結論から言えばエルトシャンの命を懸けた請願は全く無視された。
というかシャガールはエルトシャンを投獄すると同時に、ハイラインのボルドーへノディオン攻略を命じていたのだ。
そして東方遠征中のグランベル王国はアグストリアとの戦争を避けるため、シグルドに和平派であるエルトシャンの救出を命じていた。
その矢先にエルトシャンの訃報である。たぶんシグルドは制圧したマッキリー城で途方に暮れているんじゃないかな。
「
まあエルトシャン目線だとこうなるわな。
俺たちがいるのは、アグストリアとグランベルの国境近くの山中である。遠目だがマッキリー城が確認できる。
「やはり貴様の茶番になど乗るのではなかった」
「そう言われましても、どの道あなたに出来ることはなかったでしょう。まさか脱獄を企てていたわけでもあるまいし。それに、シャガール王からシグルド公子を討てと命じられれば、あなたはどうしましたか?」
「…………クッ」
ゲームだと追い詰められたシャガールがエルトシャンに泣きついたんだっけ。それで期限付きでグランベルが統治し、その後返還するって流れだったはず。
だが頼るべきエルトシャンはもういない。シャガールは最後の札を切った。
アグスティ城近衛軍将軍ザイン麾下の部隊をマッキリー城に向けて進軍させたのだ。
シグルド軍は二日に渡る会戦の末にこれを撃破し、ついにアグスティ城まで辿り着いた。わずかに残ったアグスティ城の警備兵は抵抗らしい抵抗もできず、シグルド軍の入城を許した。
俺の隣ではエルトシャンが今にも飛び出さんばかりの勢いでアグスティ城を睨みつけている。
「落ち着いてください。シグルド公子は恣意に任せてシャガール王を斬り捨てたりはしませんよ。それはあなたの方が分かっているでしょう」
「分かっている! 分かってはいるが……」
あんな王でも主君だからな。忠臣としては心苦しいのだろう。アグスティの王族はもはや彼しかいない。この時代は血が何よりも重視される時代なのだ。
シグルドもシグルドで
まあ
「噂の獅子王がこのざまとは……白けるね」
レイミアの軽口にエルトシャンは視線を鋭くした。レイミアは小さく笑いながら「おぉ、怖い怖い」と言って下がっていく。
このふたり、何度か模擬戦を行っているがエルトシャンの全勝だ。さすがは黒騎士へズルの末裔である。
ちなみに、俺に剣の才能はなかった。あの獅子王にきっぱりと断言されたのだ。まあ薄々は分かっていた。俺はどうやら魔法特化型のようだ。
とはいえ、あくまでエルトシャン目線の才の評価なので、一般兵よりは使えたりする。
……負け惜しみじゃないぞ。
それから数日後、アグスティ城から王族の使う
これを見届けたエルトシャンはようやく落ち着きを取り戻した。
こうして、アグストリアの動乱は、一応の幕を下ろした。
◇
アグストリア諸公連合はユグドラル大陸西方の騎士の国である。アグスティ王家を盟主に、五つの諸公がそれぞれの国家を持っている。
北にはロプト教団マイラ派の隠れ里跡地に建立されたエッダ教団の聖地ブラギの塔がそびえる。
そのためブラギの僧は割と多い。だからこそ俺が、アグスティを実効支配することとなったシグルドに挨拶したいという申し出があっさりと通ったのだ。
それでも普通ならあり得ないことだ。ただの僧が公子に面会できるなんてのは。
「初めましてシグルド公子。旅の僧で、名をブラックと申します」
「シグルド・フォン・レアル・シアルフィだ。もし間違っていたら申し訳ないが、マッキリー渓谷で援護してくれたかい?」
「ええ、不要かとも思いましたが、シャガール陛下はあまり……王族批判になるのでこれ以上はご勘弁を」
シャガールの評価が低いのは国民の総意でもある。先王イムカが偉大過ぎたというのもあるが、即位してすぐに戦争というのは、民からすればたまったものじゃない。
