草神と行くテイワット   作:ぶれーくだうん

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[モンド一年目] 二人の距離
1. 夢のあと


 

 朝起きると肩の上に顔が見えた。

「ナヒーダ、おはよう」

 軽い手つきで、ゆっくりとその頭を撫でる。

 

 能力の制御を彼女に委ねるだけであれば、手を繋ぐ程度の接触で十分であるらしい。

 だが彼女は仰向けで寝る俺の肩を枕に、そして脇腹へピッタリと寄り添うようにして眠っていて、……正直言うと少し暑い。

 

 彼女の目が開くと、まずは竈に薪を足し、のんびりお湯を沸かす。

 ここは夏でも夜が涼しいので僅かばかり火を焚いておいたが、昨夜は要らなかったかもしれない。

 

 モンドでの日々は今のところはそう代り映えない。

 時折アルベドが訪ねてきては、しばらくしてナヒーダに追い返されるぐらいだ。

 

 壁際には数か月ほど前に作った押し花が、綺麗な色を見せている。

 

 

 

 お湯が沸くまでの間に、寝起きで心地よさそうにウトウトする彼女の、その髪に櫛を通す。

 毛先の僅かな範囲から梳かし初めて、徐々に根元側へと範囲を広げていくようにと。

 ナヒーダの、細く柔らかく癖のある猫の毛のような長髪は、丁重に扱わないと酷いことになる。

 

 草の神である彼女は、やろうと思えば髪を植物の如く操って一瞬で髪を整えることができる。

 しかしそれをやらないのは、クレーから最低限の身だしなみの整え方を学んだためだ。

 人としての生活を身に着けたいから、あくまでも自らの能力は補助的に使うこととしたらしい。

 

 ただ、それを見ていた俺が興味本位で手伝ってからは、俺の手が空いているときは手入れをねだるようになった。

 きっとこれも彼女なりの甘え方なのだろう。

 

 

 お湯が沸いたらコーヒーを二杯淹れて、二人でソファに座る。

「んっ、おいし」

 お嬢様のような綺麗な姿勢でコップに口を付けて、彼女は小さく言葉をもらした。

 

「そういえば、せっかくソファがあるんだし映画が観たいな」

「映画?」

「カメラで撮影した演劇のことだ。きみはネット動画へアクセス出来ていたようだから、たまには元の世界の風景が恋しく思えて」

「……あなたの能力なのだから、あなたが使えるようにしなくてはね」

 彼女は若干乗り気じゃないながら、賛同の意は示してくれる。

 

「なにか問題があったりする?」

「いいえ。ただ、あなたが能力を使いこなすということは、元の世界に帰れるようになる可能性が高まるということだから」

「そのときは一緒に行けばいいんじゃないか」

「でも……」

 

「やっぱり神としての立場が捨てられない?」

「……ええ、スメールにはまだ放置できない問題があるもの。でも、それを解決できればきっと」

「そういうならまあ、少なくとも、それまでは待ってるよ」

 考えてみれば今更ふたりで元の世界へ戻っても問題が山積みなんだよな。

 ……最悪はもう、神さま系配信者とマネージャーで稼いでみようか。

 

 

 

 ネットワークへの接続を実現するために、まずは彼女がどうやって情報を集めていたかを確認した。

 

 前提として、ネットというものは、正確に言えば情報網ではなく通信網である。

 これは例えるなら、図書館に各々が本を読みに行くのではなく、図書館に申請すると本のコピーが自宅まで宅配されるもの。

 つまり自宅の住所を相手に公表しない限り、その図書館の位置を知っていても読みたい本を読むことはできない。

 

 当然ながら、彼女は異世界にこの"自宅"など持っていない。

 ではどうしたかと言うと、彼女は、通りすがった宅配途中の郵便物の住所を丸写しした。

 偽の申請書を図書館に郵送し、帰ってきた本のコピーを輸送途中で盗み取るという方法で、目的の本を手に入れた。

 なお基本的な文字データや情報プロトコルは俺のスマホ端末を勝手に解析して得たらしい。

 

