草神と行くテイワット   作:ぶれーくだうん

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3. 任務遠征

 モンドの街の外へと遠征に出た日、雨が降り出した。

 滝のような大雨だ。

 

「今回の任務は中止しましょうか」

「ああ、仕方ないな」

 この先の道がどうなっているか分からない以上は引き返すべきだろう。

 例え雨が上がっても土砂崩れなどで通れないことが懸念されるし、もし雨が長引けば俺たち自身にも危険が及ぶ。

 

 加えて、雨具はあるがそれを着ると動きづらくて体力を消耗するし、しかも着たまま運動をすれば汗によって全身がびしょ濡れになる。

 では何も着ずに雨曝しでも同じではないか、と言えばそうではない。

 雨とは流水であり、雨具なしにそれを受ければ、川の中を泳ぐかのように体温を奪われてしまう。

 体温の低下は体力を大きく削ぐので、結局は雨を防がないことに歩き続けることは難しい。

 

 そういった理由もあり、冒険者協会からの今回の依頼任務はキャンセルすることになった。

 

 

 

 引き返した道沿いで見つけた小さな遺跡で雨宿りしながら、夕食の準備の前に、雨具を脱ぎ衣服を着替える。

 いつもであればもっと早く雨を凌げる場所が見つかるものだが、今日は運が悪い。

 

 無理に急ぐこともなく、彼女の歩幅に合わせてややゆっくりと歩いたお陰か、思っていたほどは汗で濡れていなかった。

 しかし雨具によって遮断された内部は、どうしても蒸れてしまって全身が湿ってしまう。

「汗と雨で生乾きの匂いだな」

 生乾き、つまりは温度と湿度によって雑菌が繁殖したものであり、あまり歓迎できるものでもない。

 

「そうなの? 是非、嗅がせてほしいのだけれど」

「……きみは俺を細菌の培地か何かと勘違いしてないか?」

 小さな雨具を脱いだ彼女が、新しいものを見つけたと瞳を輝かせ、こちらを見つめてきた。

 俺はそれに対して苦言を呈したものの、あまり効果はないだろうことは分かっている。

 

 

「いいえ。わたくしはあなたの匂いだから、それを嗅いでみたいの」

「今その言葉を言われても、単なる好奇心によるものとしか思えないな」

「あら、じゃあこう考えてはどうかしら。いつも嗅いでいるのだから問題はない、と」

「そこまで嗅ぎまわられた記憶はないんだけど」

 

「あなたが気付いていないだけよ? 例えば、あなたに抱きしめられているときには、あなたの胸元の匂いを嗅いでいるわ」

 思い当たる節があった。

 やけに胸板に顔を擦り付けてくるな、と感じた経験がある。

 

「……それはそれで少し趣味が悪いだろ」

「いつもではないもの」

「おいまて、矛盾してるじゃねーか」

 最初から真面目に話す気はなかったのか、彼女はクスクスと笑うだけだ。

 

「少しだけでいいの。わたくしにも嗅がせて?」

 可愛らしい微笑みから放たれるその真っすぐなお願いには、折れる気など更々無いことが伺えた。

 なので諦めて彼女の好きにさせる。

 

 

 両膝をつき屈みこむ俺の頭を、小さな両腕に抱え込むようにして、彼女は匂いを嗅いだ。

「ふむ。時間が経つとこうなるのね。覚えたわ」

「覚えないでいい。……代わりに次は、きみの匂いを嗅ぐからな」

「ええ、いいわよ」

 

 そうして差し出された、彼女の白くふわふわとした頭に鼻を埋める。

 雨に濡れたまま時間の経ったその髪もまた、俺と同様に生乾き特有の匂いが生じていた。

「若干……、雑草臭い?」

 そう呟いた直後、緑色の光が彼女を包む。

 

「匂いが消えた」

「だって変な匂いを嗅いでもらいたくないのだもの」

「それが他人の匂いを嗅いでみたいと言い出した奴のセリフか?」

「嫌なものは嫌なの」

 

 人間として生活するための情緒が育っているという点では朗報であるが……。

「流石に理不尽なんだが」

 

「ならあなたの匂いも消してあげるから許して?」

 彼女が手をかざし、俺の体を緑光が包む。

「……これ、消臭効果ではないな。ハーブの香りを上手く使って匂いを誤魔化している」

「正解よ。本当は匂いそのものを消せればよかったのだけれど」

 

 中世には風呂に入らず香水で誤魔化していた時代があったというが、これもまた似たようなものだろう。

 遺跡の外では、より一層に雨脚が強まっていた。

 

