ノイズが走る。
頭が割れるように痛い。
体調が悪いなかで思考を強制されるごとき、頭脳労働に伴う痛み。
まるで体内を寄生虫が蠢いている、体の中を掻き回されるような、生理的不快感。
小さな腕が何かを求めて伸びている。
何かを掴もうと必死に腕を伸ばす姿が見えてくる。
それは俺の腹を貫通し、俺の腹を引き裂き、その向こう側へと手を伸ばす。
そしてついに、その顔がハッキリと見えた。
「……ナヒーダ」
ビクリと、言葉に反応し大きく身体を痙攣させ、しかし彼女は寝たふりを続ける。
「ナヒーダ」
もう一度呼び掛ける。
「寝たふりは止めろ」
彼女は観念したように、目を下へ向けたまま起き上がる。
それが申し訳無さそうなのか、言い訳を考えているのかは分からない。
「俺の能力を勝手に使ってるな」
「……えぇ」
消え入りそうな声で彼女は答える。
「なぜ秘密にしていた」
「……」
「話せないならここでお別れだ」
「っ!?」
ナヒーダは『ごめんなさい』と繰り返すだけ。
それすらも、ひっくひっくと吃逆を起こし、まともに発声できていない。
……見た目だけでなく中身まで子供に思えてしまう。
「正直に答えろ。睡眠時に俺の勝手に能力が暴発する危険がある、というのは嘘か?」
「うっ、嘘、ではな、っないわ、っ」
「本当に危険なのか?」
「……っ、……っ」
「危険というほどではないんだな」
「……っ」
危険かという問いには、だんまりで答えない。
推測するなら、無意識的にある程度、俺は自身の能力を制御できているのだろう。
「そうか。じゃあな」
服の裾を掴まれる。
「ナヒーダ」
怒りを込めて名前を呼ぶと、手を離した。
休憩を挟まない強行軍をして、荷物を取りに家へ帰る。
足が痛んでも無理やりに歩き続ける。
道中、少し後ろをナヒーダが無言で付いてくる。
歩幅の違うその光景は、モンド城下を通る頃には周囲の注目の的となったが、無視して歩く。
家へ入るとナヒーダは無言で立ち尽くした。
俺は必要なもの、何が必要かは道中で散々考えてきた、を拾って家の外への扉を開ける。
そして付いて来ようとするナヒーダを遮って扉を閉めた。
彼女はそれ以上、付いてはこなかった。
扉を閉める直前、最後に見えたのは、悲痛な笑顔だった。
今、俺は酒場にいる。ここなら次の朝まで過ごせるからだ。
酒を一杯、彼女が居れば飲めないほどに強い酒を一杯頼み、明日の予定を考える。
寝不足と過度な運動で身体は重いが、頭は妙に冴えていて、どうにか眠らずに済んでいる。
そこへ思わぬ来客があった。
「よう、色男。今日はどうしたんだ?」
眼帯をしたキザな男。ガイア。
「街で噂になってるぜ。妹を捨てたってな」
「間違ってはいない」
「なぜだ?」
なぜ拒絶したかと言えば、頭の中を勝手にいじくり回されてるような拒絶感があったからだ。
今まで見ていたノイズ掛かった独特な夢は彼女が原因だと推測されるし、これは彼女の反応からして当たりだろう。
記憶に残る情景から判断するに、ナヒーダは俺の能力を利用し、恐らく元世界の電子データを集めていた。
さらにその負荷は俺の脳へ負担を掛け、妙な頭痛を含む体調不良の原因となっていたと。
無暗に元世界の知識を吸い上げられることへの危機感もあった。
もし現代兵器の具体的な知識が流出したりすれば、テイワットは激変する可能性がある。
相談も無しに勝手にそのようなことをされることにも、心理的な嫌悪感を持っている。
……ただ一番ショックだったのは、俺が苦しんでいることに気付いてない、もしくは気付いて放置されていたことかもしれない。
「考え直せよ。それともなんだ、お前は一時の怒りで親しい相手を捨てるほど幼稚だったか?」
返答する様子のない俺を見て、彼は言葉を続けた。
煽りによって彼が得られるものはないはず。だからこれは、敢えて怒らせることで冷静にさせよう、という意図なのだろう。
随分とお節介なやつ。
「別に怒ってる訳じゃない。ただ、しばらく離れることも必要だと思っただけだ」
「そうか? 俺には冷静さを欠いているように見えるが」
「まあ……そうかもな」
酒に口をつける。
「時間が立つほど亀裂は越えにくくなるぜ。さっさと帰ってやりな」
"帰れ"。
その言葉を聞くと、思わず、帰らないための理由を探してしまう。
「……あいつは怒られた経験が少ない」
酒をまた一口。
「知識はあるけど、実体験としての社会経験が少ないんだ」
「それが彼女のため、と言うのは無しだぜ。それはただの自己擁護だ」
帰らない理由を探してしまうのは、俺自身にも後ろめたい部分があるからだろう。
「……あいつは一人で過ごしてきた。生きていくだけなら十分できる」
「だが子供だろ?」
「背は小さいが、そんな年じゃない」
「ほぅ……」
それを聞いてガイアは考え込む。
「……騎士団が彼女を確保した。どうやら身投げしようとしていたらしい」
その言葉には現実味が無かった。
いや、正確に言えばそれが現実だと受け止めることができなかった。
「伝言は "あなたがわたくしを忘れてくれますように" だそうだ」
俺はそれが彼女を傷つけると気付いていたはずだ。
にもかかわらずその選択肢を選んだのは。
