「ボク達は買い出しへ向かうから、一旦ここでお別れだね」
日暮れより前に璃月港へ着くと、四人分の宿だけ確保して、荷を置いてからアルベド達と別れる。
予定通り、錬金術に必要な素材を購入しに行くらしい。
「じゃあまた後でね、ナヒーダお姉ちゃん! 黒いお兄ちゃんも!」
クレーがぐずるかと思ったが、彼女は素直にアルベドに付いていった。
どうやらここ数日のナヒーダの姿を見て思うところがあったらしい。
二人きりになったところで、声を掛けられた。
「おや、おまえ達」
振り向けばそこには鍾離さんが居た。
何やら目録を片手に荷物を抱えているので、彼も買い物の途中だろうか。
「ふむ……。いくつか話し合いたいことがある。人ならざる者同士で茶でもどうだ?」
「この子を置いて、ということかしら?」
「そうだ」
その言葉に、彼女は子供のように俺の服の裾を掴み、目線を合わせず下を向いた。
「ごめんなさい。わたくしは、彼の元を離れたくはないの」
「ほう。俺の茶会を断るということか?」
「ええそうよ」
「……これは、同じ神としての勧告だ。彼を置いて、出席しろ。さもなくば、そいつは俺の保護下に入れる」
しばし見定めるかのように彼女を眺めていた鍾離さんは、刺すような目つきでそう述べる。
俺を人質に使ってでも茶会に出席させたいらしい。
ナヒーダがさらに顔を俯かせた。
やばい、ここ数日の様子からして、これは泣くだろう。
あまり神さま同士の会話に口を挟みたくなかったが仕方ない。
「鍾離さん。彼女に危害を加えるようであれば、微力であろうと、俺はあなたに楯突かせて貰います」
「安心しろ。俺はお前たちに危害を加えるつもりはない。ただ話をしたいだけだ」
彼は鋭い目つきを緩め、溜息をつくかのようにそう言った。
その様子を見るに、あまり危険度はなさそうに思える。
俺は膝を地へ付けて、覗き込むように彼女と顔を突き合わせつつ説得をする。
「ナヒーダ、少しだけお茶会に出れるか?」
「……」
これは無言の抵抗なのか、それとも思考停止なのか。
額同士を付け、頬を撫ぜてあやしながら優しく語り掛けると、僅かではあるが彼女の精神は回復したらしい。
「……わかったわ。出席する」
そして二人は街を歩いていく。
ナヒーダは何回もこちらを振り返りながら、着いてきて欲しそうにこちらへ視線を送る。
その姿が見えなくなるまで見送った。
「鍾離さんと何を話してたの? あとあの女の子とはどんなカンケー?」
気づけば隣には、黒づくめの衣服に赤い花をあしらった少女が立っていた。
彼の名を知っているということは鍾離さんの知り合いだろうか?
なにか厄介事の匂いがする。
「おっと、私は往生堂七十七代目堂主、胡桃だよ! ところであなた、死ぬ予定があったりしない?」
……まごうことなき変人だった。
きっと鍾離さんの知り合いだな。
「死ぬ予定はないが、何の用だ?」
「まあまあ~、それは歩きながら話しましょ~」
こちらの返事も聞かず、胡桃さんは手足を伸ばした珍妙な歩き方で先を行く。
どこへ連れていかれるのか分からないが、まあナヒーダはチョーカーを頼りにこちらの居場所を把握してくれるだろう。
そして胡桃さんについて歩くが、目的地が全く分からない。
裏路地を通ったり、崖っぷちを歩いたり。
屋根の上を歩き、また路地へと戻る。
「へぇ~。あの子が偉い人で、あなたはそのお付き人なんだ。でも子供を相手しているように見えたけど」
「流石に子供扱いし過ぎたと反省してるんだよ。例え中身が見た目相応だったとしても、あれはもっと小さい子にする対応だった」
まるで野良猫のように街を歩き回る彼女と、たわいのない雑談をしながら進み続ける。
笑ったと思えば真剣な顔をしたり、悲しんだと思えば笑っていたり。
彼女は表情豊かではあるが、なんというか、その表情がふわふわとシームレスに移り変わる。
喜怒哀楽が同一のものであるかのように、違和感なくごちゃ混ぜな感情表現だ。
胡桃さんは恐らく、自分の心身の動きを常に客観視しているタイプなのだろう。
つまりは、この人は生粋の役者だな。
ナヒーダも役者染みた大げさな手振りをする傾向にはあるが、他者からの目線を理解していない彼女と違い、胡桃さんは分かっていて敢えて変に振る舞っている。
「たしかにー。で、なんでそんなことしたの?」
「単純に慰め方が思いつかなかった。彼女は、普段はもう少し頼りになるし、少なくとも人前ではしっかりとしているんだけど」
敢えて子ども扱いすることで大人としての羞恥心を持って貰おうという打算もあるが、それが機能するかは半々だ。
むしろ精神自体は既に大人であることを鑑みれば、人前での奇行に慣れて状況が悪化する可能性も否定できない。
「あっ、やば。走るよ!」
突然手を牽かれ、駆け足で移動する。
路地裏へ入り、幾つかの角を曲がって、先ほどの場所からは見えない通りへ。
「何があったんだ?」
「いや~危なかった。もう少しで従業員に見つかっちゃうところだったよ」
「従業員?」
「そそ。実は私、仕事をサボっているの!」
「……」
「葬儀に関する仕事ならいいんだけど、今回はただのお祭りごとだからね。私がする必要もないかなーと」