 

 

 閃光が視界を白く染め、轟音が響く。

 どうやら至近に雷が落ちたらしい。

 

 びっくりした彼女は、驚きに呆けた顔のまま、いそいそと腕の中に潜り込んでくる。

「雷なんて初めてでもないだろうに」

「そうね。でも、こんなにも迫力があるなんて知らなかった。まるで空が一筋に落ちてきたかのよう」

「確かに雷雲の真下で過ごしたことは未だなかったな」

 

 ぎゅっと衣服を掴んで胸の中に身を縮める彼女。

 それをそのまま守るように抱きしめて、適当な場所へ腰を下ろす。

 外ではゴロゴロと、大音量で轟音が響き、その度に腕の中で身をびくつかせる。

 

「こうした方がいいか?」

 片腕を彼女の頭部に回し、その長い両耳を腕と掌で閉じて塞ぐ。

「(…ええ、いいわ。なんだか落ち着いた…)」

 耳を塞がれて会話が聞き取りづらくなったからだろう、彼女は久々に接触通話を試みてきた。

 

 雑音を減らすために、今一度しっかりと腰を抱き寄せて、お腹とお腹をくっ付ける。

「(こうして会話するのも、なんだか懐かしいな)」

「(雪山以来ね)」

「(ああ、アルベドとの初邂逅か……)」

 あの時も悪天候に見舞われたのが原因だった。

 

 

 ふと先ほどの、雷に驚いて目を丸くした彼女の姿を思い出す。

「(きみは表情が多彩で凄いよ。俺よりも遥かに情緒に溢れていると思う)」

「(あなたも多彩な表情をしていると思うのだけど)」

 

「(俺は相手に合わせてるだけだから。俺の表情が多彩なら、それはきみの功績だ)」

「(……確かに、あなたは犬と会話するときに、犬のような笑顔を浮かべているのだもの)」

「(それって誉め言葉?)」

「(当然。動物や子供を相手に、対等な立場で話しかけられるのは稀有なことよ)」

 

「(ならきっと、俺を好くのは動物や子供のような奴なんだろうな)」

「(……わたくしは子供ではない。そのことを教えてあげる)」

 彼女の唇が伸び、俺はそれに答えた。

 

 

 

 

 遺跡で夜を明かした次の朝。

 目が覚めると、彼女が胸板の上へ被さるように眠っていて、その口元は俺の首を捉えていた。

 下向きかつ口を半開きで寝ているので、首元が涎まみれだ。

 

「っ!」

 その光景が、望舒旅館で彼女に噛み付かれた、あの時の記憶を想起させた。

 気づけば自分は、"はぁはぁ"と過呼吸気味に息を吐いていて、更には頭が締め付けられるように痛んでいる。

 

「……どうしたのかしら?」

 過度な呼吸によって胸板が大きく上下し、そこに寝ていた彼女を起こしてしまった。

「あら。ごめんなさい、涎をこぼしてしまったみたい。拭くから少し待っていて」

 彼女が荷を漁るために胸の上から退く。

 

 俺は手で自らの首へと触れた。

 べちょりとした感触がして、暖かく粘性のある液体が付着する。

 しかし手は赤く染まってはいなかった。

 

「恥ずかしいから、あまり触れないでちょうだい」

 ボーっと手を眺めていると、タオルを持ったナヒーダが首と手に付いた涎を拭き取った。

 

 

 記憶というものは、脳の構造として、忘れられることはないものだ。

 不必要な記憶は、無意識の海に沈んでいるだけで、決して消えることはない。

 今のように精神が不安定になれば、沈んでいた記憶が、暗礁のごとく波の狭間に顔を出し始める。

 

 俺は、膝立ちの彼女の腰へと抱きついて、そのお腹に頭を預けた。

「ごめん、少し抱きしめてくれ」

「あら、お安い御用よ」

 彼女は自らのお腹を撫でるかのような手付きで、腹に抱え込んだ頭部に触れる。

 

「ふふっ。最近はあなたがこうしてわたくしを頼ってくれるから、嬉しいの」

 彼女は楽しそうな声でそう語り、見えないものの、恐らくその顔には笑顔を浮かべている。

「きっとあなたは頑張りすぎてしまったのね。でもわたくしは、少しぐらいダメな人のほうが、可愛らしくて好きよ」

 囁いて、両手でそっと俺の頭を抱きしめた。

 

