草神と行くテイワット   作:ぶれーくだうん

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5. 違和感

 精神的な問題のためか、今日は早めに目が覚める。

 

 手洗いへ行ってからまたベッドへと戻ってくるが、毛布へ入ると、小さな腕が首元へと抱き着いた。

「おはようのキスをちょうだい?」

 断るわけにもいかないので、唇の先を軽く触れさせ、腕を外して二度寝に入る。

 

「……これが倦怠期というものなのかしら」

 彼女は不満あり気な態度で仰向けの俺の腹へと登り、馬乗りになった。

 そして恐らくは倦怠感に対する対応として、色仕掛けでも目論んだのだろう。

 俺の手を取り、これ見よがしに薄い胸へと押し付ける。

 

「気分じゃないから止めてくれっ」

 抑えようとしたが、少し威勢が乗ってしまった。

 声の大きさは変わらないとはいえ、これでは怒鳴っているようなものだ。

 

「ごめんっ、なさい……」

「……俺が悪かった」

 

 泣き出しそうな顔から逃げるために、彼女を横へ降ろしてその小さな胸元に頭を預ける。

「ごめん、少し抱き締めてくれ」

「……」

 彼女はおずおずと、おっかなびっくりの手つきで俺の顔を抱いた。

 

 

「……やっぱり最近のあなたは変。本当に、どうしてしまったの?」

「ごめん」

「理由を話してくれる?」

「……ごめん」

 その言葉を最後に、互いの間に沈黙が降りる。

 

 しばらくすると彼女は痛いほどに強く抱きしめてきた。

 その腕にはわずかに震えが乗っていて、俺の態度から不穏なものを感じ取ってしまったようだ。

 俺は顔を上げようとしたが、彼女は絶対に離さないとばかりに腕の力を強める。

 これは彼女なりの、非言語的な意思表示だろう。

 

 力尽くで起き上がれば無理やり解けるが、そんなことはできなかった。

 彼女の腰に手を回し、しばし抱き合って過ごす。

 

 

 

 今日もリサさんの手伝いの予定が入っているが、それは昼頃からなので午前中は時間が空いている。

 だから彼女のご機嫌取りも兼ねて、日課のカフェ巡りへと繰り出した。

 

「ここはプリンが美味しいのよ。ほら、あなたも食べてみて!」

 いつもより少しテンションが高く、押しつけがましい。

 恐らくは、今朝のことをまだ気にしているためだ。

 

「んっ……。舌触りの良いプリンと、カラメルの苦さが支えあっていて美味い」

「そうでしょう。きっとあなたも気に入ると思っていたの」

 どうやら事前にリサーチしていたお店であるらしく、俺の手元にあるカプチーノも深く焙煎された苦みの強い豆を使用したものだった。

 

「確かに俺好みだ。流石は知恵の神さまだな」

 本当に俺には不相応なほど、人好きで可愛らしい神さまだ。

 そして自分の仕出かした事を思うと、彼女を傷つける位ならば消えてしまいたく思う。

 

「……またその目」

 コーヒーに目を向け思索していると、彼女の不機嫌な声が聞こえた。

 "その目"とはどういう意味なのか。

 それが気にはなったが、彼女は言葉を続けなかった。

 

 

 

 昼頃に図書館へ向かうと、入り口でナヒーダからの待ったが掛かる。

「サングラスを付けて」

 

「……別に同じ図書館の中に居るわけだし、必要性はないだろ」

「なにか不都合があるの?」

「……」

 恐らくは色眼鏡の視線追跡機能を使うつもりなのだろう。

 元から視線には気を付けているが、今日はより一層気を付けないといけない。

 

 

「あらあら、可愛らしい眼鏡ね」

 図書館へ入ると共に司書に見つかり、からかいの言葉が飛んできた。

「ふーん?」

 リサさんは胸元を強調するかのように両肩を寄せながら、前屈みに覗き込んでくる。

 目線を向けたらアウトなので全力で視線を逸らすが、その直前に見えた彼女の瑞々しい唇が、脳裏には焼き付いていた。

 

