新居に移ってその翌日、早くもドラゴンスパインへ向けて出発した。
今回は依頼任務ついでに行けるところまで行ってみる予定だ。
流石に登頂はしないつもりだし、適度なところで引き返せばそう過酷なことにはならないだろう。
最悪は彼女の能力でシェルターなり何なりを作ってもらうことになるが。
依頼内容は、応急補給ポイントと呼ばれる箱への非常用食料や備品の補充。
これは緊急のものではないものの、無暗に遅れれば救える命が救われない可能性もあるにはある。
なので流石にダラダラと出発日を伸ばすことはできなかった。
モンド城下を出て清泉町手前で左へ曲がると、道へと張り出しツタの垂れる木をくぐり、道は崖沿いを進むようになる。
視界が開けると崖下に巨大な樹木が目に入り、休憩がてら写真を撮った。
「こりゃまた、大きな木だ」
「あのオークの木はかつての英雄ヴァネッサが残したとされるもので、彼女はあそこから天空の島へ登ったとされているわ」
「天空の島か。いつか行ってみたいな」
「……そうね」
やけにつれない返事だった。
夕方前には渓谷の入口に到着しそこで野宿とする。
ドラゴンスパインへ向かう場合は、急ぐでもなければ距離の関係上から渓谷の入口か出口で一泊することとなるので、周囲にはチラホラと人の姿が見えている。
翌日、渓谷を抜けて坂を登ることでぐるっと迂回し、昨夜野宿した地点から見て崖の上となる位置へと近づいていく。
もう少しすれば山の麓に作られた冒険者の拠点に辿り着くので、そこで一泊しつつ依頼に使用する物資を受け取る手筈だ。
ナヒーダによれば、ドラゴンスパインは溶けることのない雪で閉ざされていて、その影響は空にまで及ぶらしい。
山へ近づくにしたがって、空は不自然に雲掛かって暗くなる。
辿り着いた冒険者拠点は朽ちた遺跡を基に造られていて、空の色もあり、『滅んだ後の世界で生きる人々』というような退廃的な雰囲気を醸し出していた。
まずはこの拠点にほぼ駐在している冒険者協会の玉霞さんから依頼用の食料を受け取り、雪山での注意事項を聞く。
「ここの環境はモンドのどこよりも危険だ。とにかく体温を保つよう心掛けろ。防寒具は持ってきたか?」
「ああ。この背負った荷物の大部分が防寒着によるものだな」
「よろしい。……ああ、ついでなんだけど、写真を二か所撮ってきてくれない? もうすぐ風花祭でしょ、その宣伝で使いたいらしいのよ。もちろん冒険者協会のルールに則って適切な報酬を出すから」
追加依頼を受けるかどうか。
写真ぐらいなら問題ないとは思うけど。
「どうする?」
「いいんじゃないかしら」
「でも現像できるようなカメラは持ってないよな」
「わたくしに任せなさい」
「じゃあ受けるということで」
玉霞さんに具体的な報酬を聞いて別れ、俺たちは食事へと向かった。
この拠点は料理人であるハリスさんが立ち上げたものらしい。
ただの料理人が拠点を立ち上げ、そして冒険者たちに暖かい料理を提供し続けている。
その根気と実行力には脱帽するしかない。
ナヒーダは、出された大根スープを美味しそうに頬張る。
……今度、何も言わず大根尽くしを振る舞ったらどのような反応をするだろうか。
きっと傭兵を孤児院で働かせたような、面白い反応をしてくれるのかもしれない。
食後は拠点の片隅で、明日に備えてさっさと眠る準備をする。
「情報端末を貸してちょうだい」
「写真の現像の件か。でもどうするんだ?」
「簡単よ」
ナヒーダがなにやら弄ると、何時ぞやのウサギモドキが現れ、口から写真を吐き出す。
「……もっと、光りながら写真が現れるとか、格好いい現像方法を期待してたんだけど」
「あら、既存のものを活用できればその方が効率的ではないかしら」
「まあたしかに」
吐き出された写真には、俺とナヒーダとティナリが写っていた。
「おー、俺たちを写した中だとこれが一番最初か」
花のような笑顔のナヒーダと、仏頂面の男が二人。
「ホント、次はいつ会うことになるのやら」
拠点で一泊して翌日の早朝。
「見て、雪よ!」
もこもこ装備のナヒーダが、人生初の雪ではしゃぐ。
「雪は滑るから、転んで頭打つなよ」
俺も雪山装備に着替えた。
分厚いズボン、二枚重ねの中間着、その上にフード付きで丈の長いコート。
首元はマフラーで隙間なく覆い、靴はゲイターと呼ばれるものを被せて雪の侵入を防いでいる。
しかしこれでも、麓の時点で少し冷気を感じるので、本格的な登頂は無理だろう。
ナヒーダはコートではなく、極寒用のふわふわ羽毛入りジャケット。
