草神と行くテイワット   作:ぶれーくだうん

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5. 旅館での事件

 夢を見る。

 

 長らく目にしていないアスファルト舗装の道路や、そこを行きかう車たち。

 なんの珍しさもない日本の光景であるが、今の俺にはそれこそが求めて止まないものだった。

 目前にはよく利用していた駅舎があり、ここからなら歩いて自宅へと戻れるはず。

 

 それはあまりにもリアルで、まるで本当に帰って来たかのような錯覚を覚えた。

 体が溶けていくような不思議な感覚と共に、徐々に現実感が増していく。

 そして……。

 

 

「っ!?」

 腹部に強い衝撃を受けた。

 かき消されるかのように目前の光景が消え、意識が混乱する。

「嘘つき!! 嘘つき!!」

 目を開くと、何処かの旅館の天井と壁が見え、それと同時にナヒーダの声が聞こえた。

 

「どうしたの~?」

「……きみの能力は、異世界の映像を見るだけには留まらないようだね」

 "嘘つき"と叫び続けるナヒーダ。寝ぼけ眼のクレー。真剣な眼差しのアルベド。

 徐々に頭が覚醒するに従って、なんとなく状況を察することができた。

 

「クレー、今日はボクと寝よう」

「えー! ナヒーダおねえちゃんとがいーい!」

 ぐずるクレーを引っ張ってアルベドが去っていく。

 

 

 

「……ナヒーダ、重い」

「嫌」

「ナヒーダ」

「嫌よ」

 一つため息を吐き、腹の上から退く気のない彼女を、軽く抱きしめる。

 彼女の暖かな体温に触れると、不思議と心が落ち着いた。

 

「そういえば、どうして俺の状態が分かったんだ?」

「居場所が揺らいでいたもの」

 というと、チョーカーの機能によるものか。

 思っていた以上に精密な位置測定ができるらしい。

 

「キスをして」

「まだお預けだ」

「……お願い、頭が狂ってしまいそうなの……」

 彼女から震えが伝わった。

 改めて先ほどの事態を自覚したのか、震えながら、消え入りそうな声で彼女は言った。

 思いがけずに、"置き去り"というものを実際に体感させたからだ。

 

 

 俺は身を起こして彼女を腹の上から膝の上へ降ろすと、何も言うでもなく唇と唇を触れさせた。

 彼女は両手を首に回し、逃さぬよう、俺の頭部を抱き締めてくる。

 そして塞がれた口の代わりに、互いにゆっくりとした鼻息で会話する。

 

 ナヒーダの後頭部を撫でると、リズムが崩れ、一瞬だけ鼻息が強くなる。

 残った片手で彼女の腰を引き寄せて、口元だけでなく胸部や腹部を含めた全身で触れ合う。

 彼女はその間、強く首を抱きしめ、一度もその小さな唇を離さない。

 

 体格的にリードを握っている俺と、握られてしまっている彼女の違いによるものだろうか。

 強く抱きしめて互いの体温を感じる内に、"ふーっ、ふーっ"と、次第に彼女の呼吸は短く鋭くなる。

 対して俺は、ただ唇を重ねてジッと心を落ち着けるに従って、呼吸も長く柔らかくなった。

 

 しばらく動かずにただただ唇を重ね続けていると、彼女も徐々に呼吸が落ち着いていく。

 そろそろ頃合いだと思い唇を離すと、彼女はこちらの肩に置きなおすように手をずらした。

 

 

 膝の上の至近距離から、ジッと目を見つめてくる。

 いつもと違う、敵に立ち向かう時のような、険しく鋭い眼差しだった。

「……嘘つき」

 思い出したように、またその言葉を呟く。

 嘘をついたつもりはないが、何も言い返せない。

 

「あなたはわたくしのすべてなの! なのに! なのに!!」

 徐々に、肩をつかむ彼女の手に力がこもっていく。

「……帰りたいのならっ、帰りたいと言ってちょうだい!! ……わたくしもついていくから」

 ボロボロと涙を落としながら、時折"ひっく"と、喉を鳴らす。

 

 『ついていく』という部分は声のトーンが低く、本気を感じさせるものだった。

 全てを投げ捨ててでもついてくるつもりなのかもしれない。

 神の責務はいいのかと疑念に思うが、彼女は容易に自己犠牲を選ぶようなタイプである。

 自己犠牲とは残された者たちへの無責任である訳だから、その責務は絶対的な位置づけでもないのだろう。

 

