アグスティの総督に任じられたシアルフィ公子シグルドは、私腹を肥やすために領民から不当な搾取を行っている。
義憤によって立ったアグスティ諸侯連合王シャガール・アグスティ十五世に応え、グランベル王国はドズル公ランゴバルト率いる軍勢を派遣した。
だがランゴバルト軍が駆けつける前に、シグルドはシャガールを敗死させる。
ここに至り、グランベル王国はシグルドの公的地位をすべて剥奪、ランゴバルト卿が恭順を呼び掛けるもこれを拒否、シレジア王国に亡命した。
さらに、シグルドが父バイロン卿とともに、クルト王子殺害に連座していたことも判明した。
これが、グランベル王国が
「非道な男だねぇ。このシグルドってやつは」
そう言ってレイミアがククッと笑う。その隣にいるエルトシャン、もといシリウスは血が出んばかりに拳を握り締めている。
これまでの、ただの噂とは意味が違う。グランベル王国が正式に発表したということは、民衆にとってはこれが真実なのだ。
「シリウス殿、軽挙妄動は慎むように」
一応釘を刺しておく。この勢いだとアズムール王に直訴に行くか、シグルドを助けにシレジアへ行きそうだからな。
「……貴様が言った来たるべき時とはいつだ!」
シリウスが執務机に拳を打ち付ける。
「この決定にはアズムール王も疑問を抱いているはずです。シグルド公子は自身が冤罪であること、そしてバイロン卿の無実を晴らすためにも、いずれレプトール、ランゴバルトとぶつかるでしょう。加勢するならばその時です」
「……やはりレプトールか!」
シリウスはレプトールが全ての絵を描いている黒幕と思っているようだ。まあロプトのことは話していないし、アルヴィスなんてここまで影も見せてないからな。結びつけるのは不可能だろう。
そして時は流れ、グラン歴七六〇年。俺は一三歳となった。体付きもがっしりし、大人用の鎧も身につけることができる。だが魔導士ゆえに軽鎧を付ける程度で、大抵の場合はスピードを重視した軽装が多い。
「トロン!」
俺の手から放たれた一条の雷が、意思を持ったように不規則な動きで標的へと向かう。
「――ハァッ!!」
跳ねるような動きで中空を進む雷は、しかし銀の剣によって打ち払われた。
……なんでこの人は雷を斬り裂いてるんですかねぇ。あんたは道雪かよ。それともその銀の剣が実は雷切丸だったりするのか?
「感覚は大体掴めたな」
「そうですか。しかしトールハンマーの威力は桁違いだと思いますよ」
「……だろうな。俺も一度だけ見たことがあるが、あれは人の身で耐えられるものではない。せめてミストルティンがあればな」
当然だがミストルティンはシリウスの手を離れている。あんなもの持ってたら正体隠しても身バレ不可避だしな。
「まあ、当たらなければどうということはない。間合いさえ詰めればレプトールなど敵ではない」
魔導士にとって、間合いを詰められることは死を意味する。風使いなら風を操作して間合いを作ることもできるが。
そして花が芽吹き始めた早春、シレジアに放っていた密偵からシグルドがグランベル王国に進軍する準備を行っているという報が届いた。
◇
「世話になったな」
シリウスが俺の目を見て最後の挨拶をする。俺たちは今リューベック城北西の山中にいる。密偵にワープの目印である聖石を設置させていたのだ。
「正直、勝算は低いと思いますよ」
「分かっている、しかし、俺は友を見捨てられるほど冷淡な男ではない」
シグルドの目的は、ランゴバルト、レプトールの力を削ぎ、アズムール王に直訴することで汚名をそそぐことだ。その際、シリウスがアグストリアで起こった事実を補強すれば真実味が増す。
だがそう上手くはいかないだろう。アルヴィスはランゴバルトもレプトールも切り捨てるつもりでいる。
無論、シグルドは弁明すら許されずに処刑される。それが歴史の流れだ。
