旧宮下の洞窟を出ると、分岐点を経由して昨日来た道の続きへと足を進めた。
そして最後の応急補給ポイントへと到達したが。
「吹雪いてきたな」
雪を避けるために、フードを深く被る。
寒さも増すが、動いている限りはどうにか許容範囲。
「大丈夫?」
「きみこそ寒くないか?」
「わたくしは大丈夫よ」
彼女にも雪避けのフードを被せて、視界の悪くなった中を進み続ける。
「うげ、橋が落ちてる」
今おそらく、俺たちは龍眠の谷と呼ばれる場所付近にまで進んできた。
しかし崖際の大きな吊り橋が落下していて、完全に行き止まりとなっている。
雪山の探索という目的はおおよそ達成したし、無理して進むよりは戻るべきなのかもしれない。
「橋の向こう側に灯りが見えるわ」
「……あれか」
ナヒーダの植物を利用して向こう側へと渡る。
「これは、何かの研究施設か?」
薬品や書籍の並んだ棚が幾つも備え付けてあり、中央には火を使った実験器具も置いてある。
「おや、こんな吹雪の中でよくここに辿り着いたね」
茶髪の男性が俺たちを迎えいれてくれた。
「キミたちはなぜ冒険者になったんだい?」
出会った男性はアルベドと名乗り、暖かい茶を淹れてくれた。
「だってそれが定番だと書いてあったのだもの」
「キミは稲妻の小説を読んだのかな。流石にそれだけで冒険者になるのは早計と言わざるを得ないと思う」
「いわれてるぞ」
簡単に自己紹介しあった後は三人で軽く雑談をし、そして、ナヒーダが就寝前の祈りを捧げる待ち時間に軽くアルベドの拠点を見て回った。
「研究のために普通の人の血が欲しいので、すこし分けてくれないかな。ボクはちょっと特殊な事情があるので、一般的なケースとは言えないんだ」
アルベドは研究への協力を要請してきた。
特に断る理由もなかったので、指先に針を刺し、指示された試験管へ数滴の血を垂らす。
アルベドは俺が渡した試験管にいくつかの試薬を加えて振る。
そのときふと、錬金術という名にふさわしいものが置かれていることに気が付いた。
「この金って錬金術で作ったものか?」
「まさか。基本的に、黄金は通常の8倍の太陽が消滅しないと生成されない。それを覆せるのはボクの師匠ぐらいだ」
「ああ、超新星爆発のことか」
「……キミはいったい」
祈りを終えた、もしくは中断したナヒーダが無言で服の裾を引っ張った。
恐らく俺は何か余計なことを言ったのだろう。
「すまないが明日は早いんだ。もう寝させてくれ」
一方的に彼との会話を打ち切って、考え込むアルベドを背に洞窟の片隅へ向かう。
バッグから毛布を取り出して二人で包まると、ノイズが走る。
「(…聞こえるかしら…)」
「(これは)」
「(…もう少ししっかりと抱いてちょうだい…)」
彼女の背と腰に両手を回し、お腹とお腹をピタリとつけるように、その小さく柔らかい体を抱きしめる。
すると雑音が減って聞き取りやすくなった。
「(これでいいわ。でもちょっと癖になってしまいそう)」
「(まさか接触通話ができるとはな)」
「(ふふっ、あなたもドキドキしているのね)」
「(うるせえ)」
柔らかくて、暖かくて。細くくびれた腰は折れてしまいそうで。
気付けば鼓動が強く音を響かせていた。
「(……それで、何の用なんだ?)」
「(彼の技術体系はテイワットの一般的なものとは異なるの。恐らくカーンルイアに起因するものね。……ただ、そのせいであなたの出自に気が付くかもしれない)」
「(むしろ同郷だと考えるだけの可能性の方が高いんじゃないか?)」
「(ないわね。話せば話すほどボロが出てしまうもの)」
「(たしかに)」
「(明日は早く発ちましょう)」
「(りょーかい)」
そして強い眠気によって眠りに落ちた。
今日の夢はノイズが少ない。
目前には無数の情報が流れていて、誰かがそれに手を伸ばす。
しかし、その手は俺の腹を突き破って伸びていた。
頭痛、身体を弄り回される感覚、生理的な嫌悪感から来る吐き気。
逃げようと藻掻けば、ノイズが増えて消えていった。
翌朝、早起きをして吹雪が止んでいることを確認すると、素早く出立の準備をする。
「もう少しキミと話したいのだけれど」
「まぁ、また会ったときにな」
引き留めようとするアルベドから逃げるように、俺たちは山を下った。
旧宮を通過して一気に麓へ向かう。
早めに出発したことと、到着地までの距離がハッキリしていること。
その二つが揃ったからこそできる強行軍だ。
奇妙な氷の横を通りかかった。
「そういえば、この氷が頂上への道と関係するんだっけ」
「ええ。ちょっと調べてみましょ」
氷を観察し、そして周囲を探索すると、ナヒーダが赤い岩に妙な力を感じると言う。
「試してみていいかしら?」
「いいんじゃないか?」
彼女の指示で岩を砕くと、その破片を奇妙な氷に叩きつけてみた。
「これで氷を溶かすことができそうね。もう少し周りを探しましょう」
周囲の幾つかの赤い岩を使うことで、ついに氷は溶解する。
「なんだこれ?」
「わたくしが感じた二つの力、その一つはそれみたいね」
溶けた氷からは球体の機械のようなものが出現した。
ナヒーダが球体へ手を伸ばす。
