草神と行くテイワット   作:ぶれーくだうん

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2. リサさんとのお茶会

 赤い地雷を抱えた翌日、爆発物を処理できぬまま朝を迎えた。

 ナヒーダはこちらの体調に気を張っているようで、俺が目を覚ました身じろぎにより胸元の彼女も瞼を開く。

 

「おはよう。調子はどうかしら?」

 腕の中から小さな手が額へと伸び、体温に異常がないかを測る。

「熱は出ていないようね。今日のお茶会には参加する?」

「……ああ。大丈夫だ」

 

 春の冷ややかな朝の空気に触れて頭が動き出し、だが同時に、昨日のことを思い出してしまった。

 意を決して打ち明けようとするが、『よかった』と微笑む彼女の顔が視界に入り、口が止まる。

 俺にはそれを直視できなかった。

 

 

 布団に頭を埋めて潜り込み、そのまま彼女の胸元に顔を預ける。

「あら、どうしたの?」

「……少し疲れた」

 その薄く柔らかい胸に額を当てて暖かさを感じながら、少しづつ覚醒する意識の中で罪悪感に身を浸した。

 改めて昨日のことを考えれば、考えるほどに気落ちする。

 

「本当に大丈夫? よしよし」

 彼女は俺の頭を両手で抱きこむと、子供を扱うかのごとく撫であやす。

 その優しい声色は俺の心を癒すと同時に、少しづつ心を蝕んでいく。

 

「……ごめんな」

「疲れたときはお互い様よ。わたくしはあなたに沢山助けられた。だから、恩を返さなければ不義理になってしまうわ」

 春の日差しのような暖かな声で彼女は言った。

 小さな片手で頭を抱きしめ、もう片手でゆっくりと丁重に髪を撫で続ける。

 

「やっぱりお茶会は取りやめにしましょうか」

「いや、それまでには回復するから大丈夫」

 俺はしばし、その優しさに縋った。

 だが縋れば縋るほどに心は重くなり、それでいて口は固くなっていた。

 

 

 

 今日は午前中に空き時間があるので、朝食を食べてからは、ソファに座って彼女の出した課題図書を読む。

「読み終わったのね」

 声を掛けられて気づく。横顔をじっと見られていたらしい。

 何が楽しいのか、ニコニコと隣から微笑み続けていた。

 

「……見てて楽しいか?」

「ええ、とても楽しいわ。あなたの目線と表情から、何を読みどう思ったかを推測するの。そうすると、まるで一緒に同じ本を読んでいるような不思議な気分になる」

 この課題図書には彼女が先に目を通していて、その際に本全体を丸暗記しているらしい。

 だから俺が何ページ目のどのあたりを見ているかで、視線にある文章を推定できるのだろう。

 

「それにあなただってよく、わたくしの横顔を眺めているでしょう?」

 バレていた。

 彼女の横顔は、特に学術書を読んでいる時、普段の子供っぽい言動が嘘だったかのように、理知的で美しい姿を見せる。

 そこには彼女の魅力というものが数多に詰まっていて、時折だが、盗み見てしまう。

 

「ただ、ひとつ気になったことがある。今日のあなたは何時もより思索が多いのだけれど、何かあった?」

 一瞬だが、その言葉に心臓が大きく鳴った。

 今ここで言うべきか。いやどうであれ言うしかない。

 そう頭は結論付け、焦燥感が背中を押すが、口先がうまく動かせない。

 

 結局、自白の声が俺の口から出ることはなかった。

 

 

 

 午後からはリサさんとの茶会の予定があるので、体調を心配されつつも図書館へと向かう。

 彼女との交流を嫌っていたナヒーダであるが、しかし、好奇心には勝てなかった。

 未発表の論文を餌に釣られて以降、こうして度々に会話の機会を設けている。

 

 なお新居探しは始めることにしたが、引っ越し自体は当分先だ。

 彼女は今の住居も気に入っているために、もう少しその生活を楽しみたいとのことらしい。

 

「あまり彼にちょっかいを掛けないで欲しいのだけど」

「そうは言っても、もうわたくしたちはお友達だもの。ね、騎士さん?」

 お茶を飲みながら、話の流れで、リサさんは俺に向けて揶揄いの言葉を吐いた。

 親密さを主張する意図でのものだが、その奥にはナヒーダへの揶揄いも兼ねているのだろう。

 

