「はい」
突如、首輪を差し出される。
朝っぱらから俺は、理不尽と対面していた。
「えっと、これはなんだ?」
「あなた専用のアーカーシャ端末よ。ある程度までなら、離れていてもあなたと会話ができるの」
「……もしかして位置情報も分かる?」
「……」
ああ、図星か。
彼女は文化的なシンボル性をある程度は理解しているはずであり、首輪という意匠の意味合いも分かっているはずだ。
であればきっと、この前にガイアと飲みに行った時のことをまだ怒っているということだろう。
「はぁ…」
溜息をひとつ吐いて、首輪を開く。
「すこし後ろを向いていてくれ」
俺たちはベッドの上でそれぞれ座り込んでいる。
彼女が背を見せたのを確認すると、俺は首輪を付けた。……彼女に。
「えっ?」
彼女は両手で首輪へ触れ、それが何であるかを確認する。
「これはあなたにっ」
俺は彼女が言葉を言い切る前に、無防備に広げられた両脇に腕を通し、後ろへ引き倒すようにしてその身体を抱き寄せる。
「……なあ、相手を所有物扱いするのなら、自分が所有物扱いされる覚悟もできているんだよな?」
そしてそのまま、片手を伸ばして彼女の顎を捕まえた。
「まって、これは家族の証であって別に所有物扱いという訳では……、あっ」
小さな顎を指先で掴んだまま、余った指を彼女の首輪の隙間へ入れて、首筋を軽く撫でる。
それにより、驚きに丸く開いていたその瞳は、耐える様に細められた。
仰向けに引き倒したため、彼女の表情を上から見ることができる。
「ナヒーダ。首輪の意図が俺の所有物化だというなら、怒るよ」
「……だって、あなたが盗られてしまうと思って」
神妙な顔、真剣な表情で、涙をポロポロとこぼす。
「あなたが"わたくしのもの"だと主張しなくては、誰かに盗られてしまうもの」
「ではきみは、"きみは俺のものだ"という証拠として、こうやって首輪を付けて歩かせるとしても受け入れるのか」
「ええ、そうよ」
「スメールに戻ったとしてもか? きっと神としての立場が損なわれるぞ?」
「……その覚悟はしているわ。そもそも、わたくしの神としての立場なんて、猫の足音や魚の呼吸とおなじだもの」
そんな覚悟は持たないで欲しかった。
ため息をついて心を落ち着かせながら、彼女の拘束を解いてベッドの上で向かい合う。
社会的な羞恥心を少しぐらいは理解してもらいたいため、首輪は付けたままに。
「ナヒーダ、首輪のことをきみは怒られたい? それとも人と神の視点の違いとして受け入れられたい?」
「……怒ってほしい」
「それはなぜだ?」
「だって後者は、あなたとわたくしの心的なギャップを明確とする、ということでしょう? わたくしは"心の距離"と呼ばれるものが、これ以上に開くのは嫌なの」
彼女は人の心に疎い部分もあるが、その分、よく考え続けている。
そういった部分が彼女の大人っぽさに繋がってはいるのだろう。
「分かった。……だがさて、きみはどう怒られたい?」
「それをわたくしに聞かれても、困ってしまうわ」
「俺はそれ以上に困っているんだよな」
彼女が怒られることを受け入れた時点で、反省させるという目的は大まかに達成されている訳だし。
だから、これ以上なにをすればいいのか悩む。
「……じゃあ、わたくしの耳を触ってはどうかしら」
「……それ、罰を受けようという表情じゃないんだが」
俺の言葉を受けて、今は驚いた顔でペタペタと自らの顔を触る彼女であるが、その直前は呆けたような甘い表情をしていた。
目の焦点が遠くを見ていたことから、前の記憶を思い出していた、つまり罰の記憶を思い出していたはずなのに、しかし口元は緩んで笑っていた。
「耳を触られるのが好きなのか?」
その質問に彼女はしばらく沈黙していたが、『こくり』と、顔を赤くして小さく頷く。
「…おいで」
別に、罰が必ずしも罰則的である必要はない。
半分ほど諦めを含みながらも、俺は彼女の考えを尊重することにした。
おずおずと近寄ってきた彼女の背中に片手を回し、もう片手を耳へと伸ばす。
敏感な先端付近を避けて、根元側から、マッサージするように触ってやる。
「ん……」
人差し指と親指でぐりぐりと根元を揉みほぐすと、小さく鼻息が漏れた。
そのまま親指の腹を広く押し付けつつ、優しくパンを捏ねるような微妙な力加減でゆっくりと耳を擦る。
リズムを維持したまましばらく続けて慣れさせると、徐々に彼女の瞼が落ちてくる。
「寝ていいよ」
そっと人差し指の背を長い耳の内側に沿わせ、少し力加減とペースを弱めて、耳を指で抱くように触れていく。
そうして、彼女が眠りに落ちるまで撫で続けた。
正面から抱き着くようにして眠る彼女に声を掛ける。
