たような存在―――長い年月を過ごした存在なのかもしれない、と感じ取る。

 

 

 

「……そこを、ミス・ヴァリエールに召喚された、と」

「うん。だから、ルイズには感謝してる。彼女のお陰で私は、また頑張ろうって思えたから」

「それは、また何故?」

「もう一度、人類に会えた」

 

 

 

 間髪を入れずにそう応えるステラ。

 その瞳には、今度は喜色が灯る。

 先ほどの仄暗い深淵の底のような青ではなく、揺蕩う篝火のような微睡みの青だ。

 今はまだ、それでいいのかもしれない。いつしかそれが、天を照らす太陽のように暖かくなることを、コルベールは切実に祈るしかなかった。

 

 

 

「うん――――ぅぇ」

「はは、少し苦味が強かったかな。慣れると、これが癖になってね」

 

 

 

 顔を盛大にしかめて舌を出すステラが微笑ましく、コルベールは思わず笑みをこぼす。

 もっと詳しい話を聞いてみたいところでは在ったが、それは今度にすべきだろう。そこに至るにはまだ、ステラとコルベールの間にはもどかしい距離があった。

 代わりに、コルベールは思い出したように話を変える。そもそも、当初の目的は別のことだったはずだ。

 

 

 

「そういえば、今はミス・ヴァリエールは授業中ではなかったかな?」

「フェンリルを見に来たの。メンテナンスしてなかったから」

「おお、そうか。それは失礼したね」

「ううん。お茶、ありがとう。でももういらないや」

「はは、それは残念だ」

 

 

 

 おどけるように、「うぇっ」と舌を出しながら顔をしかめるステラ。時折こうして見せる無邪気な仕草が、コルベールにとっては好ましい。

 二人は連れ立って小屋を出ると、その裏手に回る。

 そこには簡易の倉庫のようなものが作られており、扉を開ければ中には鋼の馬―――ステラが乗ってきたトライク"フェンリル"が安置されていた。

 コルベールがすぐに近くにあったマジックランプに魔力を込めると、部屋には淡いクリーム色の光が灯った。

 全部で四つ。部屋の四カ所に設置されたそれらは、まんべんなく倉庫中央にあるトライクを照らし出す。

 久しぶりに見る愛車の姿は、ステラの想像していたものとは随分違っていた。

 車体にはあちこち泥や汚れがあって、かなりの年季を感じさせるモノだったはずなのだが、見た目には新品同様に綺麗になっている。

 さすがにフレームやパーツごとに欠けた部分、凹んだ部分など直しようもない部分はあるが、それでも全体的に光をまばゆく反射し、見る角度によっては新車そのものだ。

 

 

 

「あれ? 全然汚れてない?」

「あぁ、外装は【コンデンセイション】と【ウインド】を使って掃除させてもらったよ。内装に影響がないようには気をつけたのだが、まずかったかね?」

「ううん。土砂降りの中走っても全然平気だから、掃除くらい問題ない。バラしてなければ」

「なら大丈夫だろう」

「どのくらい見たの?」

「いや、まだ簡単に外装を取り外せた部分を観察しただけだ。下手に触るとまずいかと思ったのでね」

 

 

 

 コルベールが言った二つの魔法は、前者が大気中の水蒸気を集約したり、あるいは水分そのものを集める魔法であり、後者は文字通り風を吹かせる魔法だ。

 二つを応用して洗車したというのなら、これだけ綺麗なのも頷ける。もしかしたら、ステラが持つあの半透明の液体のような洗剤のようなものも使ったのかもしれない。

 とりあえず、外装に異常はないようなので、ステラは軽く車体の確認を済ませ、早速てきぱきと愛車のメンテナンスに取り掛かった。

 バックコンテナからアレコレと必要なものを取り出しては床に広げ、手際よく外装を剥がし、とたんに黒い鋼の馬を丸裸にしていくステラを、コルベールは興味深そうに眺める。

 ソレに気づいたステラは、軽く振り返りながら尋ねた。

 

 

 

「作業、見る?」

「良いのかね!?」

「うん。簡単な原理とかなら、先生でもすぐ理解すると思うから」

「それはもはや答えを言うまでもないだろう!! 是非ともご相伴にあずかりたい!」

 

 

 

