クロノス城はミレトス地方のほぼ中央に位置する堅城である。その司令室で、城主であるブルームは激しく狼狽していた。
なぜならブルームの目論見では、解放軍はダーナ砦を制圧してエッダ方面へ向かうはずだったからだ。
ブルームはフリージ家の先代当主レプトール卿の長子であり、魔法騎士トードの血を引くレアルの聖戦士である。本来なら栄達が約束されていた生まれであるが、父レプトールがアルヴィス皇帝に背信したことで、アグストリアの王家になるという密約は反故にされてしまった。
とはいえ、その密約を知るのはフリージ家ではレプトールのみであったため、ブルームには背信者の息子という負の遺産だけが残った。
そしてブルームはアルヴィスに忠心を示すため、雷の神器トールハンマーを操り、トラキア攻略戦に参加した。
その戦いの成果いかんでは処刑すらあり得たため、ブルームは死に物狂いで戦った。イチイバルの聖戦士を退けた激闘は今でも兵たちの語り草になっている。
しかし彼一人が獅子奮迅の活躍をしたところで戦争に勝てるはずもない。だがその忠勤はアルヴィスに評価され、ミレトスを任されるに至った。
しかしその実態は妻ヒルダの傀儡であり、ミレトスでは彼女の独裁による残虐な統治が行われていた。それに不満を持った息子イシュトーはフリージ本家へと送還され、軟禁状態にあるという。
「そんなに狼狽えて、どうしました?」
司令室に凛とした声が響く。この部屋にノックもなしに入ってくる者は一人しかいない。ブルームは緊張した面持ちで振り返った。
「ヒ、ヒルダ! 解放軍……反乱軍が迫っているのだ! こんなところで我らがやられるわけにはいかぬ! ここはオーヴォ将軍に任せて我らはラドス……いや、ミレトス城まで
ブルームの思考は戦闘よりも逃亡に傾いていた。長い圧政の時は、彼から戦士としての矜持を奪い去っていたのだ。
それがヒルダの嗜虐心を刺激した。元々ブルームとは政略結婚で、この男を愛したことは一度たりともない。腹を痛めて産んだ息子たちはともかく、ブルームには一片の情愛すらなかったのだ。
「あなた、落ち着いて。反乱軍など所詮寄せ集めにすぎない。あなたのトールハンマーの敵ではないわ」
そう言ってブルームの身体を引き寄せる。そして、隠し持っていた短剣で胸を刺した。短剣は肋骨の間から滑り込み、心臓を突き破った。
「……あ?」
断末魔の叫びはなかった。ただ一言、吐息のような言葉を漏らし、ブルームは床に倒れ伏した。
絶息したブルームを見下ろし、ヒルダは朗らかな笑みをこぼす。ひとしきりブルームの遺体を眺めた後、ヒルダは執務机の引き出しからトールハンマーの魔導書を取り出した。そして、司令室の扉を開け、叫ぶ。
「誰ぞある! 反乱軍の送り込んだ暗殺者に我が夫が殺られた! 探し出して捕らえよ! イシュタルに玉座の間へと来るように伝えな! ラドスのリデール将軍も呼び寄せるんだ! 総力戦だ! 反乱軍はそこまで来てるよ! 急ぎな!」
ヒルダの命令を聞いた兵たちが慌ただしく動き出す。
そして自身は玉座の間へと向けて歩き出した。我が物顔で玉座に腰かけるヒルダに、将軍たちは何も言わなかった。しばらくして、慌てた様子でイシュタルが姿を現した。
「イシュタル、おまえはこのトールハンマーで反乱軍を蹴散らすんだ」
「……本当だったのですね。父上は……」
「反乱軍の送り込んだ暗殺者に殺されたよ。卑劣なやつらだ」
ヒルダは夫を殺された哀しみと、解放軍に対する憎悪を込めてイシュタルに告げる。
「分かりました母上。反乱軍の首魁は必ずや私が仕留めてみせます」
「頼んだよ。ヴァンパ、フェトラ、エリウはイシュタルを援護しな」
「ハッ!」
「ムハマド将軍は左翼を、オーヴォ将軍には右翼を任せる」
よどみない仕草でヒルダは各将軍に指示を出す。激戦が始まろうとしていた。
◇
ペルルークでの戦闘は激戦ではあったが、大きな犠牲は出なかった。それはひとえに、影ながら解放軍を援護していたマギ団の活躍が大きい。特に、彼らのリーダーであるセティの活躍は大きかった。
風魔法で弓矢を逸らし、騎馬隊を豪風で薙ぎ払った。それこそが、シレジア王家に伝わる伝説の風魔法フォルセティだった。
