皇帝アルヴィスを打倒し、ついにセリスは祖国シアルフィの土を踏んだ。
「……ついに戻って参りましたな」
オイフェが感慨深く呟く。だがセリスはここが祖国だという実感はあまりなかった。彼が生まれたのはアグストリアで、幼少の頃を過ごしたのはシレジアだったからだ。そして程なくしてイザークへと疎開することになる。
シアルフィの民が自分を歓迎してくれていることは不思議な感覚だった。
「彼らはシグルド様が健在だった時代を忘れていないのです。そして、セリス様にも期待しておられます。解放軍の盟主として、新たな国主として」
オイフェの言葉にセリスも気を引き締める。解放軍の活躍により、ミレトス地方は帝国の支配から逃れた。まずウェルダンがこれに呼応し、帝国の勢力を打倒して独立を取り戻した。続いてシレジア、アグストリアもレジスタンスが立ち上がったという。
「レヴィンもアレスもいなくなってしまったからね。これからは一層厳しい戦いになる……」
レヴィンはトラキア軍と合流すべく、ダーナへと向かった。またアレスもかねてより通じていたレジスタンスに合力すべくアグストリアへと発っていた。
そしてセリスはシアルフィを発つ前にレヴィンが語った"伝説"を思い返していた。
かつて、現在より三百年以上も過去のユグドラル大陸に、ガレという人物がいた。権勢欲の亡者であったガレは、強大な力を大陸の外に求めた。
そして、どことも知れぬ場所で、ガレは"ある生物"の生き血を飲み、一冊の魔導書を与えられ、ユグドラル大陸に帰還した。
その存在こそが古代竜族。人の知性と竜の力を併せ持つ最強の生物であった。そしてロプトウスは竜族の中でも強大な力を持つ地竜族に属している。
ロプトウスの生き血を飲んだガレは人知を超える力を手に入れ、ロプト帝国を興したのだ。
セリスが見た暗黒竜は、その時にガレが持ち帰ったロプトウスの魔導書により変貌したユリウスだった。ユリウスは暗黒竜ロプトウスの力を自在に引き出している。
セリスの額に冷たい汗が流れる。幼少の頃より使い続けてきた銀の剣は、暗黒竜の鱗に傷ひとつ付けられずに砕け散った。
(このティルフィングなら……通じるだろうか。それにユリアは……)
シアルフィにもユリアの姿はなかった。ここにいないということは、後はもう王都バーハラかヴェルトマーしか考えられない。
ユリアが自分の
(トラキアの諜報能力にレヴィンも驚いていたな。でも個人と組織じゃ仕方ないと思うけど)
ユリアが狙われたのもそれが理由だろう。警備は厳重にしていたはずだが、それでも防げなかったことをセリスは激しく後悔していた。
ユリアを連れ去った者は護衛の精神と記憶を操作することで、発覚を遅らせたのだ。
だが攫ったということは、まだ生きている可能性は高い。
しかしロプトウスに対抗しうる神器、神聖魔法ナーガ。その所在はまだ明らかになっていない。
不安は尽きない。とそこで、セリスはオイフェの顔色が曇っていくのに気づいた。
「オイフェ、やはり体調はまだ戻っていないのだろう?
