今日は朝から雨が止まない。
外に出るのもおっくうなので、二人でベッドの上でトランプ遊びをして過ごす。
トランプを作るために、ウサギモドキに写真以外の印刷機能を追加して貰ったが、草の神だけあって、植物繊維によって生成される紙製品は高品質なものだ。
きちんと厚紙、それもカードに成形済の状態で出力されるので、この分野においてはもはや現代家庭より便利と言える。
手札を配りながら、ふと気付いた疑念を口に出す。
「……そういえば、最近カメラポーズをしないな」
手から手札が滑り落ち、ベッドの上へとばらまかれた。
彼女は衝撃的な事柄があると、身体制御を放棄して硬直する癖がある。
自分の身体を使ってこなかったことと、思考に没頭しがちなことの二つが理由だろう。
「どうした?」
「いえ、なんでもないの。……なんでも」
彼女は手札を拾い集める。
今までの用例からすると、読心術……でもそれにしては他者の心理に疎いから、『心の声を盗み聴く』あたりだろうか。
幸いにも、自分を隠すという必要性の薄かった彼女は、ポーカーが得意ではない。
今やっているのは大富豪。
多種のローカルルールを追加した上に、効果のないカードに効果を足したりしているので単純な運よりも頭を使う要素が多い。
「ねぇ、その…、賭けをしないかしら?」
「賭け?」
「そうよ。負けた方は勝った方の言うことをなんでも一つ聞くの」
彼女は口元を手札で隠しながらそう言った。
手札は互いに13枚で、残りは配られず山札に隠されている。
だから自分の手札から相手の手札を推測することは難しい。
だが彼女の言動から、たとえ口元を隠したところで、恐らくいい手札が揃っただろうことは推測できる。
「ああ、いいよ」
そして。
「ふふっ。次の手番でわたくしの勝ちかしら」
「エクスチェンジ。ダブルで」
「え?」
これはこのカードを出した枚数だけ、互いの手札をランダムに引き合って交換するという追加ルール。
相手だけでなく自分の戦略も壊れるし、手に入るカードが良いものとも限らないので、普通に考えれば序盤に消費すべきカードだ。
終盤に使用して、もし手札が8や2のみになってしまえば反則上がり以外の手がなくなり敗北するわけであるし。
「まって、これは、もしわたくしが……」
「いいから引け」
俺は序盤に景気よく強カードを使い切ったので、何を引かれても問題ない。
一方でナヒーダは終盤を見据えて丁重にカードを切っていたので、彼女の手札はぐちゃぐちゃに崩壊した。
次の手札を配る。
「……きみは互いが最善手を打つことばかり想定するから、搦め手に弱いな」
「だって最初から勝ちを狙っていないだなんて予想もできないもの」
「自分の勝ちを狙うのではなく、相手の負けを狙っただけだよ。結果として勝ちへ結びつくのはどちらも同じだろ」
ナヒーダは考えが回るにもかかわらず、相手の妨害などには非常に弱い。
これは一人遊びばかりしていた弊害だろう。
彼女の要望により、もう一度、同じ条件で再戦することとなった。
「ちなみに、きみが勝ったら何を要求していたんだ?」
配られた手札を眺める。
「キスよ。わたくしの唇に、キスをしてもらうわ」
ここでやっと、これは決して負けてはいけない勝負なのだと気づいた。
「……もう一つ聞きたい。この命令は"今日一日"みたいなものでもいいのか?」
「ええ。かまわないわ」
「ならきみは今日一日、配られた手札を読み上げてくれ」
「えっ!」
「ずるい、勝てるわけがないもの!」
彼女は理不尽な勝負というものを経験したことが無いようで、一戦ごとにきつくなっていく制約に押しつぶされて不満を漏らす。
「最終的には出すカードを選ぶ権利すらなかったじゃない!」
「だって、それが一番確実だし」
全力で頭を使って疲れたので、お湯を沸かしてコーヒーを淹れ、ソファに座る。
すると、彼女もベッドから隣へと移動してきた。
「それで、わたくしに聞かせたい命令はなにかしら? 権利の放棄は許さないわ。それは勝者の義務だもの」
不満が冷めないようで、唇を尖らせながら、僅かでも一矢報いようと言葉を漏らす。
流石に可哀そうなことをしたかもしれない。
「じゃあ、代わりにきみの願い事をひとつ聞くよ」
彼女はきょとんと目を丸くし、驚いた顔を浮かべる。
「……いいの?」
「ああ。だってきみは、俺の嫌がるようなことは選ばないだろ? 信じてるよ」
しかしすぐさま思い悩むような、悔しそうな表情へと変わった。
「ずるいわ。それでは本当にしてもらいたいことを選べない」
「嫌がると分かっているなら諦めてはいかが?」
「それは嫌よ。そもそも、嫌がると推察はできるけれども、何故嫌がるのかは分からないもの。納得できないわ」
そして問い詰めるかのように、だが不安の混じった眼差しで、ジッと見つめて来る。
何と答えればいいだろうか。
「……きみはなぜ最初、購入したナツメヤシキャンディを食べなかったんだ? とても大切だったからだろ?」
「ならあなたは、わたくしを食べてくれるのかしら?」
「きみは食べ物ではないから分からないな」
「……腐ってしまうかもしれないわ」
そう、不満気な顔で目線を外し、不貞腐れたような口調で言う。
俺が彼女に"食べないまま腐らせては意味がない"と言ったことを引用しているのだろう。