「帰ろうと思っていた訳じゃない。確かに帰りたいとは感じるけど、きみのために残ろうと決めたんだ」

「それで帰ってしまっては意味がないじゃない!!!」

「いっ!?」

 ギュッと、本気の力で肩を握られる。

 

「……お願いだから、置いていかないで……」

 喉を絞り切った後のような、引き攣りすぎて掠れた声だった。

 火事場力で握られた肩がすこし痛む。

 

 

 

「はぁ……」

 心を落ち着けるため、そして自己への嫌悪のため、溜息を一つ吐く。

 嘘つき認定されている以上は、こちらから言葉を重ねても意味がない。

 だから、彼女の意見を聞くこととした。

 

「それできみはどうしたい?」

「……首輪を付けたい」

「は? どういう意味だ?」

「こういう意味よ」

 

 強く、首筋に吸い付いてくる。

「ナヒっ!」

 鋭い痛みと共にガリッという嫌な音がした。

 突き放すように膝から押し出せど、その唇は離れない。

 

 その後は首に沿うように強く吸い、順々に内出血痕を付けていく。

 ぞくぞくとした感覚が走るが、これは快感などではなく、単純な恐怖だ。

 小さな唇が、首元から血肉を吸い取るかのような、強烈な違和感。

 血は出ていないはずなのに、一度恐怖を感じてしまえばもうそれを止めることができない。

「くっ」

 思わず声を漏らし首をすくめてしまう。しかし、彼女は意に介さず吸い続ける。

 首にはきっと、彼女の痕が首輪のように並んでいる。

 

 

「……わたくしが怖いの?」

 そう問われて気づけば、自分の肩が小さく震えていた。

「さすがに、頸動脈に噛みつくのは趣味が悪いだろ……」

「………」

 彼女は俯き、黙り込んだ。

 大方、『俺を怖がらせてしまった』という自責と、『わたくしも怖い思いをしたのに』という不満、あとはそれに加えて『怖がられて逃げられるかも』との考えで葛藤しているのだろう。

 

「ナヒーダ」

 名を呼んだだけで、びくりと、彼女の肩が跳ねた。

 そして遅れて見えたのは、萎びた花のような後悔に満ちた顔だった。

 後悔するぐらいならやらなければいいのに、と思う。

 だが先の行動はきっと、ただの心の慰めであり、後先を考えてなどいない。

 

 

 優しい人ならばここで、優しくキスを落とし、甘い言葉を吐くのかもしれない。

 だが、生憎ながら意地っ張りな俺はその気になれなかった。

 むしろ、以前にも『所有物化するなら怒る』と言ったのにまたそれを犯したことや、みっともない姿を見られた逆恨みから、反撃を選んだ。

 彼女の顎に手を添えて、喉を開くように上を向かせる。

 

 状況を呑み込めない彼女は、何をされるのかも理解できていないらしく、されるがままにその白く細い首筋を差し出す。

「先に裏切ったのはきみじゃないか」

「え?」

 意を決して、その肌に吸い付く。

「あっ、んっ!」

 もしこれがゼリーかなにかであれば砕けて吸い込まれてしまうほどに、強く、強く吸う。

 白い肌に、赤い痣が咲いた。

 

 

 酸欠と、彼女の肌に自分の意志で傷をつけたというショックから、頭がボーっとして意識が朦朧とする。

 顎を掴む手を離せば、逃げるかのように、彼女は片手で首を抑えて下を向く。

 ポロポロと、涙がシーツを叩く音が聞こえた。

 その姿を見て強烈な罪悪感が襲ってくる。

 

 ……もう俺たちの関係も終わりなのかもしれない。

 俺は彼女を直視できなくなり、背を向けて布団を被った。

 涙の音の代わりに、ひっくひっくと、嗚咽音が聞こえてくる。

 

 しばらく背後に動きは感じられなかったが、やがて彼女も同じ布団に入り、背部の衣服を小さく握る。

 この小さな手だけが、今の二人の関係を繋ぎ止めるものだった。

 

 

 

 

 翌朝、顔を洗うために二人で部屋を出ると、降魔大聖が待っていた。

 しかし彼は、"ふー"と溜息を吐き、何も言わずに去っていく。

 恐らくこれは、『頭を冷やせ』という、彼なりのメッセージだ。

 

