「……おきて。……おきてちょうだい」
図書館の部屋の隅で彼女を抱いて仮眠を取っていたが、腕の中からの声と揺さぶりで目が覚めた。
「………どうした?」
「彼女が居ないみたいなの。少し胸騒ぎがする。急いで探しにいかなくてはならないわ」
何でも、今回の件に関係するとされる邪眼、それを持っていたのがディルックという人の父親であるとのことで、リサさんは夜明け後にアカツキワイナリーまでディルックさんを尋ねに行くと言っていた。
なので日の昇った図書館に残っているのは俺たち二人に緑頭を加えた計三人。
しかしその緑髪が居なくなっている。
幸いにも、緑頭は図書館を出て直ぐに見つかった。
問題があるとすれば、探し人がガイアに絡まれ詰問されていたことだ。
「……あたしは道に迷っただけの流れ者だ。注意されるようなことはしてない」
「いやあ、最近何かと物騒でね。見たこともない顔には気を付けないとなあ。……んで流れ者、お前はいつモンドに入ってきた?」
恐らくは彼女が黒焔事件と同時に入ってきたと把握されていて、故に容疑者として絞り込まれたのだろう。
だがそこへ乱入者が現れて、ダンッと、靴を叩きつける音が響く。
「ガイア先輩、わたしの友達を虐めないでくれます?」
文字通り飛んできたアンバーが横からガイアの足を踏みつけた。
昨夜に手掛かりを見つけた様子で飛び出してから何処へ行っていたのかは知らないが、彼女のことだからどうせ、サボりを補うために無茶をしてきたはずだ。
「ほぉそいつは失敬。じゃあ、その友達の名を教えてくれ」
「彼女は! ……ほら、自己紹介!」
アンバーですら名前を知らなかったらしく、そのやり取りに呆れた身振りで、緑髪は自らの名を名乗る。
「……はぁ……。コレイだ」
「ガイア、ちょうどいいところに。調査している黒焔の件だが……」
少し遅れてジンさんも同じ方角からやってくる。
彼女はアンバーを追いかけて行ったので、この様子だと合流できたようだ。
そして皆が集まって来たタイミングで緑頭……コレイとやらが、何故かその手に持っていた黒焔に関する資料を皆に提示した。
それに合わせてジンさんは、昨晩にも言っていた通り今回の事件はディルックという人、その父親に関係があると語る。
ガイアが資料に目を通すと、コレイが必死な表情で言葉を吐く。
「それで、その資料には何て書いてあるんだ!?」
「……お前、この資料に随分と熱心なようだが、お前の方がこいつに詳しいんじゃないか?」
「ガイア先輩! わたしの友達を虐めないでください!」
内容に興味を示すコレイにガイアが毒を吐きアンバーが噛みついたが、どうやら反応を見るに、緑頭の探し物というのはその資料であるらしい。
「あたしの友達が……、そこに書かれてるもんを打たれたんだ。だ、だから内容が分かれば、助けられるかもしれない……」
おどおどとした怪しげな様子でそう独白するコレイに、アンバー以外の各々は考え込む。
本当に友人が被害を受けたのか、それとも彼女自身のことなのか、はたまた別の意図か。
なお、お気楽アンバーは一切悩む様子を見せずにその話を真に受けた。
「友達を助けるためにモンドへ来たんだ! 助かるといいね!」
「ああ……」
緑頭は顔を背け、後ろめたい気持ちを分かりやすく示す。
意外と嘘を付けない性分のようだ。
「……わかった。まずはリサに聞いてみよう」
ジンさんの一声により、とりあえずの方針は決定した。
会話が終わると、自然と男子と女子に別れる。
というかアンバーがコレイを抱えてガイアを牽制し、ナヒーダもコレイの元へ向かったために俺一人が取り残された。
「よう、友よ! こんなところで会うとは奇遇だったな」
俺もナヒーダに続いて女子組へ向かおうとしたが、その前に捕まってしまい、こうして長身眼帯の男に馴れ馴れしく肩を組まれている。
そして彼は顔を覗き込みながら、笑っていない目付きで詰問してきた。
「ところで、やけにコレイとやらのことを気に掛けているようだが、お連れさんと何か関係があるのか?」
「同じスメール出身だからじゃないか?」
「ほぅ。……だが、それだけではないだろ?」
ガイアは探りを入れてくるけども、実際としてナヒーダとコレイに直接的な関係性は何も無い。
疑われる理由はないのだからこれはただの鎌掛けだ。
「本当に知らん。そもそも、あくまでも彼女が気に掛けてるから付き合ってるだけで、少なくとも俺はこの件に積極的ではない」
「そう……か。ふむ」