「リサ、わたくしの騎士に手を出したら許さないわよ?」

「あらあら、そのような心配などご無用ですわ」

 

 これは多分、好みではない、という意味だ。

 まあこのように一緒にお茶をしているだけでも場違いな、とんでもない美女がリサさんだし俺にも異論はなかった。

 ただ、わざわざ俺を介して彼女をおちょくるのは止めてほしい。

 

 

「……そういえば、少し探したい本があるの。あなたはここで待っていて」

 珍しく、ナヒーダが一人で本を探しに行くと言う。

 リサさんと二人きりにされるというのは、こうして図書館に通い始めてから初めてのことだった。

 

 小さな背丈が本棚の向こうへと消える。

「さてと……。少し用事があるので、こちらへ来てくれない?」

 ナヒーダの姿が見えなくなると、リサさんもまた用事があると言い出した。

 少し不思議に思いつつも、椅子から立ち上がって、彼女に近寄る。

 

 

「あなたってわたくしのような女性が好みだそうね。クラクサナリデビ様が教えてくれたわ」

 突然の言葉に、理解が追い付かずに硬直してしまった。

 リサさんが俺の好みに触れる意図、ナヒーダがわざわざそれを教える意味。

 ぐるぐると考えを巡らせるが全く状況が読み込めない。

 

 そんな俺の顔を覗き込むようにして、リサさんが前傾になって近寄ってきていた。

「ねぇ、わたくしと付き合わない?」

 直視し辛いほどに魅惑的な目鼻立ちと、視界を蝕むがごとき暴力的な胸元が、目前に広げられる。

 だが、以前のように顔の温度が上がることはなかった。

 これまでの付き合いだけでも、この人がただの揶揄い好きだと理解している。

 

「俺にはもう、心に決めた人が居るので」

「へぇ。でも一晩だけでも、どうかしら?」

 胸を押し付けられた。

 水が雪崩れ込むような、どたぷんとした感触が、視覚の暴力を視覚だけでは済まないものにする。

 

 だがきっと、この誘惑に乗るとろくな目には会わないだろうことは予想が付く。

 なので、別に振り払いはしないが、毅然な態度を取る。

「お断りですよ。彼女が悲しむと分かっていて、手を出せる訳がない」

 

 

 

「ふーん。まぁ、合格よ。そうですよね、クラクサナリデビ様」

 その言葉を合図にして、ナヒーダが本棚の陰から現れる。

 嬉しそうでもあるが、不本意でもあるという複雑な表情だ。

「リサがあなたを使いたいと言うので、賭けをしたの。あなたがリサの誘惑を振り切るなら、使ってもいいって」

 どうやらこのやり取りは全て見られていたらしい。

 

「……それって、きみが得るものがないんじゃないか?」

「いいえ、わたくしはあなたへの信頼を得られるもの。それにリサはとても優秀な学者よ。彼女との友好を結んでおくことは、今後のためにも有用ではないかしら」

 そう建前を語った後に、彼女は本心を言葉にした。

「……本当は、あなたをリサと二人っきりにするのは嫌。だけどわたくしは、もう少し成長しようと思ったの」

 鍾離さんに忠告された依存的な部分を、改善しようとしているのだろう。

 

 対して俺の先の行いは、確実にそれを台無しにして悪化させるものだ。

 ……こんなことであれば、昨日の内に自白しておくべきだった。

 今更どんな顔して伝えればいいのか分からない。

 

 

「俺を使うとは言っても、リサさんにとって俺に価値などないと思うけど」

「騎士団員は忙しいし、それ以外は信用ならないでしょ? だからあなたは便利な立ち位置に居るの」

 ナヒーダヘ向けて口にした俺の疑念に、リサさんが回答した。

 

「つまりは便利な雑用係ということですか」

「ええ、そう思ってくれて構わないわ。一応の肩書としては司書補佐ね」

 草神の部下という立場が、ある種の身分保障として働くらしい。

 まあ書籍というものは貴重品でもあり得るから、破損や紛失を防ぐためと考えれば合理的ではある。

 

 その後は簡単に仕事の説明などを受け、そしてまた茶会へと戻った。

 

 

 

 茶会を終え、図書館を後にした帰り道。

 ふと聞いてみたくなった言葉を口にする。

「なあ、もし俺が浮気したらどうする?」

 

「……したの?」

「いや……」

 あれは浮気に入るのか。それとも事故なのか。……事故だとしてもアウトだろう。

 