戦闘が終結し、解放軍一同はセティと対面した。
「マギ団を率いております、セティと申します」
「セリス・フォン・レアル・シアルフィです。若輩ですが、解放軍の盟主を務めております」
ふたりが固く握手を交わす。
「私は待っていました。ずっと、この時が来るのを。世界をお救いください、セリス様。ユグドラル大陸の多くの民は、絶望の中にあります。このミレトスは殊更に酷い。多くの子供たちが囚われ、暗黒神への
セティの悔恨が伝わってくる。と同時に、セリスは直観した。この人はすべてを救おうとしているのだと。かつての自分もそうだった。すべての人を救いたい。すべての人を幸福にしたいと、思っていた。だがそれはオイフェによって諫められた。
誰かを救うということは、誰かを救わないということでもある。すべてを救おうなどと考えるのは傲慢であり、いずれその理想に押し潰されるだろうと。
セリスは再びセティの手を取った。彼の重荷を少しでも引き受けなければならないと思ったのだ。
「勇者セティ、すべてをあなた一人が背負う必要はないのです。私だって一人でできることはそう多くない。みなの助けがあってここまでこれたのです。だから、一緒に戦いましょう! 私たちと共に!」
「セリス様……。はい、我が風の力、マギ団、あなたにお預け致します!」
セティは感極まった様子でセリスの手を握りしめた。マギ団の参加は、解放軍の戦士たちにこの上ない心強さをもたらした。だが、その時――
「ならばセリス。我らはすぐにクロノス城へと攻め込むのだ。そのための戦略を検討せねばならんな」
それまで無言を保っていたレヴィンの言葉に、セリスは驚かされた。
「待ってくださいレヴィン。ペルルークの市民は疲れ切っています。まずは慰撫するべきではないでしょうか?」
「違うぞセリス。この地を治めるヒルダ女王は残虐で狡猾な女だ。下手をすれば先手を許すことになり、この街が再び戦場になるぞ。すぐに陣容を整えろ」
レヴィンは厳しい目つきでセリスを睨みつけ、部屋を出て行った。セリスは静かにその背を見送っていたが、セティはすぐにレヴィンを追って部屋を飛び出した。
「私には一言もなし……ですか? 私はずっとあなたを探していたのですよ、父上!」
「……久しいな、セティ。元気だったか?」
「――ッ!? 元気だったか……とおっしゃいましたか! 国を出られて何年になると思っているのです! 母上は……亡くなりましたよ! 亡くなる前に、一目でもお会いしてほしかった!」
セティは母の病状を伝えようと、父探しの旅に出た。その途中にミレトスに立ち寄り、その現状に愕然とした。そしてこの地のレジスタンスと交流しているうちに、彼らを見捨てられなくなったのだ。
母フュリーの死は、たまたまミレトスの地を訪れた見習いのペガサスナイトからもたらされた情報だった。
「そうか。フュリーは逝ったか。かわいそうなことをした」
「……父上、あなたは冷たい人だ。母上の死を知っても涙ひとつ流さない。フィーにも声をかけていないそうですね。あいつも強情だから、あなたから声をかけられるのをずっと待っているはずなのに……」
レヴィンはセティの震える声をじっと聞いていた。そしてしばしの沈黙の後に、彼は感情というものをどこかに忘れてきたかのような口調で、言葉を発していたのである。
「セティ、私には妻も子もいない。そう決めたのだ。おまえもそのつもりでいろ」
その無感情な言葉を聞いた時、セティは激昂を通り越して空虚なものを感じた。あれは本当に、自分の父であるのか。母フュリーが語ったレヴィンという男は、もっと温もりがあったはずなのに。
しばらくの間、セティは愕然とその場で立ち尽くしていた。
◇
戦闘はペルルークとクロノスのほぼ中間地点の平原で始まった。左翼ではムハマド将軍と黒騎士アレスがぶつかり、激闘を繰り広げている。
右翼では
「くらえっ! 太陽剣!!」
「ひかりの剣ですリーフ様!」
そして中央では、聖戦士同士の戦いが始まろうとしていた。
(……くっ、フォルセティの力がここまでとは!)