「二人とも、なんで突然スカーフ付けたの? ねえ、ねえ?」

 

 旅館を出発して、赤い小悪魔に煽られながらも璃月港への道を進み、次は帰離原の遺跡で一泊する。

 結局、彼女はクレーに話しかけられても生返事で、誰とも碌な会話をしないままここまで歩いてきた。

 

 

「ナヒーダお姉ちゃーん、いっしょに寝ようよー」

「ごめんなさい、クレー。これだけは譲れないの」

「えー、つまんない! いいでしょー、ちょっとぐらい」

 昼間にナヒーダがあまり構ってくれなかったからか、小悪魔は彼女と一緒に寝たいと駄々をこね続ける。

 

「クレー、お願い……」

 突如、ポロポロと、ナヒーダは涙をこぼし始めた。

 もう精神的に限界なのだろう。

 

「えっ、ナヒーダお姉ちゃん!?」

 呆気にとられたクレーはオロオロとしながら彼女を宥める。

 そこへアルベドが助け舟を出した。

「クレー、おいで。ボクと一緒に寝よう」

 心配そうにこちらをチラチラと眺めながらも、クレーは去っていった。

 

「ナヒーダ」

 俺は彼女の名を呼んで呼び寄せ、アルベド達とは少し距離を離し、就寝の準備をする。

 

 

 

「……ねえ、聞きたいことがあるの」

 指カメラを構えながら、そう声を出した。

 俺はそのポーズの意味を推定できているし、彼女も俺に推定されていると知っている。

 それでも強行するということは、もう形振り構っていられないことを意味していた。

 

「……わたくしのことは嫌いになったかしら?」

「嫌いにはなってない」

 今は一緒に居て気まずいけれども、彼女を嫌いだとは言えない。

 少なくとも、すぐに捨てられはしない程度には大切な存在だった。

 

「わたくしを恐れてる?」

「首筋を噛まれて驚いただけだ」

 まさかキス痕を付けるどころか、噛みついてまでくるとは思わなかった。

 正直に言えば、短絡的かつ場当たり的だから、何をするか分からない部分が少し……。

 

「………わたくしと、永遠を過ごしてくれる?」

「……」

 これに関しては答えようがない。

 俺は永遠の重さというものを漠然としか理解できていないのだから。

 そして、今更ハイと答えたところで、この思考が伝わっている以上は嘘として取られてしまう。

 

 彼女は俯いて、指カメラを解いた。

 その頬には涙が伝っている。

 所詮は俺は人で、彼女は神だ。

 無理に誤魔化すより、限りある関係だということを受け入れるべきなのかもしれない。

 

 

 今日もまた無言のまま、眠りにつく。 

 昨日のように背を向けている訳ではないが、何時ものように抱き合うでも、手を繋ぐでもない。

 男女としては普通でも、ただ隣り合って眠るというのは、俺と彼女にとっては普通でない寝方だった。

 幸いかは知らないが、故郷を垣間見れたからかもしくは様々なショックからか、懐郷の念は収まっている。

 

 ふと、手に温かいものが触れた。

 それは震えていて、おずおずと躊躇っていて、まるで罪人が救いを求めるようなものだ。

 モンドを出発した日の夜の懐郷に苦しむ俺も、種類は違えど、このような様子だったのかもしれない。

 

 自他への呆れとして、心を落ち着けるためとして、複雑な溜息を一つ吐く。

 その音を聞いて、隣の影はビクリと不安に揺れる。

 

 

 俺は彼女の、その小さな温かい手を取ると、"物語"として一つの歌を口ずさんだ。

 少なくとも200年以上前の、古い英語で歌われるスコットランドの民謡。

 日本では別れの曲として知られ、実際に歌いだしには『古い友を忘れ、思い出さないべきか』という歌詞がある。

 

 その歌を聞いたナヒーダは、歌の意図を決別だと捉え、繋いだ手を硬く握った。

 だが本来は『酒を手に、古き良き景色を、旧友と共に思い出す』という、懐古の歌だ。

 

 古く優しい旋律に乗せて歌うにつれ、その手から硬さが抜けていく。

 歌い終われば、手を離さぬままに、今度こそふたりで眠りへとついた。

 

 

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