「へぇ、面白い機能がついているようね」

「リサ。彼をからかわないで」

 その声を聞いて、彼女は目線をナヒーダへと向ける。

 

「あまり、趣味のいいものとは言えませんよ、クラクサナリデビ様」

「……余計な口をださないでちょうだい」

 リサさんはいつも通りの笑みを湛えながらも、心なしか真剣な雰囲気で言う。

 ナヒーダが声のトーンを落として威嚇をするが、どこ吹く風。

 

「あら、これは一般的な意見として口にしたものなのですが。そのような事をしていては、いつか彼に逃げられてしまいますわ?」

 何てことない様子で吐かれたその言葉は、明確に彼女の地雷を踏んだ。

「……帰るわよ」

 ナヒーダに腕を引かれ、仕事を放棄して図書館を後にする。

 

 

 図書館を出ると、すぐさま路地裏へと連れ込まれた。

「キス」

「……ナヒーダ」

「キス」

「………」

「キス。……んっ」

 

 路地の暗がりで、無限ループを始めた彼女の顎を取り、口付けを交わす。

 頭二つ分の身長差がある俺たちは、ほぼ真上と真下で迎え合った。

 

 キスを終えた瞬間、そのまま顔を引っ張りこむかのように、彼女に両頬を掴まれる。

「……あなたはリサが好きなの?」

「いいや……」

「なら何故、彼女の唇を見たのかしら? キスをしたいから?」

「……」

「答えなさい」

 

 俺を見上げながら、鋭い目つきで彼女は問い詰める。

 あの時、胸元からは目線を逸らしたが、その途中で一瞬、艶やかな唇に目が止まってしまった。

 やはりそのような一瞬の躊躇いすら、この色眼鏡は読み取った。

 

 

「………」

「…………お願いだから、わたくしを捨てないで」

 考え込んだ俺の様子にしびれを切らした彼女は、睨みつけるような表情のままに涙を流した。

 俺はその視線から逃れようと目線を逸らし、謝罪の言葉を口にする。

 

「ごめん」

「ごめんじゃないの!!」

 路地裏に叫び声が響く。

 

「……わたくしは、わたくしなりにっ、頑張っているはずなのっ! なのにっ、なのにっ……」

「………」

「あなたのためのこの頑張りはっ、……間違いだったの?」

「………」

 理由は異なっているものの、彼女の努力を台無しにしていることには違いない。

 だから俺は、何も言えなかった。

 

「っ!」

 彼女は何も言わない俺の様子にショックを受け、目で見て取れるほどの震えと共に、頬から手を放す。

 そして俯いて目を合わせないままに、俺の衣服を強く掴んだ。

 

 俺はせめてもと膝立ちになって目線を合わせようとしたが、彼女にとって対話はもう終了したようで、何も言わずに首筋に顔を埋めて抱きついてくる。

 こちらとしても、これ以上、何を言えばいいのか分からなかった。

 なので、しがみついて離れなくなった彼女をそのまま抱きかかえて、自宅への道を歩き出す。

 

 彼女は道中ずっと俺の首に顔を埋めていたが、そこには冷たいものが、引っ切り無しに伝い落ちていた。

 

 

 

 彼女を抱いたままベッドのふちに腰かけて、濡れタオルで彼女の足の裏を拭う。

 汚れたタオルは椅子へ投げ、未だに手を放してくれない彼女と一緒に、ベッドへと横になった。

 

 しばらくして、泣き疲れたのか、すぅすぅという寝息が聞こえてくる。

 緩んだ腕の中で身体を離すと、赤く腫らした目元のままに瞳を閉じた彼女の顔が見えた。

「……きみはよく頑張ってるよ。悪いのは俺だ」

 

 彼女の腕に力が入り、顔を隠すかのように抱き着かれる。

 どうやら目が覚めていたらしい。

 

