1. 神との出会い
呼ばれた気がした。
次に、何故呼ばれたのか?と疑問を持った。
そして気づいた。
ここはどこだ、俺は何をしている?
自分が起きているのか寝ているのか、それすら分からない。
なので現状を知る手がかりとして、呼び声へと意識を向けた。
「ここはどこだ?」
状況確認のために声を出す。
「おーい。誰かいないか?」
誰かに呼ばれていた気がしたのだが、返事は無い。
あらためて周囲を見渡すと、大きなホールの中心に球体状の小部屋があり、自分はその小部屋に閉じ込められているらしい。
気づいたら俺はこの小部屋の真ん中で座り込んでいたので、この奇妙な造りの部屋の出入口がどこであるかは分からない。
目前に広がる小部屋の壁を強く叩いてみる。
しかし透明であるにも関わらず、割れる様子はまったくない。
どうしたものか。
ひとまず無駄なあがきを諦めておもむろに上を向く。
「うぉ!」
そこには女の子が浮かんでいた。
不安定な球状の足場の上でどうにか立ち上がり、その彼女の顔を見上げる。
白を基調に緑色の入った色合いの、どこか神々しいほどの美しさをもつ少女だ。
どうやら直立不動の姿勢のまま空中に浮かび眠っているらしい。
「こんにちはー」
恐る恐る声を掛けてみたが返事は無い。
「……生きてるのか?」
言葉に反応がないので目の前に浮かぶ両脚を叩いてみるが、ペチペチ、ペチペチと柔らかな脚を叩けど、やはり返事は無い。
体温があるように思えるけれども、これはただの人形なのだろうか?
脚を掴み引っ張ってみると、空中に浮かぶ体は簡単に引き寄せることができた。
床に座りその体を触ってみるとやはり暖かい。
大きさは両腕の中に抱え込めるほどであり、人形としては大きいが、人としてならばかなり小柄な、子供程度の身体だ。
先端が緑に色づいた真っ白な髪を、不思議な髪飾りでサイドテールにまとめている。
顔の造りは頬が丸く子供っぽいものの、口元は整っていてまつ毛も長い。
眼球を見れば人形かどうかの判別材料になるだろうか?
顔を覗き込むようにして、瞼へと指を伸ばした。
突如、その瞼が開く。
ぞわりとした。
何か得体の知れないものと目が合った気がした。
「うぉあ!!」「え? きゃあ!」
思わずその少女の体を投げ捨てると、放り出された彼女は小さく悲鳴を上げる。
俺は後ろ手に這って必死に距離を取りながら彼女を見据えた。
くるりと空中で姿勢を正したその少女は、驚いた顔を浮かべつつ、こちらへと向き直り声を掛けてくる。
「あら、こんなところにお客様とは珍しいわね」
こいつはいったいなんだ?
「驚かせてしまったようだけれども、わたくしもとても驚いたのよ? ……本当に、どうしてこの籠の中に入っているのかしら?」
未だバクバクと鳴り続ける心臓を落ちつかせ、対話の意味を考えようと頭を動かす。
「……俺もそれは分からない。気づいたらここにいた。それだけだ」
「あら、それはおかしいわ。この中へ出入りするには装置を解除するしかないもの。教令院が無意味にそのようなことを許すはずがないのだから、もし許すならばそれは何かとても重要な意味があるはずなの。……あなたは一体なにもの?」
白い髪をした人形のような少女が、心の奥を見通そうとするような真っすぐな眼差しで問いかけてくる。
「なにものかと言われても一般人としか答えようがないな」
そう答えて言葉を区切るが、彼女の警戒したような目線は変わらない。
「……むしろ聞きたいのはこっちのほうだ。あんたはなんだ? 大根の化け物かなにかか?」
「大根?」
少女は首を傾げ指を口元に当てて考え込んだ。
「なぜそう思ったのかはまったく、ええ、まったく理解できないけれども。わたくしはナヒーダ。決して大根の化け物などではないわ」
超然とした雰囲気を持っているにも関わらず、彼女のその感情の動きは人間じみているようで少し拗ねたような様子を見せる。
「きみが大根かどうかは置いておいて「大根ではないわ」……ここはどこだ?」
拗ねた様子を見せてはいるものの、その代わりに警戒した眼差しは緩んでいた。
最初に互いの間に走っていた緊張感はもはや失われたらしい。
そして床に座り込むこちらに合わせて、彼女もまたペタリと床に座るような姿勢を取る。
「あなたが知っているかは分からないけど、ここはスラサタンナ聖処と呼ばれる場所よ。スメールの都市であるスメールシティにある、わたくしのおうち」
「家? ここが?」
周りを見渡しても到底ひとが住めるような場所には見えない。
やはり大根の付喪神かなにかなのだろうか?