「……不安にさせてごめんな」
「起きてちょうだい」
頭を撫でられて目が覚める。
いつしか俺まで眠りに落ちていたらしい。
窓の影から日の高さを推測すれば、昼頃であるようだ。
「あの首輪を作り直してみたの。どうかしら?」
ほぼネックレスに見える、あまり目立ちすぎないチョーカーがそこにはあった。
欠伸を一つかみ殺してから感想を述べる。
「おぉ、随分と綺麗な仕上がりじゃん。……でも四六時中、音声が筒抜けだとかは困るんだけど」
「小さくする代わりに機能を削ったの。だからこれに居場所が分かる以外の機能は無いわ」
居場所か。まぁ正直、今の生活なら問題はなさそうだ。
これがなくとも、互いの位置が分からないことなんてほぼない。
しいて言えば、銭湯で風呂上りのタイミングを合わせるには便利かも、という程度。
「まって、後ろをむいて?」
せっかくだし付けてみようと思ったが、彼女のその言葉に従って背を預けた。
背後から抱きしめられるかのように、小さく丸い手が首筋をなぞる。
「ふふっ、似合ってるわよ。お揃いね」
このチョーカーは、彼女の髪留めを模した小さなペンダントトップが付いている。
走ったりした際に首元で跳ねても邪魔とならない小さなサイズではあるが、目ざとい人ならデザインの共通性に気づくだろう。
……実はこれ、意味合い的には首輪と大差ないのではないだろうか。
「……ありがとう」
細く小さなチェーンなのに、やけに首元が締め付けられるような気がしてきた。
贈り物としては嬉しいけれども、心情は複雑だ。
しかし、これによって彼女の不安が安らぐというのなら、仕方のないことだろう。
少なくとも首輪そのものを付けられるよりはマシだ。
今一度、欠伸をかみ殺して、昼食の準備を始める。
「今日はペペロンチーノにしようか」
フライパンで湯を沸かし、二人分のパスタを茹でる。
その空き時間で、ニンジンの皮を垂直に立てたナイフの刃でガリガリと削り落とし、手持ちのまま切り分けて野菜スティックを一品作る。
茹で上がったパスタにはオイルを振って取り皿に移し、空いたフライパンでペペロンチーノのオイルを作って、茹で汁の代わりにワインを振り水分を調整。
ワインで塩を溶かしてパスタと絡めれば、ペペロンチーノと野菜スティックのセットが完成した。
「あなたは飽きないの?」
「料理に? それともこの生活?」
「……どちらについても聞きたいわ」
野菜スティックに昨日作ったマヨネーズを付けながら、回答を思案する。
「この料理に関しては一人暮らしで染みついた習慣だから、飽きる飽きないとかは無いな」
手間暇があまり掛からないので、何も考えずに無心で作り、無心で食べることが多かった。
そのせいでもはや、息が苦しくなれば空気を吸うように、腹が減ればこれを食べてしまう。
「生活については?」
「それはむしろ、きみに聞きたいんだけど。モンドでの生活は飽きた?」
俺たちは、色々な場所へ行けるという理由もあって冒険者稼業を始めた。
とはいえそれも、ある程度は定番の行き先が決まっていて、常に新天地へ向かうようなものではない。
後は、ここでの生活に慣れることを優先したために、効率性を重視して行動パターンが単調になっているというのもあるか。
「わたくしにとってはまだまだ驚きの日々よ。たとえ同じように思える日があったとしても、決して同じ日などあり得ないもの」
俺の作った簡素な食事を食べながら、ダイニングテーブル越しに彼女は言う。
互いの手元にはワインが一杯あり、食事というよりも酒のつまみに近いかもしれない。
「それに、仮に同じ日を繰り返したとしても、わたくしはそれを気に入ると思うの。……あなたはどう?」
「今の生活は、俺の世界でいうスローライフというやつに近いかな。さすがに全く同じ日を延々と繰り返すのは勘弁してもらいたいが、モンドでの暮らしはなんだかんだゆったりと変化があるから気に入ってるよ」
まだ季節の巡りを一周すらしていないから判断を下すのは早計であるものの、何か月かを過ごしてきた中で、変わり映えのなさや生活リズムの遅さを苦に感じるようなことはなかった。
「ただ早いうちから生活パターンを固定しまうのもつまらない。今度、カフェ巡りでもして色々なデザートを食べてみようか」
「それは素晴らしい考えだわ! でも、あなたはあまり甘いものが好きではないでしょう?」
「俺は主にコーヒーが目当てだな。でも、量は食べないけど味は気になるので、ひとくちだけ味見させてくれると嬉しい」
「ええ、一緒に食べましょ! わたくしが食べさせてあげるわね」
『それは遠慮する』『遠慮させない』という攻防をしながら、戻ることはない日々をまた一つ重ねた。