トラキア半島の北に位置する街、かつてレンスター王国と呼ばれた場所は、今は遷都が行われ、トラキア王国の首都となっている街である。
レンスター城ではアリオーンが統治の指揮を執っている。街の治安維持と防衛はキュアン将軍麾下の
そして目を引くのが、レンスター城の次に大きな建物である劇場だ。
ここでは定期的に様々な催しが開催され、庶民の娯楽の場となっているのだ。
その控え室に、金髪の少年コープルは緊張した面持ちで訪れていた。
「姉さん、少しいい?」
「あれ? コープルじゃない。珍しいわね。こっちに来るなんて」
翡翠色の髪を揺らし、リーンは入室してきた弟に声をかけた。
「少し話せないかな?」
「……真面目な話?」
「うん」
「そう。じゃ、場所変えよっか」
ふたりは控え室を出て、バルコニーに場所を移した。
「で、話って?」
「ああ、うん。姉さんは……どうなの? 今度は主役取れそう?」
「あたしの話? まあボチボチかな。今度ダーナからもいっぱい来るらしくてさ。また競争率上がっちゃう」
リーンはこの劇場に立つ演者の一人だった。歌ったり、踊ったり、演劇を交えることもある。
「でも楽しいよ。みんなが笑ってくれるもの。娯楽があるのは国が豊かな証しって聞いたことあるけど、本当かもね」
「うん、そうかもね」
そこでまた沈黙が訪れた。だがリーンは急かすことなく、コープルの言葉を待った。
「僕、解放軍に参加しようと思うんだ」
「ブッ! あんた本気!?」
「うん」
コープルはリーンの目を見つめ、即答した。
「……軍に入るって聞いた時も驚いたけど、あんたには魔法の才能があったみたいだから納得はしたわ。でもなんで解放軍なの? まだ内緒にしてるみたいだけど、トラキア軍だって一緒に帝国と戦うんでしょ? それでいいじゃない」
「姉さんは、父さんのこと覚えてる?」
「またえらく話が飛んだわね。まあ、チョットだけね。優しい笑顔くらい。ていうか、父さんのことなら母さんに聞けばいいじゃない」
今日は不在にしているが、ふたりの母シルヴィアはこの劇場で指導員として働いているのだ。
「……聞けないよ。父さんの話をすると、すごく悲しそうな顔するもの。でも解放軍に参加することは伝えてあるよ。ちょっと怒られたけど、最後は許してくれた。僕は知りたいんだ。解放軍に行けば、何か分かるかもしれない」
「そんなあやふやな理由で行くの?」
リーンは呆れたようにため息を零した。
「それだけじゃないよ。この聖痕が、セリス皇子と共に戦いなさいって言ってるような気がするんだ」
「聖痕ねぇ。アレスはそんなこと言ってなかったけど、あいつも解放軍に行くのよね。まああいつは死にそうにないからいいけど、あんたはあっさり死んじゃいそうだから心配なのよ」
「大丈夫だよ。僕は魔法より杖の方が得意だから、後方に回されると思うし」
コープルは姉に心配かけまいと、意識して笑顔を作った。
「ん~、じゃああたしも一緒に行こうか? 戦えなくてもできることはあると思うし、後方にいれば大丈夫でしょ」
「ダメだよ! 後方にいたって矢が飛んで来たり魔法が飛んで来たり、奇襲を受けることだってあるかもしれないし!」
「……あんた言ってることが矛盾してない?」
「姉さん……矛盾なんて難しい言葉知ってるんだねって
コープルの失礼な物言いに、リーンは弟の頭をポカッと叩いた。
「あのね。あたしだって学校ってとこに通わせてもらってたのよ。バカにしないでよね。あのハゲの小言にも耐えたんだから」
「バカになんてしてないよ。感心してたんだよ。それと教頭先生のことハゲって言うのやめなよ」
コープルが口を尖らせて反論する。それを聞いて、リーンは小さく笑った。
「いいのよ別に。エッダ教から破門されたって噂があるくらいだし、ロクなモンじゃないわ。なんか思い出したら腹立ってきた」
「でもあれほどの知識人はそうそういないよ。ブラック将軍も教えを請うたって聞いたことあるし」
「それ逆でしょ。ブラック将軍に付きまとってたのよ。で、ウザがられて学校に放り込まれたって噂よ」
「えぇ……」
コープルは困惑したように押し黙った。リーンはまだ思い出し怒りをしていたようだが、弟の顔を見て気持ちを落ち着けた。
「あんたって見かけによらず頑固だからねぇ。ま、頑張んなさい」