「……申し訳ありません。みなが奮戦しているというのに、私は……」
オイフェは己の不甲斐なさに頭を痛めた。その震える拳に、そっとセリスの手が重なる。
「戦えずとも作戦立案などでオイフェはこの解放軍に欠かせぬ存在だ。これからも私を支えてほしい」
「セリス様……もったいなきお言葉です」
「では行ってくる」
「はっ! ご武運をお祈り致します」
オイフェは恭しく低頭した。解放軍はドズル城に向けて進軍を開始した。
◇
ドズル家の主力は言わずと知れた
例えば地に伏せるように戦う歩兵隊とは相性が悪い。単純に馬上からの攻撃が届かないからだ。また騎馬は突破力には優れるが小回りが利かない。これは斧という武器もそうである。
つまり、グラオリッターはシャナン率いる剣兵たちにことごとく撃破されていった。
副長であるフィッシャーもバルムンクの錆となり、グラオリッターは半壊状態に陥っていた。
「おのれっ! しかし私も斧戦士ネールの末裔! 反乱軍の首魁セリスよ! 勇あるならば私と戦え!」
愛馬を失ったブリアンが聖斧スワンチカを振るいながら吼える。その威圧に兵たちはたじろいだ。近くにいたシャナンが足を向けようとしたが、反対の方向から大きく声が上がった。
「正道を忘れた聖戦士よ! 望み通り私が引導を渡してやろう!」
「ほざいたな小僧!」
斯くして、伝説の武器を手にした聖戦士の戦いが始まった。聖斧スワンチカを与えられた聖戦士の戦闘力は凄まじく、ブリアンの膂力はセリスを大きく上回っていた。まともに受ければセリスの身体は吹き飛ばされるだろう。腕が痺れるかもしれない。そうなれば敗北は必至だ。
セリスはギリギリの見切りでスワンチカを避け、時に受け流し、勝機を窺っていた。
「ふはははっ! 防戦一方か、小僧!」
「……くっ」
ブリアンの猛攻は続く。だが彼の体力は確実に削られていた。攻撃というのは空振りした時がもっとも体力を消費するのだ。
そんな激戦の中で、セリスはようやくブリアンの隙を見つけ出した。強く握りしめた剣の柄から、ティルフィングの力が流れ込んでくる。
「ここだぁぁぁっ!!」
聖斧の一撃をかいくぐったセリスは、ティルフィングの切先をブリアンの腹部に滑り込ませた。ブリアンの纏っていた厚い鎧は紙のように切り裂かれ、その巨体は糸の切れた操り人形のように地に落ちた。
斧戦士ネールの末裔は聖剣ティルフィングに前に斃れ、ドズル城は解放軍によって陥落した。
そして時を同じくして、フリージの地でも戦いが始まっていた。
アレス率いるアグストリアのレジスタンスがフリージに攻め入ったのだ。しかしヒルダの指揮する
そして戦場の一画では"雷神"が猛威を振るっていた。ここでもまた聖戦士の戦いが始まろうとしていた。
黒騎士へズルの末裔と、魔法騎士トードの末裔が相まみえる。
絶大な威力を誇る雷魔法トールハンマーの使い手を発見したアレスが感じていたのは、恐怖ではなく高揚だった。
叔母ラケシスから寝物語に聞かされた父エルトシャンの逸話。それはレプトール卿の駆使するトールハンマーを斬ったという伝説だ。自分にそれと同じことができるのか。
アレスは魔剣ミストルティンの柄を強く握りしめた。
(まともに喰らえば耐えられるものではない)
トールハンマーの雷撃は一撃で死を与える必殺の魔法だ。魔剣の護りがあったとしても、耐えられる保証はない。
突撃してくるアレスに気づいたイシュタルは即座に標的を切り替えて詠唱を始めた。アレスは愛馬を全力で走らせるが、イシュタルの魔法が先手を取った。
「トールハンマー!」
アレス目掛けて雷が飛ぶ。と同時に、アレスは巧みな手綱捌きでトールハンマーの軌道から外れた。
「甘いなっ!」
イシュタルが吼える。それに呼応して雷が軌道を変えた。だがアレスの反応も早かった。一瞬の判断でアレスは馬上から躍り出た。
(……すまぬっ!)
もんどりうって斃れる愛馬に祈りを捧げ、アレスは地を蹴った。イシュタルはあと五歩の距離にまで迫っていた。だが彼女は冷静に二度目の詠唱を始める。短縮された呪文から発動したトールハンマーは、一撃目と比べて大きく威力は減衰していたが、人間ひとりを昏倒させるには十分だった。
だがミストルティンの輝きが、雷を両断する。トールハンマーはイシュタルの目前で弾け飛んだ。
「くっ、そんなっ!?」
ミストルティンの切先はイシュタルの胸元まで迫っていた。その瞬間、彼女は己の死を覚悟した。
(申し訳ありません……ユリウス様)
イシュタルの脳裏に浮かんだのは、まだ少年の頃の、笑顔に溢れていた頃の想い人だった。