俺の反応からその言葉を信用したようで、彼は肩を離して一人考え込んだ。
恐らく、俺が意図を知らないという事実を元にして、彼女の意図を思索し始めたのだろう。
皆で図書館へと戻り軽く食事を取ってからしばらく待つと、リサさんがディルック邸から帰ってきた。
なのでジンさんが事情を説明して資料の解読を依頼する。
「特殊な文字で書かれているが、リサなら読めないか?」
「ごめんね。ちょっと分からないわ」
例の資料はリサさんでも読めないらしく、彼女は困った様子で謝罪した。
「ならわたくしが……」
「スメール教令院の先生なら分かるかも。手紙を出してみるわ」
ナヒーダの申し出を、リサさんがそれとなく遮った。
それを聞いて『よかったね』とアンバーがコレイを抱きしめる一方で、遮られたナヒーダは黙って静かにリサさんを見つめる。
手紙を取りに行くと言ってリサさんはわざとらしく場を離れたので俺たち二人はその後をついていく。
他のメンバー達から距離を取ったあたりで、彼女は振り返った。
「なぜわたくしが止めたか気になりますわよね」
「ええ。教えてくれるかしら?」
「クラクサナリデビ様、あれは一般人が読めてはいけない部類のものです」
神に対する敬意、というよりは自らと違うものへの警戒に基づく、真剣な表情。
だがそこには、老婆心による心配が混じり浮かんでいた。
「あなたの身分がバレれば、今までのような生活は困難だと思っていた方がよろしいでしょう。神としての身分を隠したいと言うのならば、もう少し知識の扱いには気を付けたほうが宜しいかと思いますわ」
「……でも……」
「民を思う心は美徳ですが、その為に自他を振り回しては本末転倒です。もう少し彼のことも考えてはいかがでしょうか?」
そう説教を受けたナヒーダはこちらを向く。
「……あなたは、わたくしが民を助けることに反対?」
「俺はまあ、何かあっても最悪は、きみを連れて逃げればいいと思ってるけどな。元よりここは俺の故郷ではないし」
「……クレーやアルベド達と会えなくなっても?」
「そのときは仕方ないだろ」
「………」
返答を聞いてナヒーダは黙り込み、リサさんは微笑んでいる。
リサさんは神という存在に対して良い印象を持っていないらしいので、『あまり甘やかすな』と考えているのかもしれない。
自分としてはクェルケセラセラ、つまり成り行き任せに生きることを好むので、別れというものをそこまで気にしていない。
だが無暗にリスクを負うのも好まないので、身分がバレない方が良いという考えには同意できる。
なのでまあ姿勢としては消極的な反対ではあるが、俺は、彼女が望む事柄に彼女が望む限りで付き合うだけだ。
名を明かしたことによって心の壁が薄くなったらしく、緑頭のコレイはアンバーたちと打ち解けて仲の悪くない様子を見せた。
そのためあまり付き添う必要性は薄いと判断して、俺たちは自宅へと戻ってくる。
「まずはお風呂ね」
「昨日は夜通し作業で入れなかったからなあ」
「当然、一緒に入るのよ?」
「ハイハイ」
湯の用意ができれば、彼女は俺が服を脱がせやすいよう両手を挙げて待ち構える。
そこからスルスルとワンピースを引っこ抜けば、緩やかに聳え立つ微かな双丘が姿を現す。
下半身には相変わらず年上染みたレースの下着を着けていて、だがそれは彼女の魅力とマッチしているので正直嫌いではない。
普段は大きなサイドテールや髪飾りで肩幅の小ささを誤魔化しているが、こうして髪を解いてしまうと幼さが目立つ。
とはいえ小学生並みの上半身に対して、少し細めだが高校生程度の下半身をしているので、単なる子供とも違う。
むしろドワーフ染みた腰つきと、ムチムチとした厚みのある太腿に関しては、女性らしい魅力を有していた。
浴室前の廊下に置いた籠へ脱いだ衣服を入れ、小椅子を並べ、湯船に入る前に背中合わせで体を洗う、が。
「互いの体を洗いたいのだけれど」
「……分かった。おいで」
裸で同じ風呂に入るのならばもう今更だと、決心と諦めを兼ねた溜息を一つ吐き、向かい合わせに膝に乗せた。
抱き合うような形になるとは思わなかったようで一瞬彼女の呼吸が止まったが、俺としては下半身が視界に入らない分だけこの方が楽だ。
彼女は胸が目に見える程度にあるのだが、そこに指先が触れると、薄い脂肪越しにゴツゴツとした肋骨が僅かながら感じられる。
これは『膨らんでいる』ではなく『膨らみかけ』と呼ぶべきなのだろう。
今後に膨らむかは別として。