「ナヒーダ、俺が好きなのはきみだけだ」

「……」

 返事はない。

 聞こえるのは、遠く響く街の喧騒だけ。

 

 その腕は未だに力強い。

 煩いほどの無言が、何も言葉にしないままに不服の意を伝えてくる。

 俺はそれから逃れたくて、彼女を抱きしめ返し、目を閉じた。

 

 

「……うそつき」

 ずいぶん経ってから、彼女の声が小さく聞こえた。

 

 

 

 

 ひと眠りした結果、窓の外は完全に日が暮れていた。

 酒場の喧騒すら落ち着いているので、おそらくは真夜中だろう。

 

 ベッドから出ようとしたが、小さな手が服を固く握りしめていてそれを阻む。

「ナヒーダ」

「嫌」

 まだ、気分は戻らないらしい。

 

 推測される現在時刻と今からすべき物事を考え、一つの提案をする。

「……少し飲みに行かないか?」

 行きつけのお店なら、少しぐらいはお酒も出してくれる。

 一般的な飲食店は開いていないだろうし、気分転換に行ってみるのもいい。

 

 彼女は何も言わずにベッドから立ち上がり、俺の斜め後ろにピッタリとくっ付いた。

 了承と判断して家を出る。

 

 

 服を掴んで離さない彼女を連れて何時もの居酒屋に入ると、軽食と共に酒を二杯注文する。

 離す気がなさそうなので、並んで座れるようにカウンターの、会話がしやすい端っこに陣取った。

 

 月の満ち欠けと高度から推測して、今は夜中の静かな時間帯である。

 だがそれでも酒を手に騒ぐ人々は店内に居て、そのおかげで静か過ぎず煩過ぎない丁度いい塩梅だ。

 

 彼女は片手でグラスを持ち、少しづつその中身を傾ける。

 食事が届いても会話は無いままで、互いに黙々と口を動かす。

 そして俺は、意を決して口を開いた。

 

「……実は俺、きみに言わなくてはいけないことが」

「嫌。聞きたくない」

 食い気味に。

 言葉を遮るようにして、断固とした口調で拒絶を受けた。

 

「でも……、っ!」

 言葉を続けられなかった。

 足元から伸びた植物が、俺の口元を覆ったからだ。

 

 

「あなたがこの頃よくしている目付きは、以前わたくしとの関係を打ち切ろうとするときに浮かべていた眼差しよ」

 彼女の言っていた"その目"という言葉の意味が分かった。

「でもわたくしは、あなたと離れることだけは嫌なの」

 きつく巻き付いた蔦は、万が一にも逃しはしない、そんな意思を感じさせる。

 

「これまでのあなたの態度からして、あなたの言おうとしている何かは、わたくしたちの関係に対して悪いもの。そう推定ができている。だから、聞かない」

 彼女は一度こうと決めたら頑固になる。

 朝には事情を聞こうとしていたが、昼間の出来事からもう聞かないと決めたようで、そのためなら実力行使すら厭わないらしい。

 

「箱に閉じ込められてしまった猫の生死は、その箱を開かない限り確定しないわ。だから、例えそれがただの夢幻だと言われようとも、わたくしは箱を開かない」

 以前の件でシュレーディンガーの猫を知っているのか、それとも同様の例えがテイワットに存在したのか。

 どちらにせよ意味合いは変わらない。

「わかったかしら?」

 彼女は微笑んだ。蔦が解ける。

 

 

 それはつまり、"何も言うな"という一言をもっともらしく言い換えただけだ。

 だがここで口を開けば、次はもっと酷い何かが待っていると、予期させられている。

 もしかしたら虚仮威しに過ぎないかもしれないが、その場合でも彼女が自暴自棄に走れば酷い結末を迎えるだろう。

 

 結局、俺は何も言わず酒に口を付け、彼女はその様子をニコニコとした顔で見守る。

 今の俺にとってはその、仮面染みた笑顔が怖かった。

 

 

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