草神と行くテイワット   作:ぶれーくだうん

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9. ゆめのあと

「捨てないで!! お願い、わたくしが悪かったから!」

 意識が覚醒した途端に、傍に居た彼女が叫びながら抱きついてきた。

「お願いっ! お願いっ! どうかっ、捨てないでっ! 捨てないでっ!」

 ひっくひっくと泣きじゃくり、鼻水まで垂らしながら、なりふり構わずに喚きたてる。

 

 周囲を見ればここは自室のベッドの上で、彼女は看病として寄り添っていたらしい。

 原稿用紙が散らばっているのを見るに、傍らを離れないまま執筆の仕事も続けていたのだろう。

 

 やはり俺と彼女の能力には相性の悪さがあったらしく、つんざくような激しい頭痛が襲っている。

 ……これは負荷調整とやらに失敗しているのではないだろうか。

 しかし、状況的に泣き言は言っていられない。

 

「いい加減、俺を見てくれ」

 必死に思考を回して意識を保ちながら、胸元にしがみつく彼女ごと体を起こし、無理やりにでも顔を突き合わせた。

 そして、その顎に手を添えて上を向かせ、唇を奪う。

 

 夢の中でも、彼女はキスだけは拒まなかった。

 唇を絡めれば、何時ものように小さな唇が応じる。

 

 

 断固として俺を映そうとしなかった瞳とようやく目が合った。

 ゆっくりと舌を差し込めば、夢で予習したお陰か、たどたどしいながらも彼女は小さな舌を絡め返してくる。

 今にも泣きだしそうなその眼差しと目線を交わしながら、夢の中よりも優しい愛撫で口の中を絡めあう。

 

 小さな腰が逃げていくので空いた片手で引き寄せる。

 舌というのは唇と同じ柔らかさを持っていながら、それよりも自在で、遥かに敏感なものだ。

 ましてやその絡め返してくれる相手が愛おしい人であれば猶更に。

 くすぐったいだけでは済まない、全身が動いてしまいそうなほどの過度な刺激が口元から流れ落ちる。

 

 身長の違いによる高低差。彼女の喉が動き、重力に従った唾液を呑み込む。

 その姿は餌を貰う雛鳥かのようだった。

 

 

 

 舌を絡め終えたあとの彼女は、ぽーっとした顔でしばらくフリーズする。

 先の感覚を思い出して浸っているのか、半開きの口の端からは涎が垂れてその頬を装飾していた。

 

「落ち着いたか?」

 こくりと、彼女の頭が縦に答えた。

 話し合いができそうなので、痛みに慣れてきた頭をどうにか回し、何を話すべきかを考える。

 

「……捨てないでちょうだい」

「俺はきみを捨てるつもりはない」

「嘘よ!! だって! だって……」

 尻すぼみに威勢が衰えていく。

 

 彼女の頬に手を添えて、泣き腫らした目元を指で拭った。

「俺の方こそ、きみに捨てられてしまうのではないかと怖かったんだ」

 未熟ながらも聡明で、それでいて短絡的な、手を伸ばせば簡単に腕の中に収まってしまう小さな彼女。

「きみの心が壊れ、実質的にきみを失ってしまうことも怖かった。きみのあのような姿は、見ていられない」

 

 見捨てられることを恐れる彼女に、少しでも寄り添うために、俺の感じた怖さを語り聞かせる。

 そのおかげか、きちんとこちらの言葉に耳を傾けているようだ。

 

 

「繰り返し言うが、俺にきみを捨てるつもりはない」

「……信じられない。あなたはもう、わたくしを捨ててしまうもの」

 短絡的な癖に頑固な彼女は、やはりまだ考えを変えては居ないらしい。

 そもそも、短絡的に見えるのは頑固だから。つまり『自分ならこうする』とか『この場合こうなる』と、事前に決めつけていてそれを変えないから、結果として考えなしに見えるのが彼女である。

 

「きみは、在りもしない未来を、確信を持って信じ込む気質だ」

「でも、いつかは……」

「それは今ではない。少なくとも今ではないんだよ」

 

 彼女の言葉を直接否定したところで無駄だ。

 理性的な面からすれば絶対的にあり得ないとは言い切れないし、それに、否定されれば否定されるほど彼女は意固地になるだろう。

「きみの危惧も可能性の一つとして認めるが、きみと俺の共通項である"今"を無視するのは止めてくれ」

 