 使っている言葉がおかしくなっているが、言うまでもなくコルベール自身のテンションが最高潮近くまで高まったためである。

 その剣幕に少しだけ目を丸くするステラだったが、すぐに相好を崩して「じゃ、手伝って」と、鈍く輝く六角レンチを手渡すのであった。

 無論、この瞬間においてコルベールの脳内から、ステラが訪れる前に行っていた作業――とある魔法薬の成分抽出のこと――など思考の外へとはじき出されてしまっていることは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中、午後の授業のために無い後ろ髪を引かれながらコルベールが小屋を去ってからも、ステラは黙々と愛車の整備を続けた。

 驚いた事に、トライクの状態はステラが想定したよりも―――というより、その想定が無駄になるくらい"綺麗"なままだった。

 召喚される前にある程度乗り回していたため、それによる消耗こそあったものの、こちらに来てから懸念していた消耗や故障はは何一つなかったのである。

 その理由として、コルベールがそれだけ丁重にトライクを扱ってくれていたからでもあるが、それに加えて掃除のついでにコルベールが【固定化】と呼ばれる魔法をかけたからであった。

 なんでも"物質の酸化や腐敗を防ぎ、あらゆる化学反応から保護される"という効果を持つらしいが、それが一体どういったプロセスでもって成り立っているのか、使っている側もよくわかっていないらしい。

 ステラはその場で数通りの仮説を思いついたのだが、深くは考えなかった。

 

――――だって魔法だし。

 

 ここ数日でステラが得た、数多くある教訓/常識の一つである。

 

 ともあれ、整備はなんらトラブルなく終わった。

 外装を全て元通りに装備し、軽く試運転を行ったところなんら問題はない。

 燃料は――――さほど心配するほどのことでもない。極端な話、水さえ確保できればそれでどうにかなる。

 

 油で汚れた顔を布巾で拭いながら片付けを終えた頃になると、既に太陽は地平線の向こうへ沈む方向に傾き始めていた。

 そして、朝に別れて以来顔を見ていないルイズのことを想い、ステラは決して小さくない寂寥感を覚える。

 作業に没頭していたが故の結果であるが、感情はそれで納得できるものではなかった。

 唐突に胸に去来する切なさは、この世界に召喚されてから頻繁にステラを蝕む。

 それは徐々に我慢のきかない欲求と化し、ステラの手を若干どころの話ではない勢いで加速させる。

 しっかり後片付けを終えたステラは、大急ぎでコルベールの小屋を後にする。もはや、居ても立ってもいられないほどに、ルイズに会いたかった。

 

 だが、扉を開け、一目散に本棟の方へと駆け出さんとしたその時である。

 

 ステラは踏み出した足を止め、素早く振り返った。

 視線―――敵意はないが、何故かこちらを観察するような様子で見られている。

 ソレが何であるか確かめるべく視線を投げるが、既にその犯人はいなかった。

 その場に隠れたのか、あるいは既に移動したのか。

 慎重を期すならば確認しに行くべきであろうが、敵意はない。それ故に、今のステラにとって最も優先すべき事項と天秤にかけた時、その警戒心はあっさりと払拭される。

 ここ数日の暮らしで自分がある程度関心を持たれているのはわかっていることだ。今回もそれに類するものだろうと思えば、特段気にするほどのことでもないのかもしれない。

 そう心のなかで言い訳を残し、ステラはあっさりとその場を離れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズ・フランソワーズはその日、風系統魔法学基礎の授業で、"いつも通り"に失敗魔法による爆発を起こした事により、かなりの量の課題を背負うことに成ったため、それなりに憂鬱であった。

 幸いであったのは、ステラの助言をきっかけに始めた訓練の成果が現れていることが、はっきりと確認できたことだろう。

 一番顕著であったのは、何より"規模を小さく"という"想像"がうまく反映されたことだ。

 普段であれば、地面を抉るなど生易しい規模の失敗を引き起こす【エア・ハンマー】の魔法が、少なくとも大地を軽く焦がす程度に抑えられたのは、望外の喜びと言っていい。

 いままで欠片も認識できなかった"成長"という事実が、如実に現実に成った瞬間だったのだ。

 これが嬉しくなくて何が嬉しいのだろう。

 確かに、未だに自分は系統魔法どころか基礎魔法ですら成功したことはない。例外的にサモン・サーヴァントこそ成功したが、それは文字通りに特別の例外というやつなのだろう。