そう言って、リーンはコープルの頭を優しく撫でた。
◇
レンスター城の一室は緊張で包まれていた。いつもは飄々としているティルテュが神妙な面持ちをしているからだ。その隣に座す妹のエスニャも同様である。
対面している彼女の息子であるアーサーはゴクリと唾を呑み込んだ。
「あんたたちはセリス皇子率いる解放軍に参加するのよ」
参加しなさいではなく、参加するのよと言ったあたり、ティルテュの中では決定事項なのだなと察して、アーサーは小さく嘆息した。
あんたたち、つまり自分だけではなく、同席している妹ティニーと
「私もそろそろ隊を率いてみないかと、ブラック将軍に言われたのですが……」
「ブルーム兄さまは巷で言われているほど悪い人ではないのよ」
遠回しに否定的な意見を伝えてみるが、ティルテュはいつも通り自分のペースを崩さなかった。
「ちょっと臆病で、小心者で、惰弱で、意気地がないだけで、悪い人ではないの」
(散々な言われようだな。というか全部同じような意味じゃないか)
そう思ったが、もちろん口にはしない。そもそもアーサーはブルームに会ったことがなかった。母と叔母と、あとは噂程度でしか聞いたことがない。
そして噂では、ブルームよりもその妻ヒルダのことの方が多く耳に届いていた。
「あの女が来てからブルーム兄さまはおかしくなったのよ。なんだって父さまはあんな女を連れてきたのかしら」
「違うわよ姉さん。向こうから縁談を持ちかけてきたのよ、たしか」
「でも父さまなら断れたはずでしょ?」
「どうかしら? 腐ってもヴェルトマー一族よ。難しいんじゃない?」
貴族同士の婚姻は政治的な意味合いが強い。それはエスニャの方が理解していた。
「というか
「憧れと恋心は別物って気づいちゃったのよね。ほら、リーフくんもセルフィナさまに憧れてたじゃない?」
「いや、セルフィナさまは結婚してたし、ちょっと違くない?」
「そうかな……そうかも……」
「話が脱線してますよ」
アーサーは手を鳴らしてふたりの視線を集めた。
「ブルーム叔父上の件は分かりました。ですが、ティニーとリンダまで巻き込むことはないでしょう。俺とアミッドだけで十分ですよ」
(俺はいいのかよ!)
勝手に同行することにされたアミッドは厳しい目つきでアーサーを睨みつける。しかしアーサーの言う通り、妹たちを巻き込むよりはいいかと思い、口を噤んだ。
「アーサー、ああ見えてもブルーム兄さまはトールハンマーの継承者よ。甘く見てはいけないわ。ブリギッドさんのことは、あんたたちも聞いてるでしょ?」
「ええまあ。実際に見たわけではありませんが」
二度に渡って行われたグランベル帝国のトラキア侵攻の折、ブリギッドはトールハンマーを操るブルームと激突した。
その戦闘でブリギッドはトールハンマーの直撃を受け、重傷を負ったのだ。一命は取りとめたものの、その時の衝撃で指先の繊細な感覚を失い、第一線を退くこととなった。
「本当ならわたしが行きたかったんだけど、アリオーン殿下に止められちゃってね」
「なっ!? 当たり前ですよ!」
そんなことは聞いてなかったアーサーは仰天した。トラキアに亡命した時、ティルテュはシレジアでの隠遁生活のストレスなどが影響し、肉体的にも精神的にも憔悴しきっていた。
トラキアでの生活で多少は以前の快活さを取り戻したものの、戦闘に参加できるような状態ではない。
「まあそういうわけで、あんたたちが揃って説得すればブルーム兄さまも降伏してくれるかもしれないわ。でもあの女がいる内は無理ね。そこはまあ、上手くやんなさい」
「適当だなぁ。まあ分かりましたよ」
これ以上言っても無駄だと感じたアーサーは覚悟を決めた。
一方その頃、レンスター城の司令室では、トラキア王トラバントから北トラキアの統治を任されたアリオーンが、ハンニバルからの報告書を眺めながら沈思していた。
「……まだ決断できませんか?」
「アルテナか」
キュアンの一子、王妃であるアルテナがアリオーンに語り掛ける。実は、解放軍への協力は、ブラックの要請を受けてアリオーンが独断で決定したことであり、トラバントは関与していなかった。
トラバントは未だ実権は持つものの、南のトラキア城にて半隠居生活を送っている。
トラバントはトラキアの繁栄を何より願っており、帝国との不戦条約が解かれた際も、再び条約締結を打診した。だがそれは皇帝アルヴィスによって却下され、帝国との戦争は避けられぬものとなった。