目的地が分からなかったのも、サボりのためにぶらぶらしていただけだからだな。
通りで崖やら屋根の上やらのどう見ても道ではない場所を通った訳だ。
「あんた堂主なんだろ? なら部下に指示を出せばいいじゃないか」
「そんないちいち指示を出してたら部下が育たないでしょー。だからこれは仕方のないことなんだよ、うむうむ!」
胡桃さんは自分自身の言葉に同意して見せた。
突如、背後に衝撃を受け、そのまま抱きしめられる。
「心配したのにっ! なんでっ!」
「ナヒーダ! どうしたんだ?」
「おんやぁ~」
自らの背中を見れば、髪飾りを付けた白い頭が顔を埋めていた。
「わたくしっ、あなたを心配してっ」
「待て、まずは深呼吸して息を整えろ」
「なになに~。痴情のもつれですか~?」
背後では興奮で呼吸が乱れてたナヒーダが、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
目前の胡桃さんは、からかうように、もしくは獲物を前にした猫のように、目を輝かせて意地悪そうに笑う。
「堂主、それくらいにしておけ」
「えぇ~! 今いいところなのに」
胡桃さんはぶつくさと文句を言いながら、鍾離さんに連れていかれた。
俺は相変わらず、背後から抱きしめられて身動きが取れないまま、通りのど真ん中で公開処刑をくらっている。
彼女の背が低いといっても肩に少し届かない程度であり、俺の上体を顔と腕で抑えこむほどの身長はあるので身動きが取れない。
片腕を上げて身を捩り、その腕の下を通して背中の彼女に語りかける。
「ナヒーダ、せめて場所を移してくれ」
「……」
返事がない。嫌だということらしい。
何か、何か彼女の心を動かせるような言葉はないだろうか。
「……キスをしたいから、その為にも動いてくれないか?」
その言葉に彼女は小さく頷き、手を絡めて腕に抱きついた。
二人で路地を歩き、そのさらに路地裏へと立ち入る。
「で、一体何があったんだ?」
「キス」
「……鍾離さんに何か言われた?」
「キス」
「…………」
「キス」
「ああもう、わかった!」
「んっ……」
顎を掴んで上を向かせると、その小さな唇に真上から口づけを落とす。
彼女は、目的を達成するためなら、平然と何百回でも同じ言動を繰り返しそうで怖い。
「これでいいか?」
「……モラクスは、わたくしの精神状態が不安定だと言っていたわ。適度であればいいけれど、過度な依存は関係を壊しかねないから気をつけなさい、って」
彼女はようやく納得できたようで、茶会について語り始めた。
「かなりキツく言われたとか?」
「いいえ、むしろ諭すような優しい口調だった。年長者として心配してくれたみたい」
「それじゃ、なぜ俺を心配してたんだ?」
「あなたの居場所が不自然に移動していたから、誰かに捕まってしまったのではないかと思ったの。なのに見知らぬ女性と遊んでいただなんて、……林であっても怒りに騒めくのではないかしら!」
無意味に走り回っていたせいで、逃げ回っているように勘違いさせたらしい。
そこからはしばらく、彼女の不平不満を聞き続けた。
「ねえ、抱っこしてちょうだい」
愚痴に区切りをつけた彼女は、不満顔のままにそう言った。
「はいはい」
抱え上げるために、腰を曲げ、顔を下げる。
その瞬間、彼女の唇が俺の唇を捉えた。
「は?」
不意打ちで心構えができておらず、分かりやすくうろたえてしまう。
「これは罰よ。さあ、抱っこも」
心臓の音がうるさい。
こんな簡単に動揺してしまう自分には嫌気が差す。
日暮れ時の街を、腕に彼女を抱えながら歩く。
腕に座らせるような形で抱き上げているが、俺たちの身長差だと彼女の方が少し目線が高い。
なお機嫌は直っていないようで、憮然とした表情のままだ。
「あれが食べたいわ」
立ち並ぶ屋台の一つを指さした。
手が塞がっているために、彼女がお金を出して品を受け取る。
「はい、あーん」
ムスッとした顔のまま、串を口元に差し出してくる。
俺は一瞬躊躇したがそのまま齧り付き、その姿を見た彼女は口元をわずかに緩ませた。
「気は済んだか?」
俺の問いかけに、彼女は口元を戻し、怒っているというポーズを取る。
「いいえ。許さないもの」
「流石にそろそろ疲れてきたんだけど」
「それなら、あそこの石段に座りなさい」
指示に従い裏路地の石段に彼女を降ろそうとしたが、"膝の上に乗せろ"との注文がついた。
仕方なく彼女を抱えたまま腰掛けて、互いの顔が見えるよう、横向きに膝へと乗せる。
少し離れた祭囃子の喧騒が道から外れたここにも届くけれども、道一本外れただけで随分と遠く寂しく思えた。
彼女から受け取った串を、ようやく空いた手で掴んで食べる。
「この後はどうする? 出し物もあるようだし見に行ってみようか?」
「今日はいいわ。きっとクレーは一緒に見ることを楽しみにしているから、食事だけにしておきましょ」
彼女は未だ不機嫌な表情を浮かべ続けていた。
「ナヒーダ、口元にタレが付いてる」
「どこかしら?」
膝の上の彼女の顎に手を添えて、その唇を奪った。
体を硬直させ、不機嫌な顔は剥がれ落ちる。
これで不意打ちの借りは返した。