ネット機能を獲得してからしばらく。
互いの都合が合わずひと月ほど間が空いたが、ついにアルベドと赤い悪魔がやってきた。
「頼むから俺から得た知識を無暗に広めないでくれよ」
「わかっているさ。ボク自身もあまり広めるべきでない知識を多く抱えているからね。そこは信頼してくれていい」
部屋の灯りを落として、四人で三人掛けのソファに座った。
クレーが真ん中、アルベドと俺はその両隣、そしてナヒーダは俺の膝の上へ。
ナヒーダの座高は頭一つ分低いが、膝の上に乗せるとその差が埋まってしまう。
なので俺は彼女の肩越しに画面を見る形となる。
"きゃきゃ"と姦しい女子二人の頭越しに、男二人で会話をする。
「きみたちは随分と仲がいいんだね」
「今となっては唯一の家族だからな。あんたはどうなんだ?」
「うーん……。確かに、似たようなものかもね。ボクもたまにクレーを肩車したりするよ」
今回、アルベド達に見せるのはファンタジーものの作品。
虚実混ざれば情報を選別しにくいだろうし、クレーも居ることを加味すれば丁度いいだろうと選んだ。
普段はあまり使わないが、今日は防音と音響を兼ねた追加装置を使う。
これは彼女の居た籠を参考にしたものらしく、起動すると部屋の壁を覆い、内外の音を遮断する。
本来は静かな環境が欲しいときに使おうと開発したらしいが、今は音響機能を組み込んでシアター用の装置となった。
映画が始めると、音響とは無関係に賑やかとなる。
「いま見えたあれは炎元素を基として動作しているようだった。しかしそれだと矛盾が……」
「わぁ、すごい! クレーもあれやりたい!」
見える映像を冷静に分析するアルベドと、思うが儘にはしゃぐクレー。
ナヒーダは静かだが、しっかりと映像に魅入っている。
俺は、映画が詰まらないわけではないが、アルベド達に気を張ってるのもあり少し疲れた。
目の前でピコピコと揺れる耳を畳むようにして抑え、彼女の肩に顎を乗せる。
「…どうしたの?…」
彼女が小声で話しかけてくる。
こちらを見ようとするが、互いの頬がぶつかりあって振り向けない。
わざわざ"疲れた"と言うまでもないと思い、抱く腕に少し力を込めて答える。
首筋に顔が近いせいか、彼女がもぞもぞと何度か腰を動かした。
すると嫌でも、彼女の肉付きの良い腰の感触に意識が向いてしまう。
「…動かないでくれ…」
彼女の耳元でそう伝えると身を硬直させるようにして動きが止むが、代わりに彼女の腹へ回した腕がその呼吸の緊張を拾い始める。
耳のすぐそばからも、"ふー、ふー"と、軽く押し殺したような鼻息が聞こえ、克明に伝わってくる緊張感。
それを解そうと軽くお腹を撫でてみるが、びくんと背筋を伸ばすように身体を揺らし、鼻息が強くなった。
完全に逆効果だったので、以後はただ抱き締めて自然に落ち着くのを待つ。
しばらくして映画は終わる。
ノルマは消化したしこれでお開きにしようとしたが、不満の出所はアルベドからではなかった。
「やだー! クレーもっと観たい!」
「別に構わないが、そういうワガママを言う子に見せる映画は決まっているからな?」
「えっ、何をみせてくれるの?」
期待に満ちた目で見る彼女のために、次の映画を再生する。
これは機会があればナヒーダにも見せてみたいと思っていた作品だ。
その映画は何気ない日常から始まった。
引っ越し先の新居も決まり、楽しそうに笑い合う家族。
クレーとナヒーダは初めてみる日本家庭の映像に興味深そうな様子で見入っている。
最初は小さな違和感だった。
ドアが勝手に開くだとか、何も無しに物が落下するだとか。
しかしその違和感は徐々にエスカレートしていく。
ナヒーダは何となく察したようで、身体を横向きに変えてこちらへ抱き着いてくる。
抱き着きながらも自らの肩越しにスクリーンを見ているが、これは最後まで画面を見ていられるのだろうか。
クレーは不思議そうな顔をしていたが、ついにその姿がちらりと現れ、彼女は硬直した。
アルベドは興味深そうに画面を眺めている。
"それ"が姿を現すと、違和感に過ぎなかったものが恐怖へと変わる。
主人公たちは無数の怪奇現象に追いつめられていく。
そしてついに……、と思わせて何も起こらない。安堵した皆は、その直後に幽霊と直面した。
「あわわわわわ!」
クレーが不思議な悲鳴を上げる。ナヒーダは展開に予想がついていたらしく、俺の胸に顔を埋めて画面を見ていない。
「じゃあここまでにしようか」
そういって俺が再生を止めると、アルベドから文句が出た。
「ボクは続きが気になるのだけど」
「アルベドおにいちゃん! はやくかえろ!」
しかし、クレーに引っ張られるようにして帰って行く。
俺たちはソファからその背を見送った。
「ひどいのではないかしら」
ナヒーダは、ペタリと伏せていた両耳を元に戻しながら、頬を膨らませてこちらを見上げてくる。