普段裸足でペチペチと音を立てる彼女の脚には、普通の靴だと靴擦れなどが懸念されるので、分厚い足袋のようなものを履かせた。
「ちょっと靴を脱いでみたいわ」
そう言って足袋を脱ぎ、彼女は雪の中へ入っていく。
「わっ、こんなに冷たいものなのね。きっと、氷スライムすら驚いてしまうわ」
そのまま二人で記念写真だけ撮ると、すぐさま彼女は雪原へと飛び出していった。
俺は近くの岩に腰かけてその姿を見守る。
しばらく素足で歩き回った彼女は、足に違和感を感じた様子で戻ってきた。
「足が冷たいの。まるで深海に沈んでしまったみたい」
「はぁ…。おいで」
モコモコの彼女を横抱きにして岩に腰かけなおすと、毛布を掛け、足を手で掴んで温めてやる。
「なんだか恥ずかしいわ」
「少し我慢してくれ」
その部位が温まったら掴む場所を変え、徐々に足先全体を温めていく。
彼女の小さな足は片手で簡単に覆えてしまうので、あまり時間は掛からない。
「なんだか子供扱いされているみたい」
「碌な装備も揃えないまま雪山へ行こうとした奴に対しては妥当な態度じゃないか?」
「ええ、思っていた以上に寒さというものは辛かった。けれど流石に恥ずかしいの」
そして十分に温度が戻ったので、再び足袋を履かせた。
「とても顔が熱いわ」
「冷やしてやろうか?」
「お断りよ!」
彼女は、ぴょんと膝から飛び降りる。
「さぁ、行きましょ」
雪山の入り口では崩れ落ちた石橋が行く手を阻む。
「頼んだ」
「ええ」
ナヒーダの植物で簡単な吊り橋を張り、崩落部を渡る。
その先は積雪の道と呼ばれる場所。
「一般的な冒険者はどうやってこの橋を渡るんだろう」
「下の氷の上を歩くんじゃないかしら」
「それって、踏み抜いたら終わりじゃないか。怖ぇ」
橋を越えて山に入ると、本格的に気温が下がる。
「息が白い」
彼女は「はぁー」と、何度も息を吐いて確認しながら歩く。
「あら、空が万物にお休みの時間だって言っているわ」
しんしんと、雪が降り出した。
「たしかに降雪は音のない音という感じで、夜そのものを音にしたみたいだな」
「まぁ、いい比喩よ」
一面真っ白な雪の中を歩き続ける。
「静かね」
雪景色というものは不思議なほど静かだ。
ザクザクと雪を踏みつける音だけが響く。
「そりゃそれこそ、全てがお休みしてるからじゃないか?」
「なら起こしてあげないといけないのかしら」
「流石にこの足場で鬼ごっこはしたくない。眠っていてもらおう」
頼むから変なものを叩き起こさないで欲しいと、強く願う。
「これが一つ目の撮影ポイントだな」
時折設置されている応急補給ポイントに物資を補填しつつ、道を進むと、奇妙な氷が朽ちた巨大な切り株を覆っていた。
「……なにか不思議な力を感じるわ。それもふたつも」
「ふたつ?」
彼女は真剣な目で氷と、氷に閉ざされた切り株を調べ、俺はそれを眺めながら休憩した。
そして玉霞さんに頼まれた写真を撮って、先へと進む。
山の中腹に近づくにつれて勾配は急となり、歩くのがやっとの斜面を登っていく。
「あれをみて」
「やっとついたのか」
振り返るようにして見上げれば、空中へ突き出した巨大な廃墟がそびえ立っていた。
分岐点を左へ曲がり、崩落した道の横を抜けて、旧宮と呼ばれる場所へと到着する。
「たしか二つ目の撮影ポイントはこの上だったよな」
崩落によって生じたと思しき螺旋スロープを上がると、空へ浮かぶかのように神像が鎮座する。
「これで玉霞さんの依頼も完了だな。残りの応急補給ポイントはあとどれくらいだっけ」
「分岐点に戻って少し先まで行けば残りも完了よ。……でもそのまえにこの先の道を見ていきましょう」
「そしたら今日はここで野宿だな。確か下の洞窟で寝られると言っていたし」
フィンドニールの頂上方面へ続くとおぼしき道は、異様な猛吹雪によって閉ざされていた。
ナヒーダは指カメラのポーズをして何かを観察する。
「これは、下にあった樹木の氷と関係しているわね」
「あの奇妙な氷か」
「ええ。もしかしたらこの吹雪をどうにかできるかも」
「でもそれって異常気象を引き起こすような何かがこの先に待ち構えてるんだよな」
「そうね。……わたくしは調べてみたいのだけれど、あなたが危険だというのなら諦めるわ」
「俺も何があるのか興味があるし、きみが大丈夫だと判断するならついていくよ」
「……わたくしが絶対にあなたを守る」
「ああ、任せた」
状況判断力も物理的戦力も彼女の方が遥かに上だ。
だから丸々を放り投げる。
その日は旧宮すぐ下の洞窟内、大きな開かずの扉の前で一泊した。