 

「ごめんなさい……」

 怒られた記憶を思い出して彼女は萎む。

 その姿に対し『おいで』といって膝を叩くと、彼女はおずおずと膝に頭を乗せてきた。

 いつもとは逆に、俺が彼女を膝枕する形だ。

 

「……おしりを叩かれるのかと思ったわ」

「きみが望むというなら叩いてやろうか?」

 そういうと、彼女は尻を隠すように両手で覆う。

 小柄なわりに肉付きのいい臀部を抑えながら、もじもじと顔を赤らめるその様は。

 

「こんな時にばかり恥じらうのはやめてくれ」

「叩かないの?」

「叩けねぇよ!」

 代わりに頭をぐしゃぐしゃにしてやる。

 柔らかく癖のある、ふわふわとした髪が指に絡んだ。

 

 

 次にもう一つ、なぜ俺の能力に睡眠が必要なのかを調べる。

 睡眠とはあくまでも記憶整理に付随した精神状態であって、無意識であることが絶対条件とは限らないはず。

 そして分かったのは、俺の能力にはとんでもない量の情報処理が必要だということだった。

 

 量子脳理論に基づいて量子ビットを生成し、量子ビットを利用して疑似的な情報ワームホールを作成してと、ほんの僅かな情報を動かすだけでも膨大な情報処理が必要となる。

 その膨大な情報処理をするために脳はそれぞれ個別に動く必要があり、結果として、意識下では逆に能力の行使が難しい。

 

 ただその改善策の鍵はすでに渡されていた。

 あのウサギモドキだ。

 

 

 

 ソファに二人で肩を並べ、情報処理のある程度をウサギモドキに肩代わりさせて能力を行使する。

 ただしナヒーダが常にウサギモドキにエネルギーを送り込まないと即座に枯渇して停止してしまうため、ネットに接続できるのは彼女と居るときだけ。

 

 ウサギモドキは顔に当たる部分から光を発して、プロジェクター代わりに壁へ映像を投影した。

 流すのはアメリカの動画サイトに上がっている、著作権の切れてパブリックドメインとなった有名な古典映画。

「ぱっと思い付きで選んだけど、これ恋愛ドラマであると同時に戦争映画だし不適切だったな」

 

「わたくしは気にしないわ。この一場面だけでも驚きに満ちているもの」

「だから不適切だと思うんだよな。きみならここに出るような技術を再現できるだろ?」

「いいえ、テイワットの技術を応用してこれを模すことはできても、それは再現とは異なるわ。それに例えできたとしても、あなたが望まない限りはしない。……この"あなたを見ている"とはどういう意味なのかしら」

「たしか乾杯を意味する慣用句だから、ここでは"きみに乾杯"という意味だったと思う」

 

 彼女はすでに英語をある程度は理解できている。

 ただ基本的な文法や単語は理解できても、難しい単語やテイワットに無い単語、そして慣用句表現は情報不足で理解できていないらしい。

 あと発音はまったくダメだ。音声データは文字データより遥かに重いゆえに。

 

 

「とても面白かった。でも質問したいことが多すぎて破裂してしまいそう」

「だろうなぁ」

「主人公の素直じゃないところがあなたそっくりだったわ」

「なら俺は君に裏切られたんだな」

 映画の主人公は皮肉混じりにヒロインを突き放すが、それはヒロインが主人公を裏切ったという過去があるからだ。

 

「……ごめんなさい」

「よろしい」

 これに関しては彼女の自爆なので助けない。

 

「アルベドには、この能力を見せ札にしようか」

 あくまでも異世界の映像を見れる能力だと誤認させれば丁度いいだろう。

 バレない嘘をつくには『嘘は言っていないが本当の事も言っていない』という状態を維持するのが楽だ。

 嘘というよりは詐欺の部類かもしれないが。

 