「彼女は帰宅させてある。これで帰らないなら俺はお前を軽蔑するぜ」
そう言い残してガイアは去っていく。
俺はゆっくり息を吐くと、残った酒を飲み干して席を立つ。
しかし呼吸は落ち着こうとも、胸の重苦しさは消えるはずもない。
家に帰れば、ナヒーダは毛布にくるまってベッドの上に顔を伏せていた。
言いたいこと、伝えたいことはあるが、しかし言葉は纏まらない。
声を掛けないままにソファへと座る。
どうしようか考えている内に、気付けば眠りに落ちた。
もう限界だったのだろう。
翌日、目を覚ます。
彼女の姿を探せば、昨夜とまったく変わらぬままに、まだ毛布の中でうずくまっている。
その姿を横目に立ち上がりドアに手を掛けると、ノブを回す音に反応して毛布が立ち上がった。
「……出ていく訳じゃない。飯を買ってくるだけだ」
そう言葉を掛けて扉をくぐる。
少し時間が欲しかった。
買い物から戻ってくると、毛布から出たナヒーダがベッドに腰掛けていた。
彼女の分の朝飯をベッドに置く。
「……で、なぜ秘密で他人の能力を使っていたんだ」
様子が落ち着いたし、聡明な彼女なら考えをまとめているだろうと、同じ質問を投げかける。
「……後ろめたかったからだわ」
「なぜ?」
「……勝手に使ったから」
「そうだ。俺はきみの所有物じゃない」
まず盗用した。のちに盗用だと自覚して、それを隠蔽した。
彼女が今まで黙っていた理由は、そんなところじゃないだろうか。
「ごめんなさい」
彼女は涙を堪えながら謝る。
「きみは異界の知識を漁ることに没頭して気づかなかったのかもしれないが、あれは俺に負担を掛けるんだ」
頭痛、吐き気、言いようもない嫌悪感。
出会って最初の頃は、その兆候があったにもかかわらず、負担は小さいものだった。
恐らく彼女は調子に乗って、収集する情報量を次第に引き上げたのだろう。
「ごめんなさいっ」
涙が決壊し、とめどなく流れていく。
しかしその涙を拭く権利など俺にはない。
彼女の嗚咽を聞きながら、時間が過ぎるのをただただ待ち続けた。
「身投げしようとしてたと聞いたけど、本当か?」
時間が経ち、彼女の様子が再び落ち着いたのを見て質問を投げる。
今でも信じがたいが、ガイアはそう言っていた。
「……ええ。何も知らない"新しいわたくし"を生み出して消えようと思っていたわ」
自殺未遂を肯定されるとは思わなかった。
非常に重い。
言葉が、そして心が。
「それはつまり、俺と出会わなければよかった、という意味か?」
「……」
彼女は沈黙する。
「そうか、それはすまなかった。今からきみは自由だ。俺など気にせずに生きていくといい」
ここが関係の潮時だと察し、俺は出ていく支度をしようとソファから立ち上がる。
ガイアには怒られるかもしれないが、彼女が俺を拒むなら、仕方がなかったのだと思う。
「苦しいの!!」
ナヒーダは勢いよく立ち上がり、そう叫んだ。
「あなたとの出会いを否定なんてしたくない! でも、あなたに嫌われるくらいなら消えてしまいたい! ……もう、わたくしには何もわからないの……」
立ち尽くして、ボロボロと、両目から大粒の涙を溢す。
その姿に、衝撃を受けた。
俺は無意識的に、彼女は社会経験がないだけで、人知を超えた絶対的な精神を持つものだと思い込んでいた。
500年も閉じ込められていたというわりには平然としている、精神的化け物だと思っていた。
しかしもうその姿には、今まで幻視していたような大きな姿は見えなかった。
ただただ等身大の彼女が居た。
賢いのに変なところで抜けていて、不必要なほど義理堅くて。
あれこれと悩み抱え込んでしまうような、小さな神さまがそこに居た。
「わたくしは! わたくしはっ!」
彼女は言葉が纏まらないまま、ぐしゃぐしゃに濡らした顔で、無理やりにでも言葉を続けようとしている。
……なんで俺はこんなにも怒っていたのだろうか。そう思うほどに、熱が引いていた。
「俺はきみに会えてよかったよ。……だから、消えて欲しいだなんて絶対に言わない」
「でも! っでも!」
ひっくひっくと喉を鳴らし始めた。
「別にもう怒ってない。きみを嫌ってなんかいないから、大丈夫」
彼女を正面から抱き締め、その後頭部をゆっくりと撫でる。
すると、俺の胸に顔を埋めて、痛いほどに強く抱き返してきた。
少し遅れて泣き声が響く。
寝て起きると夕方。ふたりしてソファで眠っていた。
たしか、長いこと立ち続けて足が疲れたので、ナヒーダを抱いたままソファに崩れ落ちたのだった。
「なひーだお姉ちゃーん。だいじょうぶー?」
扉越しに響く、この声はクレーか。
……ということはクレーの耳に入るほど今回の件が広まっているということだ。
今回の件がどの程度、今後に響くか。
街の評判を思っても頭が痛い。
ソファから起きて扉へ向かおうとすると、悲痛な表情のナヒーダがギュッと服の裾を握ってくる。
どうやら今回の件で、置いて行かれることにトラウマができてしまったらしい。
自分の不甲斐なさに心が引っ掻きまわされる思いがする。
それを誤魔化す、もしくは八つ当たりするように、彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。