しかしトラバントは帝国に攻め入るようなことはせず、ハンニバル将軍に専守防衛を命じた。
それが功を奏したのか、二度に渡る攻勢を凌いでいる。そして帝国も、トラキアの攻め気がないことに気づき、不干渉の態度を示すことになった。
しかし解放軍に協力するということは、今の微妙なバランスが崩れ去ることを意味している。その時、トラバントがどういう判断をするのか、アリオーンには予想できなかった。
「
「ああ、だからこそ読めぬ。セリス皇子の首をアルヴィス皇帝に届けよ、などと私に命じるかもしれない」
「義父上がそんなことを命じるとは思えませんが?」
「……おまえはトラキア統一後の父上しか知らないからな」
アリオーンはあの頃の、北トラキアの奪取に執念を燃やしていた父の姿を覚えている。まだ幼かったが、あの妄執にも似た瞳の輝きは、アリオーンの背筋を寒くさせた。
「南トラキアは厳しい土地だ。貧困、他国からの蔑視、それらのものと南トラキアの民は戦い続けてきた。父上の夢は、トラキアを豊かにすることだった。そのためには、何としても北トラキアが必要だったのだ。父上のことを手段を選ばぬ非情な男と言う者もいた。だが父上の根幹には、民を思う仁愛があったのだ。それを知る者は少なかったがな」
アルテナはアリオーンの言葉を静かに聞いていた。
「ブラック将軍が来てから、父上は多少柔らかくなった」
「魔導騎将殿ですか?」
「ああ。当時の将軍たちは、父上の勘気を恐れて
当時のことを懐かしむように、アリオーンは笑った。
「最初は子供の戯言と聞き流していた父上も、一考の余地はあると考えたのか、彼の意見を聞き入れるようになった。まぁ、気に入ったのだろうね。彼をよく使うようになった。そして子供が忙しなく働いていれば、助けてあげたいと思うのが普通の大人だ。他の将軍たちも巻き込んで、彼は出世していった」
「才気煥発な子供だったのですね。リーフにも見習ってほしいですが……」
「ふっ、彼と比べられては、私とて分が悪いよ。さて」
アリオーンは立ち上がり、外出用の外套を羽織る。
「行くのですか?」
「さすがに父上に秘匿したまま軍を動かすのは不可能だろう。なに、ここまで世の中が動いていれば、父上も反対はできぬさ。それくらいの分別はできる人だ」
部下に命じさせて己の乗騎を準備させる。アリオーンを乗せた飛竜は全速で空を駆け、日暮れ時にはトラキア城へと辿り着いた。
アリオーンがトラキア城に帰還した時、玉座の間にはトラバントただひとりが待ち構えていた。
「儂に話があるのだろう? 人払いはしてある。ここからは父と子の会話だ」
(これは……気づいておられるな)
アリオーンは解放軍がメルゲン城に入ったことを、すでにトラバントは知っていると察した。
実際トラバントは、トラキアの各所に子飼いの諜報員を潜ませており、トラキアで起こる問題のほとんどを把握していた。
またアリオーンは知らぬことだが、ブラックからの報告も上がっていた。トラバントは彼に多くの裁量を与え、自由に動く許可も与えていたが、そのすべてを報告するように命じていたのだ。
無論、報・連・相の重要さを理解しているブラックは、そこを怠ったりはしない。
「父上は今の世をどうお考えであらせられますか?」
「遠回しにものを言う。解放軍と協力して帝国を打倒せよとでも言いたいのか?」
いきなり核心を突かれ、アリオーンは押し黙った。
「アリオーンよ。儂が何故、おまえにグングニルを譲って、王位は譲らなかったと思う?」
「それは……」
体力的な問題でしょう、と答えようとして、アリオーンは躊躇した。天槍グングニルほどの大槍を振り回すには、相当の筋量と体力を必要とする。トラバントも寄る年波には勝てず、グングニルの能力を十全に発揮できる自分に託したのだと思っていた。
だがそんな当たり前のことを、わざわざここで問う意味はない。この問いは、そんな当たり前の問いではないのだ。
アリオーンはこの問いに、解放軍を絡めて考えた時、父の覚悟を感じ取った。
「まさかっ!?」
「万が一、解放軍が敗れし時は、儂の首を持ってアルヴィス皇帝に詫びに行け。トラキアの処遇も多少はマシになろう」
「父上はそこまでのお覚悟を……」