 ステラが示唆したのは二つ。

 ルイズが行使する魔法の"威力"を操作すること。そして、行使する"対象"をしっかりと補足すること。

 考えてみれば、至極当たり前の話だった。

 何を行うにしても、その"仕事"には"大きさ"と"行う場所"が必要である。

 それすら覚束ないというのに、仕事の内容がうまくいかないと嘆くのは贅沢というものだ。まずは足場をしっかり、土台を固めることから始める。

 ただまぁ、その代償として他の生徒とは比較にならないほどの課題をぶん投げられたのは、その上機嫌を相殺してややマイナス方向に傾かせるに十分な不幸と言えた。

 

 

 

「仕方ない……そろそろステラを捕まえておかないといけないし、一緒に連れてくしか無いか」

 

 

 

 放っておけば何をしでかすかわかったものではない己の使い魔のことを想い、ルイズは一際大きな溜息を吐く。

 悪い子ではないのだが、根っからのトラブルメーカーなのだ、あのステラという使い魔は。

 午前中こそ仕事を押し付けているからある程度大人しくしているものの、午後は文字通り自由の身。幸いにしてここ数日は問題行動がなかったのでルイズの胃がダメージを受けなかったが、精神的に苛まれてしまうのはどうしようもない。

 有り体に言えば、あの常識知らずの小娘が心配で仕方ないのだが、ルイズはそれを意地でも自覚しようとはしない。強情で意固地、という点では実に似通った主従である。

 

 ともあれ、課題をこなすためには資料が必要だ。その資料は本塔の書庫にあり、ルイズ一人で夕食まで篭もるのがベストであるが、使い魔が気になりすぎる。

 であれば、その使い魔の首根っこを捕まえ一緒に書庫まで連行するのが次善の策だろう。

 そう考え、準備を終えたらそのまま捜索に赴くことを脳内の予定に付け加えつつ、しかしその捜索時間が課題をこなす時間よりも多くならないことを切に願わずにはいられない。

 ただ、それは杞憂であったのだが。

 

 課題の内容を示した羊皮紙の紙片を手に、寮棟の自室の扉を開いた瞬間、ルイズはナニか黒い風に煽られ、同時に抱きすくめられていた。

 それが何かを理解する前に、ぐりぐりと頭に何かが擦り付けられる。

 それが額であり、またさらさらと流れる宵闇のような髪を見て、ようやくルイズは自身がステラに抱きつかれているのだと気付く。

 

 

 

「ちょっ、ステラ!?」

「……ルイズ、おかえり」

「い、いいから離しなさいって!」

 

 

 

 慌てて拘束を振りほどき、乱れた髪もそのままに逃げるように距離を取る。

 最近わかったことだが、このステラという使い魔は、スキンシップが過剰だ。それもルイズにだけ。

 下手をすれば唇を奪われるのではないかという危惧すら覚えるほどに。

 悪気があってしているわけではないのが、なおさら質が悪い。

 ともあれ、心配されていたというのは素直に嬉しい事だし、突然のことに戸惑ったとはいえ突き放したままというのもルイズの挟持が許さない。

 気を取り直したように咳を一つ。

 

 

 

「コホン。あのね、ステラ。淑女たるもの、行動には慎みを持たなきゃダメなの。こんな、いきなり相手に抱きつくなんてはしたない真似はやめなさい」

「私、使い魔。淑女じゃないよ」

「ソレ以前の話よ!」

「大丈夫。みんな気にしてない」

「アンタだけだってば! 周りは見てるし、ひいては主人の私がバカにされるの、わかる!?」

「好きにさせればいいのに」

「貴族はそうもいかないって、この前も話したで しょ う がッ!」

「いひゃいふいふ」

 

 

 

 ああ言えばこういう生意気極まりない使い魔の餅のような頬を抓りあげながら、ルイズはとにかく自室へと入った。

 まだ後ろでぶーぶー文句を垂れる使い魔を無視して、まずは必要な道具を集める。

 それを鞄に詰め込んで、ルイズは一度ステラの頭を羊皮紙を蛇腹に折って作ったハリセンで引っ叩き、手を引いて部屋を後にする。無論、鍵はかけ忘れない。

 ちなみに、何故ルイズがハリセンなるものを持っているかといえば、ステラに聞いて実際に作ったからだ。

 ステラがアホ(あるいはトンチンカンな事)を言うたびに手で叩くのは、少女としての慎みのみならず、物理的な反射ダメージがバカにならない。

 かと言って、鞭で打つには憚るし―――と悩んでいたところに、何の気なしにステラが教えたのだ。

 ある程度個気味の良い音(ストレス緩和に有効)であり、それほど痛くなく、かつ明確に相手を叱るにぴったりな代物――――ハリセンの存在を。

 例によってステラが元いた世界にある研究所のデータベースから得た知識であるが、ルイズは存外に気に入ったらしい。ステラを連れているときは必ず常備し、何かステラがおかしなことを言うorすれば、どこからともなく取り出したそれでもって容赦なくステラの頭を叩き倒すのだ。

