敵国を侵略する場合、敵国民は徹底的に虐げるか、あるいは深窓の令嬢のように扱うか、どちらかしかない。
というのをなんかの本で読んだ気がする。
最初トラバントは市民を虐殺し、略奪することを許可していた。それほどトラバントはトラキア制覇に熱を上げていた。自らの武威を示すことで、民を従わせようとしたのだ。
だがそれでは、仁王と知られたレンスター王は最後まで徹底抗戦を貫くだろう。俺は根気強くトラバントを説得した。
トラバントは最初全く耳を傾けなかったが、俺が治療活動で多くの支持を得ていたことと、自分の知らないうちに山の賢者なる二つ名が付いていたことが背中を押した。だが心を砕いたわけではあるまい。より成算が高い方を選んだのだ。
アルスターが中立という立場を選んだのも、このことが大きい。ターラやマンスターで非道を行っていれば、アルスターはレンスターと共闘していた可能性が高い。
レンスター王が早々に降伏したのも、市民に対して手出ししない、圧政は敷かないと確約したことが大きい。
こうしてトラバントはトラキアを統治する立場となり、トラキア統一王となった。
ぶっちゃけトラバントが北トラキアを得るタイミングってここしかないんだよね。
病弱ながらカルフ王が健在で、キュアンが不在。グランベル軍が東方遠征中の為、ちょっかいをかけてくる可能性もほぼない。
原作ではイード砂漠でキュアン夫妻を葬ったが、グランベルの介入で領有には至らなかった。
まあこれでキュアン夫妻も砂漠で落命することもなくなっただろうし、悪くない結果だと思うよ。
それからしばらくして、キュアン夫妻らが故国に帰ってきたのは、全てが終わった後のことだった。トラキアの玄関口であるメルゲン城にキュアン夫妻が足を踏み入れた。
「戦場以外で出会うのは初めてですな。メルゲン城を任されているハンニバルと申します」
ハンニバル将軍といえば老将のイメージが強いが、今の彼は働き盛りのマッチョマンである。この巨漢と並び立てば、長身のキュアンとて分が悪い。ましてや俺は子供扱いだ。まあ十歳の子供なんだけど。
「魔導騎将のブラックです。お見知りおきを」
あの戦争で、俺は魔導騎将という将軍になった。十歳で将軍というのは異例のことだが、反対意見は出なかった。
立場の上ではマゴーネやハンニバルと同格になったが、長幼の序は理解している。それでわざわざ敵を作ることもないさ。
そして、このメルゲン城の副官でもある。
「……若いな」
ぼそりとキュアンがつぶやく。気持ちは分かるよ。だって実際若いもの。
「失礼。
キュアンはフルネームを名乗らなかった。レンスターという国はもうないのだと、自分に言い聞かせているように思える。元、というところに力を籠めたのは、最後の矜持だろう。まあ納得はできないだろうな。遠征から帰ってきたら国が滅んでいたんだもの。でもね、国王が負けを認めたんだから、もうどうにもならない。
民を虐げていないのはレジスタンスの結成を防ぐ意味もあるのだ。キュアンもこのメルゲン城下の民が笑っているのを目撃したはず。極論になるかもしれないが、国民にとっては自分たちが平和であれば、上の人間が誰であっても構わないのだ。
レンスター王国は滅びた。今はトラキア王国レンスター領だ。レンスター城にはトラバントが移り、統治の指揮を執っている。遷都という意見もあったが、まだ早いということで延期となった。
トラキア城はトラバントの息子、アリオーンが城主になった。といってもまだ子供だからな。書類上の城主でしかない。
「私もトラバント王も、槍騎士ノヴァの血を絶やすことは本意ではない。貴公の御父上も、この先の保養地にて静養しておられる。そこに貴公らも滞在してもらうことになる。レンスター領は、止めておいた方がいい。トラバント王の機嫌を損ねることになりかねん」
「お気遣い感謝します。では、失礼」
最低限の挨拶だけを終えて、キュアン夫妻は退席した。エスリンは最後まで一言も発しなかった。
「気丈な奥方だな。国に残るという手もあったろうに」
この時代、王族、貴族の子女が嫁ぐのは政略の意味が大きい。レンスターが滅びた今、エスリンがキュアンの元に残る理由はあまりない。
「愛ですよ」
「……愛か」
「将軍もそろそろ身を固めては? 縁談はいくらでも来ているのでしょう?」
「キミまでそう言うのだな。もう聞き飽きたよ」
だって貴方このままだと一生独身ですよ。孤児院の経営や学校の建設にも賛同してくれたから、子供が嫌いということではなさそうだ。女が嫌いだとどうしようもないのだが。