「まあいい。とりあえずここを出たいんだけど、どっから出ればいいんだ?」
「出ることは難しいわ」
思わず『は?』と声が漏れてしまう。
「出ることが難しいってどういうことだよ」
「そのままの意味よ。装置を解除しないことには出ることも入ることもできないのだけれど、わたくしにはこれを解除することはできない」
「それなら俺はどうやってここに入ったんだ?」
「わたくしが聞きたいわ。あなたはなぜ、どうやってここに入ったのかしら?」
「俺に聞かれても困るんだが」
心底不思議そうな顔で見つめられても本当に困る。
「じゃあ今はそれも置いておこう。きみは食べ物とかはどうしてるんだ?」
「生まれてこのかた食べたことがないわね」
「やっぱり大根の化け物じゃねーか」
その言葉で不貞腐れたらしく、彼女は目を閉じてそっぽを向き、空中で不貞寝を始めた。
俺はそれを無視して本格的に壁と向き合う。
こんなところで餓死なんて冗談じゃない。
危機感に突き動かされるままに、力いっぱい腕を壁に叩きつけた。
「いってぇ……」
「なにをしているのよ」
気づけば不貞腐れていたはずのナヒーダが呆れた顔で隣に座っている。
「そういえば人は食べるものがないと死んでしまうのだったわね。……わかったわ。わたくしに任せなさい」
その言葉を聞いた直後に強烈な眠気が襲ってくる。
「あなたはこの籠が開くときまで眠りにつくの。それがたとえ数百数千年後だとしても、眠っている限りあなたは命を保つはずよ」
意識が朦朧として現実感が失われゆく。
「……おやすみなさい。わたくしの初めてのお友達」
寂しそうな、名残惜しそうな声が遠く響いた。
気づけば冷たい床の上で、なにか暖かいものを抱きしめて眠っていた。
どれほどの時間が経ったかは分からない。
徐々に覚醒する意識の中で、何があったのかを思い出す。
重い瞼を少し開けて周囲を見渡すと、記憶の中と周囲の状況が異なる。
どうやら広いホールの中央にある小部屋、それを支える柱の根本で横になっているらしい。
「あら。目が覚めたのね」
腕の中から声がした。
目を向ければナヒーダと名乗った生き物が腕の中で丸くなっている。
起き上がってもう一度周囲を見渡してみれば、やはり俺は今、脱出不能かと思われたあの小部屋の外に居た。
「いったい何があったんだ?」
「あなたはいわゆる転移と呼ばれる現象を引き起こせるみたい。せいぜいキノシシの寝返りほどの距離が限界のようだけれども、それは賞賛されるべき能力よ」
転移、つまりはワープか。
「正確に言えば転移ではなく、情報化や偏在化とでも言うべき能力かしら。あなたはわたくしの肉体を含めた周囲の存在を情報へと変換し、別の地点で情報から質量へと再変換したの。それも神の力をも超えて。とても驚いたわ」
彼女は説明を続ける。
情報化、偏在化、転移、どこか聞き覚えが……、あぁ原理的には量子テレポーテーションが近いのだろう。
「そして落下したのよ」
「落下?」
「ええ。わたくしが理解した限りでは、あなたの転移はわずかな距離を移動する程度の力でしかない。せいぜいが壁の向こう側へすり抜ける程度ね。であれば当然落ちるでしょ?」
「まあここみたいに壁の先が高所ならな」
俺は先ほど居た小部屋を見上げるが、落下したら痛いだけでは済まなそうな高さがある。
「だからわたくしが受け止めたのよ。命の恩人ね」
「どうやって?」
「こうやってよ」
ナヒーダが手を伸ばすと、床から植物が生えた。
妖怪だけあって、とんでもない能力を持っているようだ。
「ではなぜ、きみは俺の腕の中で寝てたんだ?」
「もしまた転移が起きて、それがより大きな距離を跨ぐものであったら困るでしょ? だからわたくしもまた一緒に飛べるよう、最初と同じ条件を再現していたに過ぎないわ」
「いやおかしくないか? それはつまり最初の条件、最初に転移が起きる瞬間に俺の腕の中に居たということだ。しかしその時点では転移について知らないはずでは」
「……わたくしはわたくし自身の体で人と触れ合ったことがとても少ないの」
彼女は超然とした態度でさも当然のごとく言葉を吐くが。
「だからわたくしは"人のぬくもり"と呼ばれるものに対する学術的興味からあなたの腕の中に潜ったの。なにかおかしいかしら?」
「つまりボッチで寂しかったということだな」
その顔は赤らんでいる。
「もう少し言い方を考えてくれないかしら」
状況確認のための会話を終え、立ち上がって身支度を整えた。
「逃げるのならば夜が明ける前にするべきね」
彼女が何やら意識を集中すると、球体に穴が生じてそこから植物のツタが入り、中でナヒーダそっくりの彫像を作り出す。
「本格的に調べられた場合はバレてしまうでしょうけれども、そのようなことにはならないでしょうね。わたくしに求められるものなどなにもないのだから」
祈るようなポーズで能力を行使していたナヒーダが振り返る。
「さあ行きましょ。時間は待ってはくれないわ」
「静かにね」
巨大な扉を僅かに開いて外に出れば、そこは何百メートルもあるんじゃないかという巨木の上だった。
俺たちは巨木の裏へと回ると、彼女が壁から生やした植物を階段代わりにして断崖を降りていく。
巡回する兵士も流石に壁を歩いて降りる人間が居るとは思っていないらしい。
吹き抜ける風は鼻いっぱいに森林の香りを運んでくる。
隣を歩くナヒーダへ目を向ければ、彼女は夜風になびく白い髪を手で抑えながら、未知なる世界へ踏み出したかのように目を輝かせていた。
「いい風ね。こんなにも世界が素晴らしいだなんて思わなかった」
地上に近づくにつれて、改めて今いる場所の高さを自覚する。
「流石にこの高さはやばくないか?」
「あら、意外に怖がりなのね」
「こんな吹きさらしの高所を命綱も無しで降りるなんて、普通にゾッとするだろ!」
「ふふっ。仕方ないわね。手をつなぎましょ?」
小さな手が差し出された。
手をつなぐと身長差で歩きづらくて余計に怖い。
息も絶え絶えに彼女について歩くことしばらく、無事に街の外へたどり着いた。
「街から出たはいいけどどこへ向かえばいいんだろうな」
「そうね。まずは東へ向かいましょうか」
高く上がった月の位置から東と思われる方向を眺めるが、街灯もなく真っ暗でなにも分からない。
「大丈夫。わたくしを信じなさい」
迷いもなく足を踏み出したナヒーダに従って、暗闇へと歩き出す。