「ああ、うん。いや、我が軍の兵がキミを目撃してね。黒髪の僧というのは、この国では珍しいから」
俺はエルトシャン救出前に、マッキリー渓谷のシューターを排除していた。ペガサス隊が何人か飛んでいたので、その時に見られたのだろう。まあ繋ぎを得るために目撃させたというのが正しいが。
「しかし面会に応じていただけるとは思っていませんでした」
「民からの声には耳を傾けるさ。最近は苦情の声が多いがね」
シグルドが言っているのは、グランベルから来た文官たちが我が物顔で闊歩している件だろう。確かにアグストリアの民は辟易としている。
「単刀直入にお聞きします。グランベルはアグストリアを属国として扱い、占領統治なさるおつもりか?」
「それは違う! 私がこの地に留まっているのは、治安維持のためだ。一年の任期が明ければ、我々は国へ帰る。その時には両国の関係も修復されているだろう。この城もシャガール陛下にお返しできる」
「文官たちの専横は止められませんか?」
「……すまない。諫めてはいるのだが、私には彼らを処罰する権限がないのだ」
まあグランベル王国は権威と国力から周辺諸国より格上の扱いだからな。文官とはいえ、そこから派遣されてきた者には、シグルドであっても強くは言えんか。
「いえ、心中お察しします」
シグルドも苦々しく思っていることは、その顔を見れば分かった。
その後は適当に世間話などを行い、面会の場を後にした。
◇
「まあそういうわけで、シグルド公子も板挟み状態みたいですね。おそらくフリージ家が動いているんじゃないかと」
「宰相レプトールか。確かにアグストリアとは領地を接している。この機に乗じて占領統治を行うつもりか」
エルトシャンは苦虫を嚙み潰したように顔を歪めた。
シグルドが約束した一年の半分を過ぎたが、事態は日に日に悪くなっている。グランベル王室は次々と文官と、治安維持を名目とした兵力をアグストリアに送り込んできた。
だが実態は占領支配するための進駐軍にすぎず、彼らもまたそれを取り繕う様子もなく、アグストリア人の反グランベル感情はどんどん高まっていった。
一番激昂しそうなシャガールは、マディノ公城に遷都を行い沈黙を保っている。
いま最も胃を痛めているのはシグルドで、二番目はエルトシャンだろう。いやラケシスかもな。意図せずして外患誘致したようなものだし。
そしてついに、シャガールが爆発した。その報をもたらしたのはレイミアだった。
「随分と慎重に事を運んだようだが、兵を集めすぎたようだね。傭兵の動きなら私の情報網にも引っ掛かる」
「正規兵だけでなく傭兵もか。どうやら本気のようだな」
エルトシャンは黙して聞いている。親友か主君か、選ぶべきはどちらか決めかねているのだろう。だけどね、あなたの出番はないよ。
ドゥっとエルトシャンの身体が崩れ落ちる。
「今のうちに縛ってしまおう」
「やっぱ反則だね。そのスリープってやつは」
「ミストルティンを持ってなかったからな。あと身構えている相手には利きが弱いから、そこまで万能じゃない」
ゲームじゃあるまいし、戦場で興奮状態にある戦士が眠りに落ちるか? 一般兵ならともかく、部隊長クラスの責任ある立場の人間なら間違いなく耐えるよね。
特にエルトシャンは素の
「ふ~ん。しかしいいのかい?」
手慣れた様子でエルトシャンを縛り上げながら、レイミアが訊いてくる。
「今は悩んでいるみたいだけど、結局は忠義に殉じると思うんだよね。騎士ってそういうモンだし」
「まったく面倒だね。騎士様ってのは」
呆れたようにレイミアがつぶやく。傭兵にも信用があるからそう簡単には裏切らないが、それでも命が天秤にかかれば命を取る。
トラキアのように国の仕事として傭兵をやっているのは特例としても、レイミア隊は傭兵の中では義理堅い方だった。