トールハンマーを操るイシュタルは開戦当初、鬼神の如き活躍をした。ヨハン率いる中央の
そして出てきたのが自分と同じ聖戦士、セティである。
イシュタルもセティのことは知っていた。何しろこの地のレジスタンスであるマギ団のリーダーなのだから。だがイシュタルはセティのことを甘く見ていた。子供狩りに歯向かうだけで大した成果を上げていないのだから当然である。
だがセティの操るフォルセティは強大な力を持つが故に、使える場所が限定されてしまうのが弱点だった。市街戦でその力を解放すれば、間違いなく建物ごと吹き飛ばしてしまうだろう。
しかしここは平原。兵たちも下がらせ、彼の力を阻害するものは何もない。ましてや相手も神器とあって、セティは生まれて初めてフォルセティの全力を引き出して戦っていた。
暴風と轟雷が荒れ狂う中に入っていける戦士は誰一人存在しない。
その少し離れた場所では、三対三の戦闘が繰り広げられていた。ヴァンパ、フェトラ、エリウの精鋭魔導士三人と、シャナン、スカサハ、ラクチェの三剣士である。
聖戦士であるシャナンといえど、魔導士たちの阿吽の呼吸で行われる連携に手を焼いていた。
シャナンが攻めるとその一人が退き、残りの二人がスカサハ、ラクチェの相手をしながらもシャナンに攻撃を仕掛けてくる。
(二人には荷が勝ちすぎるか……? いや、あの二人とてオードの血を引く者。私の期待に応えてみせろ!)
シャナンは双子をかばいながら戦おうと考えたが、あえて試練を与えることにした。シャナンのそんな気持ちを感じ取った双子は意気を上げる。双子だけではない。ティルナノグの若者たちは、これまでの戦いで著しい成長を遂げているのだ。
二人の身体が、一瞬だがオードの聖光に包まれた。
『流星剣!』
一瞬五斬の秘剣が煌めく。フェトラとエリウの鮮血が宙に舞った。
「フェトラ! エリウ!」
「戦場で相手から目を切るとは、迂闊だな」
「――なっ!?」
ヴァンパの意識が逸れたのを察知したシャナンは一足飛びで間合いを詰めた。間合いを詰められた魔導士は脆い。シャナンは一瞬でヴァンパを斬り捨てた。
そして、中央で行われていた一番の激戦も決着の時を迎えようとしていた。
縦横無尽に飛び回るセティにイシュタルは翻弄され、トールハンマーは終始目標を捉えることができなかった。
イシュタルの身体は風の刃に切り刻まれ、衣服は血に塗れていた。これがセティの狙い。出血で体力と思考力を奪う戦略だった。
ついにイシュタルの膝が折れ、そこにひと際巨大な風の槌が襲った。イシュタルの身体が後方へと吹き飛び、二度三度と地に叩きつけられる。
(……ここまで……か。申し訳……ありま……)
イシュタルは視界に舞う己の鮮血を見て死を覚悟した。だがその瞬間――
「イシュタルよ。おまえはこんなところで死ぬべき運命ではない。私と共にバーハラへ来い」
イシュタルを包み込むように、天より光が降りてきた。多くの兵士がその光景に目を奪われる。それはセリスも例外ではなかった。
その光の中で、イシュタルの身体に刻まれていた無数の傷が癒されていく。
「……ああ、ユリウス様……しかし、なぜ……」