俺の生まれ、立場ではこれを覆すことはできない。最低でもグランベル王国の公爵家の生まれでなければアルヴィスには接触できないし、納得させることも不可能だろう。
アルヴィスも根っからの悪人ではないのだ。むしろ高潔な人間だ。だがその高潔さに付け込まれ、利用された。
ちなみに、キュアンは来ていない。キュアンはもうトラキア王国の将軍だからだ。トラキア王国とグランベル王国は不戦条約が結ばれている。
キュアンの娘であるアルテナと、トラバントの長子であるアリオーンはすでに婚約の発表がされており、キュアンとトラバントに確執などないとアピールしている。
聖痕を宿したふたりが結ばれることで、トラキア王国はより強い大国となるのだ。
「しかし、なぜ二頭いるのだ?」
シリウスが訝し気に訊いてくる。この場にはシリウスの騎乗する馬と、もう一頭、騎手のいない空馬がいた。
「ああ、それは……もう見えてきたようですね」
「なに?」
俺の視線の先に、シリウスも目を向ける。シリウスはギョっとして目を見開いた。
「あれは……バイロン卿か!」
「彼の乗騎も疲弊しているでしょうからね。バイロン卿の脱出を手伝ってあげてください。そうすればスムーズにシグルド軍と合流できるでしょう」
「貴様はどこまで……いや、問答している場合ではないな。ええい! 後で覚えておけ!」
シリウスは悪態をつきながら眼下に目を向ける。バイロン卿の背後には多数の土煙が舞っていた。
「ああ、それと最後に一つ!」
「なんだっ!?」
「アルヴィス卿にお気をつけて!」
「アルヴィス卿だとっ!? なぜここでアルヴィス卿が……くっ、心の隅に留めておく!」
いよいよバイロン卿が危うくなったと感じたのだろう。シリウスは慌てて坂を駆け下りて行った。
援護してやりたいところだが、トラキアの将軍である俺がグランベル軍と戦うわけにはいかないのだ。すまんな。
「後で覚えておけ……か。再会できたら、いくらでも聞きますよ」
さて、このまま帰るのも味気ないな。疎開の手助けくらいはしておくか。
無事バイロン卿の脱出を確認した後、俺はイザーク方面へと飛んだ。
◇
イザークの商人に手配した後、俺はトラキアへと帰還した。
グランベルから救援要請は届いていなかった。反逆者の討伐くらいは問題ないということだろう。東方遠征で疲弊しているだろうに豪胆なことである。弱みを見せたくないという理由もあるのだろうが。
トラバントは静観の構えだ。本来なら俺も将軍という立場上、好き勝手はできない。エルトシャンを送り届けたのも、結構ギリギリの範囲だったりする。
それから数ヶ月後、エルトシャンの遺髪を握りしめたラケシスと半死半生のブリギッドがわずかな兵と共にメルゲン城の門を叩いた。
杖も傷薬も使い果たしていたらしく、ブリギッドは危険な状態だった。とりあえず俺がリカバーの杖を使って一命を取りとめたが、失った血はどうしようもなく、回復には時間がかかるだろう。
ラケシスも疲労の限界だったらしく、城に辿り着いた途端に倒れてしまった。会話ができるようになったのは、それから二日後だった。
「ハンニバル将軍、ブラック将軍、お初にお目にかかります。ノディオン公王家のラケシスと申します。兄、エルトシャンが生前……お世話になったようで……」
ラケシスがエルトシャンの遺髪を握りしめながら涙を堪えている。
「ラケシス姫、心中お察し申す」
ハンニバル将軍が優しく声をかける。彼女がここに来たのは、エルトシャンから俺のことを聞いていたからだという。あのバーハラの悲劇でシグルドはファラフレイムの炎に焼かれ、ひとりでも多く逃げられるように、軍はシレジア、イザーク、トラキア方面へと散ったようだ。
「しかし、よろしいのでしょうか? トラバント王の
「……ふむ」