上映中から変わらず横向きに抱き着いているが、今は少しずり落ちるようにして俺の両脚の間に腰を埋めている。
「怖がりだな」
「ええ、わたくしは怖がりよ。でもあのようなものを見せられては、仕方ないでしょう? 風に吹かれたキノコンは否が応でも流されゆくものなの!」
「……素直に認めるだなんてきみも成長したんだな」
前までは神の威厳を気にしてなのか、道理を説いてなんだかんだ誤魔化そうとすることが多かった。
それが今は自己の弱さを認め、神というよりも人として、社会的観点を受け入れている。
「そのような言葉では騙されないもの」
そう愚痴る彼女が愛おしくて、思わず抱き締めた。
肩を引き寄せるように抱かれた彼女は、小さく驚きを浮かべて見上げる。
「……どうしたのかしら?」
観察力に優れる彼女は、いつもと様子が違うことに気づいて声を掛けてきた。
「本当に、きみも少しづつ成長しているんだなと思って」
「そうなの? 実感がないから、わたくしにはわからないわ」
「きみは人間性を理解できるようになってきているんじゃないか? 俺にはそう見えた」
彼女にとっては他人事であった"平凡な人々の凡庸さ"を、彼女自身が認め始めている。
それは神である彼女が、俺という"人"へ歩み寄っていることを意味するのだろう。
「そう言ってもらえるのは嬉しいわ。……でも、あなたは酷いことをした罰を受けるのよ」
彼女の手が両肩に添えられる。
綿毛に息を吹きかけようとするかのごとく、彼女の小さな唇が近づく。
顔を動かして、それを鼻先で受けた。
彼女は無言で不満気な、泣きそうな、怒っているような複雑な顔をする。
「……きみはナツメヤシキャンディだ」
俺は一言、そう言葉にした。
彼女は言葉の意味を理解したようで、不満気だけを表情に残す。
「本当に腐ってしまうかもしれないわ」
「それでも俺は好きだよ」
あの時の問答をなぞるようにして答える。
ずり落ちた彼女を両脚の隙間に降ろすと、両脇に腕を通して正面向きに抱きなおし、今度は彼女の頭に顎を乗せるようにして別の映画を観る。
俺たちは二人は少なくともある程度は英語や日本語を理解できるので、アルベド達へ見せるには向いてないような、会話主体の作品でも楽しめる。
「ねえ」
「どうした?」
「いつになったら食べてくれるのかしら」
「きみが成長したらだな」
「それはいつ?」
「さぁ? 俺にもわからん」
彼女は物理的に成長するわけではない。
かといって精神的な成長に明確性はなど無い。
「……わたくしは不安なの。いつか置いて行かれるのではないか、って」
「別にそれは、キスしようが変わらないんじゃないか?」
「ええ、そうよ。だから、これはわたくしの不安を慰めるためのもの」
そう真っすぐに言われると断りにくい。
「なら、俺がいいと思えたとき。そのときに、もしきみが求めてくれるならば、応じるよ」
「今はダメなの?」
「さすがに今は気分じゃない」
『いじわる』と小さく呟く彼女。
俺は言い訳をするように、抱く腕に力を込める。
「大切だから手を出せないというのは本当だからな?」
「でもキスぐらいいいじゃない」
「きみは好奇心が強いから、次第にエスカレートしていきそうで怖いんだよ」
「わたくしをなんだと思っているのかしら?」
「好奇心お化け」
顔は見えずとも、不貞腐れたのは分かる。
「わたくしにだって分別ぐらいはあるわ」
「でも俺の能力を勝手に使ってた時もエスカレートしていったし」
「っ、……」
それを聞いて彼女は言葉を失った。
「……ごめん、きみを追及したい訳じゃないんだ。無神経だった」
「いいえ、わたくしが悪いのだもの」
彼女の頭が下がっていく。きっと表情もそれに準じているのだろう。
「なら、きみを許すから、俺のことも許してくれないか?」
「……ええ、許すわ」
「ちなみにホラー映画の件も?」
「それは本当にずるくないかしら!」
虚を突かれたように驚きながら不満を漏らす彼女の様子に、くつくつと、思わず笑ってしまう。
「笑っているわね。見えなくても分かるわよ」
すぐ下からそう声が聞こえた。
「アルベド達も帰ったし、そろそろ鍵を閉めてくる」
ナヒーダの膝裏に片腕を入れて抱え上げ、ソファの隣へ降ろす。
しかし彼女も立ち上がって付いてきた。
「もうそろそろ、夕食にしましょう」
「ああ、そんな時間か。雨戸を締めていたから気付かなかった」
部屋を暗くするために締めていた窓を開けば、空には星が見え始めている。
「新鮮な牛筋肉が手に入ったし、牛筋とアスパラのペペロンチーノにしよう」
「あなたの作るそれはアヒージョではないかしら……。栄養が偏ってしまうからわたくしも一品つくるわね」
一人には広く二人には狭いそのキッチンで、並んで料理をする。
何気ない日常が楽しいのはきっと、彼女のおかげなのだろう。