 あまり痛くはないが、しかしポンポン叩かれるのはあまり気分がイイものではない。

 当然、ルイズに対する物理的な反撃などステラが思いつくはずもなく――時折精神的な反撃は試みるが――、自然とステラはそのハリセンを恐れてか、喜ばしいことに"自粛"という言葉を無事辞書に書き加えることができたのだった。

 

 閑話休題。

 

 その後、向かう先が本塔の書庫だと知って、それまで不満たらたらだったステラが熱い手のひら返しをしたのは、まぁ当然といえば当然だろう。

 ステラは、惚けた普段の様子からは程遠いほどに、とある事に関しては好奇心旺盛だ。

 それはこの世界における常識であったり、歴史であったり、あるいは文化様式であったり多様であるため判別がしにくいが、大別するなら"人類"に対する興味が非常に高い。

 そのため、書庫における数多くの文献はステラの知識欲を刺激してやまないし、無論ステラから見れば、書庫の書物の山は文字通り宝の山に見えた。

 というのも、ステラの世界においては、異星人/エイリアンとの戦争によって多くの文献が失われ、物体としての書物はそのほとんどが灰となっている。

 長い年月をかけて集めたものも、恐らく平和だったその時の量とは比較にもならないほど少量のものだった。

 言い換えれば、その知識の多くは電子の海から引き上げたものであり、書物から得られた知識は数少ない。

 故に、本を読むという行為そのものが楽しくて仕方ない事と、その内容がこの世界における"人類"に関わる事となれば、下手をすれば書庫で暮らしかねないほどに、ステラは書庫を気に入っている。

 初日はそれでひと騒ぎ起こしたため、ルイズ同伴でなければステラは書庫入室厳禁という特例が出されたほどだ。ルイズに叩かれまくってにゃーにゃー喚いていた黒猫が、猫撫で声で甘えだすのも無理は無い。

 

 

 

「さて、私は課題をやんなきゃいけないから、その間静かに本でも読んでなさい」

「うん。わからない所があったら、聞いてもいい?」

「あんまり頻繁じゃなきゃね」

 

 

 

 驚くことに、ステラは既にこのトリステインにおける公用語の読み書きがある程度できつつあった。

 トリステインで使われている公用語を学習し始めたのが、召喚された翌日。

 文字をその日の内に覚え、翌日には意味がわからずとも短文を読めるようになっていた。

 しっかりとした"言語"とは未だ言えないが、しかし、少なくとも幼年期の子供程度の語彙力は既に持っている。

 端的に言って異常であった。学習能力が高いという次元の話ではない。

 確かに、言葉が通じるという点において、これほど異文化言語を学ぶのに最適なアシストはないだろう。

 文法なり単語なり、わからない部分を聞けば理解できるというのは、未知を知る上ではカンニングに等しいとも言える。

 ステラは、そのアシストを最大限に用いると同時に、己の特性をも利用して常識外れの速度で公用語を学んでいたのである。

 残念なことに、もとより秀才であったルイズの下にいるため、その異常さがあまり正しく認識されていないのだが。

 というのも、使い魔が使い魔なら、主であるルイズもまた特殊なのだ。座学主席の肩書は伊達ではない。ただ、実技がそれに伴わない不運に見舞われているだけなのである。

 

 書庫の一角にある机を専有した二人の主従は、それぞれの用事をこなすために別行動を取る。

 ルイズは言うまでもなく魔法学に関する、それも風系統及びソレにまつわる論文を。

 ステラは、かたっぱしから目についた童話や伝記類を積み上げていく。

 言うまでもなく、司書長が嫌そうな顔でそんな本の虫になった二人の主従を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タバサ、という少女が、影では"小さな大食女/プチ・グルートン"だの"図書館のネズミ/ラ・ド・ビブリオテック"などと呼ばれているのは、公然の秘密である。

