ナヒーダの書いた、ドラゴンスパインでの冒険譚がついに発行されるらしい。
雪山で見つけた財宝はそのまま文化研究用に使いたいということなので、大部分は冒険者協会で買い取って貰った。
だがナヒーダも研究者気質ではあるので、買取前に全てを精査して詳細な目録を作成し、冒険譚の追加ページとして記載した。
さらには彼女が精査して得た考察も含まれているので、その本は冒険譚と言いつつも、半分ほどはフィールドワークの報告書のような学術的側面を持つ仕上がりとなっている。
「西風騎士団の本部に図書館があったんだな」
「書物の持つ情報資源性もまた、貴重な経済力であるもの。図書館が権力機関の下にあるのは不自然ではないわ」
「でもそれなりにモンドに居るのに、今まで一度も行かなかったのは不自然だ。きみだって忘れていたんじゃないか?」
「モンドでは一般の商店で本が手に入るのだもの。忘れていても仕方ないでしょう?」
俺たちの家には彼女の選んだ本棚が一つあり、それはある程度が本で埋まっている。
しかし一度読めば十分な部類の書籍もある訳だし、金銭の節約という点では先に図書館へ向かうべきだったかもしれない。
まあ互いに決めた小遣いの範囲であればとやかく言うことでもないが。
サンプルを受け取りに騎士団の図書館に着いたが、どうやら司書は留守のようだ。
騎士団本部の広間へ戻り、どうしたものかと考えていると、見覚えのある姿が視界に入った。
「すいません、騎士団の方ですよね。実はこちらの図書館で新しく発行される本のサンプルを受け取る手はずだったのですが、司書の方が見当たらなくて」
「分かった。司書代理の者に声を掛けるので、少しここで待っていてくれ」
この長身で金髪の女性は、ウィンドブルーム祭のときにクレーを叱っていた人だ。
たしかジンと名乗っていたか。
騎士団の女性が戻るのを待っていると、赤い小悪魔がやってきた。
「あれ、ナヒーダお姉ちゃんと黒いお兄ちゃん!」
意外なことに、彼女も騎士団所属の騎士であるらしい。
だから騎士団本部で出会うことも不自然なものではない。
俺はその姿を認めた瞬間に一歩下がり、ナヒーダの後ろへと回った。
「こんにちは、クレー」
「こんにちは! クレーに会いにきてくれたの?」
「ごめんなさい。今日は図書館に用事があって来たの」
「えー、つまらない。せっかくなんだから遊ぼうよ」
言葉を聞いて、小悪魔は不満げな顔で文句を言う。
しかしそのタイミングで騎士団の女性が返ってきた。
「クレー。仕事はどうした?」
「……クレー、おしごと行ってきまーす!」
ジンさんと入れ替わるように、クレーは走り去っていく。
「待たせたな。受け取る予定の本とはこちらで間違いないか?」
彼女の手には、たしかにナヒーダの書いた本が握られている。
「はい、ありがとうございます」
割と重量があるので、俺がその本を受け取った。
「ああ、すまないが、ついでにひとつ頼まれごとを受けて貰えないか? 大聖堂にこの薬を届けて欲しいんだ」
「薬を?」
そうして薬と先払いの報酬を渡すと、ジンさんも忙しそうに去っていった。
俺たちはその依頼を果たすべく大聖堂へと足を向ける。
「ねぇ」
「なんだ?」
「わたくしを盾にするのはやめないかしら?」
「なんのことだかわからない」
クレーと自分の間にナヒーダを挟むよう、位置取りを変えただけだ。
「素直に助けを求めるのならいいけれど、誤魔化すのなら……」
「助けてくれナヒーダ。きみが頼りだ」
「よろしい」
大聖堂へ着くと、牧師を探す。
ジンさんの妹がここに居るらしく、できれば彼女に渡して欲しいという頼みだ。
幸い、奥へと進めばそれらしき姿はすぐに見つかった。
「~♪ ~♪」
歌を歌いながら患者の治療を行っている少女が目的の人物で合っているはず。
「その処置法は間違っているわ」
開口一番、ナヒーダがそう言った。
どうやらスメールでの知識に該当するような病状だったらしい。
「そうなんだ。あなたは小さいのに知識が豊富なんだね」
牧師の少女は歌と治療を中断すると、ナヒーダの前に屈み込み、目線を合わせて会話をする。
嫌な顔すらせず直ぐにそういった行動を取れるあたり、よくできた人だと思った。
ナヒーダの指示はあまり大きく治療方針を変えるものではなかったようで、その意見はすぐに取り入れられた。
「ありがとう。あなた達のお陰で、動きが楽になったみたいだよ」