「お願いだから、わたくしを不安にさせるようなことは言わないでちょうだい」

「……分かってるよ」

 モンドの街並みを歩く俺たちに、沈黙が落ちた。

 

 

「わたくしはあなたの冗談で、少し心が不安になってしまった。だから罰として抱っこをしなさい」

 しばらくして彼女は突如、我儘を言い出した。だが俺は溜息を付くことすらできない。

 言われるがまま、彼女を腕に座らせるようにして抱き上げる。

 

 座高が頭一つ分しか違わないために、こうして抱えていると流石に彼女の目線の方が高くなる。

 しかしその差は小さいものであり、膝の上に乗せた時と同様に、彼女の顔が至近に見えた。

 そして彼女は俺の両頬へ手を当てて、子供に言い聞かせるかのように語りだす。

 

「……わたくしはあなたを信じているわ。だってそうでしょう。あなたはわたくしをここまで連れてきてくれたのだから」

 その言葉は俺へ向けてのものであると同時に、恐らく、彼女が彼女自身に言い聞かせるものだった。

「あなたはわたくしをガイド役だと言ったけれど、わたくしにとってはあなたがガイド役なの。あなたが居なければわたくしはここに居ない。そのことは覚えておいてね」

 

「………」

 俺はそれに答えることができず目線を下げる。

「ふふっ、今日のあなたは何だか子供みたい。大丈夫よ、わたくしがついているわ」

 "うりうり"と言いながら、彼女は子をあやすかのように頬を揉みしだく。

 

 時間が経てば、風化して話しやすくなる。そんな打算があった。

 だがその企みは完全に破綻していると、ようやく気付いた。

 

 

 

 家に戻って一休みした後は、彼女を膝に乗せてソファに座り、小説を一緒に読む。

 

 本を持ちページを捲るのは彼女の役目で、俺はその後ろから彼女を両手で抱き、その肩に顎を載せてページを覗き込んでいる。

 俺の目元には丸く小さなサングラスが掛かっていて、それが視線を追跡し座標を彼女へ伝えた。

 彼女はその座標を元に俺の読むペースを把握し、適切なタイミングで次へと進む。

 

 これは、同じ小説を読むのならば視線を共有したほうが効率的だ、という理由でこうなった。

 最初は文字通りの意味での視界の共有を目論んでいたようだが、それを拒否した結果がこの視線共有だ。

 

「その部分について、あなたはどう思う?」

「俺としては彼の意見に同意だけど、その論拠については同意できないな。きみは?」

「わたくしは……」

 

 時折に彼女と議論を交えながら、読み進めていく。

 互いにあれこれと考えを述べるのが嫌いではない性分なので、こうして一緒の本を読むのも悪くはないものだった。

 

 

 彼女の作ったこの色眼鏡は、俺の要望により、古風で珍奇な小丸眼鏡となっている。

 視線を読み取るこれを、間違ってもサングラス代わりに付けて街を歩きたくはないので、常用し難いように敢えて胡散臭いデザインを選んだ。

 

 本を読み終えると、彼女は膝の上で体を回してこちらを向く。

「その眼鏡を掛けていると、ドリーという商人みたい」

「ドリー?」

「ええ。見た目は小さいけれど、とても聡明で、とっても優しいの!」

 

 信用が第一であるはずの商人が、胡散臭い色眼鏡を掛けてやっていけるのだろうか?

 色々と疑問点はあったが、今はそこまで興味を持たなかった。

 

 

「……さて、読み終えたし夕食にしようか」

「そうしましょう。それは通信機でもあるから大事にしてね」

「は? これが?」

「そうよ。機能が軽くなったから、代わりに別の機能を搭載してみたの」

 常用拒否という目論見が粉砕された瞬間だった。

 

「……通話機能ならスマホ端末の方に入れればいいんじゃないか?」

「まあ、忘れてしまっていたわ」

 彼女はそう言って楽しそうに微笑むだけで、言葉を続けなかった。

 つまり機能を移転させる気はないらしい。

 

「……目線検知のオンオフ機能を付けたりは」

「なにか、不都合でもあるのかしら?」

 有無を言わせぬような笑顔で、ジーっと彼女は見つめてくる。

 

 これはきっと、リサさんへ向ける視線を警戒してのものだな。

 道理を説いたところで、あれこれ理由を付けてゴリ押されるだけだと予想できるので、説得は諦めた。

 

 

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