「……なら、あなたはわたくしと永遠を共にできると言うの?」

「可能性はある」

 俺にできるのは、灰色の解答。

 特定の未来を信じ込むなど、良くも悪くも俺には無理だ。

 

「……信じていいの?」

「断言はできないが、きみのその破滅的な顛末よりはマシだろ」

「"信じていい"と、言って」

 

 今の彼女はもう、俺に言質を取らせることが目的であるらしい。

 それは逆に言えば言質を与えれば納得をしてくれるということであり、妥協点を示してくれたものだった。

 

「信じていいよ。その為に努力はする」

「約束……だからね?」

「ああ」

 首輪が、また一つ増えた。

 

 

 

「それでなんだが、……俺とクレーとの件を、きみは許せるのか?」

「………」

「許せなくて当然だ。今回の件で悪かったのは、全て俺だから。ただ、きみがどう思っているのかを聞かせて欲しい」

 

 そう声を掛けると、彼女は俯いて、何も言わず腕の中に潜り込んでくる。

 そして強く抱き着いてから、語り始めた。

 

「……わたくしは、ずっと辛かったの。あなたは問題を相談しようともせず抱え込んで、それでいて解決するでもなく問題を悪化させて」

「……悪かった」

「あなたはわたくしの姿を見ていられなかったと言った。でも、わたくしはあなたの姿を見ていられなかった」

 俺は彼女を抱き返しながら、彼女の言葉を聞く。

 

「あなたが意図的にクレーを選んだ訳ではないのは理解しているわ。でも、何故それをわたくしに相談しなかったのかしら?」

 彼女は顔を上げると、腕の中から責める目つきで見つめてくる。

 思い返せば見事なまでに選択を間違え、嵌まり込んでいた。

 

「あなたが言ってさえくれれば、わたくしならばきっと幾らでも解決策を提示できたし、あのような事態には陥らなかったはずよ」

「ああ、早い段階できみに打ち明けるべきだと理解していた」

「なら何故、そうしなかったの?」

 

「……それに関しては俺の逃げ癖によるものだ。すまない」

 彼女の努力を台無しにしてしまう、というのはただの言い訳に過ぎない。

 根本的な原因は、言い辛いからと先延ばしにした精神の弱さだ。

 

「確かにあなたは逃げてばかり。初めてキスするまでもそうだった」

「……それは少し話が別なんじゃないか?」

「いいえ、違わないわ。わたくしのキスから逃げてばかりだったのは事実だもの。心が痛まないのかしら?」

「……すまなかった」

 

 弁明は難しいと判断した。

 あと俺の失言を根に持っていることも理解した。

 

 

「これからは逃げてはだめだからね?」

「ああ。……ただ、きみはこれを機に俺ではなくもっと相応しい相手を選ぶべきじゃないか?」

「あら、その言葉もただの逃げ癖によるものでしょう?」

 そう指摘されると否定できない。

 

 彼女は両手で俺の頬を掴んで顔を突き合わせ、焦点の合った真っすぐな瞳で、見つめながら言う。

「わたくしは、あなたを逃さない。相応しくないというなら相応しくしてあげる。だから、覚悟してちょうだい」

 そして思い出した。

 俺は、この芯のある眼差しに惚れたのだったと。

 

「……俺はきみのそういう強情なところが好きだよ」

「ふふっ。わたくしもあなたの素直なところは好きよ」

「素直か?」

「ええ、時々」

 

 彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 許せはせずとも、ある程度は心の整理がついたのだろう。

 

 ふと笑みを引っ込めると、言い出し辛そうな様子で彼女は言葉を口にする。

「わたくしも、あなたに謝らなくてはならない。……わたくしが酷いことをしてしまったことも事実だもの」

「なら、あれはきみが下した"罰"だったと認めてくれないか? 罰を与えたという認識は、きみがきみ自身の行動を抑制する上で必要となると思う」

 彼女が自暴になった理由には、自らが下した行いを彼女自身が受け入れられなかったことも含まれる。

 なのでやり過ぎを改善するためには、これも重要な事柄だった。

 

「……それならば、わたくしも罰を受けなくてはならないわ」

「ああ。そういった風に、罰の多寡を含めて、向き合って欲しい。……俺はきみが下した罰なら受け入れるから」

 