ほんの僅かに手伝っただけの俺まで含まれているが、一々訂正することでもない。
「それで、私に何かごようかな?」
「実はジンさんからこの薬を届けるように依頼されまして」
「あっ、もうできたんだ。ありがとう! よかったらゆっくりしていってね」
そういって薬を持って去って行った。
残された俺たち二人は少し大聖堂を見て回ってから、邪魔にならない場所で椅子に腰かける。
「綺麗な場所ね。まるで万華鏡の中へ迷い込んだみたい」
「見事なステンドグラスだよな。ガラス越しに差し込む光の色合いまで考えられていて煌びやかだ」
景色を眺めていると、隣に座るナヒーダが肩に頬を寄せる様に腕へと抱き着き、無言で指を絡めてくる。
そして彼女は、今という時間を大切に味わうかのように、目を閉じた。
聖堂には張り詰めた荘厳さを感じさせるような静寂が流れているが、不思議とそれは緊張感を煽るものではなく、むしろ心が落ち着くものだ。
俺も彼女と同じく目を瞑り、祈るようにゆったりとしたひと時を過ごす。
正午になると、大聖堂の鐘が鳴らされた。
それを合図に俺たちは昼食へと向かう。
少し歩いて普段は入らない店舗を見つけ、そこで軽食とデザートを選んだ。
「ここの甘味も、とても美味しいわ。これはもうテイワットカフェガイドを書いてしまいたいほどね」
「それもいいかもな。ガイド本を作るという目的があれば、日常に張り合いがまたひとつ増えるだろうし」
俺も自分の料理に口を付ける。
「この鳥と人参のバゲットサンドも美味しい」
「一口もらっても?」
「ああ、いいよ」
バゲットサンドを差し出すが、固く粘りのあるパン生地のために噛み切れない。
彼女は目をつぶり、必死に顎を閉じ犬のようにサンドを引っ張るが、しばらくの格闘のあとには小さな歯型の付いたパンが残った。
仕方ないので、手で千切って彼女に渡す。
何も考えず、俺たちが齧った側とは反対側を切り分けた。
彼女がパンを齧る俺の姿を熱心に見つめてくる。
「間接キス……」
「正直、俺は間接キスに特別な意味を見出す情緒は分からない」
しかも既に今までにも何度か食べ交わしているし。
「だって、わたくしの唾液の付着したものを食べたのよ?」
「……そういう言い方はやめてくれないか?」
先ほど彼女がパンから口を放す際に、その歯から唾液の落ちる瞬間が見えていたことを思い出し、複雑な気持ちになった。
「あなたはデザートはいいの?」
「きみが食べてる姿を見れればそれでいいや。あと、こういうカフェは珈琲にも凝っているから」
「でも一口もらったら、お返しをしないといけないもの」
『あーん』と、スプーンを伸ばしてくる。
拒否するほどでもないかと、さっと、それを食べる。
「どうかしら?」
「意外と苦みがしっかりとしていて、上手く甘みを引き立てているな。特に後味がくどくなくていい」
味見をする俺を見て、ナヒーダは笑みを深めた。
彼女は他人を喜ばせることで当人も喜べるタイプだ。
そして俺も、他人を喜ばせるのは不得意だが、彼女が喜んでいる姿をみると心が温かくなる。
今が永遠に続けばいい、とは恥ずかしくて口に出せないが。
食後はコーヒーを追加注文し、そのままカフェで本を読む。
今日受け取ったドラゴンスパインでの冒険譚だ。
「あなたとの物語がこうして本になっているというのは、なんだか不思議な気持ち。まるで二人が本の中へ迷い込んでしまったみたい」
「実際、あの光景は絵本の中といわれても納得できるようなものだったな」
特に頂上で見た、巨大な柱が空に浮かんでいく様子は、映画か何かのようだった。
「本当はわたくしたちの写真も載せたかったのだけど……」
「人相まで載せてしまうとリスクが大きいから」
教令院のことを考えて、書籍には俺たちの写っていない写真だけを載せることにした。
休憩がてらに普通の風景写真も撮っていたので、道筋や光景を説明するにはそれでも十分だった。
ただ、二人で撮った写真も載せたかったという気持ちも分からなくはない。
「あら、あなた宛ての手紙が挟んであるわね」
「手紙?」
差出人を見れば、ガイアと書いてある。
「ああ、彼に少し頼みごとをしていたんだった」
「わたくしにも見せてもらえるかしら」
「ごめん、これは個人的なことなので互いに秘密にすると約束したんだ」
手紙を懐へと仕舞い込む。
「…きになる…」
彼女は俺の言葉を尊重して深くは聞かないことにしたようだが、興味は隠すつもりがないようで、聞こえるほどの小声でそう呟いた。