確かにラケシスのいうことももっともで、彼女たちは反逆者シグルド一派の生き残りである。引き渡し要請が来れば、それを突っぱねるのは少々都合が悪い。
だがそれはおそらく杞憂だ。アルヴィスの目的はシグルドのみで、それ以外は取るに足らない些事だと思っているはずだ。
シグルド軍が来たか、という確認の使者くらいは来るだろうが、来ていないと答えればそれ以上の追求はないだろう。
不戦条約がある以上、無理に攻め込むこともできんし、そもそも攻め込むつもりならどんな難癖をつけてでも攻めてくるだろうよ。
「……トラバント王に報告しないわけにもいきませぬが、まあ大丈夫でしょう。これからはどうされるおつもりか? ここに留まっても構いませぬが、このメルゲン城はトラキアの玄関口。多くの外国人が訪れるとはいえ、御身は少々目立つかと」
ハンニバル将軍の言う通り、ラケシスの見事な金髪はこのトラキアでは嫌でも目立ってしまう。ラケシス自身だって目を引くような美人だしな。
「……
エルトシャンの妻、グラーニェはアグストリア動乱時(正確にはエルトシャンの処刑後)に実家のレンスターに戻っている。その頃にはトラキアも落ち着いていたので、戻っても問題なしと判断したのだろう。
トラバントはレンスター貴族に苛烈な処罰をしなかったし。多少の財産没収と領地を削った程度だ。
敗戦国の扱いとしては良い方である。
「それでしたら、ブリギッド殿は置いて行った方が良いでしょう」
「……それほど傷が酷いのでしょうか?」
「いえ、傷自体はそれほどではありませんが、身籠っているようですので、これ以上身体に負担をかければ流れる可能性も出てきます」
俺がそう言うと、ラケシスは目を見開いて驚いていた。彼女も気づいていなかったらしい。まあ自分のことで精一杯だったのだろう。
「キミはよく気づいたな」
「回復魔法は生命と密接な関係があります。ひとつの身体にふたつの生命を感じました」
「……なるほどな」
ハンニバル将軍は納得いったようだ。ラケシスはブリギッドと話し合い、彼女の説得もあって一足早く発つことを決めた。
そして月日は流れ、葉が色づき始めた秋ごろ、アルヴィスはイザークとシレジアの併呑を発表。翌年、アズムール王が没すると、アルヴィスはグランベル帝国の建国を宣言、初代皇帝となった。
結局グランベル軍はトラキアには侵攻してこなかった。理由はいくつかある。まず侵攻ルートが限られていることだ。海から攻めようにも、海上で飛竜に襲われてはひとたまりもない。つまり侵攻ルートはひとつしかないということになる。
とはいえ、だ。
物量で押し切ればトラキアを攻め取ることは、一応可能だろう。だが戦力を一点に集中させれば、当然他が手薄になる。
アグストリアは未だ反グランベル感情が強いし、シレジアもイザークも火種が燻っており、安心できる状態ではない。
そこまでのリスクと犠牲を払ってまでトラキアを得ることにうま味があるかというと、そんなことはない。
そして、おそらくこれが一番の理由だと思うが、アズムール王の交わした不戦条約を一方的に破棄することを、アルヴィスが嫌ったのだと思う。
アルヴィスはクルト王子は嫌悪していたが、アズムール王には敬意を抱いていたはずだから。
アズムール王が没し、アルヴィスが大陸の大部分を掌握したグラン歴七六一年。アルヴィスの統治手腕はたいしたもので、しばらくは平和が続いていた。
それが乱れ始めたのは、ロプト教団の暗黒司祭が表舞台に現れた頃。
再び戦乱の予兆が見え始めていた。
それから時は流れ、グラン歴七七七年。
バーハラの悲劇から一七年の時が経ち、俺は三〇歳になった。
主人公視点は一旦終了します。次回からは解放軍視点を織り交ぜて書いていきます。
話の途中で視点が切り替わることはないので、開始時に主人公視点ならその話は終始主人公視点です。