 前者はともかく、後者は暇さえあれば書庫に入り浸る事と、その矮躯でちょこまかと本を探しまわる姿から名付けられたのだが、翻せば書庫の常連という意味でもある。

 となれば、その日もまた、タバサは授業を終えると同時に、常連らしくお気に入りの書庫の一角を陣取り、庶民の年間所得にも匹敵する高価なイスに半分埋まるような形で、ゆったりと本を読んでいた。

 隣にその背丈を上回る古木の杖を立てかけ、ペラリ、ペラリとページを捲る音だけが周囲に響く。

 言うなれば聖域。

 心穏やかで満たされる空間。

 タバサは本を愛している。ひいてはこの書庫をも。

 トリステインが誇る魔法学院のソレは、彼女の故郷に在る国立図書館にも負けない蔵書量を持ち、魔法学に関する書物のみならず、世界中の物語に類する書物も数多く収められている。

 特に英雄譚や冒険譚を好むと同時に、とある魔法薬に関する情報を求めるタバサにとって、この書庫がどれほどの価値を持つかなど言うまでもないだろう。

 故に、"あのヴァリエールの主従"が入ってきた時、思わず顔を顰めてしまったのも、無理はない。

 特にその使い魔は、以前決闘騒ぎを起こした上、この書庫でも結構な騒ぎを起こした子だ。警戒せずにはいられなかった。

 

 しばらくして、読みかけていた本から視線を上げ、それとなく書庫の一角を見やる。

 思わず溜め息が漏れた。

 案の定、と言うべきだろうか。

 一心不乱に課題か何かに取り組んでいる主の方はまだいい。必要と思われる資料を平積みにしているとはいえ、それは数冊だし、仕方のないことだ。ソレに、彼女は後片付けはしっかりする人間である。

 問題なのは、その対面に座る使い魔の少女である。

 乱雑に積み上げられた本の山。果たして中身を理解しているのかどうかすら疑わしいハイペースで、その山はなおも高くなっていく。

 以前の事件で懲りたのか、あるいは主に指導されたからのか。本を投げるような真似こそしないものの、読み終わった本をただ乱雑に積み上げていくのは、見ていて気分がイイものではない。

 あれで後片付けまでしっかりするなら良いだろう。だが、前科故にタバサはまるで信用していない。事実、使い魔の少女は持ってきた本を全部読み終わるやいなや、今度は別の棚から山のように本を集めてきたではないか。

 それを叱り飛ばす主の少女が最後の良心だろう。しぶしぶと周囲に平積みにしてあった本を書架に戻しに行くが、見てみるとその戻し方も乱雑だ。

 ジャンルごとに分けて入るものの、索引を完全に無視した感じで手にしたものを次から次へと片っ端から放り込んでいく。その悪行は、残念ながら自分の作業に再び没頭した主に気づかれてはいない。

 見れば、司書長もまた、額に青筋を浮かべていた。

 本を大切に扱わないこともそうだが、脚立を使わず書架に足をかけて登るなど、常識外れも甚だしい。

 

 もはや、見てはいられなかった。

 

 おもむろに本を閉じて立ち上がったタバサは、立てかけてあった杖を手に取り歩き出す。

 向かう先は言うまでもなく、書架という神聖な大木を無遠慮に穢し続ける不埒者の元だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステラとしては、自分なりに片付けているつもりでは在った。

 記憶にある本の並びを懸命に思い出しながら――正直な所、あまり気にせずに本を抜き取っていたのでよく覚えていない――書架へと並べていたのだが、どうやらそれはあまり褒められる片付け方ではなかったようだた。

 

 

 

「それは隣の棚の13段目。この棚じゃない」

「……こっち?」

「そう」

 

 

 

 なんの前触れもなく、いきなり指示を投げかけてきたのは、ルイズよりも更に小さい、青い月光に染まる雪のような少女だった。

 蒼銀の髪に人形のように整った相貌。

 手には背丈を上回る古木の杖を携え、紅いアンダーフレームの眼鏡の奥から、どことなく眠たそうな青い瞳に小さくない怒りを灯している。

 つまるところ、その少女はステラを睨んでいたのだ。

 何故だろう、と悩むと同時に、今さっき指摘されたことを思い出して得心する。

 素直に指示を再度仰げば、鷹揚に頷かれた。

 やっぱり、と内心自分の名推理っぷりを褒めつつ、言われたとおりに本を仕舞う。

 

 

 

「じゃぁこれは?」

「その前に、ルールから教える。下りて」

「……うん」

「返事は"はい"」

「はい」

 

 

 