そして体を洗い合ったことで親睦を深めたと思ったのか先ほどから上機嫌な彼女が、俺に背後から抱きしめられる形で湯船に浸かり、鼻歌を歌っている。
そもそも先日から彼女を膝に乗せて仕事をしているのも、彼女が『研究によれば、物理的距離は心的距離に相関する』と言い出したことがその一因だ。
『相関は因果ではない』と指摘したが『それは因果を否定しない』と反論され、それ故に因果関係の実証実験として、物理的距離を狭める方針が取られている。
小学生並みの小さな背中が腹部に触れ、中高生の比較的大きな腰付きは両膝の間に場所を取り、彼女は無防備に身体を預けながら楽しそうにしていて。
その姿を見ていると、少々悪戯心が湧いてくる。
「少しばかり欲に従ってもいいか?」
「いいけれど、何をするの?」
彼女を抱きしめていた片手の平を彼女の下腹部へと添え、その丸く柔らかい感触を堪能しつつ、べったりと手を付けて円を描くようにお腹を撫でる。
「………」
身を捻じり振り返った彼女は、意図を測りかねている様子で、無言のまま見つめてきた。
至近距離で互いを見つめあいながらも、マッサージするごとく広くしっかり付けていたその手を俺は、不意に、指先だけでくすぐるように変化させる。
「んんっ!」
羽根でお腹を擦るような感触に彼女は顔を歪めて、体を仰け反らせ腰を前へと突き出す。
「……ばか」
「褒め言葉だ」
目前には小さな唇が丁度よく差し出されていた。
その蕩けた可愛らしい罵倒を合図に、それをそのまま奪い取る。
軽く唇を絡めてから口先に舌を当てると、暫しの逡巡の後、観念したかのように彼女は口を開く。
しかしその誘いを無視して、左右にツーっとなぞってみたり、チロリチロリと悪戯したりと、舌先で彼女の唇をゆっくりと舐めていく。
自然と横座りになった彼女の腰を抱き寄せ、舌の動きが速くならぬよう気を付けつつ、一定リズムでそのポカンと開けられた口元を楽しむ。
それと同時に、もう片手の平で柔らかなお腹を撫でまわすことも忘れない。
指先でくすぐれば過敏でも、手のひらを付ければ丁度よい刺激であるらしく、肩の力が抜けリラックスした様子で体重を預けてきた。
「……これがお風呂でのキスなのね」
「別にそういう訳でもないけどな」
「ふふっ。唇を舐められるというのも気持ちよかった。またお願いね?」
湯船に広がる白く長い髪の中で、彼女は笑う。
風呂上りは彼女の髪にブラシを通す。
ふわふわとした癖毛なのもあって後ろからの見た目は大型犬のようであるが、犬の毛と違い一本一本が遥かに長いので櫛を通すのは一苦労だ。
「ねえ、恋心とは何かしら」
"なぜ今"だとか、"なぜ今更"だとか。
いくつか言いたいことはあるがまあ、前々から疑念に思っていたものを口にしただけなのだろう。
「雄雌が惹かれあうのはただの生物的本能だが、それだけでは寂しいからと文化的側面から意味づけを与えたものだな」
「つまり?」
「一言でいえば、音楽性の一つじゃないか?」
ざっくばらに言い切れば『音楽の楽しさ』と例えるのが丁度いいかもしれない。
「その説に基づけば、わたくしは音楽家になったということ?」
「ああ。心に抱えた音楽を他人と一緒に奏でたいと思う気持ち。それが恋と言える」
俺の回答はお気に召したらしく、クスクスと笑いながら、彼女は声に喜色を乗せる。
「なんだか詩人みたい」
「きみから学んでいるだけだ」
「なら"よくできました"と、褒めなくてはならないわね」
彼女の手が頭を撫でた。
……撫でり撫でり、そのまま指先が髪を整える。
「あなたの頭も梳かしましょうか?」
「きっちりしているのは性に合わない。これでも無造作ヘアに合わせて切ってるんだよ」
ぐしゃぐしゃと掻きまわしてから髪を戻した。
ベッドへと移動すれば、就寝の準備をする。
「今夜のお話はどうするの?」
「そうだなあ。偉大なる騎士、キホーテ卿の話にしようか」
ちょっと長いが、昼間の休憩時間などにも少しづつ読み聞かせれば読み終わるはず。
「騎士が主役の物語?」
「ああ。花の騎士としては、尊敬に値する先輩騎士について語らねばならないからな」
「……尊敬する騎士が居るとは、今までにあなたの口から聞いたことがない。思い付きで話しているでしょう?」
「それに関しては物語を聞けば分かるさ」
主役であるその彼を一言で言えば馬鹿で狂人だが、曲がらぬ騎士道を持ち続けたことから、周囲に左右されない崇高な精神性という点で文豪たちにも評価されている。
ただナヒーダを揶揄うためにこの作品を選んだのも確かなので、きっと俺は後で怒られるだろうが。