 外では雨がまだ降り続いている。

 彼女は俺を抱いたままに、子守歌を歌う。

 少女らしい音の高さと、大人びた声色の深みが印象的だった。

 

 

 

 雨が弱まったのを見計らい、自宅への帰路につく。

 モンドの街へ到着したのはその日の夜で、先ずは家で荷物を降ろしてから、体を温めるため銭湯へ。

 

「これ、今日の分のアルイクシルよ」

 風呂から上がると、そのまま外で夕食を済ませ、自宅へと帰った。

 そうしてソファでくつろいでいるところに、例の薬酒を差し出される。

 

「もう体調は問題ないのだが」

「ダメ。飲みなさい」

 もはや有無は言わせる気がないらしい。

 仕方なく、それを飲み干す。

 

 

「……ここ数日、なんだか触れ合いが減ったような気がするわ」

 飲み終えた酒杯をサイドテーブルへと置く俺に、ナヒーダはそう不満を口にした。

 恐らく彼女への負い目から、自発的な接触が減少してしまっていたのだろう。

 

「ねえ、わたくしを触って。褒めて」

 彼女は膝に乗って、俺の首の後ろに両手を回し、正面からしな垂れかかってきた。

「あなたでなくてはダメなの。だから、あなたの手で触れてちょうだい」

 

 小学生の上半身と、中高生の下半身。ずんぐりむっくりとした、ドワーフのような体形の彼女。

 寝間着姿で、うねる髪を真っすぐに下ろし、しっとりと微笑んでいるその姿は、俺が大切にすべき愛おしいものだ。

「……きみは本当に可愛いよ」

「ふふっ、嬉しい。…さあ、もっと触れて?」

 

 彼女は俺の手を取って、自らの背へと回した。

 乞われるがまま小さな身体を抱き寄せれば、彼女が少し腰を浮かせているのもあり、互いが互いの首元へと顔を埋める。

 それはまるで首と首でキスをしているかのようだった。

 

 彼女の背をゆっくりと撫で、しばらく抱き合って時を過ごす。

 呼吸の硬さは気づかれなかったらしい。

 

 

 

「起きてほしいのだけど」

 うつらうつらと意識を遠のかせていると、耳元で声がしたので首元から顔を上げる。

 すると彼女は顔を寄せて、唇と唇が触れる寸前の、吐息が掛かる距離で止めた。

 どうやら口付けをしたいらしく、これはその許可を待っているということだろう。

 

 悪戯心から、そのまま何もせずに見守っていると、徐々に彼女は顔を赤くして耳を垂らした。

「……なんだか恥ずかしいわ」

「きみにも羞恥心が育っているようで安心した」

「こんなにも繊細な感情が育つのも、あなたのおかげよ? だから、お願い」

 

 言葉に応じて、羽根が触れる強さで、僅かな口づけを落とす。

 微かに先端部を触れさせるようにして、唇で唇をくすぐり、彼女の恥ずかしさを煽る。

 

「意地悪ね」

 先ほどよりもさらに赤みの増した彼女が、不満げに目を細めて言う。

「きみが可愛いのが悪い」

「……いじわる」

 

 もう一度、距離が縮まる。

 今度は意地悪をせずに、きっちりと唇を絡めた。

 ……絡めることができた。

 

 

「ねえ、あなたはわたくしの何処が好きなのかしら?」

「んー。知的で落ち着いていて、その割に好奇心を残していて、面白く可愛いところとか」

 彼女を女性として見ることに関してはそれなりに悩んできたので、好意的に感じる部分はある程度自覚している。

 だから簡単にであれば、好きな点をあげるのはさほど苦ではない。

 

「日常的な場面でいえば、くだらない無駄話を楽しそうに聞いてくれて、それでいて学術的な分野にも知性と好奇心を持って会話ができるとこが好きだな。きみがそこに居てくれるだけで、生活が楽しくなる」

 無駄話はクレーが、学術的な会話はアルベドが付き合ってくれるが、その両方をできるのは彼女だけだ。

 

「で、きみは俺のどこが好きなんだ?」

「……教えてあげないわ」

「それはずるくないか?」

「いいえ、意地悪さんにはちょうどいいもの。……そういえば、昨夜あなたが読んでくれたお話がもう一度聞きたいの」

 

「あの嵐の中で読んでいたのは確か……、"春と修羅"だったよな。初めからでいいのか?」

「ええ。少し難解だったから、何度も読み聞かせてちょうだい」

 その姿は、いつもより少し上機嫌だった。

 

 

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