 有無をいわさぬ迫力は、ともすれば怒り狂うルイズに匹敵している。ステラはソレ以上反論一つすることなく、主よりも小さなその巨人のご高説を、正座しながら甘受するのであった。

 

 

 それからしばらくして、棚の配置の法則、本の並び、書庫における基本的なルール/常識、さらには本の扱い方や本そのものがどれだけ貴重であり、なおかつこの書庫にあるものがどれほどの希少価値を持つのかといった様々な事柄を、文字通り小一時間程に圧縮して詰め込まれたステラは、今や目をグルグル回しながら頭から煙を吹きかねない有様だった。

 己がどれほど無知であったかを思い知らされたという意味もあるが、ソレ以上に平坦な声で滔々と説明するこの小さな巨人の語りぐさの何たる催眠誘導ぶりか。

 思わず眠りかけると容赦なくその手に持つ古木の杖で頭をぶっ叩かれ、強制的に覚醒させられるのだ。拷問とみなしてもなんらおかしくないそれの陰で、後半三十分程は全く眠気を覚えることなく聞き終えることができたのだが。

 ともあれ、小一時間も説教したことで、その小さな巨人は満足したらしい。

 

 

 

「今度から気をつけて」

「はい」

 

 

 

 短く、それでいてはきはきとした返事に満足したのだろう。

 後は自分でやれ、と言外に注げるかのように踵を返すと、少女は静かに歩き出す。

 だが、ステラはその背中を見てふと大事なことを思い出して、気がつけば"本の鬼"――今しがた、ステラの中で決まった彼女の二つ名である――を呼び止めていた。

 

 

 

「あ、ねぇ」

「……なに?」

「教えてくれて、ありがとう」

「……本を大事にして欲しいだけ」

 

 

 

 きっと、この小さな"本の鬼"は、ステラがあまりにも常識知らずで、本を大切にしないから怒っていたのだろう。

 小一時間もの長い間、しかし懇切丁寧に様々な常識を教えてもらったことからも、それは容易に理解できた。

 だが、そういったことをやってくれる人間というのは、そうそういないのだということをステラは知っている。

 無論、そこには何かしらの打算や思惑があるのかもしれない。"人間とはそういう生き物だ"とはかつて教わったことだし、たとえ人間でなくとも、戦争をした異星人/エイリアンでさえそういったことはあったのだ。

 そして、無駄だとか、面倒だとか、普通はやりたがらないことを、それでも積極的にやってくれるというのは、とても有難いことなのだということも、ステラは知っている。

 ましてや目の前の少女は、本が好きだから、ソレを正すためにわざわざステラを叱りに来たのだ。

 

 誰かが、自分のために本気で怒ってくれる。

 

 それはとてもとても素敵で、大事で――――"人間的"なことなのだと、ステラは嬉しくなる。

 だから、ステラは純真に、何の忌憚なく知りたいと思ったのだ。

 この世界で、こんなにも"自分"を見てくれた少女のことを。

 

 

 

「私、ステラ。貴方は?」

 

 

 

 小首を傾げつつ――無論正座は継続中である――そう尋ねるステラに対し、少女は軽く振り返ったまま、じっとステラを見つめた。

 

 

 

「タバサ」

「タバサか。よろしくね」

 

 

 

 雪風の二つ名を持つ少女に、黒猫のような使い魔は屈託なく微笑む。

 この出会いが、いつか、そう遠くない未来において。

 一人の少女を救うための種火であったことを―――――まだ誰も知らない。 

 

 

 

 

 




 あけましておめでとうございます。
 前回の更新から三ヶ月近く間があった?
 いえ、しりませんね、そんなこと(白目

 ともあれ、長らくお待たせしました。
 とはいっても、今回からまだ次回にかけて“溜め”とも言えるお話であるため、なかなか盛り上がりに欠ける静かな話と成ってしまいました。

 次回からはようやく、この物語において外すことのできない“彼”が出る予定です。活躍はまだまださきになってしまうでしょうけれども。ええ、うん、しかたないね。

 次回もまた間が開いてしまうかもしれません。そういうものなのです。ガイ◯ーとかバス◯ードとか狂戦士とかのファンになれば理解いただけるはず。

 次回の更新を今しばらくお待ちいただければ……。
 なお、誤字脱字ご感想は随時お待ちしております。遠慮呵責なく投げつけてしまってくださいませ。
 そして、読者の皆様方に良き幸せの多からんことを。
 


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