「それよりも、キミはこれからどうする? 長期休暇の申請が通ったのだろう。キミの設立した魔法科も軌道に乗ってきたところだというのに」
「あれはもう私の手を離れていますよ。グランベル王国が動けないうちに、世界を見て回ろうと思いまして。修行の旅ですよ」
「そうか。だから陛下も許可したのだな」
俺が強くなれば、その分戦力は増強される。餞別はワープの杖だった。何かあったらすぐに帰ってこいってことだ。
ちなみに、杖は自分が対象でも使える。ワープリングとの違いは、魔力が必要かどうかだ。ワープリングは自前の魔力を必要としない代わりに、自分しか転移できない。ワープの杖は、込める魔力次第で複数人でも転移できる。
そして、ワープの杖はかなり
またリターンの杖は距離制限がある為、遠く離れた場所からは戻ってこれない。
キュアンたちが聖杖でレンスターまで戻れなかったのもこれが理由だ。
トラキア統一後、トラバントは持ち前の政治手腕を発揮し、グランベル王国と不戦条約を締結した。ほぼ全軍でイザークへ進軍中のグランベル王国にとっては渡りに船だっただろう。
だから俺が国を離れても問題ないということだ。内政についても色々と献策してきたので、その功績もあるのだろうな。
「キュアン殿への挨拶も終わりましたし、予定通りこれから
「うむ。気をつけてな」
自室に戻って手早く荷物をまとめると、城下の酒場へと足を運ぶ。そこには今回の旅の同行者である妙齢の女性が昼間から酒を飲んでいた。
「お待たせしました。そろそろ行きましょうか。酔ってませんよね?」
「そこまで腑抜けちゃいないよ」
立ち上がった足取りはしっかりしたものだった。脇に置いてあった銀の大剣を軽々を背負う。
黒髪を靡かせた鋭い目つきは、まさしく隙のない剣士の目だ。
彼女がトラキアにいたのは幸運だった。しかもスカウトにも応じてくれて、今はトラキア軍人である。
地獄のレイミアという異名を聞いたことがある人も多いのではないだろうか。
世界を巡る残虐な傭兵集団として知られているが、実際は金次第でどんなことでもやるといった、傭兵らしい傭兵でしかない。逆に言えば、金にならないことはやらない。
だが彼女が望んで傭兵稼業をやっているかといえば、そうでもないらしい。勝手気ままに生きるのは楽しいが、世界を放浪する不安定な生活よりも、安定した
なぜこの時期に彼女がトラキアにいるのか疑問に思ったこともある。だってレイミアの容貌はモロにイザーク人だ。祖国が大変な時にこんなところにいていいのかと思うのは普通のことだろう。
ここからは俺の想像だが、イザークの滅びはもはや止められないと、彼女は悟ったのだろう。愛国心はある。だが祖国に殉じるほどのものではない。
そういう意味では、レイミアの見立ては正しい。傭兵らしく、戦の趨勢が見えている。希望的観測を持たない
なら彼女がトラキアに雇われたのは、勝ち目があると思われたってことかな? 原作だと負け戦に巻き込まれたが、あれはゲームだからなぁ。
彼女の活躍には随分と助けられたが、あの戦争では傭兵として契約していたので戦功はすべてマゴーネのもので、得たのは金だけだった。
その後、正式に軍へとスカウトし、彼女の傭兵団はトラキア軍となった。今はこのメルゲン城下町の治安維持を任せている。
で、隊長だったレイミアを今回の旅の同行者に指名した。なんだかんだ言っても子供の一人旅は色々と不都合だ。大人の同行者がいた方が融通が利く。世界を巡ってきた彼女なら各地の情報も知っているだろうし、前衛と後衛でバランスもいい。
断られるかとも思ったが、意外にもあっさりと了承してくれた。
「それで、どこに行くんだい?」
「アグストリア」
「ふぅん。そりゃ退屈な旅になりそうだね」
「退屈?」
むしろ反対だと思ってたんだが、レイミアはどうも違うらしい。
「ああ。あそこは賢王と名高いイムカ王が治めてるからね。傭兵としちゃ退屈なところだったよ」
「アグスティ王国はそうでも、他の諸国はどうなんです?」
「頭がしっかりしてりゃ、手足も勝手なことはできないよ。精々が小競り合い程度さ」
そのしっかりした頭、すげ変わるかもしれませんよ。
◇
メルゲン城から西へ進み、ミレトス地方を経由してグランベル王国に入る。ミレトス地方は活気に満ちた都市国家だが、今はのんびりしている時間はない。
そこからさらに北西へ進み、ようやくアグストリアに入った。
アグストリアは微妙な空気だった。イムカ王が急逝し、その一子、シャガールが新たなアグストリア王として即位したからだ。