最期の時を潔く受け入れようと目を閉じたイシュタルだが、魔剣はイシュタルの身体を貫くことはなく、代わりにアレスの拳が彼女の水月に叩き込まれた。
アレスは決して慈悲を与えたわけではない。戦略的な理由からだ。
フリージ軍にはまだ有能な将が多く残っている。雷神の右腕ラインハルトや雷神の兄イシュトーといった名将も健在だ。イシュタルが斃れたと知れば、彼らは死兵となって抵抗するだろう。そうなればこちらも大きな犠牲を払わなければならない。
アレスはイシュタルを捕虜にしたことを周知させ、フリージ軍に降伏を促した。最大戦力である聖戦士が敗れるということは、人心を揺るがす大きな出来事だった。だがフリージ軍の総大将である女傑が、動揺する兵を一喝した。
フリージ城の
戦え! 戦え! 戦え! と。
そしてその姿は、敵味方問わず多くの兵の注目を集めた。
その瞬間、戦場の上空に一条の光が駆け抜けた。聖弓イチイバルから放たれた矢が、吸い込まれるようにヒルダの額を射抜いたのだ。
いかに勇猛な軍勢であっても、指揮官を喪っては戦うことはできない。ヒルダを喪ったことで、指揮権はイシュトーへと移った。
帝国の統治法に不満を持っていたイシュトーは、すぐさま全軍に戦闘停止を命じた。
◇
フリージ攻防戦が終結した夜、アレスはフリージの将、イシュトーと会談した。
「イシュトー殿の英断により、犠牲は最小限に抑えられた。まずは礼を述べたい」
「こちらこそ妹を助けていただき感謝しております。あれは戦士としては、優しすぎるのです。なまじ聖痕などを宿してしまったために……いえ、失礼を致しました」
聖痕は直系の長子に発現する場合が多いが、そうでない場合もある。まさしく神のみが知るところであろう。また聖戦士同士が交じり合うことでも複雑化する。例えばセリスは、聖剣士バルドの直系であるが、聖者ヘイム、そしてロプト傍系である聖騎士マイラの血をも引いている。
そして神器の継承者は否応なく戦乱や政争に巻き込まれる運命なのだ。
「彼女のおかげで多くの子供たちの命が救われた。貴殿も知らぬわけではあるまい」
「……そうですね。幽閉されていた私は何もできず、歯がゆい思いです」
イシュタルは各国から集められた子供たちを、フリージ城下の修道院に匿っていた。また子供たちが溢れそうになると、隣接しているアグストリアのレジスタンスに子供たちを委ねることもあった。それを聞き及んでいたアレスは、イシュタルを人品
「彼女は戦後に必要な人物だと思ったのだ。そしてイシュトー殿、フリージにもバーハラ攻めに協力していただきたい」
「……申し訳ないが、それは承伏しかねる。降伏したとはいえ、そう簡単に帝国を裏切ることはできぬ。だがもし、貴公らが勝利した暁には、フリージ家は膝を折ろう。トラキアに
「……なるほど」
アレスもティルテュのことはよく知っている。叔母ラケシスと共にシグルド軍で戦った仲間であり、シレジアから亡命してきた当初は憔悴していたこともあって、アレスも気にかけていた。
しかし生来の天真爛漫さを取り戻した姿を知ったアレスは、彼女があまり領主に適性があるような性格とは思えなかった。
(まあ、アーサーに領主をさせて、イシュタル殿を嫁がせればよいか)
と、勝手にフリージの未来を定めるアレスであった。
そして、数日後に合流したセリスたちと共に、レジスタンスは王都バーハラへと進軍した。
一方その頃、王都バーハラでは玉座の間にてユリウスは不機嫌の極みにあった。届く報告はどれも彼の機嫌を損ねるものばかりで、伝令の兵は彼の不興を買うことを恐れて役目を終えた後はそそくさと退出した。
「残るはこのバーハラのみか。まあいい。反乱軍がどれほどの数で押し寄せようと、私を倒すことなどできぬ」
ただ一人、玉座の間に呟きが響く。その目には冷笑の輝きがあった。とそこで、横手の扉がゆっくりと開いた。黒衣の僧が現れ、ユリウスに一礼する。
「ベルドか。珍しいな、貴様が表に出てくるなど」
「マンフロイ大司教が亡くなられたようです」
「ヴェルトマーを落とされたばかりか、逃げることもできなかったか。大口を叩いておいてこの醜態とはな」
ユリウスは吐き捨てるように呟き、嘲りの色を浮かべた。
「しかしご安心を。バーハラの守りは完璧です。ヴェルトマーの精兵に加え、我がロプト教団が誇る
「あの人形どもか。それは聖戦士とも渡り合えるほどか?」
「御意」
ベルドは自信満々に告げる。
「よかろう。ならば貴様が指揮を執れ。功績次第では教団を貴様に任せてやろう」
「ありがたき幸せ。ユリウス様は玉座にて朗報をお待ちください」
暗黒司祭が恭しく頭を垂れる。
世界の命運を賭けた決戦が始まろうとしていた。