「ミレトスはよほど酷い状況らしい」
トラバントは悲哀の情で西方に視線を向けた。
「おまえは知らぬだろうが、海を越えてトラキアを目指す市民は多いのだ」
「海をですか? しかし西海は決して海流が良いとは言えませぬ。商船か軍船でなければ難しいでしょう」
当然、ただの市民にそれが用意できるわけがない。
「陸路は厳しく監視されておる。海ならば、闇に紛れて出てしまえば、追手もこまい。市民たちも命がけだ」
「闇夜の航海などそれこそ、ミレトスはそこまで腐敗していたのですね」
「儂とて人の子だ。子供狩りを痛ましく思っておる。孫ができて余計にそう思うようになった。だがトラキアの力だけで帝国に勝てぬことも理解しておる」
だからこそ"光"が必要なのだ、とトラバントは続けた。
「シャナン王……いえ、セリス皇子がその"光"だと……?」
「おまえは立場上、解放軍に同行することはできぬが、いずれ分かる時が来る。後方のことは任せよ。おまえはおまえの好きにすればよい」
「……ハッ!」
アリオーンはトラバントの前で跪いた。その後、アリオーンは満足した顔で玉座の前を立ち去った。その背を見送りながら、トラバントはつぶやく。
「ふっ、まさか、ここまでとはな……」
宙に向けて放ったその声を聞く者は、誰もいなかった。
◇
「――ぐっ!」
腹部に激痛を感じて、セリスは呻いた。しかし崩れかけた体勢をすぐさま整え、次撃に備える。だが敵の姿は視界になかった。
首の後ろに尖った感触を受ける。それが木剣の切先であることはすぐに気づいた。
「年の割にはよく扱えている」
アレスは無愛想な表情を崩さずに呟いた。
(これが黒騎士の剣技か……)
セリスはアレスとの差を実感した。
「だがそう気落ちすることはない。個の力と、兵を率いる力は別物だ。おまえにはその力がある。精進を怠らなければ、良い将になれるだろう」
アレスは本心からそう言った。自分が大隊を率いる才に欠けることを自覚しているからだ。アレスの直截的な性格は兵に好かれもするが嫌われもする。
「しかし……まるで生き写しですな」
ふたりの模擬戦を眺めていたオイフェがぼそりとつぶやく。アレスの容姿は父エルトシャンによく似ていた。髪色はもちろん、切れ長の瞳。そしてへズルの剣も、ラケシスの指導によってしっかりと受け継がれていた。
その隣にいたレヴィンもまた、あの運命の日を思い出していた。自分と共に
最期まで仲間の脱出を助け、死地に留まり続けた勇壮なる騎士の姿を。
「よーし、次は僕が相手だ!」
ふたりの決着がついたのを見計らって、リーフが木剣を抜く。
「……おまえとはいつもやっているだろう」
「今日は勝てそうな気がする!」
「……ふぅ」
ため息を零しながらアレスは木剣を構える。
その数分後には、リーフは仰向けに倒れていた。
それから数日後、メルゲン城で陣容を整えたセリス一行は、ペルルークへと進軍した。
グランベル帝国の南に位置するミレトス地方にはミレトス、ラドス、クロノス、ペルルークの四つの都市国家が存在している。
いや、存在したと言うべきだろう。
かつて、貿易で巨大な富を築き、あらゆる勢力から自由だった都市群は、帝国と暗黒教団の支配によって死に絶えようとしていた。
クロノス城のヒルダ女王は、その狂気とも思える残虐さで多くの市民を死に追いやり、ロプト教団のマンフロイ大司教は、ラドス城のモリガン司教に命じて容赦のない子供狩りを行っている。
トラキア王国に逃げて来る者も後を絶たず、子供狩りと合わさってミレトス地方の人口は激減していた。
残った者たちは一部の権力者と、逃亡する気力さえ奪われた市民たちだけだった。しかしそんな市民たちも、解放軍を歓呼の声で迎えた。
激しい戦いの末に帝国軍を追い払った解放軍は、ミレトス解放の拠点を手に入れた。失われつつあったミレトスの希望は、解放軍の到来によってようやく息を吹き返そうとしていたのである。
次に目指すは、クロノス城。そこには統治者であるブルームと、実質的な支配者であるヒルダがいる。
そしていざ出撃となった時、セリスは気づいた。ユリアの姿が見えないことに。
本編ではグングニルの継承理由を体力的な問題としていますが、ゲーム的にいうなら、グングニルは速さに+10の補正がかかるため、実質的な重さは細身の槍より軽いんですよね。