地響きと共に、残る氷が溶けていく。
それが収まるやいなや、球体は空へと舞い上がって消えた。
「きみがなにかしたのか?」
「いいえ、わたくしはただ触れただけよ。できればもう少し調べてみたかったのだけれど。……っ何かしら」
また地響き。今度は地面の下から何かがせり上がってくるかのようなものだ。
揺れが収まると、目前には一本の樹木が生えていた。
「……もうそろそろ行こう」
突如生えてきた白銀の樹木を調べ続けるナヒーダ。
俺はその姿を見守っていたが、そろそろ日も暮れて気温が下がり始めている。
「ええ、そうね」
名残惜しそうにする彼女を引き連れて、麓の冒険者拠点まで帰還した。
帰還後は、冒険者協会の玉霞さんに三枚の写真を提出する。
「そうか、そんなことが」
白銀の樹木の生える前と生えた後の写真を見比べて、彼女は考え込み、そして次のようなヒントをくれた。
「確かその氷の付近には妙な青色の植物が生えていたはずだ。同様の植物が雪葬の都近郊と星蛍の洞窟で見られたことから、そこに手がかりがあるかもしれない」
おそらく次雪山に来るときには、彼女が教えてくれたそれらの場所を探索することになるのだろう。
拠点で一泊すると、翌日はダダウパの谷と呼ばれる場所へ進み、その谷で一泊してからさらにその先へと進んだ。
岬の先に二人で座り、風を浴びながら、海を眺める。
「ここはかつて、とある恋人たちが誓いを立てたと言われる場所。今は恋人の聖地となっていて、もうすぐ行われる風花祭では人で賑わうのよ」
「ここへ来る道ってヒルチャールが多くて大変だったけど、苦労してまで本当に来るのかね」
「むしろ危険だからこそ、人気なのかもしれないわ。吊り橋効果というものね」
ナヒーダが遠くに見える島を指さす。
「あれはマスク礁と呼ばれているけれども、とある本によれば、あれは元々大陸の一部だったらしいわ。二千年以上前に風神バルバトスがモンドの雪と氷を吹き払った際に、とんがり帽子と呼ばれる山が吹き飛ばされて海に沈み、その山頂がああして見えているらしいの」
「ナヒーダの500年って話でも俺からすれば大昔なのに、それすら軽く越えて紀元前レベルの話が入ってくるのが凄いな。しかもそのバルバトスって存命なんだろ?」
「ええ。最後に降臨したのは数百年以上前だとされているけれど、まだ存命のはずよ」
「自由の神か。どんな見た目か想像もつかない」
「ねえ、知恵の神であるわたくしはどうだったかしら?」
「こんな可愛らしいお姿だとは思わないだろうな」
「嬉しい、けど、知恵の神としては納得するわけにいかないわ」
「まあそうだろうね」
彼女はスメールを出たとはいえ、神の身分を完全に捨て去ったという訳ではないようだ。
「口元は知恵の神らしいと思うよ。ふわっとした優しい微笑み方が、社会的余裕と知性の高さを表してると思う」
「そうかしら」
アルカイックスマイルというやつだ。
相手に不安を与えないよう微笑んでおくという、社会知性に基づいた行動。
だからこそ、時には悲し気な笑顔にも見えてしまう。
「だからそんなに思いつめなくてもいい」
「あら、なぜバレてしまったのかしら」
「だって目元が笑ってないし」
半分当てずっぽうだったが、何となく硬い雰囲気を感じたのは外れていなかったらしい。
「あなたも思いつめなくていいのよ。わたくしは今、本当に楽しいの」
俺の場合は目元どころか口元も強張っていただろう。
だからそういう部分ではやはり、彼女の年の功は本当なんだと思わせられた。
翌日、『日の出が見たい』という彼女に従って早起きをする。
見事な朝焼け。
それはもう目に刺さるほど。
「わたくし達も誓いを立てましょう」
「なぜ?」
「言ったでしょう? ここはかつて、恋人たちが誓いを立てた場所なの」
このために朝早く叩き起こされたのだろうか。
ショボショボとする目を擦りながら考えを回す。
「わたくしでは嫌かしら?」
「嫌ではないけど、恋人か?」
「さぁ? わたくしに恋を聞かれてもよく分からないもの」
「誓いといってもどうするのさ」
「……ねえ、キスがしてみたいわ」
平然とした顔でとんでもない発言を始める。
一瞬で眠気が覚めた。
「人の首に散々したじゃん」
思わず素の感想が出てしまう。
「あっ、あれは違うわ。仮にあれをキスと認めるとしても、それではわたくしからの一方通行だもの。誓いであるためには双方が行う必要があるの」
これは言い出したら聞かない感じだな。
ナヒーダの手を取り、その甲にキスをする。
「これでいいか?」
「……ええ、今はこれでいいわ」
彼女は手を大事そうに抱くと、笑顔で答える。
「じゃあ、手を出してちょうだい」
そうして彼女は唇を落とす。
ゆっくりと長い口付け。
誓うような、願うようなキス
「ふふっ。これは誓いの証ね。ヤメルトキモ、スコヤカナルトキモ。わたくしと共に居てちょうだい」
その言葉に、何か強烈な既視感を感じた。
「…その言葉はどういった由来が?」
「秘密よ」
由来や歴史を語ることが好きな彼女が、わざわざ秘密とする理由。
強烈な既視感の正体。
頭が痛む。
その後は無相の雷と呼ばれる元素構造体を見学すると、街へと帰った。