「きみは食べ物ではない。だから、腐ったとしても俺は好きだよ」
その言葉を聞いた彼女は、何も言わないまま、猫がすり寄るかのように肩へ顔を埋めてきた。
誤魔化しの意味合いも大きいが、こういう反応が可愛いのもあって思わず揶揄ってしまう。
「そろそろお昼ご飯にしましょ? 今日はわたくしが作りたいの」
「俺が作ると全てがペペロンチーノになるからなあ」
人間は唐辛子、ガーリック、オリーブオイルがあれば生きていける。
というのは流石に冗談だが、実際、俺がまだホームシックにならないのはそれらの食材がテイワットでも手に入るからだろう。
「あなたが作る料理は、少し辛すぎることがある」
「唐辛子は産地によって辛さが大きく変わるから、難しいんだ」
「でもあの辛さであなたは平気なのね」
「いや? 俺にとっても普通に辛すぎて舌が痛む」
「なら何故……」
久々に困惑と呆れの混じった表情を見ることができた。
「なにを作るんだ?」
料理をする彼女を、彼女の両肩に両肘を乗せるようにして、後ろから軽く抱きしめる。
並んで立つと俺の肘の高さに彼女の肩が来るので、肘を置いて腕を回すと身長差が丁度いい。
「お肉があるからコトレッタを作ろうと思うの」
「揚げ焼き?」
「ええ。そうよ」
首の前に回された腕に、少し恥ずかしそうにするナヒーダ。
「じゃあパン粉用意しようか?」
「ええ、お願いね」
氷元素を利用した冷凍庫へ凍らせたパンを取りに行き、それをおろし金に掛ける。
パン粉が用意できた頃には彼女が肉の下ごしらえを終えているので、パルメザンチーズと一緒に渡す。
「ありがとう」
「後は任せた」
あとはできることもないので、いくつかの洗い物だけして、邪魔しない様ソファで待った。
料理が出来上がると、食事用に購入した二人用の、やや小さくお洒落なダイニングテーブルへ移動する。
これは本格的に料理をするようになってから、ナヒーダが気に入って選んだものだ。
「きみの作る料理は味のブレがほとんどないから凄いな」
「わたくしはあなたの作る料理も好きよ。その日ごとに違いがあって飽きないもの」
「俺は雑なだけだよ。でも、俺もきみも同じく目分量なのに、ここまで違いがあるのに驚いた」
「わたくしは少しズルをしているから」
ナヒーダは自らの能力を使って精密に計測をしているらしく、分量や火加減が常に完璧に近い。
生焼けの心配がなく丁度良い火入れをしてくれるので、とてつもなく助かっている。
しいて問題点を挙げるなら、凝り性で手間暇を掛け過ぎることがあることぐらいだろう。
食事をしながら雑談を続ける。
「そういえば、願いごとはなにか決まった?」
「……あなたの国の言葉が知りたいの。それがわたくしの願いごと」
そういって、彼女は与えられた権利で朗読をせがんだ。
言葉をある程度分かるようになったものの、文字だけでは発音がまったく分からないからだ。
どの作品がいいかを問うと、俺が選べと彼女は言う。
何を選ぶかを含めて楽しみたいらしい。
「銀河鉄道の夜はもう読んだ?」
そう問うと、彼女は『まだ』だと答える。
「じゃあこれにしようか」
雨の止まぬ昼下がり。
ベッドに伏せて、スマホ端末を頼りに、ゆっくりと彼女に読み聞かせる。
時折、彼女の分からない言葉があるので、その時は一時中断して発音や意味を教える。
俺ですら意味を知らない単語もあるが、それは調べるのではなく、二人であれこれと意味を推察して楽しむ。
アルベドの言うところの"テイワットの法則"は、来訪者である俺にテイワットでの共通語を教えてくれたが、しかしテイワットにあるその他無数の言語は教えてくれなかった。
またそれはあまりにも自然に第一言語を置き換えていたので、日本語を失ってしまったかと思ったほどだ。
だが意識すればきちんと日本語で喋ることができるし、こうして彼女に言葉を教えることもできる。
「とても面白かったわ」
「俺がこの作品を選んだのは、詩的表現をきみが気に入りそうだからだ。楽しんでもらえたなら嬉しいよ」
「ええ。気に入った。まるで宝石箱を覗き込んだかのような、美しくも儚い、素敵な作品だったの」
そう述べた彼女が横合いから強く抱き着いてきて、俺は横向きに転がされる。
「どうした?」
「……カムパネルラは死んでしまった。それはもう会えないということよ」
結末が気に入らなかったらしい。
「籠の中だったとはいえ、500年も生きていれば死別ぐらい経験していそうだと思ったけど」
「死別と言えるほど深い関係を持ったのは、あなたくらいだもの」
「それで怖くなったと」
彼女は無言で答える。
「それに関しては俺からは何も言えないな。残されるのはきみで、辛いのもきみのはずだろうから」
思い起こされるのは、彼女が身投げしようとした事。
もうあんなことをさせるつもりはない。
「……もし、わたくしと生きて欲しいと言ったら、あなたは……その……」
「べつに寿命に関しては長かろうと短かろうと構わない。こだわりはないよ」
不老になったところで不死ではないだろうし、とは口に出さない。
彼女は彼女なりに死の重さや繊細さを理解しているようで、それ以上は話さなかった。
雨の音に耳を澄ませながら、ただただゆっくりと、二人で抱き合う時間を過ごす。