「私にはおまえが必要だ。私の力になってくれ、イシュタル」
「は、はい! 喜んで……ユリウス様!」
イシュタルはほほを赤く染め、少年の胸に顔をうずめた。やがて、光の柱が二人の姿をかき消した。だが光の柱が完全に消失する寸前、セリスと少年の視線が交錯した。
少年が唇を歪め、笑みをこぼす。セリスはその瞳に、底知れない邪悪が潜んでいることを直感した。
「あれが……ユリウス。私の
セリスの中に流れる聖戦士の血が、ドクンと跳ねた。
◇
野戦を制した解放軍は小休止を挟んでクロノス城に攻め上がることになった。
その休憩中に、二人の魔導士が今後の作戦を考えていた。
「見たか? トールハンマーとフォルセティの戦い」
「ああ、なんていうか……次元が違う戦いだったな」
アーサーの問いに、アミッドは感嘆の息を漏らした。
「しかし何だってあんな
「継承したんだろ。神器は魔力だけでなく体力も使うらしいからな」
セティとは同じ魔導士ということで、二人は交流を深めていた。あの激闘によりセティはほとんどの魔力を消費し、クロノス攻城戦には参戦できないこととなった。見るからに疲労困憊で、かなりの体力を消耗していたことも分かった。
「話によれば、トールハンマーの使い手はバーハラに逃げたらしい。つまりブルーム叔父上の装備は良くてトロンといったところだな」
「かなり楽になったな。素直に降伏してくれればいいんだが……」
「まぁ、母上たちが毛嫌いしている"あの女"がいる内は無理だろうな」
女王ヒルダは徹底抗戦の構えを崩さず、クロノス城にて防備を固めている。
「セリス様の温情もいただいたことだし、縛ってでも連れて行こう。多少怪我をしても、生きてりゃ母上も納得するだろう」
だがアーサーたちは知らなかった。すでにブルームの命が失われていることに。
そうこうしているうちに小休止も終わり、解放軍が進撃を開始する。
その頃、クロノス城に座すヒルダは顔をしかめていた。
ヒルダはアルヴィス皇帝の生家であるヴェルトマー家の傍流の出身ということもあり、帝国内部に独自の巨大な勢力を作り上げていた。彼女はさらに己の地位を強化するため、暗黒教団と協力することにした。その力を借りる代償として、彼女は精力的に子供狩りを行っていたのだ。
だというのに、ラドスにいるモリガンはこの
「あのバカは理解しているのかね。このクロノスが落ちれば、次は自分の番だってのを……」
リデールもこちらに来た以上、ラドスには最低限の守りしかない。恐らくはクロノスが落ちても、疲弊した解放軍など自前の戦力だけでなんとかなると思っているのだろう。
「とんだ夢想家だね。戦の趨勢が見えていない」
解放軍は勢いづいている。報告ではイシュタルは落ち延びたようだが、この戦からトールハンマーが失われたことに変わりはない。ムハマド将軍もオーヴォ将軍も討ち取られ、出陣した魔導士部隊も壊滅した。
戦力らしい戦力は、リデール将軍の騎馬隊と、自分の親衛隊くらいである。
「いっそのこと本国まで退いて態勢を立て直したいが……」
それはモリガンが許さないだろう。そうなればロプト教団と解放軍の両方を敵に回すことになる。
「歯がゆいねぇ」
解放軍はすぐそこまで迫っていた。