「じゃあ俺は行く。もし期日までに帰ってこなかったらエルトシャンを連れてトラキアへ戻ってくれ。ハンニバル将軍が良いようにしてくれるだろう」
「おとなしくついてくるとは思えないがねぇ」
「そんときゃ解放していいよ」
そこまで死にたいならもう知らん。
◇
半年も準備に費やしただけあり、シャガールの蜂起は緻密に計算されたものだった。それに加え、シグルド軍の動きが鈍い。自分からは手を出さないようにしているのだろう。
シャガールがアグスティ城を包囲する前に入城できたのは僥倖だった。
治療の心得があるので手伝わせてほしいと申し出ると、シグルドは頭を下げて謝意を示した。
公子がただの旅人に頭を下げるべきではないと言うと、彼ははにかむように笑った。人を惹きつけるような優しい笑みだった。
シャガール軍によりアグスティ城が包囲されるのに然程の時間はかからなかった。無数の火矢を射かけられ、シグルドはようやく覚悟を決めた。自ら騎馬を駆り、精鋭の騎兵隊を率いてシャガールのいるマディノ城まで駆け上がる。
その間にも城は攻められている。アーダンが守備隊の指揮を取り、アイラやホリンが縦横無尽に敵兵を斬り捨てている。
そこで気付いたのだが、流星剣は単なる五連撃ではなく、繋ぎの無い一連の動作で繰り出す五回攻撃なんだな。苛烈で流麗で、見惚れるほどの美しさだ。もうあいつ一人でいいんじゃないかな、と思ったが、そこはやはり女性の体力。数の前では分が悪い。それでも不覚を取ることはなかったが、他の兵たちはどんどん傷つき倒れていく。
後方で治療を行っている俺たちのところにはひっきりなしに負傷兵が運ばれてくる。ここの指揮を執っているのは、金髪の聖女エーディンだ。ラケシスはいない。彼女とクロスナイツは中立を保つようだ。まあシグルドには恩があるし、シャガールはエルトシャンを殺した相手だからな。彼女の心中も複雑なのだろう。
しばらくして、事態が動いた。城を囲んでいた敵兵たちが蜘蛛の子を散らすように退散して行ったのだ。程なくして、シグルド軍の本隊がマディノ城を落としたという報がもたらされた。
これにてシャガールの武装蜂起は潰えることとなった。
負傷兵の治療も一段落し、俺は城壁から北の空を眺めていた。
とそこで、城門から駿馬が飛び出していくのが見えた。騎手はアッシュブロンドの女性だ。護衛もなしとは、王妃の自覚があるのか?
疲弊している兵士に配慮したのかもしれんが、アグレッシブな王妃様だ。元々が森の民だからな。人を使うということに慣れていないし、抵抗もあるのだろう。
すぐに風魔法で気流を操作して追いかける。この風魔法を利用した飛行は操作がかなり難しく、あまり速度は出せない。
だが、どうやら間に合ったようだ。ディアドラの進路を塞ぐように、黒衣の僧が立ちはだかっている。
「――エルウインド!」
不可視の刃が、ディアドラの頭上を過ぎて黒衣の僧へと向かう。だが風の刃は命中する一歩手前で虚空に弾けた。
「……フェンリル」
呟きは風に乗って聞こえてきた。しわがれた老人のような声だが、力強くもある。黒霧が大狼の形となり、こちらに牙を剥いて襲い掛かってくる。
全身の毛が逆立つのを感じながら、急旋回でなんとか回避する。彼我の距離が縮まり、ディアドラが射程内に入った。
「ワープ!」
ディアドラの足元にワープの陣が出現する。その一瞬後、魔法陣は地に沈んだ。
「キャンセルされた!?」
あり得ない。だが現実としてワープの力はかき消えている。魔導士としての力量が違い過ぎる。
「……ヨツムンガンド」
続いて放たれたのは二匹の黒蛇。フェンリルほどのスピードはないが、不規則な動きをする。しかもかわしても軌道を変更してこちらに襲い掛かってくる。
「――チッ! エルウインド!」
風の刃で黒蛇を切り裂く。視線を前に戻すと、ふたりの姿はどこにもなかった。
どうやら小魚が一匹跳ねた程度では、大河の流れを変えることはできないらしい。