 

「じゃあ、わたくしへの罰はなにか無いかしら?」

 彼女は過度な罰を下した代償として自らへの罰を求めるが、少し嬉しそうなのを見るにこれは、罰せられることが愛情表現だと思い始めているのではないだろうか。

 まあ間違ってもいないが。

 

「……さっきのキスをもう一度いいか?」

 唇同士を絡めるくすぐったい感覚も良いが、舌を絡めるときのあの、心を直接舐め合うような過敏な刺激も良いものだった。

 久々に感じた明確な快楽なので、もう少し味わっておきたい。

 夢の世界は現実世界と比べて五感に違和感があり、なんというかフワフワとしていて味気がなかった。

 

「……だめ。気持ち良すぎて壊れてしまいそうだもの」

「なら罰として最適だな」

 彼女の背中に片手を添えて、もう片手で彼女の下唇を開く。

 ゆっくりとベッドへと押し倒して罰を執行した。

 

 

 

 

 キスを終えた後はベッドへ倒れこんで、長らく眠っていたことによる不調がないかを確認し、半ば強制的にアルイクシルという例の薬酒を飲まされる。

 そのおかげか、睡眠不足ではあるものの、酷かった頭痛は完全に治まっていた。

 だがもう、眠気が限界なので仮眠を取ることにする。

 

 

 今日もクレーが見舞いに来たらしい。

 呼びかけの声に目を開ければ、赤い太陽がわんわんと泣き声をあげて、文字通り痛いほどに抱きしめてくる。

 その様子が落ち着いてから、ナヒーダが今回の顛末について彼女に説明した。

 

「……ナヒーダお姉ちゃんって、意外と考えなしなんだね」

「クっ、クレー……」

 率直ゆえの辛辣さに驚き、そして反論しようとしたが、反論できないことに気づいてナヒーダは声が萎んだ。

 クレーは案外に物事を見ているので、時々だが意見が鋭かったりする。

 爆弾という繊細かつ高度な技術を安全に取り扱えるなら、それは地頭の良さを意味するのだし、彼女は決して馬鹿ではない。

 

「黒いお兄ちゃんも、クレーがあんなことをしたのは全部お兄ちゃんのせいなんだからね」

「本当にすまなかった……」

 起爆剤になったとはいえ、クレーは今回の件の被害者であるし、もう彼女には頭が上がらない。

 

 そして最後にナヒーダがクレーを叱る。

「……クレー、あなたはわたくし達の関係を思って改善を促してくれたのかもしれない。でも、好きでもない相手の唇を奪ってはいけないの。わかったかしら?」

「はーい!」

 ニコニコと意図の読めない表情をするクレーを、ナヒーダは渋い顔で見つめた。

 

 

「じゃあ、仲直りのしるしに、ふたりでクレーのことをギューッとして!」

 クレーは俺たちへ向けて両手を開く。

 背の高さのあまり変わらないナヒーダが彼女を抱きしめた。

「ほら、お兄ちゃんも! もっと顔を下げて!」

 

 俺もまたその声に答えて、ナヒーダごとクレーを抱きしめた。

 正面から抱き合う二人をその横合いから抱く形であり、頭を下げているので、彼女たちとは顔の高さが同じとなる。

 

「黒いお兄ちゃん、あのね」

 赤い小悪魔が俺の耳元へ口を寄せた。

 そして彼女は小声で呟く。

「(クレー、お兄ちゃんのこと許さないから)」

 

 次の瞬間、頬に唇の感触がした。

 ナヒーダからは陰となって見えない側だ。

 

「……あっ、そろそろいかなくちゃ。じゃあね、黒いお兄ちゃん、ナヒーダお姉ちゃん!」

 矛盾した言動の意味合いが理解できない。

 夢だった可能性を考えては、頬に残るゼリーのような柔らかさがそれを否定した。

 

 

 

『おや、起きたんだね。数百年は掛かるかと思ったのだけど』

『……』

『半分は冗談さ。クレーも心配していたから良かったよ。……あれ、どうしたんだい?』

 

 






次章は、黒焔事件とバドルドー祭り。セノなどのスメール組でも絡む予定

納得させられるような意見が多く、非常に参考となります
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