「そうね。彼は諦める様子がないもの」

 アルベドは誠実で人当たりが良いのに人間関係自体にはわりと無頓着だ。

 だからクレーを出しにして押しかけては、何気ない会話に混ぜて執拗に能力や異界のことを聞き出そうとする。

 

 ひとまず異世界の動画を見せれば、そこに含まれる膨大な情報に気を取られて勝手に思考の深みへ嵌り込むだろう。

 彼自身がわりとヤバい技術を抱えてるみたいだし、そこへさらに技術を追加することになろうとも、危険度はそう変わらないと信じる。

 

 ああ、ネットが繋がったからには社会関係を整理しておかないとな。

 海外旅行した結果、手違いでもう日本へ帰ることができなくなった、と。

 ……連絡先データ、全部吹っ飛んでる。

 

 

 

 ふたりで話し合った結果、異界の情報に関しては俺が一元的に管理することで同意した。

 今後、彼女が直接的にインターネットに接続することはなく、あくまでも俺から副次的に得られる知識で満足する。

 それによって反省を示し続ける、そう彼女は言った。

 

「きみは俺の世界についてどこまで知ったんだ?」

「……わたくしが知れたことはそう多くないの」

「それは本当か?」

「本当よ。まだ言葉を理解しきれていないもの。……実は、言葉を理解出来たら読み解こうと思って情報を保存していたのだけれど、それももう破棄したわ」

 

「データを文章として復元するところまで辿り着いたってことは、とんでもない量の暗号化を越えたということだし、言葉も理解できていそうだけど」

「いいえ。暗号理解と言語理解は大きく違うの。暗号はそれを解けばいいだけのパズルだけれど、言語は膨大な言葉同士の繋がりを辿っていく終わりのない作業」

「でもある程度の基礎単語や文法を理解できれば、あとは意味を推測していくだけじゃないか?」

「ええ、そうね。でもそれには膨大な時間が必要でしょう? わたくしはまだその途中だったの」

 

 少し恥ずかしそうに彼女は続ける。

「……あと、その、あなたの世界の文学作品が面白くて」

「文学?」

「ええ。スメールよりも遥かに多くの作品があったものだから」

 

 確かに、彼女の知識体系は自然科学に基づいているが、ナヒーダの興味関心はむしろ人文科学に偏重しているように思えた。

 科学技術より文化や文学に飛びつくのも、それはそれで彼女らしいし、文学は速読すればいいものでもないから納得できる。

 文学を読むにも様々な前提知識が必要となるので、ある程度は他にも手を出しているのだろうが。……まあ、細かく問い詰めても意味はない。

 

 

 コーヒーをまた入れて飲みながら、二人で様々な動画を見る。

「ただの猫の映像がこんなにも価値を生むだなんて知らなかった。この動画サイトというものは興味深いわ」

「スメールにもネットに似たものがあるらしいけど、そこにこういったものはないのか?」

「アーカーシャはあくまでも知識を集積するものだもの。皆が自由に使えるものではないし、特に学芸に関するようなものは制限が厳しいの」

 

「じゃあそのアーカーシャを神の権限で好き勝手に改造してしまうというのは?」

「籠の中からではそれは出来なかったし、ここからでは遠すぎる。それに賢者にわたくし達のことが気付かれてしまうだろうから……」

「ということは、籠に引きこもっている振りをしながらアーカーシャの停止権限を盾に色々と交渉したり、というのも難しいな」

 窓の外へと目線を向ける。

 

 

「あっ、そういえばそろそろ銭湯に行きたいんだった」

「もうそんな時間なのね。……やっぱりお風呂も部屋に在るべきかしら」

 不穏な発言を適当に聞き流して風呂の支度をする。

 

「じゃあ行こうか」

 彼女と手を繋いで、二人で家の扉をくぐった。

 

 

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