このシャガール、民の評判はあまりよろしくない。元々アグストリアの反グランベル感情は強いが、シャガールはそれに輪をかけてグランベルよりもアグストリアが上だと思い込んでいる。
予想通り、即位から数ヵ月も経たずに、シャガールはグランベル王国の新たな領地となったエバンス領への進軍を
それに伴い、エルトシャンの投獄も全アグストリアに報じられた。
正論がいつだって好まれるとは限らないってことだ。しかもエルトシャンは歯に衣着せぬ物言いをしそうだからな。味方も多いが敵も多いだろう。
そんなわけで、俺はアグスティの地下牢へとやってきたのだった。
「お初にお目にかかります。エルトシャン・ゼア・レアル・ノディオン殿」
「……ブラギの僧が何用か。懺悔などない」
そう、今の俺はブラギの僧衣に身を包んでいる。この方が世界を旅するには便利なのだ。この格好からトラキアの魔導騎将を結びつける者はおるまい。ま、別にバレてもどうということはないのだが。
エルトシャンは随分と憔悴しているようだが、爛々と輝く眼光だけは聖騎士に相応しいものだった。
「シャガール王はあなたを処刑するつもりですよ」
「……馬鹿な。そんなことをすれば……」
「グランベルとの戦争。それがシャガール王の望むところ」
エルトシャンの治めるノディオン公国はアグストリアの南方にある。そこを接収し、グランベル王国のエバンス領に攻め入り、そのまま未だ不安定のヴェルダンを統治下に置く。
そうすれば、国土はグランベルを超える。グランベルとも対等に戦える。とでも思っているのだろう。
「そのためには、あなたはいない方がいいのですよ」
「シャガール陛下は本気でそんな妄想を……戦火に泣くのはいつだって民草だというのに……」
エルトシャンは義憤にかられて拳を握った。
「しかし、他の公王は承伏しまい。マディノ公王家は門地が途絶えているが、ハイライン、アンフォニー、マッキリーの公王たちはグランベル王国に本気で勝てるとは思っていまい」
「だとしても、彼らがシャガール王に逆らえるとも思えませんがね。それに、ハイラインのエリオット公子は嬉々としてノディオンに攻め入ると思いますよ。心当たりはあるでしょう?」
「……ぐっ」
ハイラインのエリオットが、エルトシャンの妹であるラケシスに懸想しているのは公然の事実だった。そしてこっぴどく振られたことも。だからこそ、機会さえあれば力ずくでもラケシスを我が物としようと攻め入るだろう。というか、獄中のエルトシャンは知りようもないが、すでにノディオン討伐の命は出されている。
「そういえば、衛兵をどうした?」
「ご心配なく、少し眠ってもらっただけですよ」
ミレトスでたまたま手に入ったスリープの杖だ。これを入手できたから思い切って忍び込んだのだ。本来ならエルトシャンを救出する予定はなかった。
「……目覚めるのだろうな?」
エルトシャンが懐疑的な目で睨んでくる。一瞬なにを言っているのか分からなかったが、永遠に眠ってもらったと捉えたのだろう。
いやいや、そんな悪役みたいなことしないよ。あんたの機嫌を損ねるだけじゃねぇか。
「ご心配なく。一時間程度で目覚めますよ」
だが長居する理由もない。さっさと進めてしまおう。
懐から取り出した聖杖を振るうと、石畳にドゥッと小さな音が響く。俺がレスキューの杖で召喚したエルトシャンそっくりの遺体に、エルトシャンは目を見張った。
これ作るの結構大変だったんだ。まあゼロから作ったわけじゃないけど。出来はそこそこ良い方だと思う。まあ魔導に詳しい奴が調べれば分かるだろうが、仮にバレてもシャガールはエルトシャンの死として公表するんじゃないかな。
「貴方には、命を賭してシャガール王を諫めてもらいたい。そうすれば、シャガール王とて思い直すかもしれない」
「主君を騙せというのか? 命を懸けて進言するのはやぶさかではない。だがそのような茶番を演じるつもりはない!」
「本当に死んではやり直しがきかないでしょう。せめてアグストリアの行く末を見るまでは生きてもらえませんか?」
「…………」
もうひと押しか。
「アグストリアは騎士の国だそうで。しかしシャガール王は騎士でしょうか?」
「…………」
「彼が統治者としても、人間としても欠陥の多い方だというのは、貴方も理解しているでしょう。これは彼の器量を測る試練だと考えていただけませんか?」
「……………………いいだろう」
長い葛藤の末、エルトシャンは答えを出した。俺が渡した短剣で指先を切り、その血を使って壁にシャガールへ向けた
その後、遺体の首を切り裂き、ワープの杖で脱出した。